#3


―― 女神暦1328年紅梅こうばいの月21日 午前 ザカー平原 ――



装備を用意していなかった者たちはレーリーの指示で彼の立っている岩の後ろへ回った。


そこには使い古されているが、しっかりメンテナンスの行き届いた武器や防具が準備されていた。


「そこから自分に合う者を選べ。それからそこの貴様!」


失禁したエルフの男にレーリーは声をかける。


「ひ、ひぃ!?」


「貴様は『ひぃ』しか言えんのか?…まあいい。おむつ・・・が必要な愚図ぐずのために、一応服も用意してある。服を着替えろ。…まあこの後のことを考えればおむつの方がいいかもしれんがな」


レーリーはニヤリと意地悪く笑った。




「全員装備は整えたな?」


レーリーは冒険者の卵たちを見回して叫ぶ。


「返事ぃ!!」


レーリーは眉間みけん青筋あおすじを立てて怒鳴る。


「「「「「は、はい!!!」」」」」


冒険者の卵たちは背筋を伸ばし、大声で返事をする。


「いいか、参加するからにはこの1週間で、冒険者として最低限使えるレベルにはしてやる。その代わり、全員死ぬ気でついてこい。わかったか!?」


「「「「「はい!!!」」」」」


うへぇ…と高野は心の中で呟きながら返事をする。


トントゥの教官は「よし」と頷き、冒険者の卵たちを見回す。


「まずは貴様らに問おう。…最低限、冒険者の卵の貴様らに必要な道具はなんだ?」


「お前」、とレーリーは手前にいたエルフを指差す。


「ええと…」


「遅い!返事は『はい』か『YES』だ。それ以外は許さん。わかったか!?」


「はいぃぃぃぃぃ!!!」


エルフはレーリーに怒鳴られ、縮み上がりながら返事をする。


すでに目には涙が浮かんでいる。


「武器と防具でしょうか?」


「中級冒険者ならそれでも十分だが、貴様ならば依頼クエスト初日に死ぬな」


レーリーは吐き捨てるように言い放ち、隣にいるドワーフに「お前はどうだ?」と尋ねる。


「はい!携帯食、それに薬草も必要だと思います」


「携帯食と薬草はいくつくらい必要だ?」


「はい!…携帯食は…2週間分くらいでしょうか?薬草は持てるだけ持つべきだと思います」


ドワーフは自信満々に応える。


「…不正解だ」


レーリーは静かに言い放つ。ドワーフはがっかりした顔をして項垂うなだれる。


「携帯食は状況に応じて用意する。初心者用の依頼クエストは期間が短いものが多い。せいぜい3日から長くて1週間程度だ。だから2週間分も用意する必要はない。薬草も持てるだけ必要はない。なぜだかわかる者はいるか?」


レーリーは冒険者の卵たちを見回す。


そして、高野と目が合う。


高野は「ヤバい…目が合っちまった…」と心の中で慌てふためく。


「お前、なぜだ?」


「…はい。推測で良いですか?」


「構わん」


「…それ程頻繁ひんぱん怪我けがうような依頼クエストならそもそも適正が合っていないから。ならば、無理に遂行するより、依頼クエストを辞退した方がいいのではないでしょうか」


無理して依頼クエストを推し進めてもリスクが高まるだけだ。


この教官はできるだけ生存率を高めることを重視していると言っていた。


ならば、依頼クエストの達成よりも限界を見極めて引くことが大切だと考えるのではないだろうか。


レーリーは「正解だ」と頷く。


「では適切な数はいくつくらいだと考える?」


「はい。…えー…いくつでしょう?すみません。薬草を使ったことがなくてわかりません」


高野は首を傾げ、いさぎよく「わからない」と伝える。


「…薬草を使ったことがない、だと?貴様、今までどうやって生きてきた?」


「あははは…大きな怪我なく安全なところで育ちました」


レーリーは首を傾げ問いかけるが、高野は笑って誤魔化ごまかす。


異世界から転移してきたことは基本的にはあまり言わない方が良いとグラシアナやゲブリエールからアドバイスを受けているので黙っていることにした。


ただ、嘘はなにも言っていない。


この世界に比べれば、日本での生活は安全そのものだ。




「…まあいい。では、お前、コイツに薬草の効果を説明してやれ」


レーリーは熊の獣人を指差す。


「はい。…薬草は怪我けがの直後であれば、程度にもよりますが、患部に当てれば骨折やある程度の傷をふさぐ効果があります。また食べれば、身体の内側から患部から入る細菌の進行を止める効果もあります。傷が出来てから時間が経過すればするほど回復効果は減少します。傷口同士がくっつけられないような大きな傷や、腕や足が千切ちぎれるような大きな怪我、大量出血などには十分な効果は期待できません」


