第3話
やがて食事を終えたココンは、宿の代金を払って外へ出た。地図の町は道が全てまっすぐで、とても歩きやすかった。しかし、店の数がとても多い。もし女の人にもらった地図が無かったら、目的の店を探すのに苦労しただろう。地図の町の地図には細い脇道や秘密の近道まで書き込まれており、非常に役に立った。
迷うことなく、ココンはあっという間に『巡り』の地図の専門店にたどり着いていた。緑色の屋根と、大きな窓が特徴的な、可愛らしい店だった。扉を開けて中に入ると、カウンターの奥に座ったおじさんと、その正面に立つ別のお客さんの姿が見えた。
「いらっしゃい」
おじさんが言い、ちょうどおじさんと話していたそのお客さんも振り向いた。ココンと同い年くらいの、男の子だった。真っ黒のマントを羽織って、フードを被っている。ココンは、宿の給仕の人が言っていたことを思い出した。男の子はココンに気づくと理知的な瞳を少し細め、またおじさんの方へ向き直った。
「それじゃ、オレはそっちを当たってみます。ありがとうございました」
律儀に頭を下げる男の子に、おじさんは陽気に返した。
「ああ、そうしな。気をつけて行けよ!」
男の子は足元に置いてあった旅行鞄をサッと拾い上げると、店の出口へ向かった。つまり、ココンに向かって歩いてきたのである。とっさのことで話しかけることもできず、ココンは慌てて道を譲る。男の子はココンには目もくれず、店を出ていった。すれ違う時、香りがした。冷たい金属のような、不思議な匂いだった。
男の子の迫力にココンはしばらく呆然としていたが、おじさんが呼ぶ声にハッと気づき、店の奥へ向かった。なぜ話しかけなかったのか、と遅れて後悔がやってくる。同じ宿に泊まっていたという『巡り』の子は、きっとあの子で間違いない。しかし、あの男の子は、なんというか。
ちょっと、怖かったのだ。
考えてみれば、村の子供達以外の同年代の子と話したことは、これまでに一度もない。ココンは自分の情けなさを噛み締めながら、店のおじさんに言った。
「えっと、『土地巡り』用の地図が欲しいんですけど」
「おう、色々あるぞ」
おじさんは慣れた様子だった。年季の入った大きな本棚から、縦長の蛇腹折になった地図を取り出す。『地図の町の地図』は手のひらに収まるくらいのサイズだったが、この地図は両手を広げたくらいの大きさがあった。地図の右端に地図の街の名前があり、そこから左に向かって様々な道や街が書き込まれている。
「これはこの街から西に向かう子用の地図だ。西は街が多いし街同士の距離も近いから、選ぶ子は多いぞ」
「他の方角の地図もあるんですか?」
「もちろんだとも」
おじさんはウキウキとした様子でカウンターの向こうにしゃがみ込み、沢山の地図を抱え上げた。
「東のルートに向かうと都会に行ける。おしゃれな街が多くて人気が高いな。食べ物もうまい。南は森に入っていく道しかないが、そこを抜けると有名な大きな街がたくさんある。ずっと行けば海もある。北は少し雪が残っているが、もう春だ。そろそろ暖かくなるから旅がしやすいだろう。少し山道が続くが、その分景色が特別綺麗だ」
流れるようなおじさんの説明に少しくらくらしたが、どの道もとても魅力的だった。
「僕は西のこの村から来たから、選ぶとしたらこの三つのどれかかな」
ココンは北の地図を畳み、おじさんに返した。せっかくならば、自分の全く知らない景色を見てみたいのだ。
「西の村か。さっきの子も西から来たって言ってたな」
さっきの子、という言葉にココンは身を固くする。
「さっきの子も、やっぱり『巡り』なんですか?」
「あぁ、ちょうど半年前くらいに出発したって言ってたな」
だとすれば、ココンよりはずっと先輩だ。
「あの子はどの地図を買ったんですか?」
ただ、興味が湧いただけだ。ココンは誰にともなく心の中でそう言い訳をした。
「いや、あの子はもっとしっかりした地図を探しててな。別の店を紹介したんだ。この町で一番古い、立派なお店だよ」
おじさんは感心したように頷いた。
「なかなか物知りな子だったな。なんと地形図が欲しいって言ってきたんだ」
「ちけいず?」
聞き慣れない言葉に、ココンはたずねる。
