#3
―― アマイア暦1328年
午前中、いつものように相談室で、シスカと面談中にそれは起こった。
「ちょ…ちょっと!今、先生は面談中で…」
「うるさいッ!!」
治癒師のカリネが相談室の扉の外で必死に誰かを止めようと声をあげていた。
その直後、女性の叫び声と共に相談室の扉が大きく開け放たれる。
「…は?」
高野はシスカと同席していたシュゼットと3人で扉を開けた主をポカン、と眺める。
カウンセリング中は原則入室禁止というルールであったはずだが、外でのやり取りと、扉を開けた獣人の女性の足に小柄なカリネがしがみついている様子を見て何が起きたのかを察する。
「タカノっていうカウンセラーはお前だな!」
「えっと…そういうあなたは…?」
「私は
ジェラルディと名乗ったクリーム色の毛並みの
『黒雲』と言えば先日、ギルドに保護してもらったリュウのパーティだ。
そしてジェラルディという女性は斧で彼を追い回した獣人だったと記憶している。
彼女は小柄で可愛い顔立ちをしているが、そんな姿に全く似合わない威圧感を放っている。
『黒雲』のパーティはギルドの上位1%―――Aランク冒険者の集団だという。
リュウからはそんな威厳はまるで感じなかったが、本気になると彼もこれくらいの殺気を出せるのだろうか。
「うーん…わかるような、わからないような…」
高野はペースを握られないよう、
「…なんだ。先生、厄介事か?」
シスカがじろり、とジェラルディを睨み返す。
「ちょちょちょちょ…シスカさん、向こうはAランク冒険者ですって。下手に刺激しないで」
シュゼットがシスカをなだめる。
「黙れ、片腕。私はタカノに話している」
ジェラルディはクリッとした目を細めてシスカを睨んだ。
「…何だと?」
相談室で今にも戦闘が始まりそうなピリリとした雰囲気。
もし戦闘になったらEランクのシスカは瞬殺だろうが、Aランクにも好戦的な態度を取れる彼女はある意味大物だ。
「あの~…すいません。私に用があるのはわかりました。ただ、今、面談中なので、後でお話しを伺っても良いですか?」
高野はあえて空気を読まずに穏やかな声で尋ねる。
「時間はこの後、必ず取りますので。…この砂が全部落ちたらお話を聞きます。それまで診療所かギルドの待合ブースでお待ちいただけますか?」
高野はそういうとジェラルディに試作段階の砂時計を渡す。
60分の砂時計だが…まあ大丈夫だろう。
「む…」
ジェラルディは砂時計を受け取る。
サラサラと時計の中で落ちる砂を覗き込んだ。
「これが落ちきったら話をするんだな?」
「はい」
高野は頷く。
「ただし、それを壊したり、振っちゃダメですよ。ズルしても私にはわかりますからね」
そんなことはしないと思うが、こちらの常識で物を考えるのは危険だ。
異世界人とは文化が違う。
高野は念の為、ルールの設定を行う。
「…うん。わかった。待ってる」
兎の獣人はコクリ、と素直に頷き、「後でまた来る」と砂時計を大事そうに両手で抱えて出ていく。
その意外な反応に高野は驚くが、とにかくこの場は助かった、とほっと胸を撫で下ろす。
「ごめんなさい。止められませんでした」
「大丈夫ですよ」
カリネが高野にペコペコと頭を下げるが、高野は笑顔で返す。
高野は「うーん、そうか。そうだよな。ここは日本じゃないんだ。枠なんて守られなくて当たり前なんだな。色々考えなきゃいけないことはあるなぁ…」と心の中で呟く。
カリネが退室した後、高野はシスカに頭を下げる。
「すみません。カウンセリングが中断してしまいました」
「ホントですよぅ。なんですかあの人、怖いですぅ」
シュゼットはプンプン、と口を膨らませる。
「先生のせいじゃない。…だが、気をつけた方が良い。彼女を怒らせると先生の身も危ないぞ」
「ははは…僕も自衛の術を学ばないといけないかもしれませんね」
シスカの忠告に高野は苦笑いする。
ここ数日の彼女とのカウンセリングでは彼女が無理をしない範囲で話したいことを話してもらっている。
「これからどう生きれば良いのか」という彼女の悩みについては、彼女の心の準備ができるまで気長に待っていくつもりだ。