「その通りだ。特に補足はないな」


レーリーは熊の獣人に頷く。




「…では、話を戻して、改めて何個必要だと思う?」


レーリーは高野に再度問いかける。


なかなか逃してくれない。


「…そうですね」


「…返事は?」


レーリーは高野を睨む。高野は背中から冷や汗を流しながら「失礼しました」と謝罪する。


「はい。そうですね…前提の確認ですが、それは1人で戦う場合でしょうか?それともパーティを組む場合でしょうか?」


「4~5人のパーティを組む場合だ」


「…5~6個くらいでしょうか」


「その理由は?」


レーリーがなおたずねる。


ゲームの最初のダンジョンに持っていく時、回復アイテムは2~3個あれば十分だ。


だが、実際に命がかかっているので、その倍の5~6個というのが高野の回答の根拠だが、そんなことをいっても絶対に理解されないだろう。


…ということで高野は頭をひねる。


「はい。ええと…先程のドワーフの彼が言ったように、安全のためにはある程度薬草が必要ですが、パーティを組んでいるならば、例えば4人で5個持てば、20個ですよね。初心者の依頼クエストで戦闘が連戦になることはあまり考えられないので、正直、5つもあれば十分すぎるとは思います」


「ですが」と高野は続ける。


「万が一、パーティとはぐれてしまった場合には合流するまで、生き延びないといけないので5~6個くらいが妥当なのではないでしょうか」


レーリーは高野を睨みつける。


高野は心臓がドキドキと脈打つのを感じながらごくり、と息を飲んだ。


「良いだろう」


レーリーは頷いた。高野はホッと胸をで下ろす。


とりあえず、この場はしのげた…。


「だが、まだ最初の冒険に持っていく物が足りないな。わかるものはいるか?」


「はい!冒険者セットです!!」


ヒューマンの男が手を上げ、ハキハキと答える。


「…そうだ。貴様ら、必ず冒険者セットだけは持っておけ。ロープ、ナイフ、食器、毛布にテント、そして冒険者バッグ等、冒険者に必要なものがそろっている」


レーリーは頷いた。


「他にもまだ必要なものが足りない。…わかるか?」


レーリーは冒険者の卵を見回す。


誰もが視線をらす中、1人、教官から顔をそむけない者がいた。


レーリーはそのヒューマンの女性に「貴様、何だと思う?」と尋ねる。


「はい。…応急草おうきゅうそうとたいまつでしょうか?」


「…正解だ。それぞれいくつずつ必要だと思う?」


レーリーはヒューマンの女性にさらに問いかける。


「はい。応急草は2~3個。たいまつも2~3個で良いと思います」


「薬草の効果も知らない者がいるので、応急草の説明もしてやれ」


レーリーは高野をちらりと見る。高野は「すみません」と頭を掻き、ヒューマンの女性に頭を下げる。


「はい。応急草とは、状態異常を回復させる薬草の一種です。傷の回復には効果はありませんが、毒、睡眠、麻痺、混乱、それから軽い病気程度なら食べるか、患部に当てることで回復させることができます」


「例外は?」


「呪いや石化などの特殊で高位の状態異常には効果がありません」


ヒューマンの女性はスラスラと答える。


「先程の応急草とたいまつの個数の根拠は?」


「まず、応急草ですが、初心者の依頼クエストに状態異常を起こすような攻撃などをしてくる魔物や魔獣はそれ程いないと思います。ただし、万が一、依頼クエスト中に病気になってしまった場合や状態異常攻撃を行う敵に遭遇してしまった場合に備え2~3個必要だと思いました」


「ふむ。たいまつは?」


「たいまつはパーティで先頭が1つ、最後尾が1つ持っていれば十分です。薄暗いところに入るとしても初心者の依頼クエストであればせいぜい半日程度。ならば、10本程度あれば十分に探索可能だと思います」


