#5



― アマイア暦1328年桜の月4月15日 午前 ―

    <大都市ネゴル ギルド 相談室>



「頼む」


「お願いします」


「…………むぅ」


高野は困っていた。


想定していたことの1つであったとはいえ、まさか翌日にそうなる・・・・とは…。


シスカとルッカが高野に頭を下げていた。


「先生、私は彼女の力になりたいんだ」


「気持ちはわかりますが…一緒に行くのは貴女でなければならないのでしょうか?」


シスカから聞いたルッカという少女は大変な状況だ。同情もする。


だが、それはそれ。カウンセラーの高野は目の前のクライエントの安全を最優先に考える。


「彼女が里に行きたいのならば、強い冒険者を雇って護衛してもらいながら行くのが一番安全です。貴女はまだ本調子とは言い難いでしょう?」


「それでもだ。乗りかかった船を降りることは私にはできない。そもそも私が前回向かった場所が彼女の里だったかどうかの確認も必要だ。でなければ彼女は納得しないだろう」


「貴女が戦闘中に混乱すれば、仲間に迷惑をかけるかもしれない」


「…だから先生に頼んでいる。先生はEランクの冒険者だ。私達と一緒に来てくれないか?」


「…………」


高野は黙り込む。


この話は断るべきだ。


頭の中ではそれを理解している。シスカはもちろん、ルッカの安全のためにもシスカを2度目の調査に向かわせるわけにはいかない。


命がかかっているこの状況、例え恨まれようとも、少し厳しい言葉になったとしても、シスカを止めるべき場面だ。


そもそも相談室の外でもクライエントと関係を持つべきではない。カウンセラーとクライエントという関係以外の関係を持つことを多重関係というが、多重関係は公私混同が生じやすく、カウンセリングにも悪影響が出るリスクがある。故にカウンセラーの中ではタブー視されている。


海外の大御所おおごしょのカウンセラーの話を聞くとクライエントの家で夕飯をごちそうになったとか、外に一緒に行って不安を克服する訓練に付き合うなどアクティブな事例もあるが、相談の中で話を聞くという構造を緩めれば緩める程、予想外の自体が発生するリスクが増える。


緩めた構造でもリスクに対処するにはそれ相応の実力が必要だ。果たしてその実力が高野にはあるのだろうか?


だが…。


想像を働かせてみる。


ここで高野が彼女を全力で止めたとしよう。シスカはどうするだろうか?


仮に厳しい言葉をかけても、感情に訴えかけても、彼女の心は変わらないだろう。


彼女はルッカについていくに違いない。


むしろ今後似たような事例があれば、止められるとわかっているので、高野に黙っていくだろう。


シスカは本来黙っていくことだってできた。しかし、彼女は昨日、高野とした「行動する前に相談する」という約束を守ってくれたのだ。


そして高野に同行を求めた。これも彼女が冒険中のリスクを抑えるために考えた結果だろう。


しかし、いくらクライエントのためとはいえ、こちらも命をかける道理はない。やめるようにも言った。それでも駄目なら命がかかっている以上、ここは関係機関に協力を求め、力ずくでも制止する場面だ。


だが―――。


ここは異世界だ。協力してくれる関係機関などない。冒険者は全て自己責任で依頼クエストを受ける。ギルドも危険を忠告しても、引き止めはしないだろう。


元の世界と違い、命の価値も、社会システムも異なる。ここには警察も裁判所も役所も精神科患者を受け入れる入院施設もないのだ。


彼女が命を賭けると言ったらこの世界ではそれを社会が止めることはできない。


止めるならば個人が言葉か、あるいは力を持ってして止めるしか無い。




「……………」


口を結び、地面を睨む。


その時、不意にコンコンコン、と相談室の扉がノックされた。


「…すみません。今―――」


扉を少しだけ開け、「面談中…」と言いかけた高野の目の前にはシュゼットが立っていた。


背中にはリュック、腰には冒険者バッグをつけている。


「??? シュゼット?」


「先生ぇ」


シュゼットは目をランランと輝かせ、笑顔を見せる。


「私も一緒に行きます!」


シスカとエルフの少女が相談室に入ったのを見かけて慌てて仕事を放り出して準備してきたのだろう。その顔はやる気に満ちあふれていた。


彼女の職場は果たして本当に彼女が「カウンセラーの手伝いをしてきます」で許してくれているのだろうか?


