第7話

 猫の町はその名の通り、猫がとても多い町である。住人の数と同じだけの猫がいるそうだが、町を歩いているとそれ以上に多いように思えた。

 果物や肉を売っている出店では、全ての商品に丈夫な蓋がしてあった。猫に盗まれてしまうのを防ぐためだろう。また、建物の根本の部分には沢山の引っ掻き傷があった。猫たちが、爪を研ぐのに使っているのかもしれない。

「猫〜、猫猫〜」

「さぁ来たまえ!ボクが直々に可愛がってやろう!」

 ラージャオとマーレは夢中で猫を追い回していたが、なかなか寄ってきてくれないようだった。ココンも積極的に近づいてみたが、するりと逃げられてしまう。

「待っていれば、向こうからやってくる」

 テァランギはそう言ったが、彼ほど上手くはいかなかった。たまに近づいてくれた猫も、ココンが手を伸ばそうとすると、あっという間にそっぽを向いて逃げてしまうのだ。気難しいにも程がある。

 なんとか猫に触ろうと躍起になっているうち、少し小腹が空いてきた。通りかかった広場の中心に立つ時計塔の盤を見ると、ちょうど三時だった。

「おやつの時間ですね!」

 ラージャオが言ったのと同時に、広場の鐘が大きな音を響かせた。すると、それまで聞こえていた猫の鳴き声が、ぴたりと止んだ。不審に思って、ココンたちはあたりを見回した。上を見上げたマーレが、嬉しそうな声を上げる。

「うわぁ!」

 同じく上を見たココンは、驚きに目を見開いた。建物の窓という窓、隙間という隙間から、数えきれないほどの猫が顔を出していたのだ。

「何?何が起こってるんですか?」

 時計塔の扉が大きな音を立てて開かれた。沢山の金属皿を抱えた大人たちが、次々と飛び出してくる。猫たちは石畳の上に降り立ち、いそいそと大人たちに近づいていった。

 大人たちはなれた手つきで皿を広場に並べていった。集まった猫たちが、それぞれ近くの皿に走っていく。どうやら、皿の中身は、たっぷりのミルクと川魚のようだった。

 猫たちの食いっぷりは凄まじく、吹き飛んだ魚が一尾、ココンのおでこに命中した。

「猫たちのおやつの時間ってこと?」

 新鮮な魚を頭から引き剥がしながら、ココンは言った。広場はいまや、食事をする猫でいっぱいになっていた。押し合いへし合いしているので、まるで毛足の長い絨毯が広場全体に敷かれているように見えた。

「これはお礼だよ」

 突如声がして、ココンたちは振り向いた。皿を置き終わったムキムキの男の人が、額の汗を拭っていた。ムキムキの男の人は、ガートと名乗った。この町で、猫の管理に関する責任者をしているらしい。

「お礼って、どういうことかな?」

 マーレの質問に、ガートは気前良く答える。

「言葉の通りさ。猫たちがこの町にいるから、俺たちの生活が成り立っているんだぜ」

「共生関係ってことですか?」

 前に本で読んだ言葉を言ってみると、男の人は爽やかに笑った。

「お、難しい言葉知ってるな!」

 ココンは手に持っていた魚を、そばにいた茶色い老猫にあげた。若い猫たちの波に入っていけず、ご飯をおあずけになってしまっていたのだ。しょぼしょぼな顔をしたその猫は、にゃあと一言鳴くと、魚を加えてどこかへ歩き去った。

「今では『猫の町』と呼ばれてるけどな、昔この町は、『ネズミの町』と呼ばれていたんだ」

「ネズミ?」

 ラージャオがキッと目を尖らせ、あたりを見回した。

「ネズミは厨房の天敵ですよ!この町にもいるんですか?」

「いるぞ、数えきれないほどいる」

 ココンは不思議に思った。ラージャオに倣って広場を見回してみても、ふわふわの猫が溢れているだけで、ネズミの影は全くみられない。そもそも町に入ってから、一度もネズミなど見ていない。

