1-20 土下座で許して

 京は激怒した。この国のコロシアムなる文化はやはり、邪智深い異世界の文化なのだと。そんなに人の不幸が見たいか。血飛沫が上がるのが見たいか。他人が四苦八苦している姿を見ながら食べる屋台の飯はさぞ美味いだろう。


(次の相手が人間なんてほんと聞いてないよ。どうしよう。もし力加減をまかり間違って人間をミンチになんてしたら……)


 京の頭上にもわもわが広がる。


『何という惨さ』

『残忍すぎる』

『国の脅威だ!』

『こーろーせ!』

『こーろーせ!』

『しょーけーい!』

『ざーんしゅ!』

(あ、駄目だ)


 彼女の妄想はどう頑張っても斬首ルートに辿り着いた。逆行転生悪役令嬢もののヒロインって、こんな気持ちだったのだろうか。ならば、これからは悪役令嬢を敬わなければなるまい。処刑されるかもしれない状況は、精神がとても耐えられなかった。


「おいおい、飛び入りの参加者がいるっつぅから期待してきてみれば、ヒョロッヒョロのガキじゃねーか」

「ぉあ?」


 頭を抱えて蹲っていたら、二回戦の相手がいつの間にか出てきていた。

 京はこの時はじめて、この世界の冒険者を

目にした。銀色の鎧に、腰に刺した立派な剣。手には革の手袋を装着していて、かなり上等なものに見える。剣の反対側にささっているのは回復薬だろうか。見た限りでは五本ある。


「嬢ちゃん、ここは嬢ちゃんみたいなのが軽々しく来ていい場所じゃないぜ」

「……ふ、ふふ、ふふふふ」

(フル装備やんけ!!!)


 相手を舐めしくさったように話す男は、冒険者らしい装備を揃えてコロシアムに挑んでいるようだった。相手のフル装備に比べ、自身の装備のなんとペラいこと。武器だってそうだ。京が持っているデッキブラシが神さまから貰ったチートアイテムでなければ、とても釣り合いが取れない。


「異世界初心者のおバブにあんなフル装備で挑もうとかとんだ鬼畜だ。どんな相手でも気は抜きたくないとかいうやつか? それとも、私が弱そうだから虐めようって魂胆か。この世界の冒険者はどいつもこいつもこんな感じなのか?」

「なにブツブツ言ってんだこの嬢ちゃん……。もしかして怖気づいたか?」


 京は恨み言をいったん止め、冒険者を見やる。その瞳は暗く淀んでいて、まるで深淵のようだった。


「怖気づくだなんてもんじゃないですけど。いつも何かに怯えてますけど」


 冒険者はこの宣言にニヤリと笑う。弱者を見つけた顔である。男は、京を侮りに侮った。無理もない。前試合はよくわからないまま終わったし、目の前で見た挑戦者は吹けば飛んでいきそうなお嬢ちゃん。しかも、話に聞くにはコロシアムには来たことがないどころか、ギルドにも入っていないヒヨッコ初心者のようだ。こんなカモ、滅多にいない。


「はっ、悪く思わないでくれよ。冒険者も慈善事業じゃないんでね」


 男の職業は剣士。しかし、魔法も扱えた。腰から剣を引き抜き、同じく腰から引き抜いた小瓶の中身を剣にかける。


「炎よ、我が剣に神の加護を。エンチャント!!」


 途端、男の剣は炎を帯びた。このことに観客は大歓声。男の気分も最高潮だった。

 その頃、京はこの試合をどう終わらせればいいのかを考えていた。


(この人、階級いくつの冒険者なんだろう。高かったらやだな。なんか場慣れしてるし、コロシアム常連ぽい。常連倒さないと職がもらえないけど、倒したら倒したでブーイングが起きたり、なんならこの人のファンに逆恨みされたり……考えただけで恐ろしい)

「ははは! 俺は魔法も使える剣士、冒険者B級のトライ! 初心者だろうが何だろうが、手は抜かない。秒で終わらせてやるぜ!」


 男は一気に駆け出し、燃え盛る剣を京にむけて振り下ろす。観客には目にも止まらぬ速さに見えた。しかし──


「なッ、避けた!?」


 京は男の攻撃をヒラリと躱していた。


(どういうことだ。こいつ、戦闘経験も無いような非冒険者じゃないのか!?)


 男はもう一度、京に攻撃を仕掛ける。だが、それも躱されてしまう。


(い、いや、まぐれだ。そうに決まってる。でなきゃ俺の攻撃がこんな非冒険者の女に躱されるわけねぇ!)


 躱されたのは偶然だと、剣を突き、振り下ろし、叩きつける。連続で攻撃を仕掛けていくが、そのどれもを京は躱した。


「なんで、当たん、ねぇんだ、よッ!!」


 攻撃が一つも当たらない。それは、京に関して言えば至極当たり前、そうなって然るべき、当たり前の現象だった。


 彼女は自身の不幸体質のせいで、いままで色々なものを躱してきた。鳥のフンを躱し、いきなり突進してきた変質者を躱し、落ちてきた花瓶を躱し、飛んできた野球ボールを躱し、時には落雷まで躱したこともある。

 いつの間にか、彼女は危険回避を特に意識せず、無意識にできるようになっていたのだ。男の攻撃を受けている現在も、京は別のことを考えるのに夢中で、男は意識の外に追いやられている。


