第15話 羽衣

 燎原りょうげんに野火を放つようだ。

 乾き切ったすすきが炎を受け入れる容易さで、武田の魍魎兵が血気して口角に泡を飛ばして、憤っている。それほどあの不法移民の特殊技能研修生崩れに猜疑を抱いていたのだろう。

「ここの兵数は」と先生が問うた。

「三十二ほど」

「ならば伍人二つで一隊、それで二隊作れ。残数十二は本陣として、ここに残れ。組頭には誰がおる」

「吾郎座と藤次」の声に、「ではそれで組頭を頂き、都合三隊になれ」と命じた。 

 枝を踏む微かな音が、背後でする。

 その刹那せつなに風が巻く。甘利先生が背後に後ろ足で踏み込み、肉を打つ音が頭上でする。反射的に見上げると白刃が中空にあり、影の手首を先生が下から左手首で受け止めて、同時に関節を絞り上げている。

「正しい」と彼は言い、右手に持った山刀の柄頭で覆いかぶさる影を打つ。と同時にその影が空を舞い、肉体が地に落ちる音がする。

「御見事」と影が応え、苦悶の声を漏らした。

「全く貴殿らは正しい。陣に遅参した者は、間者としての疑義が合って然るべきよ。その正体を確かめるのも武田の軍法」

 先生はオイルライターを点け、周囲を見回して息を呑んだ。

 彼が驚いたのは、影が制服を着た女子高生だったからだ。

 しかもその岩場にいた魍魎兵たちの半数は、女性だった。しかし声はしわがれた男性のものだ。彼女たちの年齢層はまちまちで、この寒風のもとで半裸のひともいる。その肩甲骨の下にはやはり朱黒い痘痕が存在する。

「案ずるな。南蛮の火付けよ」

 と怪訝に窺う魍魎兵たちに度量深い声をかけた。

「お主、すまぬな。咄嗟とっさに当て身を入れた。立てるか」

「いやこれも、これも祝着。倅への冥土の土産ずら」

 やはり年嵩の男性の声で彼女は答えた。

 男性の魍魎兵も、年齢層がまちまちだが誰もが物静かそうで、先程のような檄に呼応する粗暴さとは無縁にさえ見える。ただそれがライターの炎の揺らぎ合間、わたしの瞬きをする瞬間に、ゆらりと具足を着た兵士の姿に被って見える。

 長槍は持たない。

 戦国期の当世具足よりもさらに簡素な装備だ。

 鉄と黒革の兜と、胴丸に草摺くさずり、黒備えの籠手こて脛当すねあてだけを着けている 受肉したのは弓兵の部隊のようだ。投石用の紐縄も腰に付けている。この装備は小山田部隊かもしれない。

 その矢筒を斜めがけしている姿が、現実の肉体に蜃気楼のように二重に浮かんでくる。その間にも其々が手早く麻屑を巻き付けて火矢の準備をしていた。種火を移して、ライターの火が消えると、さらに暗がりが濃くなった。

「お館様。ご指図を」

「・・・あれな。あの館、丑寅の方角にペルシャからの玻璃ガラスの窓がある。わらわの指笛と共に、まず石礫いしつぶてを打ちそれを割れ。次に左右より斜めがかりに火矢を放て。唐土の使者はそれで正面大手門に逃げにかかるはず」

 そう、燻出いぶだされたら玄関に殺到するはずだ。

「左右の軍兵は火矢を打った直ちに、正面に周り出てくる者の背を弓撃て。容赦は許しからず。立つものは全て撫で切りにせよ」

 そしてポーチに残っていた付箋を出して、それぞれの魍魎兵の口に一枚ずつ含ませた。「妾の馬印うまじるしである。持たぬものは敵と心得よ」というとどの兵も畏まって、それを受けた。

「では、ゆけ」

 と先生が命じ、わたしは床几に丁度いい高さの岩を勧められた。具足を覆う金属片でつくられた小札こざねが、細い音を立てて遠ざかっていく。

 しばし刻が経つのを待った。

 わたしは岩から立ち上がり、指笛を吹いた。


 まずガラスが砕ける音がした。

 次に中国語の叫び声と、日本語で誰何する声がした。

 中天のおぼろにかかった半月を掠めて、火矢の放物線がその音の方角に吸い込まれていく。その風切り音がここまで聞こえる。

 火箭の斉射は十数合もあったろうか。

 木の爆ぜる煤臭い臭いが流れてくる。

 鳥獣が怯えて金切り声を上げている。

 瑞鳳ビルの丑寅つまり北東側に火災が生じていた。逃げ惑う声に女性の声が混じっていないかを耳をそば立てて聞いている。

 ブンの肉体を愉しむとすれば南西側の湖に面した宴会ホールだろう。

 半円状のホールには往時には結婚式などが執り行われていた。欧州からの絨毯が敷き詰められているはずだ。

 そのホールの正面の暗がりには、雪女がいる。

 雪女がその正体を露わに挟撃するのだ。

 叫び声に恐怖の色が混じっている。拳銃の銃撃らしい音が散発的に起こる。

 そんな小火器で対抗なんてできる訳がない。10mも離れたら素人が集弾できるものか。まして相手は戦国期の足軽隊なのだ。弓の数射で沈黙する。 

 どうも魍魎兵と中華系の男たちが切り結んでいる金属音がする。

 まだ人間の闘いの領域に収まってる。

 付箋にはわたしの気が込められている。こちらの配下の兵だと彼女には伝わるそうだ。彼らが叛意を持てばそれを目印に、雪女は全てを無力化できるという。それをしないのは、その擾乱じょうらんの最高潮で奇襲しないと、石女尼を斃せないからだ。

 本陣とされるその岩場の頭上に、涼やかな声がかかる。

「・・ふうん、それがアンタの書いた絵なのね」

 ミカが羽衣をまとって、宙をゆらりと遊泳する。

 やはり仮面のような、強張った笑顔をしてる。

 彼女を見て、その場にいた魍魎兵が戦慄した。

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