「道だとか町の場所だとかだけじゃなくて、山がある位置だとか、どのくらい急な坂道なのかだとか、そういうことも書いてある地図のことだよ」
あまりイメージはつかなかったが、特別な地図であることはわかった。
「だいたいの『巡り』の子はそんなこと気にしないから、うちには地形図は置いてなくてな。そういうしっかりした地図が欲しいなら『土地巡り』用の地図屋じゃないところがいいぞってアドバイスしたんだ」
ココンは、思わず嘆息の声を漏らした。『土地巡り』を始めたのが半年前ならば、あの子とココンは同い年か、一歳差のはずだ。そんな子がしっかりと地図を選んでいることに、ココンは驚くと同時に、少し不安になった。道の急さだなんて、考えてもみなかった。そんな気持ちを感じ取ったのか、おじさんが豪快に笑って言った。
「なに、地図は旅の案内にすぎねぇよ!実際にその場所に行って、何を感じたのかが一番大事だ」
おじさんはカウンターを叩き、再びココンにたずねた。
「ほら、兄ちゃんはどこへ行きたい?」
ココンは不安を振り払い、力強く一枚の地図を指差した。
「これにします」
南へ向かう、森の地図だ。特に理由はない。直感だった。
「よしきた!」
おじさんは南の地図を取り上げ、裏返した。何も書かれていない無地の面を指差して、元気に叫ぶ。
「ここに自分の名前を書きな!これが兄ちゃんの地図だっていう証拠だ」
ココンは慎重に名前を書き、それからしっかりとお金を払った。お母さんとお父さんにはたくさんのお金を持たせてもらっていた。けれど、『土地巡り』をしている子供は、『巡り』の証である首飾りを相手に見せることで、様々な買い物に関して特別な割引を受けることもできる。
お会計をしながらおじさんは、「これは応援の気持ちだ!」などと言って、さらに値段を下げてくれた。どうやらおじさんは、『巡り』の冒険の手助けをしたくてこの店を始めたらしい。割引をしすぎてあまり良い商売にはなっていないらしいけれど、楽しいからいいのだそうだ。
ココンが店を出て、通りの角を曲がるまで、おじさんはずっと手を振ってくれた。無事地図を買えたことで、ココンはいっそうわくわくしてきた。次の行き先を早く決めたいが、まずはこの町を隅々まで満喫したい。そう考えた結果、ココンは先ほどの男の子が向かった店へ行ってみることにした。
おじさんが「この町で一番古い」お店だと言っていたので、地図の街の地図を使えばすぐに見つけることができた。この町1番の老舗は、滑らかで優雅な店構えをしていた。同時に、長い歴史を感じさせるような堂々とした威厳もある。
恐る恐る扉を開くと、ドアにつけられていたベルが高らかに鳴った。眼鏡をかけたおばあさんが出てきて、頭を下げる。
「いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか?」
「すみません、買いに来たっていうか、ここにあるっていう地形図が見てみたくて」
少し申し訳なく思いながら言うと、おばあさんは困るどころか、むしろ嬉しそうな様子で答えた。
「まぁ、地形図を!今日は小さなお客様が多いですわ」
いそいそと店の奥へ向かっていく背中に、ココンは尋ねる。
「もしかして、ここにマントの子が来たりしました?」
おばあさんは振り返り、少し驚いたような表情を浮かべた。
「あら、もしかして、お知り合い?」
「いえ、そうじゃなくて…」
さっきの店であったことを説明すると、おばあさんは納得したように頷いた。
「それで、地形図に興味をもったんですね。残念ながら、そのお客様は今さっき出発されました」
ココンは頑張って、残念な気持ちが顔に出ないようにした。ここでもマントの子の行き先をたずねてみようかとも思ったが、さすがに少し気持ち悪いかと思ったので、やめておいた。縁があれば、きっとまた会えるかもしれない。
おばあさんは店の端に置いてあった机に歩み寄り、その上で広げられている地図を指した。
「これが地形図ですよ」
その地図は、さまざまな種類の茶色と、緑色の斑点で描かれていた。沢山の曲線が木目のように走っているが、道ではないようだし、重なっているところもない。
「この線は同じ高さの場所を繋いでいるんです。この線はお客さまの身長くらいの高さ、この線は家くらいの高さ、この線は木くらいの高さを表しています」
