第14話

 ココンたちはヤエンの指示通り、朝食後すぐにココンたちの部屋に集まった。ヤエンだけが立ち、ココンたち四人はベッドに座って作戦内容の発表を聞いていた。

「作戦の名前は、『飼い主もどき囮作戦』だ」

「やっぱり囮作戦じゃないですか」

 声を上げたラージャオを、ヤエンはビッと指差して黙らせた。

「飼い主もどきって、どういうことだい?」

「黙って話を聞け」

 ヤエンはうんざりしたように、けれど丁寧に説明を始めた。

「こんなに大量の猫がいる町で、一匹の猫を探しだすのは非効率的だ」

 それはもっともである。だから、ヤエンに協力をお願いしたわけで。

「だから、俺たちは例の猫を探さない」

 ココンは思わず声を出しそうになったが、すんでのところで思いとどまる。ヤエンはココンたちの動揺を感じ取ったように、ニヤリと笑った。絵本に出てくる悪党が笑う時のような、怪しい笑みだった。

「探さずに、誘き寄せる」

 ヤエンは旅行鞄を開いた。チラリと中身が見えたが、またすぐに閉じてしまう。どうやら鞄の中には、大量の本が詰まっているようだ。

 ヤエンが取り出したのは、小さな袋だった。口を開けると、甘い香りが部屋中に広がる。どうやら中身は、果物を乾かしたものらしい。

 朝食直後だというのに、ラージャオが匂いに釣られてぐっと身を乗り出す。その姿が見えていないかのように、ヤエンは袋を揺らしながら話を続けた。

「例の猫はおそらく、へとへとに疲れ切ってる。これまでぬくぬくのびのび育てられてきたのに、突然知らない町に放り出されたわけだからな」

 ヤエンは袋から小さな粒を取り出した。濃い紫色で、シワが寄っている。レーズンだ。

「この町の猫は基本的に自分でエサをとっているが、例の猫は温室育ちだ。そんなことは到底出来ない。きっと腹を空かせているはずだ」

 例の猫、例の猫と連呼するヤエン。なぜかブロンちゃんへの風当たりが強い。レーズンを見つめて目を輝かせるラージャオはそっちのけで、ヤエンは摘んだレーズンを口に放り込んだ。

「でも、三時の食事があるじゃないか。ボクら昨日見たよ」

 マーレの指摘にも、ヤエンは眉一つ動かさなかった。

「迷い猫なら、そもそもあの風習を知らないだろ。それに、もし広場に行ったって、大した量は食えない」

「なるほど、魚の奪い合いは凄まじかったからね。お嬢様猫には荷が重いか」

 ココンは広場で見かけた老猫のことを思い出した。端っこの方に座っていたし、あれは一通り他の猫の食事が終わるのを待って、餌にありつくつもりだったのだろう。

「この町にいる猫の上下関係で言えば、例の猫は最下位だ。よそものだし、餌が回ってくるかも怪しい」

 猫の世界も厳しいのだ、とココンは震えた。ブロンちゃんが他の猫にいじめられてしまうことを心配していたお嬢様の顔が浮かぶ。彼女の不安は、あながち的外れでもないようだ。

「腹が減ってるなら、餌があれば警戒心を緩めて向こうから寄ってくるはずだ」

「猫のための食事を用意し、それを使って罠を作るということか」

 テァランギの言葉に、ヤエンは頷いた。少しずつラージャオが前のめりになっていっている。レーズンの香りに思考が奪われ、思わず体が動いてしまっているのだろう。

「食欲に負けて近づいてきた猫を、オレたち五人で、ガッと」

「ぎゃっ」

 ヤエンは素早い動きで、ラージャオの首を腕で捉えた。ラージャオはレーズンの入った袋に手を伸ばすが、全く届かない。

「こういうことだ」

「なるほど」

「一つだけでいいです!俺にも分けてくださいよぉ!」

 ヤエンはラージャオを解放し、レーズンを彼の手に数粒落とした。首を絞められたばかりなのに、ラージャオはにこにことご満悦である。

 その様子を見ながら、ココンは少し疑問に思う。ブロンちゃんがお腹を空かせてるのは間違いないだろうが、もしご飯を用意したところで、ブロンちゃんはうまく見つかるのだろうか。広い町だ、ブロンちゃんより先に、他の町猫たちが来てしまうのではないだろうか。

