#6


「どうだった?…聞くまでもなかったかしら?」


受付に導かれて応接室から出てきた高野の表情を見てグラシアナがニヤリ、と笑う。


「…おかげ様でとりあえず3ヶ月は無職にならずに済みそうです」


高野はホッとした顔をしてグラシアナに笑いかける。


3ヶ月の試用期間として、月給5,000Gの契約を取り付けた。想像以上にギルドの羽振りが良くて驚いた。


…しかも恐ろしいことに「最初は入用だろう」と3ヶ月分の給料15,000Gを一括払いだ。


受付に手渡された硬貨の入った革袋がずっしりと重い。


裏を返せばそれだけ冒険者のドロップアウト率が高く、ギルドがこちらに期待しているということだろう。




とりあえず、場所は診療所の一部を使用させてもらうことになった。


診療所の中に間仕切りは設置してもらうものの、防音設備はなく、完璧に守られた空間とは言い難い。


この世界のことがまだ全然わかっていないし、心療内科や精神科もないので、元の世界のような枠組みではできないだろう。


元の世界の諸先輩方しょせんぱいがたが高野のカウンセリングを見たら激怒するようなことも起こり得るだろうが、そこは仕方がない。


文句があるヤツは是非、異世界に来て高野と同じことをしてみて欲しい。こっちも明日の生活がかかっているのだ。その辺は勘弁してくれ、と心の中で誰に向かってか、言い訳を述べながら、これからのプランを考える。


まずは、ギルドには、受付や診療所の治癒師と呼ばれる診療所の先生がいるらしいので、そういう人たちにクライエントを紹介してもらうつもりだ。


一応、ゲブリエールからも声をかけてもらうように頼んでいる。


明日から早速出勤ということなので、今日のうちに必要なものは取りそろえる必要があるだろう。




「グラシアナさん、お願いがあるのですが…今日のご予定ってなにかあります?」


ゲブリエールから先程言われた「『迷人』は悪いやつにターゲットにされやすいから気をつけろ」というアドバイスが気になっていた。


できれば買い物には彼女に付き添ってもらえると助かるのだが…。


そもそも平日、休日という概念はこの世界にはあるのか。元の世界ならば木曜なのでド平日だが…。


グラシアナをチラリと見ると、彼女は首を横に振った。


「アタシのことは気にしなくて大丈夫よ。1日くらい休んだって問題なし。今日はアンタに付き合うつもりで来てるから」


「すみません。助かります」


高野は頭を下げた。




その後はグラシアナに連れられて服屋に行き、麻のシャツとパンツ、肌着を何着か購入する。


「そう言えばグラシアナさん、ファッションデザイナーっていってましたけど、グラシアナさんがデザインしている服を扱ってる店は?」


高野がグラシアナに尋ねるとグラシアナは「見たい?」と尋ねる。


「見たいです」


高野が頷くとグラシアナは「あそこ」と大通りの目立つ場所にある大きな店を指差した。


その店はひと目で高級ブランドであることがわかるほどオシャレで、輝いていた。


店を出入りする人も格好からして富裕層だ。


「…グラシアナさん、ギルドで思ったんですけど、もしかしてめちゃくちゃ凄い人なのでは?」


「そんなことないわよ。ちょっとコネがあるだけ」


グラシアナはクスッと笑うと「次は?」と高野の目的地を尋ねる。


「そうですね。紙と筆があるところを教えて下さい」


カウンセリングで聞き取った内容をまとめたり、イメージを共有するのに紙とペンは欲しいところだ。


元の世界からも筆箱とノートは持ってきているが、できればこちらの道具に慣れておきたい。


カウンセラーで良かったな、と思うのは店を広げるにしても、話す場所と紙とペンさえあれば、初期費用は最悪それだけでなんとかなるところだ。


本当はパソコンも欲しいところだが、それは無理なので諦める。


「紙と筆?…なら地図屋かしら」


グラシアナは首を傾げると大通りをスタスタと歩いていく。


そうか、地図屋もあるのか。まあそれもそうか。


高野はあまり深く考えず、グラシアナの後をついていく。




「げ…高い」


グラシアナに連れられて入った地図屋に入って、高野は思わず呟く。


A4サイズの紙が10枚で1G…日本円にすると、1Gは100円なので、1枚10円の計算だ。


100円あれば、現実世界なら100円ショップで最低でもノート1冊買える。


しかも、文明レベルを考えれば当たり前だが、紙の質はあまり良くないし、1枚1枚が分厚い。


なにかの植物を加工して作ったのだろうか、イメージは古代エジプトで使用されていたというパピルスに近い。


確かにこれは制作に手間がかかる。むしろ1枚10円は良心的なくらいだ。


そもそも、この世界では紙を使うのは恐らく地図を作成する冒険者か、ギルドくらいのものかもしれない。


…あぁ、そういえばさっき新聞屋もいた。印刷技術があるのか?それとも手書きか?


なんにせよ、一般人はなかなか紙を使う習慣はないのかもしれない。


そう思いながらとりあえず、筆とインクを2セットと、パピルスのような紙を100枚程購入する。しめて300G…3万円だ。


文房具屋に行けば合計300円もしないだろう。これは今後うまいこと立ち回らなければならない。


そこではた、と思い当たる。

高野は地図屋から購入したものを包みに入れてもらって受け取りながら、グラシアナに声をかける。


「…グラシアナさん」


「なに?」


「非常に聞きにくいのですが…」


高野は口をもごもごさせながら上目遣いでグラシアナを見つめる。


「?」


グラシアナは首を傾げた。


「ええっとですね…私の世界では用を足した後、紙で尻を拭いていたのですが、ここでは紙は結構高価じゃないですか…その…」


「え?アンタの世界だと紙でお尻を拭いてるの?」


グラシアナは逆にびっくりしたようで声を上げる。


「なんで?もったいない。お尻なんて葉っぱで拭くもんでしょう?」


「…!?」


…葉っぱ!!


葉っぱ…そうか、葉っぱか。


宿のトイレの脇に箱が置かれていて、その中に葉っぱがあったのを思い出す。


なんだろうと思っていたが、あれはそういうことか…。


高野は今朝、用を足した時に、困ったので自前のティッシュを泣く泣く使ったのだが…。






異世界で生きるのは思いの外ハードだなぁ…と変なところで実感する高野だった。



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