#11
「先生、どうしますぅ?アタシ的には逃げられるなら全力で尻尾巻いて逃げたいんですがぁ~」
さわさわと枝葉を揺らしながら木の根の足で地面を踏みしめて前進してくる魔物の群れを見て、シュゼットは顔を引きつらせる。
その近くにはぶるぶると震えながら浅い呼吸を繰り返すシスカがいる。
―――どうする?とりあえずシスカさんとシュゼットを連れてこの場を離れるべきか?けど、離れたところでシスカさんが落ち着かないとキャンプには戻れない。下手にアンドレイさんやカタリナさんと離れる方が逆に危険かもしれない。
高野は頭の中でこの場を離脱することと残ることのリスクを
そもそも、この木の魔物たちは高野たちを逃してくれるのだろうか?
先程のように完璧な
―――この状況じゃ、出し惜しみをする余裕はないな
高野は冒険者バッグから動物の腸に小麦粉を詰めた白いボールを取り出す。
「アンドレイさん、カタリナさん、ちょっとだけ敵を減らせるかもしれません。少しの間、息を止めて、できるだけこれから飛び散る粉にはできるだけ触れないように気をつけてください」
「「?」」
スキル「麻痺攻撃」をその場でボールに付与し、高野は「えいやっ」と声を上げて木の魔物たちのできるだけ中心にボールがぶつかるように投げる。
これでも小学校、中学校の時は友達とよくキャッチボールをしていたのだ。コントロールに自信はある。
ボールは狙い通り、先頭の魔物脇をすり抜け、前から3~4番目の木に命中する。
しかし、高野の狙いが外れ、ボールは破裂せず、地面に転がった。
「嘘!?」
「なに?どうしたの?」
驚いた声を上げた高野にアンドレイが顔を向ける。高野は表情を固くしたままボールを指差す。
「ボールが割れない…」
「? よくわからないですが、ボールを割ればいいんですか?」
その様子を見たカタリナが冒険者バッグから調理用ナイフを取り出す。
「カタリナちゃん、任せた」
アンドレイが声をかけ、
「任されました」
カタリナが返事をしながら素早くナイフを
カタリナの投げたナイフはブーメランのように横に回転しながら弧を描いて飛んでいき、上から点でボールを狙うのではなく、横から面でボールの表面を切り裂いた。
「うまっ!」
絶妙なコントロール。プロ野球選手やダーツのプロ選手もびっくりな腕前だ。
思わず高野は称賛の声を上げる。
腸でできたボールの中に詰め込まれていた小麦粉がナイフによって弾け飛び、カタリナとアンドレイは高野の忠告に従って後ろに飛び退く。
「「「グギャギャ!?ゲギャギャギャ……!?!?!?」」」
「なんなんだい?これ」
粉を吸い込んだ魔物たちが一斉に驚きの声を上げ、動きを鈍くするのを見て、アンドレイは口と鼻を袖で多いながら高野に尋ねる。
「…詳しいことは企業秘密ですが、理論上、広範囲を高確率で麻痺状態にする切り札です。見た感じ実験は成功のようですね」
「なにそれ…怖ッ」
高野の不敵な笑みにアンドレイが顔を引きつらせながらコメントする。
ティルの一件以来、高野は自分と周りの身をどうすれば守れるかを毎日考えていた。
あの日から、仕事の時間の合間に自分の身体でスキルの実験を行い、唯一覚えている戦闘スキル「麻痺攻撃」の有効な使い方を探っていた。
身体をナイフで軽く傷つけても、高野は固有スキル「麻痺耐性」を持っているので基本的には軽く
つまり、どうやら「麻痺攻撃」は付与した物体が対象の傷口に入った際に、何%かの確率で相手に麻痺状態を付与するという特性を持っていることに気づいたのだ。
そこからさらに実験を進め、針とナイフ、攻撃の有効範囲が全く違う2つの道具で「麻痺攻撃」を発動したところ同じ効果が出ていることを発見した。
・「麻痺攻撃」が確率で麻痺状態を発生させる特性があること
・「麻痺耐性」が恐らく麻痺状態の発生率を下げる類の固有スキルであること
・対象を麻痺状態にするには対象を傷つけることが条件であるということ
この3つに気づいたことで高野の研究は次の段階に進む。
どのようにすれば麻痺状態を効率よく発生させられるかということだ。
針とナイフ、傷の範囲では特段差は認められなかった。だが、そこで高野にある疑問が浮かんだ。仮に体内に摂取した場合にはなにが起こるのだろうか?