「ネズミはな、この町の地下にいるんだ」

 ガートは地面を指差した。その言葉に、ココンたちはぞっとする。

「地下のネズミは、どんどん町に登ってくる。それから町の食べ物を片っ端から食べて、それでも食べるものがなくなったら建物を食べて、さらに食べるものがなくなったら…」

 ガートは怪しくニヤリと笑った。ココンは思わず自分の足元を見た。知らないうちにつま先をかじられていないか、確認する。

「もはや怪談じゃあないか」

 マーレも心なしか顔を青くして言った。

「ずっと昔の町長は困り果てて、ワラにもすがる思いで隣町から猫を十匹貰ってきた。猫のお陰でネズミの被害は少し減っていった。だが、ネズミはどんどん増え続ける。町の人たちは猫を大切にして、なんとかネズミたちの攻撃に対抗したんだ。いつしか猫の数は町に住む人間の数を超え、この町は『猫の町』と呼ばれるようになったんだ」

「ネズミは全て、退治されたということか?」

 テァランギの質問に、ガートは首を振った。

「さっきも言った通り、ネズミはまだ数えきれないほどいる。だが、ネズミたちが人間の目に入るよりもずっと早く、猫がそれを捕まえているんだ」

「それが、さっき言っていたことの意味なんですね」

 猫たちがこの町にいるから、町の人たちの生活が成り立っている。猫の町は、単なる猫好きたちの町というわけではないということだ。猫たちは、しっかりとした理由があってここにいる。

「ネズミを退治してもらう代わりに、俺たちは猫を大事にするし、こうやって一日に一度、ご馳走を振る舞っているんだ」

 ガートは広場に向かって手を広げた。

「餌が地下から来たネズミだけだと健康に良くないしな。ちゃんと栄養のあるご飯を俺たちが用意している」

 ラージャオが目を輝かせた。

「じゃあ、お兄さんは猫のコックってことですか?」

「まぁ、そうなるな!」

 そういえばラージャオは、料理人志望だった。猫たちのための食事にも、興味が湧いたのだろう。

「せっかくならボウズ、料理を作っているところを…」

 男の人は言いかけたところで、ぐっと言葉に詰まった。後ろから誰かにぶつかられたらしい。

 突進してきたその人物は、真っ白な美しいドレスを着たお姉さんだった。肩で息をしながら、必死の形相で広場を見渡している。

「ブロンちゃん!私のブロンちゃん!」

「おっと。どうしたんだお嬢さん、そんなに慌てて」

 ガートがお姉さんを宥めていると、後ろからお姉さんの召使いと思わしきおじいさんが追ってきた。

「お嬢様、そんなに走っては危険です!」

「でもじいや、ブロンちゃんが!あぁ、どうしましょう……」

 お姉さんは真っ青な顔をじいやと呼ばれたおじいさんに向けた。ガートは落ち着いて、お姉さんにたずねた。

「お嬢さん、何か困ってるのか?」

「ブロンちゃんが、ちょっと目を離した隙に……いなくなっちゃったんです!」

 お姉さんの目には涙が浮かんでいた。ココンはとっさに荷物を漁り、ハンカチを取り出した。それを渡すと、お姉さんはパニックになりつつも上品にお礼を言い、思い切り鼻をかんだ。

「おお……」

「ありがとうございます。落ち着いてきました」

 お姉さんはハンカチを返そうとしたが、ココンは丁寧にそれを断った。

「それはあげますよ。それで、ブロンちゃんって誰のことですか?」

 お姉さんは答えようとしたが、再び息を詰まらせてしまった。相当ショックを受けているらしい。代わりにじいやが説明をしてくれる。

「ブロン様はお嬢様の飼い猫でございます。今回の旅行に同行していたのですが、先程お嬢様と逸れてしまったようで……」

 じいやはお嬢様に気遣うような目線を送った。お嬢様はハンカチを握りしめ、痛々しいほどの後悔を顔に浮かべていた。

「ただ、あの子に他の猫ちゃんの姿を見せてあげたかっただけなのに……。まさかこんなことになるなんて」

 話によると、お嬢様は遠くの大きな町からここへやってきたらしい。猫好きの彼女は前々からこの町に興味を持っており、せっかくだからと飼い猫であるブロンちゃんも連れてきたのだそうだ。

