#10


「…すまないが、納得のいく説明をしてもらえるか?」


シスカが女性代表として鋭い目つきをしたまま、静かな声でアンドレイに尋ねる。


―――殺気!これが殺気ってやつか。…俺にもわかる。これは殺気を感じるぞ…


なにもしていないはずなのにまるで自分が怒られているような感覚に陥りながら、高野はアンドレイの方を向いた。


アンドレイも顔を引きつらせながら「あはははは…」と乾いた笑みを浮かべていた。


「我々の汗がそんなににおうということだろうか?だとしたらすまない…が、君はデリカシーというものを知っているだろうか?」


返答によっては命に関わる………かもしれない。


「いやいや、俺も女性の皆をはずかしめようって意図はないんだ!信じてくれ」


アンドレイは首をブンブンと振りながらすらっ、と短剣を抜こうとしたシスカを必死になだめる。


「………うぅ…帰ったらギルドにチクりますぅ。チクッてやりますぅ。「知恵者」ワイズマンにセクハラされましたぁぁぁ…って」


シュゼットが涙目でシスカの背中の陰からアンドレイをにらむ。


「それだけはホントに勘弁かんべんして!?………先生っ!先生は俺のこと信じてくれるよね?」


「えっと…………説明次第、でしょうか?」


高野もこの状況下でアンドレイの肩を持つ気にはなれなかった。そもそも正当な理由なくクライエントと職場の同僚どうりょうを敵に回して良いはずがない。


「あー………うん」


アンドレイは帽子をかぶり直しながら頷き、仲間たちを見回す。


「魔物は人間の女性を狙う場合が多い。腋汗わきあせは一番魔物が釣れるんだ」


「「は?」」


シスカとシュゼットの目が途端に逆三角にり上がる。…どうやら釣り上げたのは女性の怒りだったようだ。


「なにそれ」


「セクハラ?セクハラですかぁ!?女の敵!」


「ち、違う違う!…………………ね、カタリナちゃん」


「………確かに女性を狙う魔物は多いですが、そんな話、聞いたことがありません」


カタリナは首を振る。


「いや、いやいやいやいやいや、ホントなんだって…なんでかはわからないけど前に組んだパーティの仲間がこれで魔物を巣からおびき出してたんだよ!」


アンドレイは引きつった笑みを浮かべながら必死で説明する。


女性陣は「また適当なことを…」と目をさらにり上げる。


このままでは中世ヨーロッパの魔女裁判のように正しいことを言っていたとしてもイメージだけで「セクハラ」の烙印らくいんを押され、火にべられかねない。


「…なるほど、女性のフェロモンで魔物を誘き出すってことですか」


高野は頷いて、アンドレイへ助けぶねを出した。


「は?なにそれ?」


当のアンドレイが首を傾げる。


―――おい、そこは適当に合わせておけよ


と、心の中でツッコミつつも、フェロモンという言葉自体、ひょっとするとこの世界では使われていないのかもしれないと思い直す。


「先生、どういうことだ?」


と、シスカが首を傾げ、シュゼットとカタリナも高野を見る。


「多分、ですけど…わきからはフェロモンという………まあ特殊な香りが出てるんですよ。もし木に魔物が隠れているのであれば、女性の香りのする布に対してなんらかの反応を示すとアンドレイさんは言いたいのでしょう」




一説によれば、人間はこのフェロモンの香りで異性をきつけるという。フェロモンには様々な情報が含まれており、特に免疫めんえきの抗体を相手に知らせる役割があると言われている。


…要するに相手との遺伝子の相性が匂いでわかるのだ。


人間はフェロモンによって自分の持っていない免疫抗体めんえきこうたいを持つ者にかれるようにできている。


誤解を恐れずに言えば、レアな免疫抗体を持っているヤツがいわゆる「イケメン」であり、「美女」に見えるわけだ。


ただし、恋愛の要素はそれだけではない。もちろん、強さや背の高さ、胸や尻の大きさといった遺伝子を後世に繋げるのに有利な魅力は異性を惹きつける。


また、恋愛の原則として、身近にいること、狩りができる・裕福ゆうふくであるなど家庭を支える生活力があること、周囲から信頼されている・評価が高いなどの要因も大きく関与してくる。


だが、これらは香水などで匂いを消したり、SNSやメール上など匂いが判断できない状況下でのやり取りを重ねて恋に落ちたり、長期的なメディアによる刷り込みによって恋愛の価値観が変わったり………と様々な要因で簡単に歪む。


そのため、高野のいた元の世界ではより複雑な様相をていしている。


…話はれたが、フェロモンは異性をきつける強力なだ。もし、魔物が女性に対して過敏に反応する生き物なのだとしたら、フェロモンの分泌量ぶんぴつりょうが多いわきの汗を使用するのは有効なのかもしれない。




