第7話 羽衣
iMessage の返答はない。
ブンとは連絡がつかない。
トラブルに遭遇したのか。
それともミカの襲撃かも。
iOSの探す機能を試してみることにした。起動させてみると、きちんとブンのiPhone という表示があった。分身のスマホも別名で登録したらしい。そつがないね、さすがわたし。
ブンの位置は伸一の修行先のビストロの周辺を動かない。
着信音がしてはまずい状況なのかもしれない。連絡をくださいとiMessageを送っておく。
その現在地に向かうにしても、鳴神さんとはどこかで待ち合わせが必要だ。しかもスマホなしの待合せなんて、不安でしょうがない。
幸いにも彼女は、普段の樽沢の庵から里宮まで山を下ってきているという。ここまでは小一時間前後で到着できそうだと言ってくれた。待ち合わせ場所は、工事中の開智学校の駐車場前にした。そこまではアパートから歩いてすぐ。開智学校が北側の窓から臨めるので、内見でここを決断したんだ。
さらに打てる手はないか。
ブンと共有している記憶や意識は、昨日までというか、生まれる瞬間までのことだ。だからミカが敵性だということも、殺意も知らない。そしてブンは無警戒に彼女に接近するかもしれない。
マウンテンバイクで彼女は現れた。
見渡せるほど前面道路が広いので、遠くからわたしが見えるし、タクシーを使ったとしたら停車しやすくて最適な場所だ。
鳴神さんはロングの髪を赤いレザーのヘッドギアに納めて、サイクルウェアで、予定時間よりもかなり早く滑り込んできた。身体にぴったりとしたウェアで、艶かしい色気があった。
見知った生成りのワンピースではなかったので、最初は彼女とわからなかったが、ベルを鳴らして手を振るので気がついた。
「ごめんね。待たせて。少しは急いだんだけど」
「いえ。わたしも家から来たばかりです」
「申し訳ないけど、着替えのできるところ知らないかな。ちょっと派手派手すぎて。身体は動かしやすいけど」
「あ。家ならすぐそこです。ご存じですよね」
家に案内してリビングで着替えを待った。寝室にしている部屋から衣擦れの音がしている。
「ねえ、あの手鏡の気配がないんだけど」と扉の向こうからくぐもった声がする。その瞬間に着信音が鳴った。
「はい。そう、六花です。やだわ。催促じゃないわよ。そう車を出して欲しいのよ。それとね・・・」
誰かと話をしている。しかも下の名前で名乗ってる。親密な方からなんだろうかと、いけないことと思うけど聞き耳を立ててしまう。
「ちょっと貴方向きの仕事になりそうなの。そう、色葉がそう言うのだから、きっとそうなるのよ」
からりと引き戸を開いて彼女は現れた。
ニットと細身の黒パンツに、辛子色のブルゾンを被っている。髪は後ろに一本で纏めている。活動的な姿だった。わたしのよく知る姿ではないけど、これなら尾行していても、相手の記憶に残ることはなさそうに地味だった。
その服を持ってきたのか、ヘッドギアとお揃いの色をした革ディパックを肩にかけている。綺麗に畳んだサイクルウェアを手に乗せて、何かを言いたげだったので、わたしはそれを受け取ってソファの上にきちんと置いた。
「さあ、行きましょう。もうすぐアシが来るわ」
ジムニーがアイドリングしながら
待合せ場所はさっきと同じ場所にしたようだ。鳴神さんが軽く手を振って、その車に近づくと内から甘利先生が現れてあんぐりとした口をした。
「君は・・・」
「そう、この娘なの。魍魎に取り憑かれそうなの。だから力を貸してやって」
「貸してやるも何も、僕のゼミ生だよ。ちょっと訳ありでね」
困り顔をする先生は新鮮だ。
先生が運転席をスライドさせてから畳んで促したので、よいしょと後部シートに収まった。鳴神さんは助手席側に回って、すとんと乗り込んだ。
「僕向きの仕事ってなんなんだ?」
「ちょっとねえ、胡散臭い動きがあるのよ。県でさ、特にJAだけど農業実習生って制度があるじゃない。主に吉林省からの特別技能実習生」
「ああ」
「その農業実習生でさ。行方不明になってるのが相次いでいて。警察に色々と探して貰っているんだけど。どうも裏社会に密着している連中がいるのよね」
「ほう」
「そのリーダー格ってのひとりが、黄皓ってやつ。30代で剃髪して後頭部に孫氏の語句の刺青があるそうよ」
胸に鋭利なものが刺さったような気がした。
「なるほど、それは知己の部類だ。僕向けというのは理解した。でもそれって色葉ちゃんに探らせたのか」
「まだまだそこまでは。その黄皓がこの娘に絡んだことくらいよ。色葉が視えたのは。うちの、というか、里宮の氏子さんに警察官僚さんがいるのよ。そこから情報を貰ってきたの」
「で、連中は何を資金源としている」
「不法就労とかビザの偽造、売春の斡旋、それから盗品の販売、JAで開発しているブランド植物の種とか苗木とかの密輸出にも絡んでいるみたい。もちろん日本人ブローカーも絡んでいる。そっちは懲らしめてやるだけでいいけど」
嬉々として早口で語る彼女は、これまで見たことがなかった。そして聞くべきではないひと言が今も耳の底に残る。
「戸籍のない連中は、もう喰べちゃうわ。私にしてはご馳走だから」
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