第4話

 ココンはそれから、地図の町の地図を手がかりに色々な場所を見て回った。しばらく街を散策して気づいたが、どの店も、『巡り』であるココンが店を訪れるのを歓迎してくれた。何かを薦めるわけでもなく、様々な地図を見せてくれたのである。とても勉強になったし、同時に、自分の知らないことがこんなにあるのかということにも驚いた。

 一口に地図と言っても、本当に種類が多い。野生の熊の住んでいる場所をマークした地図、山の中を吹き抜ける風の流れを描いた地図、この町に住む猫が使う道を示した地図。宝の地図というものもあった。

 実を言うとココンは、この宝の地図を一枚買ってしまった。お母さんに知られたら、「また変なもの買って」と呆れられてしまうだろうが、いいのだ。ココンはロマンを追い求めて、旅をしているのだから。太陽が登り切るまでココンは町中を歩き回った。結局、あの黒マントの少年と出会うことはなかった。

 昼ごはんを済ませたところで、ココンは町を出ることにした。今日中に次の町に渡り、そこで宿を探そうと思ったのだ。次に向かうべき町は、買ったばかりの地図を見て決めた。一時間ほど森を歩いた場所にある、大きな町だ。楽しそうな名前で、気に入った。

 地図の町を出て、真っ直ぐな一本道をしばらく歩いた。道は、やがて森に入って行った。うっそうと茂る木々。ココンの故郷でもよく見る光景だったが、小さい頃から走り回り、見慣れた森とは別物である。生えている植物も、ただよう香りも、少し違う。なんとなく緊張して、ココンは拳を握りしめた。

「がぜん旅っぽくなってきた…!」

 まだ真昼間だと言うのに、森は暗く、静かだった。フクロウの呑気な鳴き声も、なんとなく恐ろしく聞こえる。くねくねと曲がる道を、ココンは懸命に歩いた。

 喉が渇いたので、一度立ち止まり、荷物から水筒を取り出した。冷たい水を堪能していたとき、ココンの目があるものを捉えた。驚きのあまり咽せてしまい、ココンはしばらく咳き込んだ。涙の滲む両目を見開き、ココンは叫んだ。

「大変だ!」

 ココンは水筒をリュックに放り込むと、走り出した。その視線の先には、道のど真ん中に倒れ込んだ男の子がいた。巨大な荷物に押しつぶされながら、大の字に転がっている。森のど真ん中である。まさか動物に襲われでもしたのだろうか。

「ちょっと!大丈夫⁈」

 ココンは大慌てで男の子のそばにしゃがみ込み、荷物をその上からどかした。周りの木も揺れるくらいの勢いで男の子を揺り動かすココン。先ほどまでの落ち着きはどこへやら、部屋に大きな蜘蛛が出たときくらいの大パニックだった。ちなみにココンは虫は好きだが、蜘蛛だけはどうしても駄目なのである。

「しっかり!君!」

「うーん…」

 男の子がやっと声を上げた。どうやら生きているようである。

「揺らしすぎです…酔う…」

 男の子の言葉に、ココンはハッとして動きを止めた。男の子はよろよろと体を起こし、ぼんやりと目を開いた。

「大丈夫…?」

「…」

 ココンの呼びかけには答えず、男の子は青い顔でココンを見ていた。そして、消え入りそうな声で言う。

「お腹すいた…」

「え?」

 すると男の子はまた、勢いよく地面に倒れ込んだ。

「うわー!」

 ココンは叫んで、また男の子の体を揺さぶった。

「しっかり!しっかりして!」

 男の子はお腹が空いたと言っていた。しかし、ココンは常に食料を持ち歩いているわけではない。とそこで、ココンはあることを思い出す。すぐに自分のリュックを開き、荷物をかき分けて小包を取り出す。注意深く開くと、分厚いクッキーが何個も出てきた。地形図を見せてくれたおばあさんが、店を出る時に持たせてくれたものだ。

 ココンは心の中でおばあさんにお礼を言い、一枚つまみ上げると男の子の口元へ持って行った。男の子は意識を失っていたようだが、その鼻がぴくぴくと動いたかと思うと、突然頭を起こしてクッキーにかじりついた。一瞬反応が遅れていれば、ココンの指まで食べられていただろう。

「クッキーだ!美味しい!」

 男の子の顔に、あっという間に生気が戻ってくる。ココンは繰り返しクッキーを彼の口元へと運んだ。最後の一枚だけはココンが食べたが、それ以外のクッキーはあっという間に男の子の口の中へ消えてしまった。とてもおいしいクッキーだったので、少し残念に思う。だが人助けのためだ、仕方がない。

「ありがとうございます!大感謝です!」

 男の子はお腹をぽんぽんと叩き、ココンに頭を下げた。燃えるような赤い髪がゆらゆらと揺れる。

「いいんだよ、君はなんでこんなところで倒れてたの?」

「それが、食べ物を切らしてしまって!空腹のあまり行き倒れていました」

「じゃあ本当に危ないところだったんだね。でも、怪我がなくてよかった」

 男の子はすっかり元気を取り戻したのか、勢いよく立って荷物を持ち上げる。ひょろっとしているのに、大きい荷物を軽々と背負っているのでココンは驚いた。

 男の子の赤い髪は意外と長く、頭の後ろで三つ編みにして、肩に垂らしてあった。ここまで真っ赤な髪の毛を見たのは初めてだった。

 いつか読んだ本に、このような髪を持つ登場人物がいたことをココンは思い出した。確かその人物は、渇いた東の土地出身だった。彼もまた、東から来たのだろうか。男の子は手を差し出し、にっこりと笑った。