「それはある程度勝算はあるのだろうか?」


シスカが説明を聞いた上で高野の目を見て尋ねる。


「うーん…私は魔物の鼻がどれくらい良いのかとどれくらい女性を狙ってくるのかがわからないのでなんとも…」


高野はそう言いながらアンドレイの方を見る。そして…


「ただ、もし嗅覚きゅうかくが優れている生き物ならばあるいは…」


と、付け加えた。アンドレイが高野に抱きつく。


「ありがとう、先生!」


「いやいや、これでうまくいくかどうかの保証は私にはできませんからね」


高野は「仲間にされては困る」と彼の抱擁ほうようからすり抜ける。


「………まあ、先生がそう言うならば試してみますか」


「そうだな。先生がそういうなら」


「えええ~~~~…やるんですかぁ~~~!?…………う、うむむむむぅぅぅ」


カタリナとシスカが頷き、シュゼットも渋々と頷く。


「なに、この『先生の言う事ならば』感。……せないねぇ」


アンドレイが女性3人の反応を見て苦笑いする。


「…人徳ですね」


「君と違って先生はしっかり説明してくれているからな」


「アンドレイさんって、なんかやらしいんですよぉ~」


「「わかる」」


カタリナ、シスカ、シュゼットがそれぞれアンドレイに止めを刺していった。




「……………」


シュゼット、シスカ、カタリナは無言でアンドレイの提案通り、防具や服の間に手を入れて、わきの汗を布に吸わせようとする。


それをなにも考えずにじーっと見ていたアンドレイと高野に


「見ないでくださいぃぃぃぃ」


と、シュゼットに顔を赤らめながら怒られ、2人は慌てて後ろを向いた。


―――効果はあるかも、とは言ったものの…


後ろでは見た目20代の美女たちが服の中に手を突っ込んで、汗を拭いている。


衣がれる音が聞こえて―――


―――なんだろう、なんだかとってもいけない感じがする…


禁欲生活が続いているからなのか、それとも高野の性癖せいへきゆがんだのかわからないが、思わずドキドキしてしまう。


これ、失敗した時、アンドレイと一緒に高野も責任を取らされたりしないだろうか?


「…もういいですよ」


カタリナの声で2人は振り返る。


「あう…ほ、ホントにこれ、渡さなきゃダメですかぁぁぁ……?」


シュゼットが顔を赤らめて布を持つ手を後ろに回す。


「これで、うまくいかなかったら、ホント、ぶっ飛ばしますからね」


カタリナは冷たい目でアンドレイを睨みつけながら自分の布を差し出す。


「まあまあ…物は試しだ」


アンドレイは口をふくらませるカタリナに笑いかける。


「ホント、ぶっ飛ばします」


「失敗したら…だよね?」


失敗しなくてもカタリナにぶっ飛ばされる可能性が出てきたアンドレイは苦笑いする。


「…それで、これをどう使うんだ?」


シスカから布を受け取ったアンドレイは気を取り直してウィンクした。


「…まあ見ていてよ。さあシュゼットちゃんもほら」


「うううう…」


シュゼットは嫌そうな顔をしながら渋々しぶしぶ布を差し出す。


「心配しなくてもいだりしないよ」


「「「嗅いだら殴る」」」


女性が声をそろえて叫ぶとアンドレイは高野を見て肩をすくめてみせる。


―――いや、俺を巻き込むな


高野は首を振って顔をそらした。


アンドレイは先程「エネルギーショット」で穴を開けた木と、その両隣にある2本の木に汗で濡れた布を当てる。そして冒険者セットから取り出したナイフやフォークで布に突き刺して木にい付けた。


「…………」


しばらく木をじっと見上げているが、変化は特に見られない。


「失敗ですか?」


背の低いカタリナはアンドレイを睨み上げる。


…処刑まで秒読みだろうか?


「…どうだろうね。とりあえず…こっちだ」


だが、当の死刑宣告されたアンドレイはふっ、と笑うとしげみの方へと歩いていく。


「「「「?」」」」


残れた一同は首をかしげ、アンドレイに続いてしげみをき分けていった。


「全員、すぐにしゃがんで、できるだけ物音を立てないで」


しげみに入ってすぐの場所にアンドレイが腹ばいになっており、小声で全員に指示を出す。


「「「「…………?」」」」


言われた通りに全員はアンドレイにならって腹ばいになって息を殺す。






時間にして20分ほど経過しただろうか?


