#3


「せ、洗脳ですか…」


高野は小指の痛みをこらえながら繰り返す。


言葉を選ばないと、もっと酷い目に合わされそうだ。


「そうです。じゃないと説明がつかないでしょう?」


「…」


先日の彼女の話によれば、彼女はリュウの子どもを妊娠しているという。


彼女に言わせれば、それは彼の自分に対する愛が最も深かったからだ。


にも関わらず、彼がギルドの保護下から外れて真っ先にマリエルという女性に会いに行ったのが理解できないらしい。


「…本当に洗脳だと思いますか?」


高野はティルが単に現実から目を背けて、自分の都合の良いように解釈しているだけなのか、それとも心の底からリュウが洗脳されていると思い込んでいるのかを確認するために問いかける。


「当たり前じゃないですか」


ティルは迷うこと無く高野に返事をした。


「…。リュウさんとは話しましたか?」


「あの女との関係についてはもちろん聞きましたよ?そしたら…彼女が一番だって…」


高野は首を振る。


「違う…。貴女のお腹の子どもの話です」


「したわ!したに決まってるでしょ!!」


ティルは苛立いらだった声を上げた。


「でも、それ・・よりも洗脳を早く…」


「重要なことです。…教えて下さい」


彼女は彼に妊娠を打ち明けた話を意図的に避けているようだった。


しかし、高野はそれを逃さない。


真剣に最短距離の質問で尋ねる。


ティルはしばらく迷った後、ポツリ、と


「…彼は『そんなの知らない。別の男の子どもじゃないか』って」


消え入りそうな声で告白する。




うわぁ…。


リュウさん、それはあかんよ…。


カウンセリングでもよく聞くような展開とはいえ、その発言はいただけない。


他の人を巻き込んでいなければ、リュウと彼女だけであれば今回のことは当然の結果と言えるだろう。




「彼以外とそんなこと…したことないのに」


嗚咽おえつが聞こえる。


目は見えなくとも彼女が泣いているのがわかった。


彼女の状況には同情しなくもない。


…だが、明らかにやりすぎだ。


脳裏にシュゼットの顔が浮かぶ。


シュゼットを殺したティルに感情的に味方にはなれない。


「…リュウさんとマリエルさんは?どこかにいるんですか?」


「いるわ。もちろん。…ここに」


先程から聞こえるギィギィ…というきしむ音。


「…この音は?」


そんなこと・・・・・よりも先生。リュウくんの洗脳を解く方法を」


ティルが低い声で高野にかぶせるように言う。


「…」


視界を奪われ、身体を拘束され、仲間を殺され、殺人鬼と対面での会話。


どう考えても平常通りのパフォーマンスは出せない。


だが、向こうが高野と対話をする気があり、高野に救いを求めている以上、まだ主導権を握るチャンスはある。


会話から徐々に主導権をひろげていく…それしか高野が生き残る道はない。




―――考えろ、高野陽一郎たかのよういちろう


生きてここから出るためにはなにが必要だ?


俺になにが出来る?


高野は頭をフル回転させる。


助けは期待できない。


相手はAランク冒険者。少なくともわかっているだけで、リュウさん、ジェラルディさん、ナーシャさんの3人もAランク冒険者を撃退している。


事件が発生してから1日…くらいか?


…意識を失ってたから、もしかしたらもっと長い時間かもしれない。


けど、シュゼットの話では今、街にはAランク冒険者はいないということだったし、Sランク冒険者を他の街から派遣要請したとしても、数日はかかるだろう。


ティルさんだってそれまで大人しくここにいるわけがない。当然、すぐに場所を移すだろう。


シュゼットは殺されたということだったけど、ジェラルディさんとナーシャさんはどうだ?


さっきの話から察するにリュウさんとマリエルさんはまだ生きている。


だが、場所を移すならば、その時はリュウさんと2人で行くはず。


連れて行く人数が多くなればなるほど制約が増えるし、残りは皆、生かしておくメリットがないから殺されるだろう。


そう考えるならば、高野がティルにとって有用性を示せたところで、長くともここから半日くらいの命。


使えないと思われればその場で殺される。


今の所は勝ち筋が全く見えない。


高野の持っている武器は取り上げられてしまったし、あったとしても役に立つとは思えない。


ティルとは戦闘経験値もレベル差もありすぎて、素手でも簡単に殺されてしまうだろう。


スキルの『麻痺まひ攻撃』も格上すぎる彼女に有効とは到底思えない。


高野が生かされている理由は、今の所「高野であれば、リュウの洗脳を解けるかもしれない」あるいは「リュウの考えを改めさせる事ができるかも知れない」という期待があるから生かされているだけだ。


―――待てよ?