この地図では土地の高さがわかりやすいように、線と線に挟まれた部分を茶色で色分けしているそうだ。茶色が濃い方が位置の高い場所で、薄い茶色は低い場所を指すのだ。
「この地図を旅に使えば、どこに坂道や山道があるのかを知ることができるので、より疲れにくい道を通ることができるんですよ」
「なるほど…」
ココンは何気なく地図をひっくり返した。ツルツルとした皮の表紙にしばらく見惚れていたが、端っこにつけられた値札に気付き、思わずあっ、と声をあげる。
「うふふ、結構良いお値段するでしょう?」
「は、はい…」
先ほどココンが買った地図の、十倍近くの値段だった。
「地図は正確さが命ですからね。この地図なんかは専門の職人が自分で山に登って、そこらじゅうを歩き回りながら作ったものなんですよ」
「さっきの子は、これを買っていったんですか?」
おばあさんはキョトンとしたあと、笑い出した。
「いいえ!この地図は持ち歩くには大きすぎますからね、あのお客様にはもう少し小さめのものをお渡ししました。南の森とその先の土地を描いた、南の旅人さん用の地図です。お値段もお手軽ですよ」
南の地図。ココンはどきりとした。意図せずして、ココンと黒マントの少年の行き先が同じになった。また会えるかもしれないという可能性が出てきたのは嬉しいが、会いたくないような気もする。黙り込んでしまったココンに、おばあさんは優しく微笑みかけた。
「お客様は、『巡り』になってどのくらいなんですか?」
「二週間前です」
「あら!じゃあ『巡り』になりたてじゃない!」
おばあさんは目を見開いた。
「それじゃあ、今は喜びで胸がいっぱい、ってところでしょうか?」
「それが、最近ちょっと不安もあって」
ココンが頭を掻くと、おばあさんは胸の前で両手を握った。
「大丈夫よ、しっかり寝て、しっかりご飯を食べれば。私もそれでなんとか乗り切ったもの」
ココンは顔を上げた。おばあさんはニコニコ笑っている。『巡り』は、思いもよらないところにいるものだ。
「それに、『土地巡り』は何も一人でやらなきゃいけないって決まってるわけじゃないんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。私も、最初の街で知り合った『巡り』の子と仲良くなって、結局旅の終わりまで一緒に『土地巡り』をしたんです」
たしかに絶対に一人で行動しなければならないと言われた覚えはない。おばあさんのように、旅の最後まで協力し合えるような仲間ができたら、どんなに楽しいだろう。
「気の合いそうな子がいたら、少し話しかけてみたらどうですか?」
「うん…。でも、さっきの子はちょっと怖かったかも」
旅行鞄を持ってマントを羽織った、鋭い目をした彼。別の土地出身の同い年の子と話したことがないし、もちろん興味がある。けれどなんだか、とっつきにくそうな雰囲気だった。おばあさんも少し悩ましげに、言う。
「うーん、たしかに、さっきのお客様は結構きっぱりした感じの子でしたね」
「もしもう一回会えたら、ちょっと頑張ってみます」
頑張って、とおばあさんは頷いた。
「せっかくだから、他の地図も見ていってください。『土地巡り』は勉強の旅でもありますよ」
そういっておばあさんは、ココンに他の地図も見せてくれた。さすがはこの町で一番歴史がある店だ。『土地巡り』用の優しい地図ではない、大人用のしっかりした地図が沢山置いてあった。全てサイズが大きく、文字細かく、沢山の情報が書き込んであった。旅に持っていく訳ではないが、ココンはそれらを満足するまで見て行った。
店を出る時になって、おばあさんはココンにクッキーを包んだ袋をくれた。
「ごめんなさい、僕、何も買ってないのに…」
「いいんですよ、私も地図に興味を持ってもらえて嬉しかったです。これ、朝に焼いたばかりのクッキーよ。お腹がすいた時に食べてくださいね」
「ありがとうございます」
ココンは深々と頭を下げた。おばあさんは変わらず笑顔を浮かべていた。
「しっかり寝て、しっかりご飯を食べること、ですよ」
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