1-30 マジックツリーが現れた!
ついてない人間は、総じてネガティブな思考の持ち主である。悪いことが立てつづけに起き、どうせこの先も、ずっと悪いことが起きるのだと卑屈になるのだ。ネガティブな思考は本人の自己評価をどんどんと沈ませ、やがて、自分に自信のない人間に仕上がる。
さて、そんな人間はぼちぼち、消費される側の人間にまわされる。割を食わされるとも言うし、ターゲットにされるとも言う。体のいいパシリにされやすいのである。
「服にできた毛玉並に役に立たないド底辺が、人様の頼みごとを簡単に断れるわけ無かったんだ。そもそも毛玉に人権なんか無い。だって毛玉だもん。私はなんににもなれない無機物……毛玉取りで刈られて捨てられるだけの可燃ごみ」
元来、京は頼まれたことを断れない質だ。焼きそばパンを買ってこいと言われて断れず、そのまま買ってきてしまう人間である。そんな彼女がノク村の村人たちのお願いを断れるわけがない。結局、村人たちに促されるまま、魔草の根の続く森の中に足を踏み入れてしまった。ここまで来たら、もう後には引けない。
ガサガサガサッ!
「ひいっ!!」
ギャア! ギャア! ギャア!
「オギャッ!!」
草むらが動くたび、怯えた挙動をとるサマは、とても村のために魔物退治をしに行く冒険者には見えないだろう。
ほんとうは帰りたい。すごく。でも、とんぼ返りはしたくない。何故なら、そんなことをすれば確実に死にたくなるから。陰キャは軽率に死にたくなる生き物なのだ。いちばん抜かれたくない所を全部抜かれたジェンガ。あるいは、ツルツルな素材でできたトランプで立てたトランプタワー。些細な衝撃で揺らぐほど不安定なのである。
「はぁ。この根っこの先にいるの、どんな魔物なんだろう。せめて魔草をすこし大きくした感じの──いや、やっぱいまの無し」
ふつうサイズの魔草でさえ、いちど捕まったらなかなか拘束から抜け出せなかったのだ。それが大きくなれば、拘束から抜け出せないどころか、からだを絞られそう。
「もし、でかい魔草に捕まったら……」
思い出すは在りし日の夏に見た、子供に掴まれて内臓が飛び出たナマコ。捕まったら、あのナマコみたいに内臓がずろりんと出てしまうのかしら。京は顔をヒンッと顔をゆがめた。
「なんにもいないに超したことはないけど、もし何か居るのなら、私の内臓のためにも、ヒョロヒョロでちっさい、かいわれ大根みたいなやつでいてくれ〜〜〜」
京がそんなことを祈っていると、頭上から紙が降ってきた。随分と久しぶりの神さまからのコンタクトだった。
ペラッ。
『あんな数の魔草を生やして操ってるやつがかいわれ大根なわけないじゃーん』
「久しぶりに来たかと思えば、そんな絶望するような情報寄越さないでッ」
紙を掴んだ手から視線を下げれば、盛り上がった土から魔草の根が見える。森の奥に進むにつれ、大きく太くなっていく根は、先にいる魔物の大きさを表しているよう。
「あの大量に生えた魔草は、きっとこの先にいる魔草の親玉のからだの一部なんだ。村の地面から養分を蓄えて、いつか村に、ゆくゆくは王都に進軍するつもりなんだ」
魔物は物語でよく、人間界を乗っ取る侵略者として描かれる。そんな物語ばかり読んでいたためか、京の中では、人間に敵対していて、かつ知恵がまわる魔物は、みんな人間界を乗っ取ろうとしている設定なのだ。
「ヒウッ、怖い。ウック、オエッ」
しゃっくりと嗚咽を漏らす口を手で抑える。およそ女が出さないような汚い声だった。妄想が行き過ぎて不安が増したとき、いつもこうなるのも、数ある京の悪癖である。
ペラッ。
『激務続きあとの華金でテンションぶち上がって飲みすぎた休日のオッサンみたーい』
「描写が微妙に細かいのなんなの? あと神さまが激務とか華金とか言わないで。世界観ぶち壊れだよ」
花びらよりも軽いノリの神さまのいつものテンションに、京はなんとか平常心を取り戻す。ほんの頬の産毛程度の平常心だけども、無いよりマシ。
「……うわ」
森を歩いてひたすら進んだ先。段々と暗く、闇の深くなる森のなかに、そこはあった。不規則にうじゃうじゃと生えていた木々が、不自然にそこにだけ枯れていて、ひらけた空間を作っている。
「最っ悪。こんなにあからさまな事ある?」
空間の中央には大きな木が鎮座しており、辿ってきた根は、すべて大きな木の根本につながっていた。無数の根が下から上へ、枝分かれして一つの場所に巻き付いている様子は、自然の神秘というよりは、垂らされた蜘蛛の糸に群がる亡者を思わせて、ずいぶんと禍々しい。