「待て、シュゼット…」


「待ちませんよぉ。先生だってこんなことがあるかもしれないから昨日道具屋に行ったんでしょ?ポーションや魔法薬まで買って」


「…………」


高野は口を閉じ、頭に手をやる。確かにその通りなのだが、それはあくまでも最終手段のつもりだった。そもそもまだ同行する覚悟も決まっていないし、自分の中での悩みもある。


引き止めている最中にその発言はやめて欲しい。


「…そうなのか?」


シュゼットの暴露に対し、シスカが高野を見つめる。


「駄目だっていってもどうせ行くんでしょう?」


「ああ」


高野の問いに対し、シスカは決意の堅い顔で頷く。


「ルッカの役に立ちたい。それに私が再び冒険者として立ち上がれるかを試したい」


「私からもお願いします。1人で知らない冒険者に囲まれて行くよりはできれば知っている人にそばにいて欲しいんです」


エルフの少女もシスカの同行を願い出る。シスカが彼女にどこまで自分のことを話したかわからないが、少なくとも元冒険者で冒険に戻るのに高野の許可が必要であることくらいは話しているようだ。


エルフの少女にシスカの事情を話せばシスカを同行させることを諦めてくれるだろうか、とカウンセラーの守秘義務とシスカの命を天秤てんびんにかける。


天秤にかけるまでもない。この場合、守秘義務よりもシスカの命が優先される。だが、それは元の世界での話だ。


「…なぜまた冒険に出るんですか」


せっかく助かったのに、という言葉は続けなかったが、彼女にはそれも伝わったようと思う。




ソシアに監禁された半年間、シスカは地獄の苦しみを味わった。目の前で婚約者と仲間を殺され、一緒に捕まった仲間も酷い仕打ちを受けて、やがて殺された。


シスカ自身、何度もソシアの子どもを身ごもり、産まされたという。


壮絶そうぜつなトラウマ体験をした彼女は、助かって3ヶ月経った今でも日常的にふとした瞬間にフラッシュバックを起こす。


当たり前だ。そんな体験は3ヶ月程度でそうそうえるものではない。


下手すれば一生、このトラウマを抱えていくかもしれないレベルの体験だ。


彼女は高野と初めて出会った時は喋ることすらままならない状態だった。それがようやくここまで回復した。…それなのに。


「私と同じ人間を増やしたくないからだ。…そして、私の子どもソシアたちが人をあやめるのを止めたいからだ」


「!?」


彼女のその目には強い意志が宿っていた。


その時、高野はふと、自分の師から言われた言葉の数々を思い出した。




『高野君。つまづくかも知れないからって石を取り除き続けたら、その人はいつまで経っても自分では歩けないよ。つまずかないかもしれないじゃないか』


『君は賢い。だから先回りする。その多くは確かに正しいだろう。―――だが、その先回りの力は君にとって武器でもあり、弱点でもある』


『正解は1つじゃない。君には君の戦い方がある』


『プライベートに付き合うのもいいだろう。だが、その覚悟があるなら中途半端は駄目だ。死ぬまで責任を持つ。その覚悟で関わりなさい』




―――ここは異世界で、彼女は冒険者だ。その彼女がこれまで見せなかったはっきりした意志を持って前に進もうとしている。


この選択はカウンセラーとしては不正解だ。試験問題なら間違いなく0点。


現実世界で同業者にこの選択を見られたら「なにをやっているんだ」と糾弾きゅうだんされるかもしれない。


だが…。


―――未来に向かってはっきりとした意志を持って進もうとしているクライエントの背中を押さないカウンセラーは少なくとも俺がなりたいカウンセラーではない。


失敗するかもしれない?


