第6話
「ヤエン」
少年はぶっきらぼうに言った。ココンたちは一瞬戸惑ったが、どうやらそれが彼の名前らしい。
「ココン」
「ラージャオです」
「テァランギ」
「マーレ!」
ココンたちが自己紹介をしても、ヤエンは黙ったまま先を歩いていた。どうしてもココンたちと会話をしたくないらしい。黒いマントもイライラと揺れていた。
フードを外した彼の髪は紫だった。紫色の髪についてはあまり聞いたことがない。少し厚着だったので、どこか寒い方から来たのだろうとは思う。ヤエンも確実に『巡り』であるはずなのだが、全くこっちを見てくれないので、首飾りを見ることはできなかった。というか、顔すらちゃんと見ることができない。
「ヤエンはさ」
ココンは勇気を出して話しかけてみた。返事はないが、そのまま続ける。これはきっと、神様がくれたチャンスだと思ったのだ。今のうちに話しかけなければ、きっとずっと後悔してしまう。
「熊に詳しいんだね。僕はきっと、熊の形跡を見ても、何も分からないよ」
結論からいうと、ヤエンはガン無視だった。歩くペースすら変えなかった。ココンはガックリと肩を落としたが、他の三人は優しい目で励ましてくれた。町に着くまでに仲良くなりたいものだったが、どうやらなかなか難しそうである。
「ヤエン、キミのマント、なかなか綺麗だね」
今度はマーレが言った。ヤエンは当然、無反応である。ラージャオがそれに続く。
「ヤエンさんの髪、ブルーベリーみたいで美味しそうですね」
無視。
「ヤエン。えー、お前が登ってた木だが、幹にたくさん傷があった。とても頑張って登ったんだな」
「うるせぇぞオマエら!」
テァランギの言葉に、ヤエンがやっと振り向いた。
「というかお前、木に登って熊をやり過ごしたところで、そこからどうするつもりだったんだ?」
「うるせぇって!」
「二人ともストップ!」
ココンが慌てて割って入ると、テァランギは不思議そうに口を閉じ、ヤエンはまた顔を背けて歩き始めた。どうやらこの二人は、あまり相性が良くないらしい。テァランギは、意外に口下手らしい。
「オマエら」
ヤエンが向こうを向いたまま言った。
「必要以上に馴れ馴れしくするんじゃねぇよ。町まで一緒に行くってだけなんだから」
その言葉を聞いた時、ココンの胸がちくりと痛んだ。とりあえずヤエンは置いておいて、他の三人とも町でお別れになってしまうのは寂しい。せっかく仲良くなれたのに、結局はまた一人旅になってしまうのだろうか。
もちろん最初はココンも一人で『土地巡り』をするつもりだったが、一度知り合ってしまうと、離れるのが惜しい。一緒に旅をしよう、と言えるものなら言いたい。
しかし、料理人になりたいラージャオのように、皆それぞれ何か目標を持ってこの旅をしているのだろう。だとすれば、それをココンの希望に付き合わせるわけにはいかない……。
「あ、見えましたよ」
ラージャオの言葉に、ココンは顔を上げた。町の姿が遠くに見え、少しずつ喧騒が近づいてくる。いつもならワクワクする瞬間なのだが、今回ばかりは気分が下がる。あれが蜃気楼だったらいいのに、というココンの期待も虚しく、一行はあっという間に町の入り口に到着した。
「『猫の町』」
ココンはつぶやいた。大きな通りが、ずっと向こうまで続いていた。その両脇に、数えきれないほどの店が並んでいる。大勢の旅人や住人が、通りを行ったり来たりしながら買い物をしていた。当然人々の声や足音が響き渡っているが、それ以上によく聞こえたのが。猫の鳴き声である。
「これはすごい!そこらじゅう猫でいっぱいじゃないか!」
マーレの言う通りだった。通りを行き交う人々の足元には、数えきれないほどの猫がいる。散歩をしていたり、昼寝をしていたり、子供ににおもちゃで遊んでもらっていたり。石畳の上だけでなく、店の中にも、建物の上にも、カフェのパラソルの上にも、見渡す限り猫だらけである。
