第6話 2-2.ある日突然、速く走れた

 土曜日は午前中で学校が終わり、塾などへ行ってる子は少数派だったから、何となくマンガクラブに香田をはじめとした友人達が集まって来た。マンガクラブは長屋の隆彦の家に多い時には十人ぐらいが集まりマンガを描いていた。


 マンガは鉛筆で描いた上にまんがペンでペン入れをするというもので、まんがペンの線の太さによってペンの種類を使い分けたり、ペン入れの後に消しゴムを入れたりするのが楽しかった。

 隆彦の父親がデザインの仕事をしていたので、はねぼうきを借りたりもした。

 ペン軸にGペンなど色んな種類のペン先を付け替えて使うことに憧れていて、父親のデザイン道具を見てため息をついたりもして、文房具屋の店先でガラスケースに入ったペン先を見て、値段が高くて驚いたりした。


 マンガクラブの仲間うちの約束では、三、四年生の間はまんがペンで描いて、五年生になったら、ちゃんとしたペン先とインクを使って、できればケント紙を使って『本格的に』マンガを描こう、というもので、ケント紙の値段も高いが、将来マンガ家になるためにはそうした道具や紙を使うことに慣れておかなければ、という気持ちもあった。


 小学校三、四年にかけて、転校生が増えてきた。

 学区内の多くの面積を占めるほどの巨大な染色工場や大きな社宅を持つ大手紡績会社が染色から撤退し工場を閉鎖し、代わりに団地がたくさん建ったためで、転校してきたクラスメートはマンガクラブに入って来た。


 やがて、印刷もしない、たった一冊の会誌『みんなのマンガ』第一号をついに発行し、教室の最後列にある物入れの上あたりに置いて、みんなに読んでもらった。


 『みんなのマンガ』に隆彦はマンガを三作提供した。

 一作は、隆彦が興味を持ち続けていた、宇宙をテーマにしたマンガ。

 宇宙には果てがあると言われているが、その向こうには何があるのか探検する話で、絵は下手だが発想はダイナミックだと自分では思っていた。

 当時人気だった手塚治虫の作品などに影響され、輪廻転生を百億年繰り返す主人公が徐々に宇宙の果てに迫っていく、とのストーリーを考えた。

 ワープ自在の宇宙船に乗って宇宙の果ての外と接する宇宙の壁を宇宙ノミを使ってほじくって覗くと、そこには広大な別の宇宙があった、という結末にしようと思っていた。

 

 あと二作のうち一作は一話完結のドタバタギャグマンガ、もう一作は運動神経の鈍い子供が呪文を唱えると突然スポーツ万能になり球技も完璧で誰よりも速く走れ、その気になれば空も飛べるほどの運動能力を持つようになるが、呪文の効果は短時間しか続かない、というマンガ。運動が苦手な隆彦の願望をマンガに込めた。

 香田も二作描き、副リーダーの大村も二作描いた。

 他のメンバーは一作出せるか出せないか、といったところだが『みんなのマンガ』一号は合計百五十頁ほどとなった。


 となりのおっちゃんとおばちゃんは隆彦の家に毎週土曜日同級生が出入りするのをいつも笑顔で見守り声を掛けてくれていたので『みんなのマンガ』を紐で製本し終えて学校へ持って行く前に読んでもらった。

 それを聞いた隆彦の両親は「迷惑掛かるやろ」と怒ったが、おっちゃんもおばちゃんも喜んで全部読んでくれ、おっちゃんは「もうこんな本が作れるほど大きくなったんやな」おばちゃんは「みんな凄いの描くなあ。隆ちゃんの、宇宙のノミって、よう考えたなあ」と感心してくれていた。

 宇宙のノミは考えたのではなく自分が小さい頃反対どなりの謎の家への壁をノミでほじくった実体験を基にしているのだが、そのことはもちろん言わなかった。


 マンガクラブのリーダーの隆彦は、いつの間にかクラスの中心的存在となり、四年生になると学級委員にも選ばれた。

 しかしマンガクラブのリーダーと学級委員では勝手が違い、肝心なところでどうして良いか分からずまごまごしたり、体育や運動の時と同じく、失態が目立った。


 苦手な体育だが、決して上手とは言えないが、慣れるに従ってボールを受けたり投げたりも少しできるようになってきたし、走ることも、クラスで一番遅い部類だったのが、ある日の五十メートル走で、スタート地点に立ち、ゴールの方向を真っ直ぐ見ると、何となく速く走れる気がして、実際にそんな気持ちで走ってみると、突然速く走れた。

 それまで十秒を超えていたのが九秒〇というタイムが出て、回りのみんなは、時計が壊れている、と言うので、もう一度走ってみたら、やっぱり同じタイムで、自分でも不思議だった。


 いつも逃げ回っているばかりのドッジボールでも、ある日、今までは全く受けられる自信のなかったボールを受けられる気がして、突然前へ出て行き、わりと速いスピードのボールを、しっかりと受けることができた。

 その瞬間、回りのみんなから「おーっ」と驚きの声が上がった。

 ただ、受けた後で投げ返すボールは相変わらず弱々しかった。


 走れる気がしただけで実際に速く走れて、ボールを受けられる気になったら、受けられた。ということは、何事も、できると思えばできるし、できないと思うからできないのだろうか。

 ボールを受けられるようにはなったが、上手く投げられる気はしない。

 何に対しても、できる、と思えれば良いのだが、そう思いたくてもどうしてもできる気にならないこともたくさんあった。


 

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