「こいつが大本の魔草なのかな。こんなん、草じゃなくてもはや木じゃん──ん?」
なんだか、足元に違和感が走った。足首からふくらはぎへ、細長いものが這うような感覚がする。京は下を見た。
「オギャア」
それを認識した途端、京はシワむくれた鳴き声を発し、その場から空中へ引っ張り上げられた。
ノク村に来てから何度も味わった感覚。京は、いまなら漁船に捕まったカジキの気持ちが理解できる気がした。
「ホホホ、村に張った魔草からの供給が途絶えたと思ったら、何やら"妙な気配"のする人間がいるじゃないか」
木の幹の中心、京の顔が来るちょうどの位置。そこが渦を巻き、老人の顔が現れる。魔物だ。これはただの大きな魔草ではない。
「ホホ、小枝みたいに細い人間だねぇ」
「ヒィン……」
たくさんの老人の声を合わせたような不気味な声が、こいつはヤバイやつだと主張している。
「お主、このワシ、"マジックツリー"を討伐しにきた冒険者か? それにしては声も体つきも貧相で情けないノォ」
マジックツリーと名乗った魔物は、京を掴んだ部分から徐々に枝を伸ばしていく。京は、迫りくる枝に全身の血が冷える感覚を感じた。
彼女は自身の脳に『拷問と殺されかたの辞書(妄想の産物)』を持っていたので、瞬時に色々な殺されかたを想像できるのだ。
この瞬間に、京が脳からチキチキピンとはじき出した殺されかたは、以下の通りである。
地面に叩きつけられて死。
絞められて死。
首を折られて死。
心臓を枝で貫かれて死。
枝で脳を吸われて死。
変なタネを植え付けられて死。
この間わずか〇.二秒。
(むり……ヤだむり、むりッ!!!!)
理想の死にかたが穏やかな老衰の京。痛い死にかたなんざ真っぴらだった。いちばんヤなのは脳を吸われて死。絶対痛い。誰も目の前の魔物が脳を吸うなんて言ってないのに、京はすっかり脳を吸われる気でいた。お得意の被害妄想である。
「はなして!! ヤッ!!」
ぎゃんと吠えてめちゃくちゃに暴れる。しかして、マジックツリーは京を離してはくれないし、止まることはない。京は逃げられない。
「ホホホ、活きがいいノォ。こういう奴ほどいい養分になるんじゃ」
「吸うの?? 吸われるの??」
「魔草は吸うもの。常識じゃろうて」
「ギャッ!! やっぱり脳みそをッ、脳みそをチュウペットみたいに吸うんだあ!!」
「なにて???」
マジックツリーが吸うのは生命力であって、脳ではない。でも彼女は脳を吸われる気でいるので、吸う=脳の公式がこびり付いている。
「……ホホ、なにも知らずにこの森に訪れた冒険者はみなワシの養分になる。ワシに捕まったのがお主の運のつきよ」
じわじわと侵食してくる枝は、腹のあたりに侵食してきている。京は慌てて腕をした方向に伸ばした。
「(どうしよう、このままじゃ腕にまで枝が伸びて、身動きがとれなくなるッ)はーなーせー!!」
なんとか枝から逃れようと、全身を使って跳ねてみせるが、枝はびくともしない。デッキブラシでどうにかしようと藻掻くが、体制が悪いためうまく力が乗せられない。村で魔草に捕まっていた時と全く同じ状況である。
「ホホホホホ、藻掻く人間はいつ見ても面白いノォ」
「趣味悪いぞ! ばか! あんぽんたん!」
「ホ、これから死ぬ人間に何を言われたところで、痛くも痒くもないわ」
ビチビチ跳ねる京を眺めながら、マジックツリーの顔が笑っているように歪む。実際笑っていた。嗤っていた。京は理解する。この魔物が自分をすぐ殺さないのは、枝を焦らすようにゆっくり広げるのは、怯える人間を見て楽しんでいるのだと。
恐らくいたのだ。自分以外に、この魔物に捕まり、恐怖に叫びながら散っていった人間が。
怖くて。死にたくなくて。これから先、自分がどうなるか、どう死ぬかを想像して泣きそうになって。それを、コイツはいくつも見ている。人間の反応に味をしめて、それを娯楽にしている。人間の命なんて、ただの玩具だと思っている。
京は暴れるのをやめた。
「ホホホ、なんだ。もう諦めたのか?」
「──ん」
それは、あまりにちいちゃな声だった。
なにごとかを一言つぶやいた京は、唐突に身体をひねり、デッキブラシをマジックツリーとは反対方向へ思いっきり投げつけた。京の手から離れたデッキブラシは、林の奥に消えていく。
「ホホホホホ! 唯一武器になりそうだったものを手放すとは。自暴自棄にでもなったのか?」