残念ながらなにも動きがない。


地面にずっと腹ばいになっているせいで身体がかゆい。


「…そろそろあきらめませんか」と高野が口を開こうとした瞬間、アンドレイが「シッ」と高野の口をふさいだ。


「あれを見てごらん」


「?」


アンドレイが指差すのは3本の木のうちの一本。


先程、アンドレイが穴を開けたあの木だ。


「…………!!」


高野はそれに気づいて思わず目を疑う。


木の上部の樹皮にが生えている。


よく見なければ、こぶ・・や虫と勘違いし、見逃しそうだが、あれはどう見てもこぶ・・や虫ではない。


布のフェロモンにかれているのか、ヒクヒク、と鼻の穴が動いていた。


―――なんだあれは…


そのはまるで元々樹皮の一部であったかのように見事に木と一体化していた。


しかし、奇妙なことには樹皮を伝ってゆっくりと布に向かって移動していく。


布の真上にある「エネルギーショット」で開いた穴の真上までくると、穴が黒いなにかでふさがり、は穴の上を通って布の内側までたどり着いた。


「…あれ、アタシのですよぉ」


シュゼットが泣きそうな顔をしながら布を指差す。木の中にひそむ謎の生き物はしばらくフンフンフンフンッ!!!と鼻息荒くシュゼットの匂いのついた布をぎ回す。


そして穴をふさいだ黒いなにかの一部がバチリ、と開く。


黄色い眼球に黒い目玉が2つ…。


やがて木の樹皮からみにくい顔が浮き出してくる。


―――人面樹じんめんじゅ


高野の頭にそんな言葉が浮かぶ。


木に人間のような顔のついたモンスターは元の世界のゲームでは定番だ。


だが、実写版となるとなかなかに気味が悪い。


「ビンゴ!やっぱり魔物だ」


アンドレイはそれを見届けると腹ばいのまま魔法陣を展開し始める。


「…あの体勢で、しかも魔法陣の光の量まで抑えられるのは流石ですね。軽薄けいはくなくせに」


「マジですかぁ…魔力MPのコントロールが繊細せんさいですねぇ。…見た目と違って」


カタリナとシュゼットがアンドレイの技術を褒める。どうやら凄い技術を目の当たりにしているらしいのだが、使い手がアンドレイであることと、彼女たちの付け加えたコメントのせいでイマイチありがたみがわからない。


まあ、チャラそうに見えても、伊達だてに「知恵者」《ワイズマン》という通り名を持っているわけではないのだということだろう。


アンドレイは杖の先端を木に浮かんだ顔に向け、ニヤリと笑う。


「『エネルギーショット』!!!!」


水色の光が走り、顔に魔法弾が命中する。


その瞬間、木から耳をつんざくような悲鳴が上がった。


それを合図に他の木々からも一斉に気味の悪い顔が浮かび上がり、地面に埋まっていた根が足のように飛び出してくる。


それを迎え撃つかのようにアンドレイは帽子を押さえて立ち上がった。


「…あれはなんです?」


「や、わからない。あんなのは見たことがないし、存在も知らない」


高野が尋ねるが、アンドレイは自分も知らない、と首を振る。


「…他の消失した里とかもああやって擬態ぎたいした魔物が痕跡こんせきを隠してたってわけですか。これも魔神教彼らの…?」


カタリナはアンドレイの後ろで杖を構えて呟く。


「…先生、シュゼットちゃん。…極力俺たちが守るけど、危なくなったら逃げてね」


「こちらはなんとかします。…けど大丈夫ですか?かなりの数いそうですけど」


木に擬態ぎたいしたあの気味の悪い魔物は10匹、20匹ではない。圧倒的に戦力が足りないのではないだろうか。


「なんとかするさ。…シスカちゃん、前衛は任せ………シスカちゃん?」


アンドレイがシスカの姿を探す。


「あ………あああああ」


高野から少し離れた位置にいて気づかなかったが、アンドレイの近くでシスカが目を白黒させて震えていた。


「ソシア…………ソシアだ………!!!」


シスカが涙を流しながら顔面を蒼白そうはくにして首を振る。


「ソシア…?確かに顔はなんとなく似ているような気もするが…」


アンドレイが呟く。ソシアに似た魔物を見て、シスカのトラウマが呼び覚まされたのか、明らかに戦意喪失そうしつしている。


「…アンドレイさん、彼女は…」


「ああ。ちょっと無理そうだな。…OK。悪いんだが、キャンプまで戻ってケステンたちを呼んでくれるか?…………いや、無理か」


アンドレイが高野に救援を頼もうとして、キャンプ地に戻るためにはシスカが必要だったことを思い出す。




「つつくのは後回しにすれば良かったなぁ…」


アンドレイが目の前でうごめく木に擬態ぎたいした魔物たちの群れを見て、小さく自分の見立ての甘さをやんだ。

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