大いに結構。失敗をおそれていたら前には進めない。


クライエントがつまずいたなら立ち上がるまでそばにいればいい。


どうしても立ち上がれないなら手を貸すこともあるだろう。


俺には俺のやり方がある。だけど、それを選択するならちゃんと責任を取れ。


やるからには彼女がちゃんと1人で立つまで、最後まで面倒を見ろ。


命を賭ける覚悟で関われ、高野陽一郎。




―――そうですよね?師匠せんせい


今ははるか遠く離れた場所にいる師に心の中で問う。


師匠がこの話を聞いたら「それは違うよ、高野君!」と怒るだろうか?…怒られるかもしれない。


そもそも師匠ならしっかりと線を引いてシスカには同行しないだろうし、言葉を尽くして彼女を説得してみせるだろう。


だが、高野がこのやり方を選んだならば…師匠は一緒に高野のやり方でどうすればいいかを考えてくれる気もする。




「………わかりました。僕も同行させていただけるならルッカさんの依頼クエストへの参加を認めます」


「「!!」」


シスカとエルフの少女が顔を輝かせて顔を見合わせる。


「ですが、その代わり条件があります」


高野はシスカとエルフの少女を見る。


「僕が同行する以上、シスカさんの冒険続行が不可能だと判断した場合には全員で街に引き返します。それとシスカさんから話を聞いていますが、里にはまだ里を襲った集団が潜伏している可能性があります。今回はもしその集団を見つけても交戦せず、引き返し、ギルドに援軍を要請すること。つまり無茶は禁止です。あとは…ルッカさん、貴女は冒険者ですか?」


エルフの少女は首を横に振る。


「…僕とシスカさんはEランクです。複数の敵がいるかもしれない状況で、ましてや生き残りの貴女が狙われている可能性もゼロではない。素人の貴女と僕らを守れる実力のある冒険者を雇ってもらう必要があります。その費用を依頼者の貴女が払えますか?」


「Bランクは無理だけどCランク数人くらいなら…」


「シュゼット、Cランクが何人くらいいれば俺たち3人を守れるだろう?」


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと!アタシが頭数に入ってませんけどぉ!?」


「お前は留守番だ」


高野がピシャリと言い放つ。


「先生が『狩人』でシスカさんも『狩人』でしょ?ルッカちゃんは素人だし、バランス悪くないですかぁ?Cランクの護衛を雇うとしても、『神官』、何人かは必要だと思いますよぉ。私、これでも『ギルド専属の治癒師』ですし…カリネ先生のアシスタントではありますけどぉ」


そう言われることを予想していたのか至極真っ当な理屈で返してくる。


「お前は冒険者じゃないだろ?」


「と、言われると思いましてぇ………実は」


シュゼットは冒険者バッグに手を延ばし、ゴソゴソと中を探る。そして金属のプレートの着いた鎖を首にかけてみせ、ジャーン!と声をあげる。


認識票タグ!?」


その胸には「E」と確かに冒険者の等級を示す刻印がされている。名前も間違いなくシュゼットのものだ。


「いつの間に?」


確かにこの間、冒険者登録をしようかと言ってはいたが、まさかこんなに早く動いていたとは想像もしていなかった。


「や、こういう展開、遅かれ早かれくるかと思ってぇ。先生が冒険者になった後すぐに手続きしましたぁ。知ってます?初心者講習受けなくても、冒険者あるいは元冒険者の推薦人さえいれば別にEランクなら取れるんですよぉ」


「誰がお前を推薦したんだ?」


「そりゃ、アタシ、ギルドの職員ですから。推薦してくれる冒険者さんなんてゴマンといます」


シュゼットはにひひ、と嬉しそうに笑う。高野の驚く顔を見たくて今まで隠していたのだろう。


「それにアタシをパーティに入れてくれたら、ギルド職員が2人も介入している依頼クエストってことで、Cランクでも腕利きの人を斡旋あっせんしてもらうように便宜べんぎを図ってもらうよう交渉してもいいですけど」


