#4


高野が診療所の影から恐る恐るギルドの待合ブースを覗き見ると、小柄な兎の獣人は大きな斧を椅子の脇に立て掛け、砂時計の砂が落ちるのをじっと見つめていた。


凶悪な形をした巨大な斧さえなければ、微笑ましい光景だ。


高野は大きく鼻から息を吸い、ふーっと吐くと、「よし…」と小さく気合いを入れて彼女に近づく。


彼女に近づいていってもこちらの方を向く様子はない。


まさか気づいていない…?


「…まだ、砂は落ちきってない」


彼女はこちらの存在に気づいていたようだ。ジェラルディは砂時計を眺めたまま高野に言い放つ。


「ええ。でも面談が終わりましたので迎えに来ました」


「そう」


ジェラルディは頷いて砂時計からようやく目を話し、立てかけていた大きな斧を担ぐと「じゃあ、行くぞ」と立ち上がる。


ギルドにいた冒険者たちはその様子を見てざわめく。


「あれ、『黒雲』こくうんの?」


『暴刃』ぼうじんのジェラルディじゃねぇか」


「え?『暴刃』ぼうじんって王熊キング・ベアを叩き斬った、あの・・?」


『黒雲』こくうんってあれだよね?ゴルスキ村のゾンビ事件を解決した『稲妻』いなずまのリュウのパーティだよね?」


「そうそう。ハーレム野郎の」


「あのクソ野郎のところのカワイコちゃんか」


「そういえばあの色ボケ野郎、女に手を出しすぎてとうとうギルドに捕まったって聞いたぜ」


「バカ、保護されたんだよ…っと」


長い耳をピクピクと動かし、噂を聞きつけたジェラルディが軽口を叩く冒険者たちをぎろりと睨む。


「口を閉じろ」


「「「「「「「「はいぃぃぃぃぃぃいいいい!!!」」」」」」」」


ジェラルディは吐き捨てるようにボソリと呟くと荒くれ者の冒険者たちは気をつけ・・・・をして震え上がる。




『暴刃』ぼうじん


王熊キング・ベアを叩き斬った?


なにそれなにそれ、すっげぇ物騒なエピソードなんだけど…。


俺、大丈夫かな…?


高野は冒険者たちの噂話をしっかり聞いていた。


冒険者の彼らもなかなか腕が立ちそうだが、そんな彼らを一言で震え上がらせるこの兎の獣人の少女はやはり別格なのだろう。


うーん…。


無事に切り抜けられるだろうか…。


高野は処刑台に向かう咎人とがびとのような心持ちで相談室へ向かった。






相談室の中へジェラルディを通す。


「じゃあ、その大きな斧は壁にでも立て掛けておいて下さい」


少しでも自分の視界に斧が入らないように高野は入り口の壁を指差し、武器を置くようにお願いする。


ジェラルディはコクリ、と頷くと壁に斧を立て掛けた。


…これ、倒れたら床に大きな穴が空くなぁ、とぼんやり思いながら高野は彼女にソファーへ座るようすすめる。


彼女は数日前のリューと同じく腕を組んでソファーに腰を降ろした。


「…じゃあお話を伺いますが、この後の予定もあるので、時間を決めさせて下さい」


「?」


「さっきのこの時計が下に落ちきったら今日の話は終わりになります。いいですか?」


「わかった」


ジェラルディは素直に頷く。


よし…とりあえず時間の枠組みは口約束だが守らせることに成功した。


あとはこちらの脅威を取り除こう…。


「あと、できれば暴力は止めて下さい」


「なぜ?」




…………………なぜ?


高野は笑顔のまま凍りつく。


しまった、余計なことを言ったか?


