#3
―― アマイア暦1328年
「シスカさんを明日、退院させようと思っています」
カリネが高野に告げる。
「もう傷は治っていますし、昨日、タカノ先生がお話されてから彼女、他の人とも少しですが、話せるようになっています。ギルドの診療所としてはもう退院していただいていいかと」
「なるほど」
高野はカリネの言葉に頷く。本当はまだ入院していて欲しいところだが、身体に異常が無くなれば長くは入院させないのがギルドの診療所の方針だ。
実際、負傷者は毎日のように診療所を訪ねてくるし、カリネの言うこともわかる。
「ちょっと本人と話をしてみて、もし、彼女がカウンセリングの継続を望まれるのであれば、しばらく相談室には通ってもらおうと思うのですが」
「それは構いません」
「退院のことは彼女に?」
カリネは頷く。
「昨日の診察の時に、お話ができるようでしたのでお伝えしました。彼女、身内の方も居ないようなので、会話ができないと困っていたのですが…タカノ先生のおかげですね」
高野は首を振る。
「彼女が私に話しかけてくれたのは偶然に過ぎません。ただ、なんにせよ、彼女が今後どうするのか決まるところまで可能な限りサポートをしたいと思っています。…彼女が望めば、ですが」
「わかりました」
―― アマイア暦1328年
高野はシスカの病室に入室する少し前に相談室で、シュゼットにもカリネからシスカの退院が決まったことを伝えた。
「ええ?!じゃあこのカウンセリング、終わりですかぁ?」とシュゼットは残念そうに眉を下げた。
シュゼットも昨日、初めて彼女と会話ができたので、今日の訪問を楽しみにしていたようだ。
「いえ、カウンセリングは続けたいと思っています」と高野が言うと、「是非、その時はアタシも同席させて下さぁい」とシュゼットはカウンセリングの同席を志願する。
「助かります」と高野が頭を下げるとシュゼット嬉しそうに笑った。
いつもの時間にシュゼットと2人でシスカの病室に入室する。
ノックをすると「入ってくれ」と部屋から返事が聞こえ、高野とシュゼットは顔を見合わせて頷く。
「おはようございます」
高野が挨拶をする。
「おはよう、先生」
シスカは、今日はベッドから足を下ろして、座っていた。
昨日よりも表情がキリッとしており、意識がしっかりとしているのを感じる。
「退院が決まった。明日だ」
「はい。先程カリネ先生から聞きました」
シスカは頷く。
「先生…先生は「話を聴くのが仕事だ」って昨日言っていたな?」
「はい」
高野は頷く。
「私の話、聴いてくれるか?」
「もちろんです。…が、ご自身のペースで構いません。話したいことだけでいいので話してみて下さい」
「…」
シスカは黙って床を見つめる。
なにかを考えようとしている沈黙だ、と高野は感じた。
「…私は…私は……………………」
シスカの声が震えているのがわかる。
残っている方の右腕が震え、欠けた薬指と小指以外の指でぎゅっと膝を
「うん…」
高野は自分の眉間にシワを寄せ、口を結びながらゆっくりと相槌を打つ。
彼女の気持ちを想像しながら話を聴くと、自然とそうした表情になっていた。
黙ってシスカがなにかを話し始めるのを待つ。
彼女は高野に一体なにを伝えたいのだろうか。
シスカの目に涙が浮かび、涙が、口を覆う布を湿らせる。
「私はこれから…どう生きていけばいい?」
彼女は絞り出すように言葉を発する。
「…」
高野はシスカを布に涙が広がっていくのを見つめながら黙って頷く。
「…どう生きていけばいい…か」
高野はシスカの言葉を噛みしめるように繰り返した。
「うん…」
高野は相槌を打って、続きを促す。
「私はあの魔物どもに
シスカはそういいながら自分の布を取り払う。
高野とシュゼットは初めて彼女の布の下を見る。
目を覆いたくなるような酷い傷だった。
爪で顔を何度も何度も傷つけられたのか、口や頬には無数の深い傷跡が刻まれていた。
回復魔法は怪我の直後であれば傷を塞ぐことができるが、1度残ってしまった傷跡を治すことはできない。
彼女はこの顔で一生生きていくしかないのだ。
シュゼットは高野の隣で思わず息を飲む。
「…」
高野もなんと声をかけていいかわからず…しかし、彼女の顔から目をそむけることも違う気がして黙って見つめる。