「…むぅ」


高野はうなる。Cランクの中でも腕利きの者をギルドから紹介してもらうことができるのであれば、全員の生存率は格段に上がるだろう。


「…ルッカさん。どうでしょう?」


「はい、それで構いません。条件も全て受け入れます」


エルフの少女はそれで問題ないと頷く。


「ルッカと私と先生、シュゼットの4人。冒険者は自衛してもらうとしても、依頼人を護衛するとなると万が一のことを考えれば、前回の調査と同じく最低でも5人は必要か」


シスカがルッカの代わりに、依頼クエストの依頼を行うために見積もりを立て始める。


「今回の依頼クエストは調査だけでなく、依頼人の護衛も含む。人数は変わらないが、報酬はCランクには1人8000~12000Gは払うことになる。Eランクの先生とシュゼットは1000Gずつだな。私は必要経費だけでいい。ギルドへの依頼クエスト仲介料も含めると70000G見ておいた方が良いだろう」


「70000G…」


ルッカが呟く。


とんでもない大金だ。月5000Gの高給取りである高野が1年働いても届かない額だ。…ところでギルドには賞与ボーナスはあるのだろうか?それならなんとか1年分くらいにはなるかもしれないが…。


「なんとかなると思います」


あまりお金を持っているようには見えないが、ルッカは依頼料を払うという。


シスカの様子を見る限り、この依頼クエストを発注することで彼女が経済的に困窮こんきゅうするようなことにはならないようだ。


シスカの話で考えるならば、少女の身につけていた装飾品がそれなりの値段で売れたのだろう。


「シスカさんにももちろん報酬は払います」


ルッカはそれだけは譲れないとはっきり言い放つ。


「いや…私はいい」


「そんなわけには…」


「いや、元はと言えば私が見つけられなかったから今回の依頼クエストを行うんだ。責任を取らせてくれ」


「前回も経費以外報酬を受け取ってくれなかったじゃないですか。駄目です。タダ働きはさせられません」


「でも君はこれからのことを考えたら少しでも節約すべきだ」


「それとこれとは別問題です」


ルッカとシスカが軽く言い合いになる。そこに高野が割って入る。


「…私はプロですから報酬はきっちりいただきます」


「先生ぇ、鬼ですかぁ~。アンタたっぷり稼いでるでしょうが!」


シュゼットが呆れたような顔で割り込んだ高野を見るが、無視して続ける。


「冒険にかかる費用と、それから…そうですねぇ」


高野はシスカとシュゼット、そしてルッカを見て「あ、そうだ」と手を打つ。


「冒険が終わった後の打ち上げ。4人でやりましょうよ。その打ち上げにかかる費用をシュゼットと私の報酬ってことにしてくれませんか?」


「アタシは元々強引について行かせてもらう立場なので異議なしですぅ~」


シスカも高野とシュゼットの意図に気づき、ニヤリと笑う。


「…乗った。私も大酒飲みだ。生きて帰れたら浴びるほどその打ち上げで飲ませてもらおう。…私の報酬もそれでいい」


「そんな…それだとあまりにも…」


安すぎる、と続けようとするルッカにシュゼットが「チッチッチッ」と舌を打って黙らせる。


「ちなみにアタシ、タダ飯ならめちゃくちゃ食いますし、飲みますので、きっちり報酬分いただきますよぉ。この打ち上げ、逆に本来の3人分報酬3000Gを超えるくらい覚悟しておいてください」


ちなみに一般的な夕食の費用は1人30Gくらいだ。シュゼットが仮にいくら大食いでも100人分は無理だろう。


だが、彼女の優しい嘘はルッカの罪悪感を和らげるのに役立ったようだ。


ルッカは頷くと「3000G分と言わずに帰ってきたら美味しいものをこれでもかって食べに行きましょう!」と笑った。



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