 同じことをマーレも思ったようだった。

「誘き寄せる材料は、それだけで足りるのかい?とてもじゃあないけど、すぐには見つからなそうだね」

 ヤエンの予想があっていれば、ブロンちゃんは腹ペコ状態だ。捜索が長引くようなことになれば、命が危ないかもしれない。

「決まってるだろ。まだ考えはある」

 ヤエンはマントをひらりと揺らした。ブロンちゃんを捕獲しようとした時にも使っていた、万能マントである。

「あの猫、妙な匂いがした。オマエ、覚えてるか?」

 言われてココンは、必死に記憶を遡る。ブロンちゃんに飛びかかった時の記憶。そういえば、ヤエンのマントに飛び込んだ時に、一瞬いい香りがしたような気がする。上品ですっとした、貴族っぽい匂いだった。

「したかも。でも、なんの匂いだったんだろう」

「犬の鼻がいいことは有名だが、猫も人間の何万倍も鼻がきく。広い町でも、自分と近い匂いがすれば、嗅ぎつけることができるはずだ」

 ヤエンは本当に物知りだ、とココンは驚いた。ココンだって地元の村では本好きの物知りで通っていたが、ヤエンはそれ以上である。

「それで、その匂いっていうのはどういう匂いなんだ」

「なんの匂いなのかまでは分からない。けど、飼い主のお嬢様とやらの匂いに近いんだろう」

「そうか、それであの作戦名って訳だね?」

 マーレの言いたいことが、ココンにもなんとなく分かった。『飼い主もどき囮作戦』。ヤエンはおそらく、飼い主であるお嬢様の匂いに近いものを用意し、ブロンちゃんを誘き出すつもりなのだ。

 だとすれば、まずはお嬢様の匂いを手に入れなければならない。少し気持ち悪い響きだが、それでもこの作戦には必要不可欠なのだ。そこでココンは、ハッと閃いた。

 ヤエンは作戦の続きを話し続けている。

「だからまずは、そのお嬢様とやらのところに行って、使ってる香水か何かを借りてこなきゃ…」

「ちょっと待って!」

 ココンは言って、ベッドから飛び降りた。大声に驚いたヤエンの横を通り抜け、自分の荷物を開ける。着替えやお金、文房具などと一緒に、白いハンカチが入っている。綺麗なレース模様のそれは、元々ココンのものではなかった。

「あ、それって…」

 レーズンをかじりながらラージャオが言った。

「うん。お嬢様と交換したハンカチ」

 ココンが泣いてるお嬢様にハンカチをあげた代わりに、ココンもお嬢様のハンカチをもらったのだ。試しに匂いを嗅いでみると、はっきりといい香りがした。間違いなく、あの時ブロンちゃんからした香りと同じ匂いである。

「ちょっとみんなも嗅いでみて」

 ココンが差し出したハンカチを、四人は輪になって嗅いだ。ちょっと危ない集団のように見えた。

「なんだか嗅いだことある匂いだね」

「本当かよ、なんの匂いなんだ」

 思い出そうとするマーレを、ヤエンがイライラと睨む。すると、ラージャオとテァランギが同時に声を上げた。

「「ジャスミンだ」」

 ジャスミン。言われて初めて、ココンはピンときた。大きくて白い花びらを持つ、いい香りがする花である。故郷のお母さんは、よくジャスミンの香りがするお茶を飲んでいた。

 たしかに、それと似たような匂いが、ハンカチからもほのかに漂っていた。

「俺の集落では、獲った肉の匂いづけに使っていた」

「いい香りですよね〜」

 ヤエンは黙って考えているようだった。何も言わずに、部屋を出て行った。取り残されたココンたちは、突然のことに反応できず、しばらく固まっていた。

「どこ行っちゃったのかな」

「帰っちゃったんじゃないですか?」

 ラージャオが適当に返した時、部屋の扉が開いた。ヤエンがつかつかと入ってくる。手には地図を抱えていた。

「お前らちょっとそこどけ」

「そんな言い方ないでしょうに」

 飄々と言いながら、マーレがベッドから降りた。隣に座っていたテァランギも大人しくヤエンの指示に従う。

 二人が座っていたベッドに、ヤエンは持っていた地図を広げた。その地図を見た途端、ココンはあっと声を上げた。それは、地図の町でも目にした、猫の通り道を記した地図だったのだ。

