第12話

 翌朝の早朝。まだ人気の無い宿の食堂に、一足早く降りてくる人影があった。人影は厨房の奥で動き回る食事係に声をかけると、適当なテーブルを見つけて座った。

 彼は早起きだ。夜ベッドに入るのは遅いのに、朝はとても早い時間に起きてくる。そして誰もいないうちに朝食を食べてしまい、さっさと宿を出発してしまうのだ。

 ヤエンはそういう少年なのだ。そしてそれを、ココンは知っていた。

「ヤエン」

 人影は自分の名前を呼ぶ者の正体に気づき、うんざりしたように天井を見上げた。ココンは構わず近づいていき、人影、改めヤエンの向かいの席に座る。

「本当に何なんだよお前。しつこい」

 ぎろりと睨まれ身がすくむが、ココンは拳を握り、なおも話しかけた。

「ヤエン、君に頼みがある」

「嫌だ」

「まだ何も言ってないよ」

 ヤエンはマントを深く被った。ココンと会話はしたくないが、自分から席を移動するのは絶対に嫌だ、ということなのだろう。

 だとすれば、こちらからすれば好都合だ。ココンは、何が何でもヤエンと会話がしたかったのである。そのために、今日はありえないほど早起きをしたのだ。

「オマエ、何でここが分かった。ストーカーか?」

「黒マントを着た子の友達ですって言って、町中の宿を回ってきた」

「大嘘じゃねぇか」

 早起きをして、町中の宿を巡り、ヤエンが泊まっているところをなんとか探し出した。ヤエンが早朝に行動を開始するだろうことは分かっていたので、必死だった。

 そろそろ本題に入ろうと、ココンは机にポンと手を置いた。

「ヤエン、君は何で旅をしているの?」

 ヤエンは何も答えない。あからさまな寝たふりをしている。意外と子供じみているのだな、とココンは感じた。

「僕は小さい頃に好きだった物語に憧れて」

 はっ、と笑い声がマントの奥から漏れた。どうやら馬鹿にしているらしい。腹は立つが、喧嘩をするために来たのではない。

「あのお話の主人公みたいに、世界中を旅して、いろんなものを見ていろんな人に会って、いろんな話をしたいんだ」

「思い出作りの旅かよ。皆と仲良くしたいってか?」

 ヤエンが吐き捨てるように言った。マントの向こうから、鋭い眼光がココンを貫いている。

「夢見たいなら勝手にやってろ。オレは関係ない」

「そうやって僕のこと、夢見てる夢見てるっていうけど、それの何が悪いの?」

 言い返されるとは思っていなかったのか、ヤエンは少し目を見開いた。しかしすぐに威嚇する狼のような顔に戻る。

「現実的じゃねぇんだよ。効率悪いし、見てて腹立つ」

「そうやって酷い態度取り続けてる方が、ずっと効率悪いんじゃないの?」

 ヤエンは乱暴にフードを外した。紫色の髪が揺れ、ココンは初めてヤエンの顔を真正面から見ることになった。思ったよりも、幼い顔をしている。

「全員仲良くなんてできねぇよ。オレは一人の方が楽なんだ。無理やり混ぜようとするな!」

 ヤエンは何故だか泣きそうな顔をしていた。彼が何を考えているのかは分からないが、その感情の強さはひしひしと伝わってきた。

 ヤエンは乱暴に椅子の背もたれに背中を押し付けた。横を向き、自分に言い聞かせるように言う。

「言い方を変える。俺は、一人でいたいんだ。ほっといてくれ」

 ココンはそれ以上ヤエンを興奮させないように、ゆっくりと言った。

「…僕は別に何も、君と仲良くしたいわけじゃない」

 ヤエンは驚いたようにこちらを見た。その隙に、ココンは言おうと思っていたことを全て口に出す。

「ヤエンが僕のこと嫌いなのは十分分かったよ。僕だってヤエンのことは苦手だ。いや、嫌いだ。でも、このままお別れっていうのは嫌なんだ」

「は?」

「これから先、君と別れた後、きっと君と会うことは二度とない。そしたら僕は、ヤエンとろくに話もできなかったな、とか、何であんなに嫌われてたのかな、とか考えながら旅を続けていくことになっちゃう」