「…」
3人の間に長い沈黙が流れた。
誰もがなにかを口にすることをためらうようなそんな雰囲気…。
それをしばらくした後、高野が破る。
「…
高野は真剣な眼差しで彼女の目を見て静かに尋ねる。
「…!?」
シスカは目を
「…あなたはどう生きたいんです?」
高野は決して目をそらさず、彼女の目を見続けながら、ゆっくりと同じ言葉を繰り返した。
「ッ!!…………私は…」
シスカは顔を歪め、涙を流し…そして
「どう生きたいんだろう…」
シスカは涙をポロポロと流した。
「うん…」
高野は黙ってシスカと同様、視線を落とし、小さく相槌を打つ。
「私は…ナタレを…婚約者を失くした」
「…」
シスカがポツポツと語る。
「私が奴らに囚えられた時だ…ナタレだけじゃない。エリモもフェリチェも…。男は皆捕まると生きたまま遊ばれる。剣の試し斬りに使われたり、弓矢の練習や毒の実験に使われたり…」
シスカは薬指と小指のない右手で自分の失った左腕を
「エリモとフェリチェはどちらの腸の方が長いのか、生きたままあいつ等に引っ張り出されて遊ばれて殺された。死んだ後は…ぜ、全身の皮を…剥がれて…それで…それで…」
シスカは震えながら言葉を続けようとする。
「…シスカさん…無理はしなくていい…ゆっくり息を吐きましょう」
高野はシスカに優しく声をかける。しかし、シスカは続けようとする。
「…魔法使いのジャンナは私と一緒に捕まり、私と同じ…いや、もっと酷い目に遭わされた。私はその順番が少しだけ彼女より遅かっただけだ。いっそ…いっそ…あの時、私も死ねば良かったのかもしれない…わ、私も…」
シスカの呼吸が荒くなり、身体が小刻みに揺れる。
呼吸がどんどん乱れ、身体が
はっはっはっ、と荒い呼吸を繰り返し、シスカの目の光が陰る。
…過呼吸だ。このままでは良くない。
かなり興奮した様子のシスカに高野は努めて低い声で、優しく、ゆっくりと語りかける。
「…シスカさん、落ち着いて…息をゆっくり吐きましょう。…吐いて」
ふぅぅぅぅ、とシスカは高野に言われた通りに吐く。
「大丈夫。ここは安全です。…ゆっくり息を吸って…そう。…大きく吐いてください」
「私は…私は…!!」
再び興奮を始める彼女に、高野は「私の声を聴いて」と落ち着いたトーンで声をかける。
「…大丈夫。まずは一旦息を整えましょう。すぐに落ち着きます。私に合わせて…」
「う…」
高野がシスカにわかりやすいように実際に彼女の呼吸に近いリズムから初めて、ゆっくりと深呼吸へと導いていく。
徐々にシスカも高野の呼吸に合わせて息を整えていく。
過呼吸は収まるが、シスカのすすり泣きは続いていた。
「…シスカさん。大丈夫。無理に一度に色々話さなくていいです。あなたのペースで」
高野はシスカの目を見て、静かに語りかける。
時計を見ると、丁度1時間が経過していた。
「…今日はきっと疲れたと思います。「これからどう生きていけばいいのか」―――あなたの知りたい答えにたどり着くためにはきっと色々なことを整理していくことが必要だと思います」
「…」
シスカは涙に濡れた目でこちらをぼんやり見つめる。
高野は頷きかけながら話を続ける。
「だから…もし良ければ退院した後も、ギルドの相談室に来ませんか?私はあなたの「これからどう生きていけばいいのか」という問いの答えは持っていません…だけど」
高野は言葉を区切って、彼女の目を見て穏やかに笑いかける。
「あなたと一緒にその答えを考えていくことはできると思います」
シスカは高野の言葉を聞いて、一筋の涙を流した。
「…先程あなたは「私も死ねば良かった」とおっしゃいましたが…まだ1週間程度の付き合いしかありませんが、少なくとも私はあなたが死んだら悲しいですよ」
「!?」
シスカは目を見開いて、口をぎゅっと結ぶ。
「アタシも悲しいですぅ」
シュゼットも悲しげに頷く。
彼女は感情がストレートな分、僕以上に伝わるものがあるな、と高野は思った。
「…」
黙って
シスカが頷くのを見届けて、高野とシュゼットは相談室を出ていった。
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