#2
―― 女神暦1328年
「…ということで、明日から1週間、講習会に参加するので次回のカウンセリングの日程をずらしてもいいでしょうか?」
高野はシスカに事情を説明する。
「ふむ…確かに冒険者を相手にカウンセリングをするならある程度、戦える方が良いだろうな」
シスカは頷く。
「私のことは気にしなくていい。丁度、義手がもうすぐ完成するんだ。次回あった時には私も先生に新しい左腕と右手の指を見せることができると思う」
「こちらの都合で申し訳ない」
「いや、いいさ。私としては先生に死なれる方が困る」
シスカは口に
初めて彼女に会ってから1ヶ月が経過していた。
最近、彼女はソシアに捕まっていた時の話を少しずつ語るようになった。
高野としては無理をさせたくなかったが、彼女は抱えきれない
彼女が生きてこうして正気を保っているのは奇跡に思えるほど、失った婚約者の話や、一緒にいた仲間の話…そして彼女がソシアに受けた仕打ちの話は残酷だった。
彼女は最初、その体験を感情から切り離して語っていたが、最近は話しながら涙を流すようになった。
そして、カウンセリングを通じて、心境に変化があったのか、最近では義手を作ることを決めたようだ。
少しずつではあるが、彼女は新しい生活について前向きに考えるようになってきているのかもしれない。
―― 女神暦1328年
翌日、高野の時計で朝6時に約30名の冒険者の卵たちはザカー平原に集められていた。
そこにいる者たちは本当に様々だった。
眠そうにあくびをする者、緊張で青ざめる者、友人同士でおしゃべりをする者、高野のように参加者を観察する者。
ちょっと散歩に来ましたというレベルの軽装の者もいれば、全身を鎧に包んだ者、一体どこに冒険に出かけるのかというくらい荷物を持った者もいる。
種族もヒューマン、エルフ、トントゥ、獣人、ドワーフと様々だ。
格好も雰囲気もバラバラな理由はギルドのふんわりしたアナウンスのせいだろう。
ギルドから初心者講習受講生に行ったアナウンスは「朝、日の出の時間にザカー平原入り口に集合。遅刻厳禁。動きやすい服装と靴でくること」とだけ。
高野は詳しい情報を集めようとカリネやシュゼットに聞いてみたが、2人とも「初心者講習に関しては、詳しいことは教えていけないことになっている」と教えてくれなかった。
なんとなくその2人の反応から、嫌な予感がした高野は「動きやすい服装と靴でくること」とだけしか指示を受けていなかったが、念の為、最低限の防具と武器と道具を
時計があるので、ギリギリまで仮眠を取ることができたが、時計を持たぬ他の者達は眠れない夜を過ごしたことだろう。
日の出時間に「時間厳守」と書いてあれば当然そうなる。
…アナウンス自体に相当な悪意を感じる。
「この初心者講習は冒険をなめてかからないように洗礼を与えるような内容なのではないか?」と高野は予測していた。
そして、それがすぐに予想通りだったとわかる。
「集合!!」
男性にしては高めの声と笛が突然辺りに鳴り響いた。冒険者の卵たちは声の主を探す。
立っていたのは右目に大きな傷のあるトントゥの中年の男性だった。
平原の大きな岩の上に立って笛を鳴らして「早くしろっ!!
冒険者の卵たちは互いに顔を見合わせ、トントゥが立っている岩の下へ集まる。
「貴様らはギルドの初心者講習に申し込んだ冒険者の卵たちだな?」
岩の上からトントゥの男が高野たちを睨みつける。
「そうです。貴方がこの講習会の先生ですか?」
冒険者の卵の1人のドワーフの女性が頷き、トントゥの男に声をかける。
「いかにも。俺が教官のレーリーだ」
右目に大きな傷のあるトントゥは頷き、そして「それにしてもなんだ貴様らは」と岩の上から唾を吐き捨てる。
「わっ!!」と下にいて、唾がかかった男性のヒューマンが声を上げた。
「ちょっと!」
彼は麻の服に麻のズボンをはいており、特に装備らしい装備をしていなかった。
彼は怒ってレーリーに抗議する。
「唾がかかったんですが!?」
「…馬鹿か貴様」
「!?」
「今のが魔獣の溶解液だったらこの瞬間、貴様は死亡だ」
「はぁ?」
唾を吐きかけられた男は「何言ってんの?」と首を傾げる。
レーリーは首を振って「話にならん」とため息をついた。
「ここはどこだ?」
「どこって…ザカー平原ですけど」
「そう。ここは魔獣が出るザカー平原だ。安全な街ではない。…貴様も!貴様も!貴様もだ。…一体どうなってる?貴様らはここへ、ピクニックにでも来たつもりなのか?」
レーリーは軽装で講習会に参加していた冒険者の卵たちを指差す。
「やる気がないなら帰れ。教える気にもならん」
「は?こっちは高い金払って参加してんだけど。ふざけんなよ!」
唾を吐きかけられたヒューマンが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「そうだそうだ!」
「ちゃんとした装備が必要なら先にアナウンスすべきだろ!」
「ギルドの説明不足だろ」
装備について指摘された冒険者の卵たちが文句を言い始める。
「ふざけているのは貴様らの方だ!!!!」
レーリーはぎょっとするくらい大きな声で一喝する。
あまりに大きな声で、近くにいた鳥たちが驚き、一斉に飛び上がった。
「…貴様らはなにを教わりにきた?これはなんの講習会だ?」
鳥たちが去った後、静かにレーリーは語り始める。
あまりの剣幕に参加者全員が気圧されていた。
こうした展開を予想していた高野すら失禁しそうになった程の迫力だ。
足がすくみ、視野が狭くなる。
こんなに怖かったのは20年くらい前に、父親の
いや、そういえばジェラルディの時もティルの時も怖かったし、暴れた患者さんに包丁を突きつけられたこともあったか…?
