#2
―― アマイア暦1328年
朝、出勤してからカリネにシスカの状態を確認すると、無事に処置は終わったという。
カリネはその晩、診療所に泊まってシスカの様子を確認していたそうだが、夜も彼女は眉ひとつ変えずに静かに過ごしていたという。
「傷を見ても驚かないでくださいね」
カリネが高野に念を押す。昨日は布にくるまれてシスカの姿が見えなかったが、相当酷い傷があるようだ。
「わかりました」
高野は頷いて、診療所を出て病室に向かった。
コンコンコン、とノックをしても予想通り反応がないので、「入ります」と声をかけて入室する。
女性のクライエントの病室に入る場合には、着替え中などではないことなども十分に気をつける必要がある。
カリネにも一応、今は部屋で休んでいる筈だと確認は取ってあるが、それでも緊張した。
壁に背を預けて、ベッドに座っているエルフの女性がシスカだろう。
色素の薄い黄緑色の髪に白い肌。同色の長いまつげに、ペリドットのような美しい黄緑色の瞳をしている。
鼻の上まで布で顔を覆っているが、美しい女性だとひと目でわかる顔立ちだ。
だが、そんな彼女になにがあったのか、容易に想像できる程、痛々しい傷が各所にあった。
まず、彼女の耳だ。「ソシア」にかじり取られたのか、左耳は歯型がはっきりとわかる形で大きく欠けており、右耳にも小さいが同様の傷跡がちらほら見える。
そして右手の小指と薬指がない。これも噛み千切られたか、引き千切られたかしたのか、指の皮がまばらにぶら下がっている。
一番目立つのは彼女の左腕だ。左腕は肩から先が
「ソシア」は人の肉を好んで食すという。彼女の耳や指や腕が、食べるために奪われたのか、それとも彼女の反応を楽しむために奪われたのかはわからない…。
だが、この光景を見ただけで高野は言葉を失った。
一体どれだけ自分は恵まれた環境に育ってきたのだろうか。
そして、ゲブリエールに
正直、元の世界でこうしたケースに直面することがあったならば、もっと適任者を探すか、あるいは上級者に教えを請いながらカウンセリングを行っただろう。
しかし、ここでは適任者も上級者も存在しない。
ごくり、と高野は唾を飲み込む。
…やるしかない。
この世界でもカウンセラーとして生きていくために。
高野は覚悟を決めて彼女に話しかけた。
「こんにちは」
「…」
声をかけても反応は特に無い。シスカは虚空を見つめ、眉一つ動かさなかった。
「私はタカノ。貴女とお話がしたくてここに来ました」
「…」
そこで、高野は2つ、自分に配慮が欠けていたことに気づく。
まず、彼女は性的な暴力を「ソシア」に受けている。魔物とは言え、相手は雄だ。そうした被害にあった女性の部屋に男1人で入るのはあまり良くないだろう。
そして、もう一つ、扉を閉めてしまった。これも彼女は逃げ場がないと思う可能性もある。
しまったな、と思った高野はシスカにまず、尋ねる。
「扉は開けておいた方が楽ですか?それとも閉めた方が良いでしょうか?」
「…」
特に反応はない。高野は少し迷った後、扉を開け放つ。
それに対してもシスカは特に反応を示さなかった。
「閉めて欲しかったら教えて下さい。それと、私1人でここにいてもいいでしょうか?それとも女性の方が一緒にいた方が安心しますか?」
「…」
シスカはその問に対しても全く反応しない。
「…わかった。椅子もないし、ちょっと椅子を持ってきます。また、シュゼットさんも来てもらうので、よければ3人でお話しましょう。嫌だったら教えて下さい」
「…」
言葉に反応する様子はないので、高野は部屋出た。
カリネに事情を伝え、事務作業をしていたシュゼットに声をかける。
シュゼットは「はぁーい。わかりましたぁ」と快く同席を引き受け、2人でシスカの部屋に向かった。
再度部屋に入室し、彼女のベッドからできるだけ距離を置いて高野とシュゼットは座る。
「…体調はどうですか?傷は痛みませんか?」
「…」
「昨日は良く眠れましたか?」
「…」
あまり質問攻めになっても良くないと思いつつ、高野はもう一つだけ質問をする。
「…もしかして、声が出ない、あるいは身体を自由に動かせない?もし、そうなら瞬きを2回してもらえますか?」
「…」
これにも特に反応はなかった。
「…」
「…」
高野は質問を止め、彼女と同じ方向を見つめる。
別になにを話しかけるでもなく、黙ってそのまま1時間を過ごした。
その間、彼女は身じろぎ一つせず、高野もまたほとんど身体を動かさなかった。
その様子を不思議そうにシュゼットは眺める。
やがて1時間経った頃、高野は立ち上がり、シスカに微笑みかける。
「ありがとうございました。…また明日、同じ時間に伺います。明日も来るので、椅子、ここにまとめて置いておいて良いですか?」
「…」
シュゼットと2人で、椅子を部屋の端にまとめ、高野はシスカに「また明日」と頭を下げて退室する。
「タカノ先生、さっきのなんだったんですか?」
シュゼットが部屋を出ると高野に先程の意味を尋ねた。
彼女は変だな、と思いつつも、疑問をその場で口にせずに付き合ってくれていたので助かった。
「なんでしょうね。私にもわからないです。ただ、あの場で色々質問攻めにしても、返事は返ってこないでしょうし、彼女とただ、一緒の時間を共有したかった…んですかね?」
「ふーん…ああいう方は構っても無駄だと思いますよ。放っておけばいずれ話し始めることもありますし、永遠にあのままのこともあります」
シュゼットは率直な意見を高野に伝える。こうしたケースを高野よりも
