第2話

 窓から差し込む光で、ココンは目を覚ました。下の階からは忙しそうに動き回る音が聞こえてくる。寝ぼけまなこを擦りながらベッドから立ち上がり、部屋の隅の洗面所で顔を洗い口をすすぐ。見知らぬ部屋で目覚めることには、随分慣れてきた。宿に入って部屋を借りるのも、お財布からお金を出して自分でお会計をするのも、いちいち緊張せずに済むようになった。

 すでにココンは、四つの町を訪れていた。ここは五つ目の町で、人々からは『地図の町』と呼ばれている。その名の通り、地図を売る専門店がたくさんある場所である。旅には地図がつきもの。多くの旅人が集まる場所でもあった。自分の地図を手に入れることが、本当の意味でのココンの旅の始まりである。

「でも、何か思っていたのと違う…」

 鏡を見つめながら、ココンはつぶやいた。もちろん不満はない。毎日目新しいことばかりで、ずっとワクワクしている。けれど、ココンが夢見た冒険とは、何かが違うのだ。何かが、足りない気がする。ココンは頭を振って、鏡から離れた。

 ココンは旅の荷物を全て詰め込んである大きなリュックサックを漁り、今日の服を引っ張り出した。着替えると、ココンは部屋を整え、荷物を持って部屋を出た。

 階段を降りると、そこは広い食堂になっていた。木のテーブルや椅子が何個も並び、早起きの旅人たちがそれぞれ朝食を食べている。給仕係の人たちがあちこち走り回っていたが、その一人がココンの姿に気づき、笑いかけた。ココンは頭を下げて挨拶する。

「おはようございます」

「おはようございます!朝食は食べていかれますね!」

「はい、お願いします」

 ココンは注文を伝えると、空いているテーブルを探して座った。昨日の夕方にこの宿に着いた時、食堂は大勢の人々のおしゃべりや笑い声で溢れていた。しかし今は、静かな雰囲気が流れている。そばのテーブルに座っていた男の人が、ココンの方に振り返った。

「ボウズ、もしかして『土地巡り』か?」

 その男の人と一緒に朝食を女の人も、興味深そうにココンを見ている。

「はい、二週間前から」

「そいつは立派だな!」

 男の人が笑って言う。

「最近は『巡り』を選ぶ村が減ってきてるからな、珍しいぜ」

 この世には数えきれないほどの村や町があるそうだが、その全てから『巡り』が出るとは限らない。ずっと昔の頃は旅する子供はそう珍しくないものだったそうだが、ココンが村を出てから二週間、まだ一度も他の村の『巡り』に出会ったことはなかった。同じ境遇の子には興味があったが、会えないならばしょうがない。

「でも、確かもう一人『巡り』の子がいなかった?」

 男の人の隣に座っていた女の人が頬に手を当てて言った。ココンの心が高鳴る。同年代くらいの、同じ『巡り』の子。もし仲良くできるならば、それ以上にいいことはない。しかし、そんなココンの期待は男の人の言葉によって打ち砕かれることとなった。

「ああ、そういえば。俺たちが朝食を食べにきたとき、ちょうど食事を終えて宿を出て行くところだったんだよな」

 ココンは肩を落とした。どうやらその子は、ココンよりもずっと早起きだったらしい。こんなことならば、もう少し早く起きていれば良かった。がっかりしているところに、料理が到着した。給仕係の人は、ココンたちの会話を聞いていたようだった。

「その子、夜遅くに泊まりに来たと思ったらあっという間に起きてきて、すぐに出発しちゃったんですよ。ちゃんと寝たんですかね?」

「どこに行く、とか聞いてませんか?」

 ココンは思わずたずねた。

「ごめんなさい、その子とはほとんど会話もしていなくて…。でも、綺麗な黒いマントを羽織っていましたから、街中で見かけたらすぐわかると思います」

 給仕係の人は言いながら、料理をテーブルに並べた。湯気の上がる野菜スープと、硬めのパンが二つ。たっぷりの牛乳もついてきた。気持ちを切り替えようと、ココンはスプーンを手に取り、早速食事にうつる。

「ボウズ、今日の予定は決まってるのか?」

 ココンを元気付けようとしてくれたのか、男の人は明るい口調で言った。

「この『地図の町』に来たってことはやっぱり、旅用の地図を買いに来たんだろ?」

 ココンはスープを飲みながら答えた。

「『巡り』専用の地図を売っている店もあるそうなので、そっちに行ってみようと思います」

「よかったら、これ持って行って」

 女の人が荷物を探り、小さな紙きれを差し出した。受け取るとそれは、二つ折りになった地図だった。分厚く固い紙でできており、カラフルでとても見やすい。

「二つあるから、それはあげる」

「いいんですか?でも、これって…?」

 戸惑うココンに、二人はにっこりと微笑みかけた。

「『地図の町の地図』よ」

「ボウズの旅に、いい地図が見つかることを願うぜ」

 二人は揃って席を立ち、ココンに手を振ってから宿を出ていった。スマートで、大人っぽい去りかただった。二人は恋人同士なのだろうか、とココンはパンをちぎりながら考えた。そうでなくても、一緒に旅をする仲間であることに変わりはない。ずいぶんと仲が良さそうで、楽しそうだった。

「あ」

 ココンは思わず声に出した。ココンの旅に足りないもの。それは、共に世界を巡る、仲間だ。

「でも、地図と違って買うことはできないし、もらうこともできない」

 ココンのつぶやきは、スープの湯気に混ざって消えていった。

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