ここを退院してから彼女は、午前中は相談室へ顔を出し、午後は自宅で本などを読んで過ごしている。
片腕での生活は不便ではないか、と高野が尋ねると「少しコツはいるが、慣れればなんとかなるものだ」と事も無げに答えた。
体調に関して尋ねると、失くなった腕や指がまるでまだように感じ、その部分が痛む
他にも、夜中に悪夢を見て、叫び声を上げて起きることがあったり、ふとした瞬間にトラウマがフラッシュバックすることがあるようだ。
本当は抗うつ薬や抗不安薬などが必要なケースなのだろうが、残念ながらこの世界に精神科医はいない。
薬を扱えないカウンセラーが出しゃばる領域ではないものの、この世界での精神医学の技術は0に等しい。
だからせめて、なにか向精神薬(※メンタルの薬)に代用できるものが用意できればと思っている。
精神科医が異世界転移してきてくれればベストだが、無いものは無いで諦めるしかない。
とにかく、日常生活を一応問題なく送れるようになってきているので、「もうしばらく様子を見た後、問題なければカウンセリングの頻度を週1回に変更しましょう」と高野が提案すると、シスカは「わかった」と頷いた。
―― アマイア暦1328年
シスカの面談が終わった後、高野は「ふぅ…」とため息をつき、シスカの記録を新しく用意した高野用のデスクの中にしまう。
そのうちカルテ棚みたいなものを作る必要があるだろうが、徐々にやっていこう。
とにかく
最初会った時は解離状態で話しかけても返事すら返ってこなかったが、今ではちゃんと自分の気持ちも少しずつではあるが話してくれるようになった。
この調子でゆっくりとこれからのことを一緒に考えていきたい。
「…さて」
高野はポケットから時計を取り出す。
時間を見ると、砂時計が落ちきるまであと20分はあるが…。
「まあ…終わったのに無駄に待たせるのもなんだからな。行きますか…」
高野は大きくため息をつく。
「先生、あの人とホントにお話するんですかぁ?」
シュゼットがひょこっと高野の顔を覗き込む。
「まあ無視するわけにもいかないでしょう。僕だってできれば逃げたいですよ」
高野は顔をしかめてシュゼットを睨む。
「でもそういうわけにもいかないでしょう。こちらもこの世界で生きていくにはこれしかないので、店を畳むわけにもいきません」
「大変ですねぇ」
シュゼットはうんうん、と頷いた後、相談室の扉に手をかける。
「じゃ!アタシは事務の仕事があるんで!」
「あ、酷い…」
シュゼットは薄情にもこの危険地帯からの離脱を試みる。それに対し、高野は半泣きで抗議の声を上げた。
「あはは~ファイトですぅ~。…一応、ヤバくなったら声上げてくださいね?」
シュゼットは最後だけ声色を変えて、真剣な顔で高野を見つめる。
「え?なに?助けてくれるの?」
「いえ…Aランクが本気でブチ切れたら高野先生なんて秒で「潰れたトマト」ですよ。外に
「…じゃあ、僕はなんで叫ぶの?」
「決まってるじゃないですか。危ないから先生がやられたらアタシが逃げるためです」
シュゼットはウィンクをして、舌を出す。
「シュゼットさぁ~ん…」
「あはは。じゃあお気をつけて!!」
高野はがっくりと
Aランク冒険者を怒らせたら命に関わるのか…。
先程シスカにも言われたばかりだ。
今まで、カウンセリングしてきた中で、プロレスラーやボクサーもいたが、クライエントに暴力を振るわれた経験はない。
前職の精神科で働いていた時代に暴れた患者さんを止めに入り、危うく殴られそうになった経験はあるが…。
高野は顔をしかめる。
荒くれ者たちのカウンセリングをするのだから自分の身を守る方法はそろそろ本気で考えないと命がいくつあっても足りないかもしれない。
かといって護衛を雇って同席してもらうのも違うし…。
高野自身がAランク冒険者であったなら心の余裕は全然違うのだろうが…。
「…まあそんなことを言ってもしょうがない。行きますか」
高野は重い腰を上げ、ジェラルディを迎えるため、相談室を出た。
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