第19話

 ブロンちゃんは無事捕獲したが、すぐにお嬢様のところへ向かうというわけにはいかなかった。

 ココンとしてはもちろんそうしたいところだったが、ヤエンがばてて動けなくなってしまったのだ。ヤエンはどうやら、運動が不得意のようだ。先ほどの異変も、怪我をしてしまったわけでなく、ただ単に疲れただけのようだ。

 意外な弱点に、ココンたちは愉快に思った。そして同時に、納得もしていた。なぜヤエンがココンたちに協力してくれる気になったのかはずっと不思議に思っていた。

 その理由が、きっとこれだ。ヤエンは自分の足だけでブロンちゃんを捕まえることに限界を感じたのだろう。本当に現実的で夢のない理由だったが、それでもよかった。どんな理由であっても、ヤエンが仲間に加わってくれたことが、ココンにとってはなによりも嬉しかった。

 それに、作戦は大成功だったのだ。少しのハプニングはあったけれど。

「それにしてもココンさん、ナイスでした!」

「なんでブロンちゃんがジャンプするって分かったんだい?」

 ブロンちゃんは敵を避ける時、ジャンプする癖があった。道を塞いだお姉さんを避けるときも、後ろから飛びかかったココンを避けるときも、ブロンちゃんは高くジャンプして逃げたのだ。

 ヤエンもそれを知っていて、わざと飛び越えやすいようにしゃがんだのだろう。ブロンちゃんがどう動くかが分かっていれば、捕まえるのは簡単だった。最後まで、ヤエンにサポートしてもらう形になってしまったということだ。

「ヤエン、よくこの道に出られたな。まさか挟み撃ちをしてくるとは」

 テァランギが水の入ったボトルを差し出しながら言った。ヤエンは礼も言わずボトルを受け取った。腕がぶるぶると震えている。

「猫の通り道の地図なんて、とっくに覚えてんだよ…。先回りするなんざ、余裕だ…」

 ヤエンは馬鹿にするように言ったが、息も絶え絶えな状態では、全く迫力が無かった。

「ヤエン」

 ココンはブロンちゃんを抱きかかえたまま、ヤエンの方によろよろと近づいた。大の字になっているヤエンのそばに崩れるように座り込む。

「大成功だよ。全部君の作戦のおかげだ、ありがとう」

 ヤエンは目を丸くして、しばらく固まっていた。

「いや、別に…」

 誰が見ても分かるくらいあからさまに、ヤエンは照れていた。

「ヤエンさん、照れてます?」

「こらラージャオ、わざわざ言うなんて野暮じゃないか」

「本当うるせぇなオマエら…」

 ヤエンは大きくため息をついた。それは苛立ちや呆れのため息ではなく、一仕事終えた後の、心地よいため息だった。

「まさかあそこに抜け道があったとはな」

 誰にともなくつぶやくヤエンに、ココンは尋ねた。

「あの道、猫の通り道の地図には描かれてなかったんだね」

 でなければ、ヤエンが見落とすはずがない。ヤエンはまるで何かに敗北したような表情で、空を眺めていた。

「実際やってみなきゃ、分かんねぇもんだな」

「いいこと言うじゃないか、ヤエンくん」

「うるせぇよ青髪」

 ぶっきらぼうな答えに、マーレは不服そうに口を尖らせた。

「あ!さっきはココくんのことちゃんと名前で呼んでたくせに、ボクのことは呼んでくれないのかい?」

 そういえば、とココンは記憶を遡る。あの時は必死で、そんなこと気にも留めなかった。思い出して、改めて驚いてしまう。そもそも、ちゃんと名前を覚えていたのか。

「ほら、呼んでみてくれ!マーレだよ、マーレ」

「うるせぇ」

「あ、そんな口聞いていいのかい?ボクの華麗なアドリブが無かったら、作戦は途中で終わっていたんだよ?」

 マーレの言い分に、ヤエンはゲッと顔をしかめた。たしかに、大人たちを追い払ったマーレの機転には助かった。

「それを言うなら、俺だって頑張りましたよ!ブロンちゃん、すごい食べっぷりだったじゃないですか。ほら、ヤエンさん、俺はラージャオですよ、ラージャオ」

「うるせぇ」

「俺も働いたぞ、ヤエン。たくさん……とにかくたくさん働いた。俺はテァランギだ。言ってみろ、テァランギ」

 まるで赤ちゃんに言葉を教えているような光景だった。ヤエンは苛立っていたが、もはや暴言を放つ元気も残っていないらしい。

 詰め寄る三人を押し退けながら、ヤエンはのっそり体を起こし、疲れ切った様子でココンが抱える網を見つめた。

「手間取らせやがって」

 ブロンちゃんは既におとなしくなっており、網の中で丸くなっていた。ヤエンはブロンちゃんのなだらかな背に手を伸ばしたが、すぐにその手を引っ込めてしまった。

「猫は嫌いだ」

 ココンはブロンちゃんを差し出しながら、言ってみた。

「この子はブロンちゃんだよ、ヤエン。言ってみて、ブロン〜」

「人間はもっと大嫌いだ」

 ヤエンは台本を読むようにそうつぶやき、空を見上げた。ココンも同じように、空を見上げる。建物の隙間から、青い空がのぞいていた。先ほどまでの興奮が嘘みたいに、今では体全体が早朝の麦畑のように落ち着いている。

「お、君たち、捕まえたのか!」

 大きな声に振り返ると、ガートが網を片手に立っていた。ココンが丸く膨らんだ網を見せると、ガートは悔しそうな笑顔を浮かべた。後ろに立っていた人たちは口々にココン達を称賛した。

「早くお嬢様のところに連れて行ってやれ。宿の場所を教えよう」

「まさか子供達に先を越されるとはな。なかなかやる」

 ココンたちは鼻高々に頷いて見せたが、ヤエンは澄ました顔でそっぽを向く。その様子を見て、マーレが微笑んだ。

「ヤエンくん、ココくん、作戦の成功は、君たちのお手柄だよ。ナイスコンピプレイってやつさ」

 ココンは少しくすぐったく感じた。ヤエンがどんな顔をしているのか気になったが、ヤエンはとっくに、フードを被って表情を隠してしまっていた。

 けれど、ヤエンの胸元に、きらりと光るものがあった。それは首飾りに通された、小さな紫色の宝石だった。走っている時に服から飛び出したのだろう。太陽の光を反射して、煌めいている。

 ヤエンが『巡り』である証。鋭く冷たく固そうだったが、たしかに美しく、輝いていた。

「朝飯前だっての、このくらい」

 そう言うヤエンの声には、ほんのりと喜びが滲んでいた。

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