…そうか、あなたに暴力を振るわれるのを恐れています、というメッセージを暗に送ってしまったか。


完全に高野のミスだ。


「えっと…」


高野はどう伝えたものかと口ごもると、ジェラルディは続けて喋る。


「なぜ、私が弱いやつの言うことを聞かなきゃいけない?」


彼女の声は固く、強い意志を感じる。態度が一気に硬化した感じだ。


言葉の選びを完全に間違えたが一度出た言葉はもう戻せない。


時間が戻せるなら入室のところからやり直したい。


「う、うーん…」


高野は全身から冷や汗を流す。


あー…これはヤバいヤツだ。ヤバいパターンだ。


過去の経験から、これ以降の会話は選択肢を間違えると爆発すると確信する。


「…えっと、私とお話をしにきたんですよね?」


「もし、私と対等に話せると思っているならその考えはあらためたほうがいい」


彼女は取り付く島もなくバシッと高野の質問を弾く。


「ええ~…」


「ぐだぐだ言ってると殴る」


…いかん。


目の前の爆弾は爆発寸前だ。このままでは首が飛ぶ。…もちろん職を失うという方ではなく、そのままの意味で、だ。


この状況、「暴力やめて」「やめない」の駆け引きをするとどんどん状況が悪くなるだろう。


彼女は主導権を握られるのを嫌がっている。


「落ち着け、高野陽一郎、向こうの目的はなんだった?まずはニーズを満たせ」と高野は自分に言い聞かせる。


「…話を戻します。お話というのは?」


彼女は話をしにきた。だからまずは彼女のニーズを満たすため、単刀直入に切り込む。




「…」


ジェラルディの機嫌を損ねてしまったか、腕を組んで、しばらく口を膨らませていたが、やがて彼女は口を開いた。


「…先日ここにリュウが訪ねてきただろう?」


訪ねてきた、というよりも正確には逃げてきました。あなたから。


―――と言いたいのを必死でこらえて「ええ」と頷く。


「お前のせいで、リュウがギルドの保護下に入った。どうしてくれる?」


「?」


ジェラルディは高野をキッと睨んで、長机を叩く。


加減はしたようで、机が壊れることはなかったが、花瓶が1cmくらい飛び上がる。


「お前のせいでリュウを斬りそこねた!」


そっちかー…


高野は心の中で頭に手を当てて、大きく目をつぶる。


なるほど、彼女は高野がリュウをギルドの保護下に入れたことが気に入らないわけだ。


なぜなら彼女が私的制裁を加えるぶっ飛ばすことができなくなるから。


「こっちははらわたが煮えくり返ってるんだ!!」


彼女は小さい口をぎゅっと結びながらこちらを睨みつける。


…彼女は怒りの行き場を失くしているのだ。だから高野にそれをぶつけている。


「Aランク冒険者」という肩書によってなにより高野自身が彼女を得体の知れない怖い存在と見ていたことに突然気づく。


しかし、彼女も「Aランク冒険者」以前に自分の気持ちに戸惑う一人の人間なのだ。


そうとわかればこちらも「カウンセラー」として対応しよう、と高野は意識の中で切り替える。


「…はらわたが煮えくり返ってる」


高野は彼女に視線を合わせ、彼女の言葉を繰り返した。自分の中で突然集中力が高まるのがわかる。


雑念が消え、目の前の彼女の視線や表情、仕草ありとあらゆる情報から彼女の気持ちの動きを読み取ろうとする。


高野の雰囲気が変わったことに彼女も気づいたような顔をする。


「…なぜ貴女はそれほどまでに彼に怒りを感じているんだろう?」


「…?」


彼女はこちらの反応が予想外だったのか目を見開く。


「………………そんなの決まってる」


「決まってる?…なんでしょう?」


「…お前に言うことじゃない」


ジェラルディは高野から顔をそむけた。


「…そうか。貴女は自分の気持ちに気づいているんですね?」


「…ッ!」


ジェラルディは高野を睨みつける。


「…」


高野は黙って彼女を見つめ返した。今度はもう気圧されない。


目の前にいるのがクライエントならばここはもう高野の領域だ。


「…貴女はもし、彼がここにいたら…彼がギルドの保護下にいなかったら、彼になんと言いますか?」


「ぶっ殺す」


「本当に?」


「…」


高野は彼女を見つめ続ける。


「本当に貴女は彼を「ぶっ殺したい」、そう思っている?」


「…なんだよ」


ジェラルディはキッと高野を睨みつける。


「なんなんだ、お前…」


「ジェラルディさん、貴女は彼に対して「ぶっ殺したい」くらい怒ってる。…でも本当は?」


「…………………ッ」


彼女は自分の小さい手をぎゅぅぅぅぅ、と握りしめ、唇を噛んだ。


「…」


高野はこの沈黙は彼女が必死になって自分の頭の中で考えをまとめている沈黙と判断して、じっと待つ。


しばらくすると彼女の目にうっすらと涙が浮かんだ。


「…うん」


高野は小さく相槌を打ち、彼女の言葉を促す。


「…問い詰めたい」


彼女はポツリと呟いた。


「彼を?」


彼女はコクリ、と頷く。


彼女の心の固く閉ざされた扉がわずかに開く感覚があった。


「…うん。なんて問い詰めたい?」


高野はその扉にそっと手をかけてそっと…本当に少しだけ開く手伝いをする。


「私のこと…好きって言ったの……………嘘だったの?って」


「…」


