第9話

「いやぁ、何故だかいきなり鼻がむずむずしてね!」

「くしゃみのことはもう良いから、とにかく走ってマーレ!ラージャオも早く!」

 ココンたちは猫の町を全力疾走していた。細く入り組んだ道は見通しが悪かったが、テァランギの追跡能力のお陰でブロンちゃんを見失わずに追い続けることができた。

 テァランギを先頭に、ココンたちはひたすら足を動かしていた。最後尾はやはり大荷物のラージャオである。さきに荷物を宿に置いておくべきだったか、とココンは少し反省する。

「このままだといずれ、まかれてしまう。お前たちは後ろから追い続けろ、見失うな」

 返事をしないうちに、テァランギはそばの窓枠に足を掛け、勢いそのまま屋根の上に飛び上がった。あまりにも身軽なその行動に、ココンたちは呆気にとられる。しかしそれを、テァランギが叱咤した。

「白猫から目を離すな!俺は上から回り込む!」

 テァランギは屋根の向こうに消えた。建物の上を走っていくつもりなのだろう。

「さすが狩人だね」

 マーレの言葉に、ココンはただ頷いた。しかしすぐに、ココンは目の前のことに意識を戻す。これで先頭はココンになった。

 角を曲がったところで、ココンはゲッと顔を顰める。目の前にはさらに曲がり角があった。しかも左右に一本ずつ。ブロンちゃんがどちらに曲がったかは分からない。T字路に立って左右を見ても、猫の姿はない。焦りが込み上げてきたところで、ココンの目があるものを捉えた。右側通路に生えている猫じゃらしが、びよんびよんと跳ねている。ココンは迷わず右方向に駆け出した。きっとブロンちゃんが通った時にできた風が、猫じゃらしを揺らしたのだろう。もし違ったら、みんなにたくさん謝ろう。

 しばらく走ったところで、白猫の後ろ姿が見え、ココンは走りながらも胸を撫で下ろした。無事着いていけているが、油断はできない。このまま距離を詰められずにいれば、テァランギが言った通り、逃げられてしまう。

「ターゲット発見!」

 突然声が聞こえた。ブロンちゃんの進行方向に、ひとりのお姉さんが立っていた。ブロンちゃんを待ち構えるように、両手を広げている。

「ターゲットは現在毛糸屋の正面路地を北東に向かって逃走中!応援頼む!」

 お姉さんは声を張り上げている。遠くからその声に応えるような声が上がった。ざわめきがどんどん近づいてきている。お姉さんの声を聞きつけた人たちが、こちらに向かってきているのだろう。

 ブロンちゃんがお姉さんの正面まで来た。お姉さんは慣れた動きでブロンちゃんの体を捉えようとしたが、どうやらブロンちゃんの方が上手だったようだ。ブロンちゃんはぴょんとジャンプし、お姉さんの頭に飛び乗った。

「きゃっ!」

 ブロンちゃんはそのままもう一度ジャンプし、向こうの地面に着地する。そしてそのまま、走り出した。ココンたちはその横を走り抜ける。

「ちょっと!その子は私の獲物よ!」

 お姉さんが叫ぶ。ラージャオが振り向いて返した。

「すみません!俺たちも旅費がかかってるんです!」

 振り向いたことで、ラージャオは背後に迫る何かに気づいたらしい。「げっ!」と声を上げるラージャオに、ココンとマーレも振り向いた。そして同じく、「うわっ」「わはっ」と声を上げる。

 ココンたちのあとを、大勢の人たちが走ってくるのだ。それぞれの猫捕獲道具を振りかざしながら、ココンたちを追いかけている。子供や老人も混ざっており、興奮と焦りでみんなが目をかっ開いている。かなり怖かった。

 猫を追いかけているのだと分かってはいても、ココンは自分達の身を心配せずにはいられなかった。

「報酬は私のもの!!」

「捕まえたら俺は有名人だ!!」

 大人たちが口々に叫ぶ。

「そこのガキども、道を開けやがれい!」

 先頭を走る大柄の男の人が吠えた。前言撤回、ココンたちもかなり危ないようだ。

「ココくん!前!」

 少し遅れて、マーレが自分を呼んでいるのに気づいた。前を向いたところで、ココンの息が止まった。そこはなんと、行き止まりだったのだ。

 これはチャンスだとココンは思った。大人たちが迫ってきているが、ここで先にブロンちゃんを捕まえてしまえば良いだけのことだ。

 しかし、すぐにその期待は打ち砕かれた。ブロンちゃんは迷わず、細い脇道に飛び込んだのだ。道とも呼べないような、もはや建物と建物の間にある隙間だった。だが、追わないわけにはいかない。

 ココンはリュックを下ろして片手で持ち、体を斜めにして駆け込んだ。マーレも同じように荷物を傾けてあとに続く。しかし、一人だけ例外がいた。

「ぎょっ!」

 背後から上がったとんでもない声に、頭だけ回して後ろを確認する。同じように後ろを見ているマーレの向こう側に、ラージャオの姿が見えた。どうやらリュックを背負ったまま路地に入ってきてしまったようだ。入り口のところで大きな荷物が引っかかり、詰まってしまっている。