そう考えると意外と最近でも結構あるかもしれない…。
そんなことを考えながらも、自分が目をつけられないように高野は極力気配を消すことに
こういう体育会系のノリはとても苦手だ。叱られるのに弱いゆとり教育世代をなめないでいただきたい。
…っていうか、この講習会、結構ドロップアウトする人出るんじゃないだろうか?
「…武器と防具を用意している者は全員左にずれろ」
レーリーは低い声で静かに指示を出す。
高野を含め、全体の3分の2くらいが左へと移動した。
レーリーは残った3分の1の冒険者の卵たちを睨みつけた。
「…いいか?冒険には正解などない。冒険は遊びではない。生き死にがかかっている。だが、正解がない以上、ひょっとすると俺の方が間違っていた可能性もある。だから貴様らにそれを証明する機会をやろう」
レーリーはそういうと腰から投げナイフを取り出した。
「これから俺が貴様らにこのナイフを投げる。それを避け、俺に一撃を入れられた者は装備に不備がなかったと見なそう。ちなみに、参考程度に…」
レーリーはナイフを近くの岩に投げつける。
とんでもない速さで飛んでいくナイフは岩に深く突き刺さった。
ビィィィィィイイイン…とナイフの柄が微弱に振動し、音を立てる。
「「「「「!?」」」」」
高野たちも含め、全員がごくり、と息を飲んだ。
「…速さはこのくらいだ。さぁ…避ける自信がある者は一歩前に出ろ」
レーリーは静かに冒険者の卵たちを
蛇に睨まれた
「ちなみに、防具をつけていれば…」
レーリーは高野たちの方を見て、ナイフを投げる。
ガリッ!!
エルフの男が持っていた皮の盾をナイフが突き破り、そして皮の鎧に突き刺さる。
「ひ…ひぃぃぃぃぃ!!!」
ナイフが鎧に突き刺さったエルフの男は悲鳴を上げて尻もちをつく。
股間部がじんわりと
「このように…まあ上手くいけば即死は免れることができる」
滅茶苦茶だ!!!
全員が心の中でレーリーに対して叫ぶが、誰もそれを指摘する勇気はなかった。
「まあなにが言いたいかというとだな。…俺が魔物だった場合、防具をつけていない奴は今、この場で全員死亡だということだ。…防具をつけていても問題なく全滅させてやれるがな」
レーリーは
「ここはザカー平原だ。犬の魔獣やソシアもいる。運が悪ければもっと大物と遭遇することもあるだろう。1%でも生存率を上げることを真っ先に考えろ!!万全の準備をしていても死ぬが、準備を
レーリーは冒険者の卵たちを見て叫ぶ。全員、その剣幕に押され、真っ青になって首を縦に振る。
「俺のやり方が気に入らなければ今すぐ街へ戻れ!!…安心しろ。この講習会をドロップアウトしても冒険者にはなれる。…だが、この程度にも耐えられない者はすぐ死ぬだろう。そのちっぽけな脳みそにそれだけ叩き込んでおけ」
「「「「「…」」」」」
「…ただし、己の準備不足を悔い、反省することができるなら、一応合格だ。講習会は受けさせてやろう」
レーリーは脱落者が名乗り出るのを待つ。しかし、数分待っても全員、その場に残っていた。
このレーリーという教官は荒くれ者たちを
強烈なインパクトのある演説をし、タイミングを見計らって圧倒的な実力を示す。
特に防具をつけた者へのナイフの
最後の声がけも素晴らしい。全員に参加するチャンスがあることを示しつつ、あくまで自分の意志で、自主的に講習会に参加させる。
恐怖というカードの切り方が絶妙だ。メッセージの一つ一つにも明確な意図があり、彼の言葉は深く記憶に刻まれる。
元の世界であれば一発で訴えられるであろうが…。というか、これが元の世界ならば真っ先に高野が然るべき機関に訴えるだろう。
高野は子鹿のように足を震わせながら、冷静にレーリーというトントゥの男を分析する。
失禁したエルフの男は高野のすぐ隣だった。
同じ装備を持っていたし、一歩間違えれば、高野がターゲットにされていたかもしれない。
正直、早々に脱落したい気持ちもあったが、他の誰も脱落者がいない中、「ギルド専属のカウンセラーだけ尻尾を巻いて逃げ帰りました」なんてことになったらあまりにも格好がつかない。
特にシスカに「講習会を受ける」なんて言ってしまったので、格好悪いところは見せたくない。
ゆとり教育世代の高野がこの場に残れたのは、ただの意地だった。
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