試しに「麻痺攻撃」を付与した水を飲んでみたら、ナイフで身体を傷つけるよりも強い麻痺症状が100%出ることに気づいた。
これによって、水に「麻痺攻撃」を付与することで、少なくとも高野と同じレベル1の相手であれば、麻痺状態にできる
この実験結果を旅に出発する直前、「麻痺耐性」のないシュゼットに試したことで、その有効性を確認し、この痺れ薬が少なくともレベル1ならばかなりの確率で麻痺状態にできると確信する。
この痺れ薬は、実はこの世界では世紀の大発見だったが、高野はまだこれで良しとはしなかった。
なぜなら痺れ薬は「相手が飲んでくれる」ことが前提となるため、飲み物や回復ポーションに偽装して飲ませるなどのだまし討ちが必要となるからだ。
これでは全く実戦では役立たない。敵がこちらの与える飲み物やポーションを使うわけがないからだ。
そして、高野は道具屋の中でさらなるアイディアにたどり着く。
針、ナイフ、水…もし、「麻痺攻撃」がなににでも付与できるのだとしたら、粉末に「麻痺攻撃」を付与したらどうなるか、ということだ。
・「麻痺攻撃」が確率で麻痺状態を発生させる特性があること
・「麻痺耐性」が恐らく麻痺状態の発生率を下げる類の固有スキルであること
・対象を麻痺状態にするには対象を傷つけることが条件であるということ
・「麻痺攻撃」は体内に取り込むと効果を強めること(恐らく粘膜に付着した場合にも当たり判定になる)
これまで実験で得たこのスキルのルールで考えれば、「粉もの」はかなり有用だ。粉末を撒き散らせば、粒子の一つ一つに「麻痺攻撃」が付与されているのだから、目や鼻、口、傷口などどこかに触れてしまえば、「麻痺攻撃」が対象を麻痺状態にする抽選が一瞬のうちに数百回、数千回あるいは数万回行われることになる。
相手が粉末を吸い込めば液体で飲ませたのと同様の効果が発動する。
無差別攻撃になってしまうので、風向きに注意する必要はあるが、例えば小麦粉などの粉末を動物の腸や木の実に穴を開けたボールに詰め、投げつけて使用すれば「麻痺爆弾」の完成だ。
理論上は麻痺攻撃が全く効かないという特性を持っていたり、防護服を着ていない限りはレベルがいくつであろうともこの「麻痺爆弾」を食らえば麻痺状態にすることができる…筈だ。
―――で、結果は…
目の前の木の魔物たちが悲鳴を上げながら
―――腸詰めのボールは投げつけてもうまく割れなかった。これは改良する必要があるな。
高野は魔物たちを観察しながら1人頷く。
「これ、どのくらい効果は続くんだい?」
「わかりません。多分個体差がありますし、粉を吸い込んだかそうでないかでも変わりま…」
高野が返事をしようとした時、高野目掛けて鋭い爪が振り下ろされる。
ガサガサ…という木が動く音が背後からしたので間一髪、シスカに抱きついて攻撃をかわす。
シスカと高野は地面に身体を打ち付けながらごろごろと転がった。
「!!」
木に
先程高野が立っていた場所に木の魔物が4体立ち、シュゼットを見下ろしていた。
1人取り残されたシュゼットは震えながら「あうううう」と声を上げる。
―――しまった…!!