 ヤエンは黙ったままだった。ココンのめちゃくちゃな主張を、何とか理解しようとしているのだろう。

「それは嫌なんだ。僕は夢みたいな旅がしたい。だから、こんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま出発するわけにいかないの!モヤモヤな旅はしたくないんだよ!」

 ココンは言い切り、ぜぇぜぇと息を吐き出した。顔が妙に熱い。ヤエンはしばらく考え込んだあと、静かに言った。

「じゃあ、話は終わりって事で良いわけだな」

「なんにも良くない!」

 立ちあがろうとしたヤエンの肩をココンは両手で掴み、無理やり椅子に座らせる。

「おい!」

 ヤエンは当然怒ったがココンは構わず、肩を捉えたまま言った。

「最初に言ったことに戻るよ。ヤエン、頼みがある」

「嫌だ」

「聞いてってば!ヤエン、僕たちと一緒に、ブロンちゃんを探そう」

「嫌だ」

「ヤエン!」

 ココンは頭を抱えた。かなり情熱を込めて説得したつもりが、クールなヤエンには何も響いていなかったようだ。

 ヤエンにブロンちゃん探しへの協力を申し出ることは、昨夜思いついたことだった。ココンたちはブロンちゃんをあと少しのところで逃してしまったが、同じくギリギリのところまで迫ったヤエンが仲間に加われば百人力だ。せめて知恵だけでも借りたかったのだが、この分だとそれも難しそうだ。

 こうなったら、別の手を使うしかない。

「ヤエン、よく聞いて」

 突然声のトーンを落としたココンに、ヤエンは心底嫌そうな目を向ける。

「ヤエンは、効率的なことが好きなんでしょ?」

「非効率的なことが嫌いなだけだ」

「だったらさ、君は僕たちに協力するべきなんだよ」

 ヤエンは怒りを通り越して、呆れているようだった。腕組みをしたま、熱弁をふるうココンをぼーっと眺めている。

「ブロンちゃんを捕まえようとしていたってことは、ヤエンも賞金に興味があるんでしょ?」

「まぁ、金はあるだけいいからな」

「でも、僕らやヤエンだけじゃなく、町じゅうの人たちが報酬を狙ってブロンちゃんを探し回ってる。ライバルはとっても多いんだよ」

 ヤエンは不機嫌そうだったが、何も言わないところを見ると異論はないようだった。

「これ以上時間をかけるわけにはいかない。確実にブロンちゃんを見つけだすには、僕らが協力するのが一番だと思うんだ」

 一人より五人のほうが、ブロンちゃんを捕まえられる確率が圧倒的に高い。それは当然のことだ。

 しかし、ココンにはこの理屈でヤエンを説得できる自信はなかった。ヤエンはココンの邪魔がなければ一人でもブロンちゃんを捕まえられたのだし、それになにより、ココンたちと報酬を山分けすれば、ヤエンの取り分は予定の五分の一になってしまう。

 しかし、断られるだろうというココンの予想とは裏腹に、ヤエンは穏やかに言ったのだった。

「分かった」

「え?」

「協力するって言ってるんだよ。ただし、必要以上に仲良くはしない。他のやつにも言っておけ」

 喜びと驚きで言葉を失ったココンを見て、ヤエンはまた笑った。さっきの笑いに比べて少しだけ、馬鹿にするようなニュアンスが減っているような気がした。気のせいだったかもしれない。

「自分から提案しといてなに驚いてんだよ。朝食食べたらすぐ作戦立てるから、すぐ動けるように準備しとけ」

 ヤエンの朝ご飯が到着したので、それ以上会話は続かなかった。ココンは慌ててポケットに手を入れた。震える指で、住所をメモした紙を取り出す。

「これ、僕らが泊まってる宿。絶対来てね」

「オマエらが来いよ」

「絶対だよ!」

 何か文句を言っているヤエンを置き去りにして、ココンは宿を飛び出した。

 最高の気分だった。けれどとりあえずは、自分の宿に戻ってもう一眠りしたい。昨日の夜ふかしと今日の早起きが響いてとても眠かったし、ヤエンの説得で一気に疲れたのだ。

 いやはや、疲れた疲れた。

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