「あの子怖がりだから、きっと今頃迷子になって震えているわ。他の猫にいじめられでもしてしまったらどうしましょう…」

 お嬢様は再び泣き出してしまった。

「町のみんなに伝えて、探すのに協力してもらおう」

 ガートが言った。

「ブロンちゃんの特徴を教えてくれるか?」

「ブロン様は短い毛の白い雌猫で、瞳は水色、耳が大きく尖っています」

 じいやがの言葉に、ココンは広場に目をやる。ここを見渡しただけでも白猫は数えきれないほどいる。一匹の猫を探し出すとなると、大変だ。

「分かった。じゃあお嬢さんたちは、一旦宿に行きな。気持ちを落ち着かせたほうがいいぜ」

 言うが早いがガートは、急いで時計塔の方へ走っていった。

「この中から一匹の猫を探すって、相当難しそうですね……」

 お嬢様に聞こえてしまわないように、ラージャオが耳打ちをしてきた。ここには大量の猫が集まってきているが、町にもまだまだ猫がいるに違いない。そしてブロンちゃんがどこに行ってしまったかは、誰にも分からない。

 ココンは泣き続けるお嬢様を見た。そして、決意を固める。

「よし、僕も手伝ってくる」

 ココンは三人に言った。

「誘っておいて悪いんだけど、どうも気になっちゃうから」

 すると三人は顔を見合わせた。マーレが困ったように微笑む。

「何言ってるのさ、ボクも協力するよ」

「そうですよ、一緒に行動するって決めましたしね」

 テァランギも頷き、胸をトンと叩いた。

「動物の追跡は得意だ。猫を追ったことはないが、きっと力になれる」

「みんな…」

「み、みなさん…」

 ココンと同時に声を漏らしたのは、ハンカチから顔を上げたお嬢様だった。さっきまで真っ青だった顔は、泣き腫らしたせいで真っ赤になっている。

「ありがとうございます…どうか、ブロンちゃんを見つけてください…」

 じいやも深く頭を下げた。猫たちのおやつ時間は終わりを迎えようとしていた。段々と猫たちが広場を去っていく中を、ガートが駆けよってくる。

「君たち、まだここにいたのか。報告は終わったよ、すぐに捜索隊が町に出る」

 ガートはお嬢様の肩をぽんと叩いた。じいやはギョッと身をすくませたが、お嬢様は気にしていないようだ。

「お嬢さん、きっとすぐ見つかる。安心しな」

「………ます」

 お嬢様が、何か口にした。

「え?」

 ガートが聞き返すと、お嬢様はバッと顔を上げ、大きな声で叫んだ。

「報酬をつけます。ブロンちゃんを見つけて下さった方には、できる限りのお礼をしましょう!」

「お、お嬢様…」

 ガートもココンたちも、呆気に取られていた。お嬢様の目は、爛々と燃えていた。何がなんでも、ブロンちゃんを取り戻すつもりなのだろう。

「だから、どうか、どうかブロンちゃんを見つけてください…」

 お嬢様は腕に下げていた小さなバッグから、綺麗な刺繍の入ったハンカチを取り出した。ハンカチ持ってたんかい。

「ハンカチをありがとうございます。代わりの品と言ってはなんですが、こちらを」

 お嬢様はそう言って、そのハンカチをココンに手渡した。そしてお嬢様は、じいやに宥められながらその場を去っていった。

 ハンカチを握りしめながら呆然としていたココンだったが、いち早く我に帰ったガートが明るく言った。

「報酬か。みんな一層気合いが入るな、互いに頑張ろうぜ!」

 ガートは元気に言い、拳を上げながら走り去った。その後ろ姿を見送りながら、ラージャオがつぶやく。

「単なる人助けのつもりが、おかしなことになってきましたね。ちょっとした競争になりますよ」

「でも、お礼をもらえるっていうのは、結構良い話だね」

 ココンの言葉に、マーレも頷く。

「そのハンカチ、相当良いものだね。つまり、彼女はとっても裕福な人だ」

 ここで沢山お礼をもらえれば、これからの旅がぐっと楽になる。少し下世話な話だが、仕方ない。旅に資金は不可欠なのだ。

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