「先生、シュゼットちゃんたち、大丈夫かい?」
アンドレイが木の魔物たちと戦いながら異変に気づいて、顔は敵に向けたままこちらに声をかける。
いくら麻痺状態にしているとはいえ、数十匹の魔物と相対しているアンドレイとカタリナはこちらにすぐに救援に駆けつけられる状態ではない。
それにもしこちらに駆けつければ、途端に高野たちも魔物の群れに囲まれることになるだろう。
「シュゼット!」
「せんせぇ…!!助けてくださいぃぃぃぃ」
シュゼットが半泣きで高野に助けを求める。
「今行く!」
―――なにか…使えるものは…
高野は腰に吊り下げた銅のナイフを抜き放ちながら頭の中で冒険者バッグの中身を思い出す。
先程の「麻痺爆弾」は一応、2つ持っている。だが、こちらは先程の腸詰めの小麦粉タイプのものではなく、こぶし大の木の実を半分に割り、中身をくり抜いて代わりに小麦粉を詰め、表面を接着剤のような樹液で固めた別バージョンだ。
こちらも旅の前に思いつきで作ったものであり、実験はできていないので、先程と同じく不発の可能性もあるし、一刻を争う状況で試すわけにはいかない。
そもそも、今ここで投げれば、うまく破裂してくれたとしても、魔物だけでなく、シュゼットも巻き込まれる。それだけでなく、風向きによってはアンドレイやカタリナ、あるいは高野たちも食らってしまう可能性がある。そうなれば最悪、全滅もあり得る。
液体タイプの
残りの高野の持ち物といえば、たいまつと冒険者セット、薬草、携帯食、睡眠薬だけだ。
―――ダメだ
高野は覚悟を決めて、ナイフに「麻痺攻撃」を付与し、シュゼットに襲いかかろうとした木の魔物の背後に体重を乗せて突き立てる。
「ギャギャギャギャギャ!!!!」
高野のナイフが背中に刺さった魔物が凶暴な声を上げ、枝で高野の顔を叩きつけた。
「うぐっ…!?」
例えるならば顔に分厚い輪ゴムを至近距離で叩きつけられたような痛み。その何十倍もの痛みと衝撃がバチンッ、と大きな音とともに高野の顔面に襲いかかる。
目から火花が出るという表現をよく聞くが、一瞬、目の前が真っ白になり、鼻から血が流れるのがわかる。
枝が口にも当たり、前歯が内側から上唇を切り裂いて、口の中に一瞬で唾液と錯覚する量の血が広がる。
高野は衝撃でナイフから手を離し、シュゼットの手前を無様にゴロゴロと転がった。
「うぐ…………。~~~~~!!!!」
涙がボロボロとこぼれ落ちる。
なめていた。
異世界、なめていた。
ここは主人公が格好良くヒロインを助けるところだろうが、現実の世界は甘くはない。
高野は魔法や剣の才能があるわけでも、神様からチート能力を与えられたわけでもない。
ただの中年の運動不足の普通の男だ。
ティルの時は相手が自分よりも若く、不安の高い人間の女性だったからまだハッタリでなんとか誤魔化すことができた。
だが、目の前にいる邪悪な笑みを浮かべた人面樹たちは言語も通じない魔物。
ハッタリは通じない。通じるのは暴力だけ。
喧嘩すら小学校で引退した高野に純粋な暴力で分があるわけもない。
高野が現実を思い知るのにはただの一撃だけで十分だった。
―――痛い…怖い…無理だ…。殺される…。殺される…殺される…殺される…。
それは諦めに似た絶望感。
早く殺して欲しい。いっそ早く楽にしてこの恐怖から自分を欲しいという願望が浮かぶ。
「せんせぇ!!!」
その時、シュゼットの小さな悲鳴が背中から聞こえた。
その瞬間、暴力と痛みによって恐怖に染まっていた高野の意識がはっ、と現実に引き戻される。
―――立ち…上がらなきゃ…。
アンドレイとカタリナはこちらにくる余裕はないだろう。
シスカはあの状態だ。
目の前にいるシュゼットを守ることができるのは高野だけ。
涙をボロボロと流し、片手で顔を押さえながらゆっくりと立ち上がろうとして…
パァァァァァァン!!!!!
木の根の足に回し蹴りを喰らう。
高野の目の前が再び真っ白になり、今、自分が上を向いているのか下を向いているのかすらわからなくなる。
ゆっくり立ち上がる敵を見下ろして待っていてくれるのはフィクションの世界だけ。
当たり前のことだ。動いているなら当然
「………ッ!!!」
本当に痛いと声を上げることすらできないんだな、と頭の中でぼんやり考えていると、上から容赦なく木の根の足が高野の腹を踏み抜いた。
―――あ…ッ…死んだ…
高野の意識はそこで途切れた。
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