「そうかもしれません。放っておくのが正解なのかもしれません。ひょっとしたら私のお節介なのかもしれませんね。ただ、言葉や感情で表現できなくても、人に話しかけられたり、ただ一緒の空間にいたりするだけで、安心するということもあります。私が安心を与えられるかどうかはわかりませんが、なんでしょう…」
高野にはうまく言語化できないが、直感的にあの場に毎日決まった時間に通うことが必要な気がした。
非常に感覚的で、プロとしてクライエントへのアプローチを言語化できないのは失格かもしれないが、高野は自分の直感を信じることにする。
―― アマイア暦1328年
シスカの病室に通い始めて1週間が経過した。
その間に、少しずつだが、ギルドの職員や冒険者の愚痴や悩み事の相談などの依頼も受けるようになり、1日2~3時間くらいはなにかしらカウンセリングを行うようになった。
それでも高野はシュゼットと一緒にシスカの病室に毎日同じ時間に通うようにしていた。
高野はシスカの病室に、相談室と同じ花瓶と
高野がシスカの近くに寄るのはためらわれたため、いつもシュゼットに頼んで花瓶の水を変えてもらっている。
「…今日もいい天気ですね」
高野はいつものようにシスカに声をかけた。
シスカは、今日は扉に向かって片腕で膝を抱き、体育座りをしていた。
彼女がこちらの方を向いたのは初めてかもしれない。
「………………………………また来たの?」
入室してから20分程経って、シスカがこの1週間で初めて誰かに口をきいた。
久しぶりに発声したためか、声はしゃがれている。
高野はこみ上げて来る嬉しさを必死に抑えながら、「はい、今日も来ました」と返事をする。
本当はガッツポーズをしたいくらい嬉しい。
「…そう」
彼女は高野をじっと見て、それだけ呟く。
「ここに来ても良かったですか?」
高野が質問すると、シスカはゆっくりと頷く。
「別に暇だし、良いよ」
許可をちゃんともらえた…!と心の中で高野は喜ぶ。
「前にも聞きましたが、部屋の扉は開けておきますか?それとも閉めておきます?私は怖くないですか?」
抑えているつもりでも興奮しているのか、質問が多いなと話しながら高野は反省する。
「…閉めた方が静かで落ち着く。アンタは別に怖くないよ」
「…アタシは?アタシは居てもいいですかぁ?」
シュゼットもここに居ていいかの許可を求める。
「いいよ」
シスカは頷いた。シュゼットは「よっしゃ!」とガッツポーズをして、高野に笑いかける。
シュゼットが高野の代わりに喜びを表現してくれた。
高野もシュゼットに微笑み、頷く。
「…」
その後、再び沈黙が訪れる。元々の彼女の性格はわからないが、
あるいは恐ろしい目にあって、心の扉を閉ざしてしまったのか。
沈黙の時には、その意味を考える必要がある。
なにかを言い出そうとして、頭の中を整理している沈黙なのか、それとも、ただぼーっとしているだけなのか。
これは本当に経験則だが、考えを整理している沈黙の場合、高野は表情や仕草でなんとなくわかる。
今のこの沈黙はどんな意味があるだろうか。
高野はシスカを観察する。
彼女はこちらの方を向きつつも視線は右の方を向いており、口を開く様子はない。
自発的になにかを話すというよりも、相手に話しかけられるのを待っている沈黙なのだろうか。
高野はこのタイミングで聞きたいことがあったため、意を決して沈黙を破る。
「…改めて自己紹介をしても良いでしょうか。私はタカノ。ギルドでカウンセラーという仕事をしています」
「…カウンセラー?」
シスカは首を傾げる。
やはり、会話のきっかけを待っていたようだ。
「まあ簡単に言うと人の話を聞く仕事です」
「ふうん…そんな仕事があるのか」
シスカは頷く。
「ちなみに私はシュゼットですぅ」
ピンク色の髪のエルフはさり気なく自分自身の自己紹介もする。
「アンタは治癒師か」
「そうですぅ。事務員と兼務ですが」
シュゼットはシスカにニッコリと笑みを浮かべた。
「…私はシスカ。冒険者……………」
シスカは自己紹介しかけて口を
「冒険者だ」というべきか「冒険者
「…」
高野はなにも言わずに黙って、シスカの言葉を待った。
シュゼットも高野を見て、それに
「…私は…」
そのままシスカは黙り込み、結局、その後、一度も口を開くことはなかった。
いつものように1時間が経過したところで、「…また明日伺います」と高野は立ち上がる。
「明日も来ていいですか?」
「…ああ」
シスカはゆっくりと頷く。
「アタシもいいですかぁ?」
「いいよ」
シュゼット問いにもシスカは頷いた。
「…最後に一つ」
高野は去り際に、シスカに疑問を投げかける。
「今日はどうして私に声をかけてくださったんですか?」
「…」
シスカはしばらく考え込み、そして高野を見て言った。
「…自分でもわからないんだ。昨日までアンタに声をかけられているのはわかっていたんだが、内容が耳に入ってこなくて…理解できなくて…。今日もアンタがくるかな、と思って待っていた」
高野は微笑む。
「それを聴いてホッとしました。迷惑かな、とも思っていたので。それではまた明日」
「…ああ」
「では、失礼しますぅ」
高野とシュゼットは頭を下げて部屋を出る。
そのまま、2人で相談室に戻ると、入室した途端にシュゼットが目を輝かせて高野に話しかけた。
「先生、話しましたよ!話してくれました!」
「そうですね!」
「いや~、正直無駄じゃないかなと思ってたのに」
シュゼットは興奮して声を上げる。
「…いやぁ、今日はこちらを向いてくれていたから「おや?」って思ったんですけどね。喋ってくれましたね」
…大きな前進だった。
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