「ラージャオです!東の方から来ました」

 やっぱり、とココンはつい口に出してしまった。ラージャオは驚いたように目を丸くし、次に納得したように髪を触った。

「もしかして、この髪で分かったんですか?こっちの方には、あまりいないですもんね」

「東の方に住んでる人は、みんな髪が赤いの?」

 ココンが尋ねると、ラージャオは顎に手を当て考えるようなそぶりを見せた。

「言われてみれば、結構赤いですね。でも、俺の家族はみんな結構鮮やかな方だと思います」

 ココンとラージャオは、喋りながら歩き出した。ラージャオもまた、ココンと同じ方向に向かっているのだ。

「俺からすれば、あなたの髪の方が驚きですよ。麦畑みたいな金色!おいしそう」

 最後の言葉は無視して、ココンは答える。

「自分の髪の色が珍しいなんて、考えたこと無かったな。僕はココン。『土地巡り』をしていて、西の方から来たよ」

「あ、俺も『巡り』です!」

「えっ」

 ココンはどきりとした。確かに、東から一人で来たのだとしたら、それ以外あり得ない。まさかこんなところで『巡り』に会えるとは思わず、ココンは嬉しくなった。黒マントの子よりも親しみやすそうだったのにも、安心した。ラージャオとは仲良くなれそうな気がする。

 二人は森の中を歩きながら、いろいろなことを質問しあった。出身地が遠く離れていたので、互いに新鮮なことだらけだったのだ。

 ラージャオの家は、大きなレストランなのだそうだ。小さな頃から数々の絶品料理に囲まれて育った彼は、自然と料理に興味を持ち、コックになるための修行を始めたらしい。

「でも親父が厳しくて、なかなか厨房に入れてもらえないんです。いっつも俺は配膳係で…」

 ラージャオの丁寧な喋り方は、いつもレストランで大人の人と会話しているから身についたのだという。

「でも、ずっと配膳係なんて、絶対嫌だから。だから俺、『巡り』に立候補したんです」

「別のレストランで修行するってこと?」

「いえ、今のうちに世界中を回って、色々な料理をこの舌で味わっておこうって。たくさん勉強したらきっと、親父だって認めてくれる」

 ラージャオは服の中に手を入れ、首飾りを外に出した。ラージャオの首飾りに使われているのは、トゲトゲした茶色の実だった。花びらのような形をしているが、乾いており、固そうだった。ラージャオが実を揺らすと、ふわりと甘い香りが広がった。

「八角っていう実の殻です。俺の故郷では、スパイスとしてよく使っていました」

「それは、お父さんが?」

「いえ、兄貴が作ってくれました。親父は結局最後まで、『土地巡り』には反対だったんですよ」

「それ、服の中に入れておいて痛くないの?」

「痛いです。いつか故郷に帰ったら兄貴をぶん殴ります」

「そっか…」

 フーシャは賞賛のため息をついた。ラージャオはしっかりと自分の夢を持っており、それを叶えるために『土地巡り』をしているのだ。ふと、黒マントの少年のことを思い出す。彼も何か、目標を持って『土地巡り』をしているのだろうか。

「ラージャオは、他の『巡り』に会ったことある?」

「んーと、何回かありますよ。ちょうど今日も、地図の町で」

 ラージャオも、地図の町にいたのだ。だとすれば、出会ったという『巡り』とはきっと…

「その子って、黒いマント着てた?」

 ココンは出来るだけ平静を装って尋ねてみたが、ラージャオはぽかんとしていた。

「いいえ、俺が会ったのは、髪が緑色で、かっこいいバンダナを巻いた…」

 ラージャオはふと道の向こうに視線をやり、そのまま固まった。ココンも前を見る。

「あの子です」

 道の向こうに、ひとりの男の子が立っていた。こちらも、ココンやラージャオと同じくらいの背である。ラージャオの言った通り、髪が緑色で、複雑な模様の入ったおしゃれな布を頭に巻き付けている。

 何をしているのか、地面を見つめたままただ立っている。ココンたちが近づいていくと、少年は頭を回してこちらを見た。バンダナに隠れて目つきが悪く見えるが、黒マントの少年のようなこちらを射抜くような圧は無かった。

「こんにちは〜」

 ラージャオが言うと、バンダナの彼はぺこりと会釈した。その動きに合わせて、首から下がった首飾りが揺らいだ。動物の爪のような物が付いている。彼はほとんど荷物を持っていなかった。に巻いたベルトから色々な道具が下がっていたが、それ以外には背中に小さな包みを担いでいるだけだ。しかしそれに加えて、彼は弓矢を背負っていた。狩人の子なのだろうか、とココンは予想する。

 そんな彼が道の真ん中で何をしているのか分からなかったので、ココンは尋ねてみることにした。

「こんなところで何してるの?」

 男の子はまた地面に顔を落とした。落ち着いた声で、つぶやく。

「…まだそう遠くないところにいるはずだ。あまり大きな声を出さないほうがいい」

「いるって、何がです?」

 男の子は人差し指を口に当てた。ラージャオがぐっと口をつぐむ。それから少年は一歩横に移動して、それまで見てみたものを明らかにした。

 ココンとラージャオは、同時に息を呑んだ。道の真ん中を横切るように、足跡があったのだ。深く刻み込まれたその形は、犬の肉球の形とも似ていたが、大きさが段違いだった。ココンの頭よりも大きい。

「これってもしかして…」

 ココンは声をひそめて言った。男の子はこくりと頷く。

「熊だ」

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