 入り口が塞がれたことにより、追いかけてきた他の人たちもこちらに入ってこれなくなっているようだ。

「俺のことは気にせず、先に行ってください!!」

「ありがとうラーくん!キミのことは忘れない!」

 まるで戦場のような会話だったが、実際それくらいの緊張感があった。ラージャオは身を挺してライバルたちの足止めをしてくれた。その勇気に応えなければ。いや、もしかすると、ただ単にドジで引っかかってしまっただけかもしれないが。

 細い道を通り抜けたところで、ココンはあたりを見回した。ハッと息を呑むココンの気持ちを、マーレが代弁する。

「なんてことだ…」

 道の向こうに、白猫がいた。それも、二匹。少し大きさが違うようだが、どちらが目当てのブロンちゃんかは全くわからない。

「ボクは左の子を追うよ!ココくんは右を!」

 マーレが素早く判断をくだす。ココンは頷き、右側を走る白猫に向かってダッシュした。そろそろ体力が限界に近いが、それは猫の方も同じようだ。少しずつ向こうも速度が落ちてきている。マーレの追う白猫が、別の道に入って行った。マーレもその後についていったので、ココンは一人になった。

 少し心細さを覚えながら、それでもココンは懸命に走った。少しずつ白猫との距離が縮まっていく。ココンはテァランギの網をもう一度構え直した。そして覚悟を決め、勢いをつけて一気に飛びかかった。

 その一瞬、白猫が少し振り返る。青く透き通る瞳が、ココンを捉える。まずい、と思った瞬間、ブロンちゃんはジャンプしていた。ココンが振るった網は、華麗に空を切った。

 地面に突っ込もうとするココンを、更なる悲劇が襲った。

「うわっ」

 聞き覚えのある声がした直後、ココンの視界は真っ暗になった。体が何かに包まれ、身動きが取れなくなる。

ふわりといい香りが鼻をくすぐったが、それもすぐに消えてしまった。

 もぞもぞと動いていると、そばで舌打ちの音がした。

「オマエかよ、邪魔しやがって」

 やっと闇の中から脱出した時、ココンは声の主の姿を見た。この世の不機嫌を全て集めたような表情で、ヤエンが立っていた。

 ココンは自分の体を包んでいたものの正体を知る。黒くて柔らかいそれは、ヤエンのマントだった。どうやらココンは、ヤエンのマントの中に突っ込んでいってしまったようだ。

「それ返せよ」

 ヤエンがぶっきらぼうに言う。ココンがマントを差し出すと、彼はひったくるように受け取った。ココンはむっとして言い返す。

「邪魔したって、どちらかといえばそっちが邪魔したんじゃないか」

 もう少しで捕まえられそうだったのに、ブロンちゃんの姿はもう影も形もない。

「いや、お前が邪魔したんだ。あそこで猫が飛ばなければ、このマントで捕まえられてた」

 ヤエンの言葉に、ココンはハッとする。マントは、ブロンちゃんの道を塞ぐように突然差し出された。ヤエンは陰で待ち伏せをし、ブロンちゃんがこの道を通るタイミングで捕まえようとしていたのだろう。

 ただ、それが運悪くココンのタイミングと被ってしまった。ブロンちゃんはココンから逃れようとジャンプし、結果的にヤエンもブロンちゃんを捕まえることができなかったのだ。そしてかわりに、ココンがマントの罠の餌食になってしまった。

「でもなんで、ブロンちゃんがここを通るって分かったの?」

 ココンが尋ねると、ヤエンはマントを羽織りながら答えた。

「大勢が猫を追いかけてたろ。その騒音が向かってる先で待ち伏せしてたってだけだ」

 なんともスマートな、とココンは腹を立てつつも感心してしまった。たしかに、町のあちこちを走ってきたココンに対し、ヤエンは汗ひとつかいていない。ちょびっとだけココンは申し訳ない気持ちになってしまった。よく考えれば、ヤエンも、あと一歩のところだったのだ。

「えっと…ごめん」

「謝られても何にもならねぇよ。さっさとどっか行け」

 ココンはヤエンの澄ました顔を引っ叩きたくなったが、なんとかその衝動を抑え込んだ。しっかし、なんて腹の立つヤツだろう。

「ココン!」

 上から声が聞こえた。見上げると、屋根のところから緑色の頭が飛び出していた。

「テァランギ!」

「猫はどうした?」

「ごめん、見失っちゃった」

 答えると、テァランギはひょいひょいと建物から降りてきて、ココンたちのそばに着地した。その軽業にヤエンは少し驚いたようだったが、すぐに顔を背けた。

 テァランギはそんなヤエンをチラリと見た後、ココンに向き直った。

「マーレの追っていた方を捕まえたんだが、目が緑色だった。どうやら間違えてしまったようだ、すまない」

「いやいや、僕も逃しちゃったし。こちらこそごめん」

「また振り出しに戻ってしまったな。とりあえず皆と合流しよう」

 ヤエンはココンたちには目もくれず、さっさと荷物を纏めていた。ヤエンはテァランギと出来るだけ会話がしたくないようだ。マントを被って立ち去ってしまうヤエンを見つめながら、テァランギがつぶやいた。

「一体何があったんだ?」

「…なんでもないよ」

 ココンはなんとなくそう言い張った。当然テァランギは納得していないようだったが、それ以上は何も聞かなかった。

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