「良いだろう。…貴様、名前は?」


トントゥの教官は彼女の回答に頷き、名前を尋ねる。


ヒューマンの女性は「マリッサです」と答える。


マリッサという女性は受け答えから、かなり優秀な人物だということがわかる。




「よし…これで必要ものはわかったな?……………返事ッ!!!」


「「「「「はいッ!!!!」」」」」


油断していた冒険者の卵たちはレーリーの一喝いっかつで背筋を正し、返事をする。


「では、今確認した冒険に必要なものをすぐにそろえろ。岩の陰に必要なものは全て全員分ある。物資は必要最低限にしぼれ…。必ずだ。…理由はすぐにわかる」


レーリーの言葉に冒険者たちは首を傾げる。


「返事をしろと言っているッ!!!」


「「「「「はい!!!!!」」」」」


全員は返事をすると飛び跳ねるように各々、物資の調整に駆け出した。






「…さて、貴様ら、必要なものはそろえたな?」


「「「「「はいッ!!!」」」」」


レーリーは全員の様子を見て、頷くと、手前にいたエルフの女性に大量の紙を渡す。


「…地図だ。全員に配れ」


エルフの女性は地図を1枚取ると他の者たちに回していく。


「全員、この地図のルートで走ってここに戻ってこい。俺は一番最後にゆっくりと走る。…もし俺に追い抜かれたら魔獣に食われたと思え。食われた奴は昼飯抜きだ」


ごくり…と全員が息を飲む。


地図に目を通すと、ここザカー平原入り口からネゴルの大通りを通って、港まで走り、そこからUターンして戻ってくるルートが示されていた。


「…言っておくが、ギルドの職員が途中、見張っている。ズルなどしてみろ。…タダじゃ済まさない」


教官の顔を見て、ゾゾゾ…ッ、と全員の背中に悪寒おかんが走る。


え?なんで講習会なのに走るの?武器の使い方とかを教えてくれるんじゃないの?という疑問は浮かぶが誰もそれを口にはしない。…教官が怖すぎるからだ。


「…俺は馬鹿と愚図が大嫌いだ。いい加減覚えろ、馬鹿がッ!!!へーんーじーはぁぁぁぁぁ?!」


レーリーは冒険者の卵たちを睨みつけ、苛立ちながら叫ぶ。


「「「「「はいぃぃぃぃぃ!!!」」」」」


「走れぇぇぇぇぇ、愚図ぐずども!!!」


「「「「「はいぃぃぃぃぃ!!!」」」」」


レーリーの号令を受け、冒険者の卵たちは悲鳴を上げて走り始める。






「…ヤバッ」


走り初めて10分。


早くも高野は限界を感じていた。


学生時代、文化部だった高野はそもそも運動があまり得意な方ではない。


走るのも大嫌いだ。


しかし、問題はそこではない。


装備が重い…。


高野の装備はかなり軽装な筈だ。武器もナイフだし、盾も小ぶり。


鎧は重くて着れないので、ローブにしたし、ブーツも皮のブーツだ。


しかし、冒険者セットを入れたリュックが予想以上に重い。


履き慣れていないブーツは靴擦くつずれれを起こし、踵がヒリヒリと痛むし、盾も腕にこすれて痛い。


ナイフは腰に刀のように差していたが走る度に太腿ふとももに当たって走りにくかった。


「…装備を最低限にしろってこういうことか」


高野は走り初めてようやく教官の意図を理解する。


実際の冒険では格上の敵から逃げる場面は山程あるだろう。最低限の装備でこの辛さだ。その時にもし、自分の筋力を超えた装備をしていたら間違いなく逃げられない。


「…薬草、5~6個って言ったけど、10個くらいは必要だな。かかととか、れる位置には巻いとかないと…」


教官は「良いだろう」としか言わなかった。


正解だからだと思っていたが、実践する中でその数でやれるものならやってみろ、という意味だったのかもしれない。






高野は結局、開始30分で教官に捕まり、高野同様走るのが苦手な数名と一緒に、薬草を巻きながら、地図に書いてあったゴール地点に全体から大きく遅れて到着したのだった。


装備なしで行けば、往復で2時間もかからない距離。


しかし、高野は結局3時間半以上もかかってしまった。


後で聞いた話では1番は高野に薬草の効果を教えてくれた熊の獣人だったという。






高野はその日の昼食にありつくことは出来ず、疲労でなまりのように重くなった足を擦りながら、午後の座学を受けることになった。

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