1-31 マジックツリーはジャーキーにされた!

 森の広範囲に、赤い液体が降り注ぐ。京はマジックツリーだったものの中心にある魔石を取り出し、地面に倒れ込んだ。


「はぁー、今日も無事に生き残った……」


 かなり大きい魔物だったため、捕まったときは死を覚悟していた京だが、こうして五体満足でいられることを五体投地で喜んだ。


「これ、村の人たちいなくてよかったぁ。いたら絶対死んでた。私が」


 京は大勢の人に見られていると緊張とプレッシャーで動きが固くなる性質がある。村人がいたなら、周りの視線が気になりすぎてやられていただろう。改めて倒せてよかったと安堵する。


「それにしても、木のくせにすごい柔らかかったなぁ。絞ると水が出てくる木と一緒。こいつがこんなに柔らかいんだから、魔草に捕まったときも手でちぎればよかった」


 目線のちょっと先に蠢く、赤黒い塊を指でつつく。無残にも飛び散ったマジックツリーの一部である。ちょっと小刻みに動いているところを除けば、牛肉に見えなくもない。とても木の破片には見えなかった。


(……こいつ、木の形はしてたけど、魔物なんだよね)


 魔草の親玉であるマジックツリーは、魔石を有していた。オークと同じ魔物であり、植物ではない。あたりには血のにおいが充満している。


 ぐう。


「ふんぬッ」


 京は咄嗟に腹にぐうパンチを食らわせた。


(いや。いやいやいや)


 勢い良くぶんぶんと頭を振り、三大欲求からくる煩悩を霧散させようとするが、悲しいかな食欲は散らせなかった。


(駄目でしょ。可笑しいでしょ。こんな血なまぐさい匂いのなか『お腹空いたな〜。お肉食べたいな〜。こいつ食えそうだな〜』とか考えるとか異常以外の何者でもないが!?)


 こんなの一般的じゃない。頭を抱え蹲っているが、血の滴る瑞々しい地面に五体投地できることを異常と感じていない時点で、すでに手遅れ。異世界に思考が染まっている証拠である。なんなら、いま彼女が生きている世界でも、血だまりの中心で五体投地する人間などなかなかいないため、一般的じゃないのまえに"かなり"の枕詞がつく。


 客観的に見た自分のことを「中肉中背、純粋培養なモブ」と思っている京は焦った。ただでさえ規格外な運の悪さを持っているのに、見た目は血みどろ。思考はサイコパスだなんて。それはなんてキャラだ。属性を盛りすぎてもはや黒歴史。まだ"一般"という枠に収まっていた部分まで失ってしまえば、自分にはもう変な部分しか残らないではないか。


「落ち着け、落ち着くんだ。まずは魔石を持って村に帰ろう。それで依頼完遂の報告して、ギルドに戻ってごはんを食べれば──」


 ぐごう。

 ぎゅるぎゅる。


「〜〜〜っ」


 京は立ち上がり、ザッザと草むらの方へ歩くと、顔を真っ赤にしながら草を毟りはじめた。調味料の調達である。


「ふんッ、ふんッ、ふんッ!!!」


 とてつもない屈辱。ありえないぐらいの羞恥。理性は本能しょくよくに抗えなかった。京は自分がはしたなく思えて、そこら辺の草を八つ当たりするように毟った。


 ペラッ。


『だぁれも見てねーし、恥ずかしがんなくてもよくね?』

「見てるじゃん! 見てるじゃん!」

『音、地鳴りみたいだったね♡』

「うるせーーーっ」


 草をむしり終えた京は、マジックツリーの肉を集め、水で洗ったあとに毟った草を揉みこんだ。星の森で何度もやってきた行為である。


「この作業も手慣れちゃったなぁ」


 どの草とどの草を肉に揉みこめば肉が美味く感じるのか。京はそれを完全に把握している。肉を揉みながらなんとなく、その事実に悲しくなった。なんだってそこいらに生えている草の味を把握しているのだ。なんでも啄む鳥か何かか?


