第4話 羽衣
手鏡をテーブルに置いた。
江戸期からのものらしい。
物憑き、とされる手鏡だ。
鏡面には端の方に曇りがある。表面は
物憑きというのは、いわばモノの妖怪というものらしい。
陰陽師の鳴神立花さんは、そう説明してくれた。
経てきた月日と重ねられた主人の愛着が、物にさえ妖しい能力を憑かせることがある。
それを物憑きと呼ぶという。
実際にその手鏡は、川の流れや沼の湖畔の清らかな水面に、合わせ鏡で映した時に、もうひとりの自分を産み出したという。その水面が鏡面のように穏やかな、という厳しい発動条件が課せられていた。
元禄の頃の伝承だけど。
旗本の妾に行かされそうになった商家の娘がいたという。彼女がその手鏡を使って産んだ分身を身代わりに行かせて、自分はお付きの手代と駆け落ちをしてしまったという謂れを見つけてしまった。
それはそれで本人は、愛した男と想いを遂げた佳い話になりそうだけど、妾にされた分身については真逆のことだ。
この手鏡を入手したのはまだ春先で、信州では木の枝には残雪の残る頃。
身惚れた挙句にメルカリで、しかも訳ありというのに、入手してしまった。到着したその日に嬉しさのあまり、その鏡に映る自分の姿をInstagramに上げてしまったくらいだ。
インスタもいわばネット上に流れている川に等しい。
それから、その画像をcloudから何度も呼び出して眺めているひとの周辺に、分身のわたしは出現して、とても生活が混乱した。分身を含めて、最大数でわたしは6人いた。鳴神さんはひとりひとりを祓ってこの肉体に同期してくれたのは、秋口のことだった。
そして最後のひとりが、元彼のアパートで同棲を続けているに違いない。
彼が私に執着して、また生活空間につき
それから先日の連中に、何かの関わりを持ったと思う。わたしを完全に認知して「今度は逃がさない」と言ってたのを思い出した。
iPhoneを出して、写真ホルダーを開く。お気に入りに入れた時の画像データを見た。この部屋で撮影されたそれは、冬場の部屋着としていた辛子色のダウンを着て、少しお澄ましした自撮り画像だ。髪は今より短くて、化粧っ気がない。
さて。
布石が必要かもね。
もう一度手鏡で確認する。
緑色のタートルネックのセーターで、胸のラインがはっきりと出ている。いつもは引かない色のリップを選んだ。清楚に見えてしっかりと手の込んだメイクをもう一度確認して、カメラを起動する。手鏡に映るわたしを撮影する。微笑みが固くならないように。自然に、自然に。何度か失敗したけれど、いい画像が撮れた。さらに表面の螺鈿模様を撮影する。
ふう、とため息をついた。
これから私は、自己責任で取り返しのつかないことをしようとしている。
また鳴神さんのお世話になると思う。それでもあの連中と揉め事になっていそうな分身を救いたいし、元彼からも解放してあげたいと思う。彼との元鞘に戻るのであれば、それはそれで良しとしよう。
ごくりと喉が鳴った。
Instagramを開いて、まずアカウントを非公開に設定した。
それからストーリーを共有している友人たちも削除する。
最後にストーリーに先刻撮影した写真を上げた。これでこの写真はわたし以外には閲覧もDLも出来ないはず。
数日が経過して、甘利ゼミにも出席した。
郷土史を講義するなかでも、来夏には遺構の実地調査の講義もあり、興味がそそられた。年末が迫り、繁華街では白雪に混じって、緑と赤が洪水の様に煌めいていた。
一際寒さが厳しい時期に、そっと目を開けて驚いた。
今朝は暖かく感じたはずだ。
吐息を首筋に受けていた。寒いと抱きつき癖があるのだ。
わたしは、わたしと眠っていた。
驚きが声になるのを抑えていたが、それでも身動ぎはしたのだろう。重そうに睫毛が開き、わたしの顔を覗き込んだ瞬間、怪訝そうに瞳が
「おはよう」と声をかけると「おはよ」と返ってきた。
わたしが半身を起こすと、彼女も身を起こした。
わたしはフリースの寝着を着ているが、彼女は全裸だった。
「初めまして」
「初めまして」と言った彼女は全裸に気づいて、布団から毛布を引っ張ってくるくると巻きつけて座った。
「ごめんね。最初にはっきりさせておくけど」と釘を刺しておくのは今だと思ったので、「オリジナルはわたしだから」と言った。
「なぜそう思うの?」
「あなたって、裸じゃない」
「昨日はワイン呑みすぎたじゃない、多英と。暑いからそのままシャワー浴びずに直行したの。覚えてないの? オリジナルはわたし」
昨日の記憶まで同期してるなんて。
手強いな、と思った。
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