「もしかしてこれ、地図の町で買ったの?」

「買ってねぇよ。この宿のおっさんに借りた」

 ヤエンは地図の一点を指差した。ココンたちの泊まっている宿の名前が書かれている。すぐそばに時計塔のある広場が位置していて、もう少し離れたところには昨日ココンたちが走り抜けた狭い路地などがあった。

「ここと、ここと、ここと、ここ」

 ヤエンが地図を順番に指差す。

「近くにある花屋だ。そして昨日例の猫の目撃情報があったのは、ここ、ここ、ここ…」

 ヤエンが示した箇所は、全て花屋の周辺だった。説明されなくとも、ココンたちにもヤエンの言いたいことは理解できた。

 もし全ての花屋にジャスミンの花があったのだとしたら、その匂いをお嬢様と勘違いしてブロンちゃんが近づいていった可能性がある。

 ヤエンの作戦が、とたんに現実味を帯びてきた。

「町にあるジャスミンを全て買い占めて、それを猫を誘き出す一つ目のエサにする。青髪、一緒に来い」

「マーレだよ。お安い御用さ」

 マーレはにこやかに頷いた。ヤエンの刺々しい口調があまり気にならないようだ。喧嘩にもならなそうだし、ヤエンと二人にしてもきっとうまくやれるだろう。

「二つ目のエサは猫用の食い物。赤髪、これはお前に任せる」

 ヤエンはポケットから一枚の紙を取り出した。それを無造作に放り投げたので、近くにいたココンが慌てて受け取った。広げると、食材、調味料の名前がずらりと並んでいた。

「猫が好む匂い、味の食い物だ。それを組み合わせて出来るだけ美味いものを作れ」

「命令口調が気に入らないけど、命令口調が気に入らないけど、わかりました!」

「何で二回言ったの?」

「金髪は買い出しを手伝え」

 ヤエンの瞳がココンを捉えた。突然呼ばれたことで少し動揺したが、ココンはすぐに返事をした。

「うん」

 思いの外冷静な声が出たが、ココンは内心ドキドキしていた。役目をもらえたのが嬉しかったし何より、ヤエンの能力の高さに圧倒されていた。

 最初は、本当にヤエンと協力することができるのだろうかと心配していた。しかし、いざ作戦指揮を任せてみると、こんなに頼り甲斐のある人はいないと思えた。

「緑髪は時計塔に行け。猫の捜索隊の本拠地になってる。そこで今日の目撃情報を記録、猫のいそうなところを絞り込め」

「分かった。故郷で獲物を狩る時も、同じようなことをしていた」

「町のこの辺りの情報だけでいい。そう遠くには行ってないはずだ。あとは無視しろ、どうせ間違いだ」

 ヤエンは地図を広げたまま、くるりと背中を向けた。そのまま旅行鞄をさっと持ち上げ、マントを翻す。それからテァランギとラージャオにもう一つ二つ指示をすると、最後にもう一度皆をひと睨みした。

「すぐにでも取り掛かれ。チンタラしてる間に他のやつに取られたら、お前らただじゃおかねぇからな」

 ヤエンの脅しに、ココンたちは「はーい」と返事をした。

「青髪、行くぞ」

「ボクの名前はマーレだよ、紫髪くん」

 二人が部屋を出て行き、残ったココンたちは顔を見合わせた。

「ヤエン、すごいね。こんなに頭がいいなんて」

 地図を眺めながらココンが言うと、ラージャオは不服そうながらもうんうんと頷いた。

「たしかに優秀ですね。性格はいただけませんが。性格はいただけませんが」

「なぜ二回言ったんだ」

 テァランギの指摘に、ラージャオは肩をすくめただけだった。

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