(これ以上考えるのはよそう。惨めさに磨きがかかる。無心だ。無心になるんだ。)


 頭にベルトコンベアーを思い浮かべ、食品加工の工場で働く自分を想像をする。これは一種の瞑想。肉を揉み、肉を思い、肉のことだけを考える。肉はたくさんあるため、肉のぶんだけ無心になれた。


 草で下味をつけ終えた頃、京はある重大なことに気がつく。


「し、しまった……城下町で道具を買うのを忘れてた!!」


 京はソルジオラの城下町で、血を洗い流すための魔法の小瓶と、火をおこせる道具を買おうとしていた。だが、しかし。城で魔物と戯れているうちに忘れてしまっていたのだ。


「どうしよ。生肉は流石に食べられないし……乾燥させる? いや、それだと何日もかかる……火を吹く魔物を探して捕まえて……いや、絶対勢いあまって殺しちゃう」


 悲しい気持ちになってまで肉を揉んだのだから、悲しくなったぶん肉を食べたい。京はおもむろに地面に落ちていた木の棒を手にした。原始的火起こしリターンである。


「クッ弱火を連れてくるんだった」

「弱火? 火を連れてこれるのか?」

「いや、弱火は飼ってる魔物の名前で──!?!?!?!?」


 隣からぬるっと聞こえた声に、京の身体はその場から数センチ飛び上がった。


「な、ななな、なん!?」


 腰を抜かして隣を見る。声の主は子どもだった。京の膝くらいの背丈に長い象牙色の髪。服装は布を巻いただけのような、心もとない装いである。


(なんで子どもがこんなところに!?)

「なあなあ、これは何をやっておるのだ?」


 京は非常に困った。コミュニケーション能力が著しく低い彼女は、子供に対しても接し方がわからず、ドモってしまうのだ。


「こ、これは……た、食べようと思って」

「生でか?」

「あ、味はつけた、から。ここ、これからこれで火をおこして、焼いたり、水分を飛ばしたりするんだ、よ?」

「火をおこす? それでか」


 小さな手で指さされた先には、京が先程拾ったショボい木の枝がある。


「魔法を使えばよかろう」

「私、魔法使えないんで……」

「ほぉ〜?」


 子どもは、魔法が使えないと言った京に目を細めた。


「この肉の水分を抜けば良いのだな!」


 子どもは肉の山に向けて手をかざす。すると、その場に魔法陣があらわれ、風を巻き起こした。風が収まると、肉からは水分が奪われていた。


「あとは火だな」


 子どもがパチンと指を鳴らしたとき、京の持っていたショボい木の棒の先端に火がついた。それを見て、京は目を輝かせる。


「ま、魔法ってやっぱすげー。すげー便利」

「ふふん、傅いて感謝するがよい!」

「エッか、傅いて……?」


 京は膝をおり、火のついたショボい木の枝を祈るように掲げた。


「感謝、いたします?」

「くふ、くはは! ほんとうに傅いておる!! 素直だなおぬし!!」


 大爆笑している子どもに、京は目を瞬かせた。よくわからないが、いまの自分は子どもにとって大変面白かったらしい。あれ、私、じつは子どもにウケがいいのか? なんて思った京だが、ぜんぜんそんな事はない。


「おぬし、名を名乗ることを特別に許してやる。さあ名乗れ」

「わあ、すっごい偉そう」

「じっさい我、偉いからな!」

「偉いんですか」

「すごく偉いぞ。なんてったって、魔王サマだからな!」


 魔王、魔王、魔王。

 はて、魔王とは何だったかしらん。


 京は魔王という言葉を脳で反芻した。京のなかの魔王とは、角が生えてて大きくて、なんだか黒いオーラが立ち昇っているような、禍々しい姿だった。だが、目の前にいる子どもは禍々しさとは対極にいるような容姿をしている。


(ああ、魔王ごっこかぁ)


 この、魔王と勇者がバチバチにやり合っている世界で、わざわざ自身を魔王と名乗るとは。なかなかに将来性のある子どもだと京は感心した。悪役に憧れる時期が己にもあった。あれは中学生の頃。そこまで考えて思考を散らす。あまりに黒歴史だったので。