彼女は苦しそうに言葉を絞り出す。


その姿は「Aランク冒険者」『暴刃』ぼうじんのジェラルディではなく、ただの一人の恋し、傷ついた乙女だった。


高野はゆっくりと頷く。高野の頷きを見て彼女は次の言葉を絞り出す。


「リュウ…私のこと、好きだって言ってたのに…。ティルとも…」


彼女の目から一筋の涙が頬を伝う。


「信じてたのに…」


「…」


「…でも、一番ムカつくのはあのヒューマンの女とも付き合ってたってこと」


…そして、前のメンバーのナーシャさんともね、と心の中で高野は呟く。


なんて男だ、リュウ…。


「そのヒューマンに一番腹が立つ?」


「うん」


「…なんでです?」


「結局胸か、と。結局ヒューマンの女が一番良かったのかなって」


ジェラルディは自分の胸に手を当てて唇を噛む。


確かに彼女の胸は豊満な方ではない。それは彼女のコンプレックスのようだ。


それともリュウが度々そのことを指摘するからだろうか。


「そうか…」


「だってそうでしょ?ぽっと出の女なんかに…」


「ぽっと出の「ヒューマン」にリュウが手を出したことで、これまでの自分との関係が否定されたような気がした…」


「そう…」


ジェラルディはコクコクと頷く。


「そうなの」


ダムが決壊したように涙がポロポロとこぼれる。


「自信がなかった。ヒューマンと獣人の女が釣り合うのかなって」


「?」


「だってほら、私、獣人だし」


高野は首を傾げる。


「獣人だと釣り合わないんですか?」


高野は率直な疑問を口にした。


それは高野が異世界から来たばかりで、獣人の迫害の歴史を知らなかったからこそ、さらりと言えた発言だった。


しかし、彼が「迷人」まよいびと―――異世界人だと知らない彼女はその言葉に心底驚いたような顔をする。


「へ?」


「…あれ?私変なこと言いました?」


彼女のリアクションがあまりにも変なので恐る恐る尋ねる。


それをみて彼女はぷっ、と吹き出す。


「…あはは!変なの。そんなこというのタカノくらいだよ」


彼女のまとっていた張り詰めた空気が一気に弛緩する。


「…そうですか?」


「うん。「カウンセラー」って皆そんななの?」


「さあ?」と高野は首を傾げた。


「少なくとも私の仲間の「カウンセラー」たちはそういう考えでしたけどどうでしょうね?」


その時、砂時計の砂が丁度落ち切った。


「…あ、時間だ。終わり」


彼女は砂時計に関心があるのか、すぐに約束の時間がきたことに気づき、それを告げる。


「そうですね。今日はここまでにしましょうか」


ジェラルディはソファーから立ち上がると手を差し出してきた。


「改めて…私は『黒雲』のジェラルディ」


「カウンセラーのタカノです」


高野は彼女の握手に応じる。


彼女は憑き物が落ちたような顔をしていた。


それを見て、高野はこのカウンセリングが多少なりとも彼女の役に立ったことを感じる。


「なんかありがと。話せてすっきりした」


彼女は華のように笑い、大斧を背負う。


「それは良かったです」


「またモヤモヤしたら話、聞いてくれる?」


「…相談室で暴れないと約束してくれるなら」


彼女は笑って頷く。


「考えとく」


「前向きにお願いします」


ジェラルディは「それじゃ」と言って相談室から出ていった。






「…ふう」


相談室のドアが閉まった後、高野はヘナヘナとソファーに座り込む。


疲れが一気に襲ってくる。


怖かった…怖かったが…


しかし、彼女もちょっと普通の人よりも強いだけで、心は普通の少女だった。


浮気されれば傷つくし、種族の違いを気にして、自分に自信をなくす、そんな普通の女の子。


悲しみが怒りに変換され、行き場を失くしていただけだった。


「なのに…」


高野はポケットからコインを取り出してため息をつく。


コインを親指でキィィィンと弾き、回転するコインを眺めてキャッチする。


…小細工を試みようとしてしまった。仮にもカウンセラーを名乗っているなら口で勝負すべきだった。


万が一に備えた自分が恥ずかしい。


その時、コンコンコン、とノックがあり、相談室のドアが開かれる。


「タカノ先生!無事ですか?」


相談室に顔を覗かせたのはシュゼットだった。


「あ!良かった。バラバラにされてないかと思って心配しました」


シュゼットが笑えない冗談を言って笑顔を浮かべる。


「ジェラルディさんがやけにスッキリした顔で出てきたから、てっきり八つ裂きにされたのかと」


「大丈夫ですか?タカノ先生」


シュゼットがケラケラと笑い、その後ろから治癒師のカリネが心配そうな顔をして現れる。


「もしかして私が死んでるか大怪我をしていると思ってカリネ先生を連れてきました?」


高野がシュゼットに尋ねると「いやいや、冗談ですって。カリネ先生も心配してたから一緒に見に来ただけです」と笑いながら首を振る。


「…しかし、どんな魔法を使ったらあんなに怒っていた彼女をご機嫌にして相談室から出せるんです?」


シュゼットが興味津々で高野に尋ねた。


高野は口に人差し指を当ててウィンクする。




「…守秘義務です」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る