#2


―――― アマイア暦1328年紅梅こうばいの月24日 夕方 ――――

      <レイル共和国 大都市ネゴル 東の小屋>



ティルとリュウがいるという小屋は雑木林ぞうきばやしに囲まれたなんの変哲へんてつもないところにポツンと立っていた。


周りには人の住む気配はない。


数日間、少し訓練を受けたとはいえ、基本的にインドア派で、デスクワーク生活をしていた高野と、運動神経が良さそうではないシュゼット。


2人がひぃひぃ言いながら小屋にたどり着いた時にはすっかり夕方になっていた。


紅梅の月2月の下旬とはいえ、まだまだ寒い。2人は白い息を吐きながら小屋を見つめる。


「…ここですか?」


「その筈ですぅ」


頼りない相棒のシュゼットは頷く。


赤い夕日が照らす雑木林の中に1軒だけ立つ物悲しい小屋。


木に止まり「カァカァ」と口々に鳴くカラスたちが、高野により一層、不吉な印象を与える。


Aランク冒険者のナーシャとジェラルディはここに向かって戻ってきていないという。


小屋の周りには戦闘の痕跡こんせきはなく、小屋の中も戦闘が行えるようなスペースは無さそうだ。


「…けど、中で4人で仲良くお茶を飲んでいる…なんてことはないだろうね」


「ですねぇ。あ…、先生、やっぱり私、帰っても?あの、報酬は3分の1でいいのでぇ」


「…それでも報酬もらおうとするのね。…ゲブラさんギルドマスターに言いつけるよ」


「それはダメェ~!!!」


「では…行きます」


高野は意を決して、ドアをノックする。


「どちら様?…って実はわかっているんですけど」


クスクス、とドアの奥から女の声が聞こえる。


「来てくれたんですね…タカノ先生。どうぞ入って下さい」




―――高野とシュゼットがもう少し戦闘経験を積んでいたら、あるいはもう少し警戒できていたかもしれない。


フル装備したAランク冒険者2人…しかも1人は近接戦のスペシャリストがなぜこんな場所で魔法使いに敗れたのかを。




高野がドアの取手に手をかけた時、足元に魔法陣が展開された。


その範囲にはシュゼットも入っている。


上級冒険者でも不可避のトラップ式魔法陣。


一般には知られていない、かなり高度な魔法の知識と柔軟な発想が無ければできない芸当だ。


高野とシュゼットが上級冒険者レベルの実力と反応速度があれば、置かれた状況を認識し、「し、しまっ…」くらいは言えたかもしれない。


しかし、平凡な能力の2人はその魔法陣に気づくことすらできずに気を失った。






―――― アマイア暦1328年紅梅こうばいの月24日 夜 ――――

     <レイル共和国 大都市ネゴル 東の小屋>



「…ふがっ!?」


変な声を上げて高野は目を覚ます。


いつの間にか眠ってしまっていた。


ギィギィ…というなにかが反復して動くような音がどこかから聞こえる。


ぼんやりとした頭が長いスリープから起動させたパソコンのようにゆっくりと回転し始める。


変な体勢で寝ていたためか、身体中が痛い。


…いや、違う?


「!?」


身体がロープでしっかりと縛られており、身動きが取れない。


腕は後ろに回され、柱に固定されている。


眠ったのではない。


眠らされた!?