「魔王サマ、お肉たべる?」

「む、なんだそのなまあたたかーい目線は。さてはおぬし信じてないな?」

「信じてるか信じてないかって言えば信じてないです」

「ほんと素直だなおぬし。まあ、捧げものをするというのであれば貰ってやろう」


 魔王を名乗る子どもは、京から干された肉を受け取り、口に入れた。京はゴクリと喉を鳴らす。子どもが肉を咀嚼してしばらく。バッと顔を京に向けた子どもは、目がキラキラと輝いていた。


「なんだこれ、美味いな!」


 子どもは干された肉をあっという間にひとつ平らげると、もう一つの肉にてを伸ばした。よほど美味しかったらしく、ワイルドにがっついている。


「全然食べたことない肉だ。噛めば噛むほど味が染み出て来る。なんの肉なのだ?」

「これはここに生えてた喋る木の肉ですね。いや肉かこれ。肉じゃなくて木……?」


 魔物は生き物で、マジックツリーは魔物で植物ではなくて。でも名前はツリーだから木で。京は混乱した。あいつ一体なんなんだと。


「喋る木……待て、もしやマジックツリーのことを言っているのではあるまいな?」

「それです。自分でマジックツリーって名乗ってたので間違いないです」

「この肉が、マジックツリー……」


 子どもは干された肉と京を交互に見て、一拍おいて笑いはじめた。


「わは、わはははは! この美味い肉が、マジックツリーか! それは食べたことないわけだ。あんなやつ、誰も食べようだなんて思わんもん!」

「やっぱりこいつ木なんですか? 木なんですね? だから誰も食べようだなんて思わないんですね?」


 いきなり笑いだした子どもにビクつきながら、京は肉を齧った。どうやらマジックツリーは木だったらしい。いやでもしかし、美味しいなら木だろうが何だろうが関係ない。実際美味いし、ビーフジャーキーみたいな味がする。


「はー、笑った笑った。我、ちょー愉快な気分になったから、施しをくれてやろう」


 子どもはそう言うと、人差し指を突き出し、ゆらゆら揺らし始める。すると、京が捌いたマジックツリーの肉が、またたく間に調理済みの肉に変わっていった。その様相やたるや、まるで工事現場に積み上がった鉄骨のよう。


「うわすご。これ全部加工済みですか?」

「うむ。全部やってやった。感謝せい」


 京は子どもの前にしゃがみ、また傅いてみせた。その様子に、子どもはまた笑う。


「さて、我はもう行く。またお主のもとへ足を運ぶので、せいぜい面白おかしく生き残れ。そいじゃまたの!」


 子どもは肉を、ちゃっかり数個手に持って去っていった。その去り様は、まるで忍者のようだった。


「何だったんだ、あの子……」


京は子どもの姿が完全に見えなくなってから、ため息をつく。


「この肉、どうやって持ってくか考えてなかった……!」


 この後、なんとか持ち帰ってきた大量の加工済みの肉は、無事ノク村に運ばれ、村人たちに振る舞われる事になった。また、マジックツリーの存在はノク村の村長によりギルドに報告され、相応の報酬が支払われる事となり、京はホクホク顔でギルドに帰還した。


「はぁ〜、相応の報酬かぁ。お金がどんどん溜まってく。嬉しい反面恐ろしい……。カツアゲされたらどうしよう」


 京がさっそくカツアゲにあったときの事を考えていると、何やらギルド内がざわざわと色めき立っていることに気がつく。首をかしげながら受け付けカウンターまで行くと、受け付けのお姉さんがいつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。


「おかえりなさい、キョウさん。この度はこちらの管理不足で大変ご迷惑をおかけして……」

「アッ、大丈夫です、はい。ところで、なんかざわざわしてますけど、何かあったんですか?」


 冒険者たちは各々、興奮、困惑、興味といった、実に様々な表情を浮かべていた。いつもとは違うただならぬ雰囲気に、何か不吉なものを感じ取る。


「ああ、じつは今朝、西の国が新しくを召喚したらしいですよ。そのせいで勇者のいる中央との関係がますます悪化して、最低な空気らしいです」

「……エッ?」

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