ココンは特別猫が好きと言うわけではなかったけれど、さすがにこの光景には感動した。ブルーな気分が、少しだけ持ち上がった。
「猫は、初めて見た」
そう言うテァランギの足元には、すでに猫が三匹ほど集まってきていた。ズボンに体を擦り付けるようにして、甘えている。テァランギはしゃがみ込んで、その背中を撫でた。
「すごい、もう懐かれてる」
山で育ったテァランギは、動物の扱いに慣れているのだろう。
「ボクも触ってみたいな」
マーレも屈んで、綺麗な白猫に触れた。ココンも興味を惹かれ、座り込む。ココンの村にも猫はいたが、触ったことは数えるほどしかない。こちらに尻を向けている三毛猫の、なだらかな曲線を描く背中に手を伸ばす。
つやつやとした毛に触れようとした瞬間。ココンはあることを思い出した。
「そうだ、熊のこと伝えなきゃ!」
「たしかに」
「まったくだね」
テァランギもマーレも立ち上がった。突然の動きに、猫は驚いて走り去ってしまう。その後ろ姿を名残惜しく見つめながらも、ココンたちは急いで町の門番の人へ報告しに行った。
門番はココンたちの話を慎重に聞き、走り去っていった。町の狩人を集めて、熊を探しに行くのだろう。
「俺たちにできることは、ひとまずこれくらいだろう」
テァランギが静かに言った。
「後は大人たちに任せよう」
ココンは少し切ない気持ちになった。テァランギの予想では、熊は山から迷い込んできてしまったようだ。心細いだろうに、それに加えて狩人に追いかけ回されることになってしまうのだ。もしかすると退治されてしまうかもしれない。
「なんだかかわいそう」
小さくつぶやいたココンを、ヤエンがキッと睨みつけた。
「かわいそうなわけあるか。一歩間違えれば俺たちが食われてたんだぜ」
「それはそうだけど…」
「夢見てんじゃねぇよ、ガキ」
ガキ、という言葉にはさすがにカチンと来た。ヤエンとココンは、ほとんど同い年のはずだ。しかし、ヤエンがココンより少し大人びているのは本当だった。
言い返せずにいるうちに、ヤエンはマントをひるがえして歩き去っていく。ラージャオがその背中に声をかけた。
「どこに行くんですか?」
「一緒に行動するのは町まで、って言っただろ」
「そうか。ヤエンくん、元気でね!」
マーレはにこにこと手を振ったが、ココンはとてもそんな気にはなれなかった。ヤエンが人混みに消えるのを見届けてから、ココンたちは互いに向き合った。なんとなく、沈黙が流れる。
「では、俺たちもここで解散するか」
テァランギの言葉に、分かってはいたが、胸が痛んだ。ラージャオとマーレは明るい表情のままである。ココンは拳を握りしめた。
「あ、あのさ」
三人がキョトンとした目をこちらに向ける。六つの瞳に見つめられ、ココンの顔は熱くなった。
「良かったら、なんだけど…」
これから一緒に、旅をしない?
頭の中で、言葉がぐるぐると回っている。
「これから一緒に、この町を回らない?」
言った瞬間、ココンは自分の勇気の無さを呪った。つい、誤魔化してしまった。しかし三人は笑って頷いてくれた。
「良いですね!せっかく仲良くなれたんですし、もうちょっと話しましょうよ」
「俺も構わない。町にはあまり慣れないので…色々教えてほしい」
「もちろん賛成さ。広い世界でこうして巡り合えたんだ、この奇跡を堪能しよう!」
もちろん、三人の返事はとても嬉しかった。でも、これは別れを先延ばしにしただけだ。どこかのタイミングで、絶対に言おうとココンは心に決めた。
一緒に旅をしようと、提案するのだ。
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