第18話
テァランギが指示を分かりやすくしてくれたので、ココンたち二人でも無事追いつくことが出来た。真っ白なお尻との距離は、およそ10メートルにまで迫っている。だが、ここでまた更なる危機が訪れた。
「このままだとブロンちゃん、大通りに出ちゃいますよ!」
いちはやく、ラージャオが気づいた。ココンも遅れてハッとする。ブロンちゃんの進行方向には、時計塔のある広場にもつながっている大通りが見えていた。もしあそこに逃げ込まれてしまえば、他の猫との見分けがつかなくなってしまうし、人がたくさんいるので網を振り回すわけにもいかなくなってしまう。
「任せろ!」
頭上から声がした。見ると、テァランギが背中から弓を抜き、矢をつがえるところだった。まさかブロンちゃんを射るつもりか、とココンの背筋が凍ったが、もちろんそんなことにはならなかった。
テァランギが放った矢は鋭く虚空を貫き、地面に突き刺さった。ブロンちゃんの目と鼻の先である。ブロンちゃんは当然驚き、慌てて方向転換をする。
ブロンちゃんが曲がった先はまたもや狭い路地だった。今度は荷物がないので、ラージャオも問題なくついてくる。ブロンちゃんはもう、すぐ目の前にいた。にもかかわらず、なかなか捕まえることができない。
ブロンちゃんの動きは予測不能だった。まるで後ろにも目があるかのように、ひょいひょいとココンの猫取り網を逃れる。そろそろ体力の限界が近づいていた。後ろを走るラージャオも、息苦しそうにしている。このままでは、逃してしまう。
テァランギに指示を受けたのか、マーレが正面からこちらへ向かってくるのが見えた。一生懸命走ってきたのか、マーレもすでにかなり疲れているようだった。うまく挟み撃ちができると思いきや、ブロンちゃんはさらに脇道に入っていく。
「お嬢様猫にしては、アクティブすぎませんかね〜!」
怒り半分、ラージャオが叫んだ。だが、ブロンちゃんに文句を言っても仕方がない。ブロンちゃんだって、ご主人様の元に帰りたくて仕方がないはずなのだ。ココンは折れそうになる心を必死で立て直し、脇道に飛び込んだ。
昨日今日でありとあらゆる猫道を駆け抜けたが、この道はその中でも一位二位を争うほど、真っ直ぐだった。くねくねと曲がりくねった路地の多いこの町で、これほど一直線に伸びた通路はなかなか珍しかった。しかし、真っ直ぐだからこそ、ココンの瞳ははっきりと、道の終わりに現れた少年の姿を捉えたのだった。
お日様の光を背中に受けているため表情は見えなかったが、そのシルエットはたしかに、彼だった。影はブロンちゃんの正面に立ちはだかり、通路いっぱいにマントを広げる。相変わらず堂々としていたが、顔は真っ赤で、肩は上下していた。
「ヤエンさん!」
ラージャオが叫ぶ。ずっと後ろに置き去りになったはずのヤエンがいつのまにか追いつき、それどころかなんと目の前に現れた。その理由は全く分からなかったが、そんなことはどうでもよかった。今はブロンちゃんの捕獲が最優先だ。
ブロンちゃんはヤエンの姿に気づいたようだったが、速度を緩めることはなかった。迷いなく、真っ直ぐヤエンめがけて疾走している。ヤエンはそんなブロンちゃんにも焦らず、冷静沈着に行動した。
「ヤエンさん。何を…?」
ラージャオが戸惑ったように言う。それもそのはず、なんとヤエンは道のど真ん中で座り込んでしまったのだ。具体的には片膝を立てた状態で、ヤエンはマントを出来るだけ広げてブロンちゃんを待ち構えた。あれでは、すぐに立ち上がることが出来ない。
「一か八かあそこで捕らえるつもりかい⁈」
珍しくマーレが焦りを見せたが、ヤエンはいたって冷静に、迫り来る白猫を迎え撃とうとしていた。ヤエンと目があった。彼は髪を振り乱し、叫ぶ。
「ココン!」
賢いヤエンの考えていることは、いつだって難しくてココンには理解できない。しかしこの瞬間ばかりは、ココンにもヤエンの考えていることがはっきりと分かった。
ココンは迷わず突進して行った。網をしっかり持ち直し、横向きに構える。ヤエンがブロンちゃんに飛びかかった。ブロンちゃんは右に避けるでもなく、左に避けるでもなく、かといってヤエンの懐に飛び込むわけでもなく。
飛んだのだ。
ラージャオが息を呑む。ヤエンの両手は空を切り、ブロンちゃんはその頭上を飛び越えた。ココンは、目の前に浮かび上がった白い塊めがけて思い切り網を振るった。
その瞬間、ぐんと網が重くなり、ココンは必死で腕を持ち上げる。すぐに網の持ち手に付いているレバーを引くと、網の入り口がキュッと締まった。ココンはヤエンの横を走り抜けながら、網の中の重みを、しっかり抱き込んだ。たしかな温度と、柔らかさを感じる。とうとうブロンちゃんを、捕まえたのだ。ココンの心は喜びで満ち溢れていた。
斜め後ろから、ヤエンの声がする。
「どうだ⁈」
マーレやラージャオも、口々に叫んでいる。ココンは喜んでいた。それは間違いない。湧き上がる達成感に叫びたい気分だった。けれど同時に、途方もない悲しみが襲ってきた。作戦は成功した。ということはつまり、終わってしまったのだ。今すぐ網を開いて、ブロンちゃんを逃したくなる衝動にかられる。しかしココンは、網を抱きかかえたまま動かなかった。
網のなかでモゾモゾと動く猫に、ココンは優しくささやいた。
「ひとりで怖かったね。さ、ご主人様のところに帰ろう」
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