ざわざわ。ざわざわ。
森が一気に騒がしくなる。
マジックツリーは、ノク村だけでなく、森の至るところに魔草を張り巡らせていた。その魔草が、人間の愚行に笑っていた木の魔物に釣られたのか、人間をせせら笑っている。
──そう思っていた。
「生きるのを諦めた人間はつまらんし、そろそろ生命力をいただ──ん? なんじゃ?」
メキメキ。バキバキ。
森のざわつきに混じって、鈍い音が聞こえる。木の枝を踏み折ったときの音に似ているかもしれない。
(なにか森に入ってきたか──いや、違う)
この音は、魔物や人間が、地面に落ちた枝を踏みしめた音ではない。──大きくて太い"何か"がなぎ倒される音だ。
「許さん」
言いしれない恐れが、マジックツリーを襲った。その恐れの発生源は、この場でいちばん弱い存在から立ち昇っている。
「ホ、お主……なにをした」
「許さん」
「この音はなんだ」
「許さん」
「一体なにをした!!」
「許さん」
京はもはや、許さんとしか言わない。
森に張り巡らせていた魔草の反応が少しずつ薄まっていくのを感じ、木の魔物はより焦る。
(なんだ、何が起きている……ッ!!)
木の魔物は、人間の小娘一匹に、恐れを抱く自分に動揺を隠せないでいた。
一方、その人間の小娘は、怒りに身を震わせていた。
それは、京が小学生の頃に遡る。
当時、絶不調が絶好調だった京は、歩道橋の階段のてっぺんで、急ぐサラリーマンの鞄とランドセルの横にぶら下げていた巾着が引っかかり、真っ逆さまに落ちた事があった。結果は左手骨折。
次の日、ギプスをはめて吊るされた腕を見たいじめっ子たちに、周りの気を引くためにわざと怪我をしていると言われ、なんかいい感じの棒で叩かれたのだ。
ぼっちを主に標的にしていたいじめっ子の顔が、いまのマジックツリーの顔とそっくりだった。
「どいつもこいつも弱者をイジメて楽しいか? 抵抗できない生き物を見せつけるみたいに痛めつけてへらへらゲラゲラしやがって虫唾が走るんだよ抵抗したらしたで逆上してくるしなんなん? 他者を攻撃していいのは他者に攻撃される覚悟のあるやつだけなんだよ絶対許さん絶対許さん絶対ブツブツブツ」
吐き出された呪詛は声が小さすぎて、念仏を唱えているようだった。邪悪な念仏である。なんだか黒いオーラが滲み出ているように見える人間に、マジックツリーは「うわっ」と一言、京をちょっと遠ざけた。京はそんなことはお構いなしに、はなしを続ける。
「誰も私を助けてくれない……クラスメイトも先生も親も。ぼっちだから友だちはいないし、漫画とかでよく見る幼馴染ポジもいない。コミュ障だから助けてなんて言えないし、そもそも話しかけようとしたら避けられる始末。助けてくれる人なんていない……今だってそう……私を守れるのは、結局私だけなんだッ!!!」
ぶちんッ!!
先ほど投げたデッキブラシが、速度を殺すことなく京の元へと戻ってきた。デッキブラシは回転しながら京の足先へ到達し、絡みついていた枝を断ち切る。
「なッ!?」
マジックツリーは拘束の解かれた京にギョッとした。デッキブラシが戻ってくると思わなかったのだ。ふつうはそう。こんな障害物だらけの森で、放り投げたものが勢いも速度も高さも保ったまま戻って来るわけない。
(そもそも、ワシの捕食用の枝をあんな掃除道具で断ち切るのが可笑しい!! エンチャント魔法かなにかをかけて……いや
マジックツリーは混乱した。無理もない。エンチャント魔法は魔法使いが剣士やタンクに付与する魔法であり、掃除道具に付与するものではない。
また、魔法使いの役職は前線では戦わず、他者の補助にまわることが基本だ。肉弾戦なんてできないので、自分の持ちものに魔法をかけることなど無いに等しい。魔法使いジョブでそんなことをするやつは余程の脳筋か変態である。
「……ッ、逃さんぞ!」
マジックツリーは枝を伸ばす。空中にいる人間は不自由だ。だからすぐにまた捕まえられる。捕まえたら即座に生命力を奪って、身動きできないようにしてしまえばいい。だが、京はそうはいかなかった。
京は伸ばされた枝を体を捻って器用に避け、ときにはデッキブラシで薙ぎ払う。空中で足、腕、背中を滑らせるようにして振り回されるデッキブラシは、枝を容易に近づけさせてはくれない。
(なんだ、何なのだこの人間は)
マジックツリーの本能が、目の前の人間を地面に放ってはいけないと叫ぶ。この人間に足場を与えてしまったら、自分は勝てない。確実にこちらが狩られる!!