「ティルさん」


「なんです?」


「リュウさんが洗脳にかかっているかどうか、確認したいのですが」


「…」


ティルが黙り込む。なにかを考えているようだ。


あとひと押し。


「…洗脳にはいくつかのパターンがあります。精神的な揺さぶりによる洗脳、薬物による洗脳、そして魔法による洗脳。対応方法はそれぞれ違います。対応方法を考えるためにも、まずはどれによるものなのかを判別する必要があると思います」


…嘘だ。


いや、正確には全ては嘘ではないが、高野は洗脳を受けた人間は見たことがない。


あくまでも大学や大学院、書物で学んだ学術的な知識と想像によるハッタリ。


特に魔法による洗脳があるかどうかはわからない。


だが、ここは彼女の期待する理想像を演じる必要がある。


洗脳にも対応できるカウンセラー像を。


「それはどうやったら判別できるんですか?」


「…」


かかった!


高野は心の中でガッツポーズする。


「目の動きや仕草、それから話し方などから判別します。なので、できれば目を見えるようにして欲しいんですが…」



「…先生、残念だけど」


ティルは声のトーンを落とす。


「先生の目はない・・わ。必要ないと思って取ってしまったの」


「!?」


ティルの発言にショックを受ける。


目を取った!?


頭の中が真っ白になる。


目隠しではないと思っていたが、なにか魔法や薬物などで視力を一時的に奪われていただけだと思っていた。


「なぜ?」


思わず心の中に浮かんだ疑問を口にしていた。


目を奪われた痛みはない。


でも失ったと知ると目に全身の意識が集中する。


不安と恐怖で心が塗りつぶされていく。


怖い…


怖い…


でもそれに屈してしまったら間違いなく死ぬ。


だから高野は冷静さを保たなければ、と必死になって理性で本能を抑え込む。


「なぜって…だって先生、なにをするかわからないから…」


ティルが言いにくそうに告白する。


彼女はどうやら高野を恐れているらしい。


カウンセラーという得体の知れない存在がなにをするのかを恐れている。


心を読まれるとでも思っているのだろうか。


そんなこと・・・・・よりも他には方法はないんですか?」


「…」


わずかな沈黙が生まれる。


…しかし。


しかし、なんだろうか。


この空気感…。


申し訳無さそうな雰囲気というよりも、どちらかというと緊張した雰囲気に近い。


まるでなにかを恐れているような…。


彼女は確かに高野がなにをするかわからない、ということで恐れてはいるのだろうが、直感的にその言葉だけでは情報が不足しているような感じがした。


カウンセリングの際、たまにクライエントの発言が「しっくりこない」印象の時がある。


これは本当に感覚的なものでなんとも形容し難いのだが、こうした場合、クライエントが情報を隠したり、嘘をついていることが多い。


…クライエント自身、無自覚な場合もあるのだが、こういう勘というか経験則を高野は大事にすることにしていた。


「…先生?」


ティルは緊張を含ませた声で高野を呼んだ。


「…ティルさん」


「…」


「私に隠していることがありますよね?」


「…どういうことでしょう?」


ティルの声が固く、緊張が強まった。


…やはり、直感は間違いではない。


彼女はなにか隠している。


それを気づかれるのを恐れているのだ。


今、それを当てることができれば、高野の「得体の知れない感」を高める事ができる。


しかし、ここで外せば「インチキハッタリ野郎」で即処分もある。


…大きな賭けだ。




「コールド・リーディング」という技術がある。


広く、どうとでも取れる質問から初めて、相手の反応や仕草から情報を抜き取り、さも相手の心を読んだかのように言い当てていく技術である。


占い師や詐欺師がよく使う手段だが、その技術は彼らの専売特許ではない。


むしろ、現役カウンセラーの方がこの技術を上手く使える自信がある。


高野はぎゅっと眉間みけんしわを寄せ、適切な言葉を探る。


彼女から情報を抜き取るにはなにが最適な言葉がけか…


「!?」


その時、ふと頭の中にある疑問が過ぎった。


彼女は高野の目を「取った」、と言っていた。


―――「取った」ということは眼球がない、ということだよな?


高野は再度、眉間みけんしわを寄せる。


目が無くなれば、眉間に皺を寄せた際に発生する眼球への圧力は感じない筈だ。


だが…


―――目玉があるぞ?