直前の記憶が徐々によみがえる。


ドアの取手に手をかけた時、突然意識が途絶とだえたのだ。


しまった…。


高野は心の中で呟く。


よく考えるべきだった。いや、考えたところで高野にこの状況が打開できたとは到底思えないが…。


この話を受ける前にも思ったが、捜査線が踊るような映画に出てくる警察のネゴシエーターのような仕事は、カウンセラーの仕事ではない。


高野に今わかるのは完全に「事件」に巻き込まれたということ。


周りを見ようとするが、目が真っ暗で見えないことに気づく。


しかし、自分の目になにかを被せられているわけではないようだ。


なにが…と思考を巡らせようとしたところで、


「…起きました?」


頭の上から突然、女性の声がかかり、高野はビクリ、と身体を震わせる。


「目が…見えないんですが」


「ふふふ…そうですね」


女性はクスクス、と楽しげに笑う。


なにが楽しいのかさっぱりわからない。


自分の身になにが起こっているのかわからないこの状況は恐怖でしかなかった。


「…ティルさん、ですよね?」


高野は戸惑いながらも声の主がティルかどうかを確かめる。


状況的には間違いないはずだが、1度しか会ったことがないので流石に声だけで彼女だとは確信できなかった。


「はい」


やはり、声の主はティルのようだ。


「…ええと、人づてに聞いたので、詳しくはわからないんですが、私にお話がある、ってことですよね?」


「ええ。そうなんです」


やけに機嫌の良さそうな声が返ってくる。


おどおどとしておとなしい印象の会った彼女だが、今日の彼女は声だけだと別人のようだ。


「…お話の前にまず、私の連れが一緒にいたと思うのですが、彼女は?」


「ああ!ピンクの髪の!」


高野はほっ、とし「そうです」と声を上げる。良かった。彼女は一緒のようだ。


「殺しましたよ?」


あっさりと。


「…は?」


高野は自分の頭の中が真っ白になるのを感じた。


意識はここにある筈なのに、どこか遠くに行ってしまったようなふわふわとした感じ。


その言葉がなにを意味するかわかっている筈なのに、たった7文字の言葉が高野の思考をフリーズさせる。


彼女の悪びれのないその言葉にぞわり、と身体中、鳥肌が立つ。


「え?…冗談、ですよね?」


「嘘をついてどうするんです?」


ティルの声には笑いが含んでいた。


高野は自分の目に涙が浮かぶのがわかった。


とても恐ろしい体験をしている最中、その涙の暖かさだけが妙に高野を安心させる。


身体を縛られているので、自分の顔を触ることもできないし、一体なにが起こっているのかわからない。


それでも自分の身体から涙が流れていることに何故か感謝の念が浮かぶ。


2人の間に流れる沈黙を埋めるかのうように変わらず、ギィギィ…というなにかがきしむような音が部屋の中に響く。




怖い…


高野は心の底から恐怖していた。


高野はただの相談室のカウンセラーだ。刑務所のカウンセラーではない。


突然拉致して視力を奪い、身体を拘束して、友人を殺すようなクライエントなど対峙したことはない。


「だって先生の護衛でしょ?」


「違う!!」


高野は叫んでいた。


「もぉ…怒鳴らないでくださいよ。怖い」


「怖い」と言いつつも、ティルは全然おびえた様子はない。


むしろ高野とのやり取りを、高野が怖がっている様を見て楽しんでいる節すらあった。




そうか…彼女シュゼットは護衛だと思われて殺されてしまったのか…。


申し訳ないことをした。


高野は頭の中で先程のことを思い出す。


あの綺麗なピンク色の髪のエルフはドアに手をかける直前、帰りたがっていた。


高野がギルドマスターに報告するぞ、と脅さなければ彼女は守れたかもしれなかったのに…。


高野は唇を噛む。




「…女を連れてくる先生がいけないんですよ?殺されたくない大切な人なら置いてくるべきでしたね」


「なんで…なぜ、シュゼットさんを殺したんですか?」


「なぜって…決まっているでしょう?」


ティルの声のトーンが下がる。


「…リュウくんをたぶらかす可能性があるからですよ。先生、貴方、私の話、ちゃんと聞いてくれていました?」


視界は見えないが、なにかの気配が自分の顔に近づくのを感じる。


パサリ、と自分の首筋に髪のようなものが触れた。


「!?」


恐らく彼女がこちらの顔を覗き込んだのだろう。


ゾワゾワ、と交感神経こうかんしんけい亢進こうしんし、全身から冷や汗がぶわっと吹き出す。


そんな話・・・・はどうでもいいんですよ。私は先生にお話があってお呼びしたんです」


「…」


「…先生、私に隠していたことがありましたよね?」


「隠していたこと?」


顔の近くからティルの声が聞こえる。


彼女は高野の近くに座っているのだろうか?


「とぼけないでください。…先生、痛いのはお好きですか?」


ぞわわわわわ…と身体全身の毛が逆立つ。


返答を誤れば、拷問ごうもんされるのがわかった。


「す、好きなわけないでしょう?」


「ですよね?私もあんまり人を傷つけるのは好きじゃないんです。…でも愛する人のためだったらこんなこともできちゃいます」


「え…」


右手の小指に、恐らくティルの冷たい両手が触れた。


長い爪が小指の爪と肉の間に入っていく。


「ひ…やめっ」


バリッ


「~~~~~~ッ!!!!」


高野の右手の小指に激痛が走る。


悲鳴にならない悲鳴を上げて身体をよじるが、ロープが建物の柱に高野の身体をしっかりと固定しており、身動き一つ取れない。


涙が後から後から流れる。


身体中からびっくりするほど汗が流れ、冷たくて気持ち悪い。


小指が焼けるように痛むが、徐々に感覚が麻痺まひしてきたのか、痛みのピークが過ぎていく。しかし、少しでも動かすと涙が出るほどの激痛が走った。


視覚が封じられると他の感覚が鋭敏になると聞くが、痛覚も同様らしい。


なぜ…


なぜ俺がこんな目に…


心の中で高野は泣き叫びたい気持ちが湧き上がるが、必死になって抑える。


泣き叫んで解放してくれるような人ならば、そもそもこんなことはしない。


彼女は高野をいじめたくてここに呼びつけたのではなく、情報を引き出したいからだ。


だが…なにを?


「!? 痛ッ!」


不意に髪の毛を捕まれ、顔を上に向けさせられる。


「…リュウくんをギルドに保護させたのはタカノ先生だった、ってことですよ。貴方はあの時、私が尋ねた時、知らないフリをしましたよね?」


「…守秘義務が…あります」


高野は小指の痛みに耐えながら声を絞り出す。


「…」


ティルは髪の毛から手を離す。


突然、手を離された反動で高野は下を向く。


「!!」


舌を思い切り噛んでしまい、口の中に血の味が広がる。


「…お話したかったことはそのことですか?私に報復したい、と?」


高野は口の中で血の味がする舌を転がしながらティルに尋ねる。


「違います~!もうっ、意地悪いじわるしないでください」


ティルが甘えたような声を出す。




―――いやいやいや、一方的に意地悪されているのはこちらなんだが!?


っていうか、これは意地悪のレベルではなく、拷問ごうもんなんだが!?


と、言いたいのを必死でこらえ、高野は「すみません」と謝罪する。


「それで…、お話とは?」


「そうそう。私の話を聴いてほしかったんです。もしかしたら知っているかもしれないんですが…あのビッチ―――マリエル、でしたか?また、リュウくんをたぶらかしたんです」


「…」


マリエルとは恐らく、話に出てきたナーシャの代わりにリュウに勧誘されたCランク冒険者の神官のことだ。


「リュウくん、あの女にだまされているんです。洗脳されているのかも」


高野の両肩が突然掴まれる。


おそらくティルがつかんでいるのだろう。


「…ねぇ、先生。彼の洗脳を解くためにはどうしたらいいか教えてください」




「違うよ、ティルさん、それは洗脳じゃないんだ。君が怖いからで、彼がそういうヤツだからだよ」と言えたらどんなにいいだろう…と高野は心の中で思ったが、この状況下でそれを口にする勇気はなかった。

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