「ぐッ、この……!!」
マジックツリーは薙ぎ払われた枝をさらに分裂させた。多くの枝が、まるで蜘蛛の巣のように広がっていく。一瞬だって気を休める暇をあたえないよう、絶えず京に枝を伸ばす。
その枝が、とうとうデッキブラシを掴む京の腕を捉えてみせた。
「捕まえたぞ小娘!!」
マジックツリーはつい、小躍りしそうな声を出した。デッキブラシは捕まえた瞬間に枝を絡ませ、手に固定済み。もう先ほどのようにデッキブラシを投げて枝を断ち切るなんていう、トンチキな事はできまい。
「ぶはははは!! これで何もできまい。生命力を吸い尽くしてくれ──」
「ふんっ!!」
「ファッ!?」
京は捕まってないもう片方の手で、即座に枝を引きちぎった。ぶちぶちと音を立てながら千切られる己の枝を見て、突如、数日前に通りがかった低級魔物から聞いた、とあるはなしがフラッシュバックした。
『なあ、オークキングが倒されたらしいぞ』
『まじかよ。勇者でも来たのか?』
『や、なんか、近くに住んでる魔物に聞いたらさ、人間の娘が一人でやっつけたって。なんかその人間、人間が"掃除のときに使う道具"で戦うんだよ』
『そいつに関わると、一瞬で肉塊にされるんだって。魔法とかじゃなくて、凄まじい力技で相手を木っ端微塵にするらしい』
『怖ー』
はなしを盗み聞きして、そんな馬鹿なと一笑に付したはなし。人間の娘に掃除道具。凄まじい力技。なんだかこの人間に当てはまる気がする。
あれ、あれれ?
ワシ、やばいんじゃあないの??
「なんだ、けっこう柔らかいじゃん。最初から手でちぎればよかった」
魔草から進化を重ね、太く頑丈になったマジックツリーの枝を、柔らかいだのとのたまった人間は、いまや地面に降り立ち、ギラつく目でマジックツリーを見据えていた。
ダラダラと、まるで汗のように樹液が滲み出る。この時のマジックツリーを表すならば、蛇に睨まれた蛙。
「これくらいなら死ぬ心配はないかも」
にっこり。
あまりに平凡で、ありふれた笑顔。そのはずなのに、マジックツリーには、殺人鬼が研ぎたてほやほやの包丁を見ながら恍惚と笑っているように見えた。
「う、うおおああああああーーーーーッ!」
もう、なりふりかまっていられなかった。怖い。怖すぎる。恐怖心にのまれ、枝という枝をめちゃくちゃに伸ばし、京を串刺しにする勢いで襲いかかった。質より量。どんな細い枝でもいい。とにかくこの異質な人間を殺さねば!!
「生命力を吸うなんぞまどろっこしい!! その心臓を串刺しにしてくれるわ!!」
マジックツリーは素早い動きで枝を操る。が、京はそれを軽々と避けていく。ときには足で、ときにはデッキブラシで攻撃を弾き、絡みつこうとした枝という枝を引きちぎる。
「クソッなぜ当たらん!!」
さもありなん。数多の看板、鉢植えエトセトラを避けてきた京に、意識して避けられないものはない。強いて避けられないものを挙げるなら雨などの自然現象くらいである。
流星のように降って地面に刺さる枝の群れを、泳ぐように避けてたどり着いた場所で、京はバットでホームランを打つみたく、デッキブラシを振りかぶった。それを、マジックツリーは涙目で見つめる。
「その場から動けないのって、倒すの楽だけど、避けられなくてかわいそ……」
「くそッ、くそくそクソッタレめぇッ!!」
京がぼそりとつぶやいた言葉に、マジックツリーは「来世では絶対木になるものか」と叫んだ。
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