彼女の発言の矛盾に気づく。


これが「目を傷つけた」、「見えなくした」、「視力を奪った」であれば、本当に「コールド・リーディング」で命がけの博打ばくちを張る所だった。


これが彼女の隠していることか。


「…目を見えるようにしてもらえますか?」


高野はつとめて冷静に、さも「最初からわかっていました」というようによそおう。


「!?」


ティルが息を飲む。そして、「フフフ…」と笑い声を上げた。


「?」


「あはははは!!!すごーい。…本当に心が読めるんですね」


ティルはあっさりと「目を取った」という嘘を認める。


「…試すのはこれっきりにしてくださいね?」


高野は「全てお見通しだぞ」というように落ち着き払った声を出す。そして、「ふう」とわざとらしくため息をついた。


「はーい」


ティルは悪びれる様子もなく高野に返事する。




ティルが高野の目を治すために魔法の詠唱しているわずかなすきに頭を回す。


彼女は嘘をつく。そして、高野にバレないように警戒している。


これまでの会話で他に怪しい所はなかったか?


記憶力は良い方ではないが、直前の会話、それも集中している時の会話は別だ。


こちとらプロのカウンセラーである。


―――該当箇所がいとうかしょは2つ。


高野は記憶から情報を引っ張り上げる。


1つはシュゼットの生死について。彼女はシュゼットについて「そんな話・・・・はどうでもいい」と早めに切り上げた。


もう1つはこの「ギィギィ」という音。彼女はこの時も「そんなこと・・・・・よりも」と話をすり替えた。


彼女は話したくない話は早めに切り上げようとする癖がある。


違和感を覚える鍵となったのは今、思い返せば、「妊娠したことを彼に話したか」と高野が尋ねた時の彼女の反応だ。


自分たちの子どもの話にも関わらず彼女は「それ・・よりも早く…」と話を切り替えようとしていた。


あれがなければ、違和感自体に気づけなかっただろう。


この絶望的な状況の中でほんの少しだが希望の光が灯る。


シュゼットは生きている可能性と「ギィギィ」という音の正体。


これらを高野に隠すために、高野から視覚を奪った可能性がある。


ティルはその方が高野よりも精神的に優位な状態で話を進められると思ったからだろう。


―――「ギィギィ」という音はひょっとするとシュゼットに関係する音なのかもしれない。


この分だとジェラルティさんやナーシャさんも殺されていない可能性もある。


それならばやり直せる。


これまでのことは許されるべきことではないが、絶望的な展開ではない。


まずはティルさんにリュウさんとちゃんと話し合ってもらい、今後のことを決めてもらう。高野としてはリュウさんと別れた方がいいと思うが、それを決めるのは彼女だ。


―――なんだ。ふたを開ければ、周りを巻き込んだ迷惑な痴話喧嘩ちわげんかか。


小指の爪をがされたのは許せないが、目をくり抜かれたわけでもないなら、他の人も傷つけていないのであれば飲み込もう。




「『ライト』」


ティルの詠唱が終わり、魔法が唱えられる。


すると高野の暗闇しか見えなかった目に突然、光が差し込んでいくのがわかった。


あまりのまぶしさに思わず顔をしかめる。




元の世界の知識だが、眼球には明るい所で働く「錐体すいたい細胞」と暗い所で働く「桿体かんたい細胞」というものがある。


「夜目がきく」というのはこの「桿体かんたい細胞」の働きが常人よりも活発で、わずかな光でも取り込む状態を言うそうだ。


しかし、光が全く入らないところでは「桿体かんたい細胞」も取り込む光がないため、機能しないという。


なので夜目がきく冒険者でも光の届かない洞窟ではたいまつか、固有スキル「暗視」が必要になる。


講習会で学んだ「ライト」という魔法はそうした完全な暗闇でも昼間のように色まではっきりと見せる魔法だと理解していた。


だが、どうやら「ライト」という魔法は目が感じる光の量を「0から100」まで調整できる使い方があるようだった。


使い方によっては、RPGの世界でよくある相手の視界を奪う「ブラインド」よりも悪質な魔法だ。




「…ごめんなさい、先生。試すようなことをして」


ティルの声とともに徐々に視界が安定してくる。


「………!?」


目の前に真っ先に飛び込んできたのはティルの姿。


前髪の長い黒髪のエルフは前回同様、露出の高い服を着て、こちらの顔を覗き込んでいた。


しかし、その表情は相談室に来た時の彼女とはどこか違…


血!!!


血だ!!!


血!!!!!!!


彼女は身体中が血で真っ赤に染まっていた。


彼女が怪我をした?


ジェラルディやナーシャと戦ったから?


…違う。


返り血だ。



その正体はすぐに分かった。




ギィギィ…


ロッキングチェアが揺れる。


ギィギィ…


その上には…




その上には…




その上には…




乳房を切り取られ、股関節から下を失った金髪のヒューマンの女性が乗せられ、縛り付けられていた。

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