「クソッ、当たれ」

(どうしたら丸く収まるかな……)

「当たれよ!」

(誠意を込めてお願いしたら辞退してくれるとかないかなぁ)

「なんで、なんで」

(いや、無いわ〜。少なくともただお願いするだけじゃ辞退してくれないやつ)

「当たれ〜〜〜〜」


 いっそ、男が憐れに見える光景だった。男には京が上の空なことがちゃんと伝わっていたので、怒りが湧くやら情けないやらで攻撃が激しくなる。それでも、京はしっかり丁寧に、すべての攻撃を回避していた。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 どれくらい攻撃を繰り出していただろう。男はいつのまにか、息も絶え絶えである。

 息遣いが頭に響くなか、男は酸欠の頭で、ある思考に取り憑かれはじめた。


(わかった。わかったぞ。この女、この俺で遊んでやがるんだ)


 弱いふりをして相手を油断させ、自分に手も足も出せないところを大勢に見せつけて愉悦にひたる。自分は、おもちゃにされているのだ。あの女は心の中で、自信満々にコロシアムに入場してきた自分をあざ笑っていたに違いない!


 怒りが疲れを追い越した頃には、彼のなかで、京は思いっきり性格の悪い女になってしまっていた。馬鹿にされていると思った男はプライドをズタズタに引き裂かれ、やがて京に殺意にも似た感情を芽生えさせる。


「ふざけんなよ。俺がここまで来るのに、一体どれだけ時間を費やしたと思ってる……鍛錬を欠かさず、階級を上げるために仲間を踏み台にして、蹴落としてまでのし上がったんだ。コロシアムだって、やっと有名になってきたところだったのに……それを、お前みたいな女に台無しにされてたまるか!!」


 男は胸元から、緑の蛍光色に光る液体の入った小瓶を引き出す。赤く炎をあげる剣にその液体を垂らすと、炎はバチバチと閃光を放った。


「炎よ、いかずちに変わりて我の怒りを知らしめよ!! エンチャントッ!!」


 詠唱が終わると、激しい音と共に雷がフィールド上に走った。剣は緑色の電気を帯び、威嚇するように光を弾けさせる。


「まだだ!!」


 男はさらに詠唱をはじめた。足元には魔法陣があらわれ、雷は激しさを増していく。観衆はあまりの圧に、誰もがその光景に固唾をのんでいる。この場においてシリアスでないのは、現状をいまだ無視して、自分の物思いに耽っている京だけだろう。


(うーん……正直この人、立派な装備をしてるけど、オークと比べたらまだまだ薄くて柔らかいんだよな)


 はじめて遭遇したオークは、それはそれはデカかった。筋肉質な体つきにあの巨体。そして憲兵のような格好。どれをとっても、目の前の男とは比べ物にならない。比べ物にならないほど薄かった。京は、先ほどの妄想と言うなの懸念をより鮮明に思い返していた。


(オークは首から上だけ破裂したけど、人間はどうなるんだろう)


 当てただけで死ぬわけじゃないのはレッドドッグで検証済みだ。でも。けれど。はたして、人間はどうだろう。

 デッキブラシで殴ると相手が飛び散るのは、己の力があまりに強いからである。でも、京はそんなこと知らない。デッキブラシの当たる速度や力の入れ方、自身の認識や感情うんぬん、様々な要素が呪いと絡まり、作用しあって相手が弾け飛ぶか否かが決まる。そんな風な考察をたてていた。

 森にいた時に、どういう条件でどのくらいの威力が出るのか、どのくらいの硬さまでデッキブラシで破壊できるのかを調べようとしていた矢先、ホロと出会った。そのため、検証が不十分だったのだ。


 ゆえに、不安になってきた。

 これ、こちらが攻撃なんてしたら、自分はこの人を冗談無しに、本当に殺してしまうのではないか、と。


 肉の分厚い巨体のオークだってあんなだったのだ。初日に倒したレッドドッグだってそう。あれも人間よりは大きくて丈夫そうだったのに、首が簡単に弾けとんだ。魔物より弱々でやわやわな人間ちゃんが、はたしてデッキブラシに耐えられるのか? もしかしたら、首だけじゃなく全身がバラバラになるのではないか。ガチでミンチにしてしまうのでは?


「ハーッ、ハーッ、ハーッ」


 京の呼吸が段々と荒くなってゆく。魔物を殺すのには慣れた。でも、人間を殺すのはやばい。魔物が殺せたのは、殺らなければ自分が死ぬからという理由と、飢えないよう食すため。いわば狩猟とほぼ同じである。必要だから仕留めた。だが人は違う。京は一般人だ。人を殺す必要がないし、そもそも殺人は犯してはならないと言われて育ってきている。そんな人間が、人を簡単に殺してしまえる状況に陥ればどうなるか。


(──怖い……怖すぎるッ)


 ひたすらに恐ろしかった。思えば京は、コロシアムに来てから、ずーっとミンチのことばかり考えては怯えている。国民からブーイング食らうどころじゃあない。ただでさえ元の世界で「前世は罪人」と噂されていたのに、この世界の住民に「やーい、罪人〜」などと言われた日には、ショックすぎて外を歩けない。外を歩くどころか、ギロチン斬首であの世行きだ。


 京は考えた。リタイアはできない。痛いのは嫌。でも男を攻撃して力加減を間違い、殺人という業を背負い処刑されるのはもっと無理。どうしたらいい。どうすればいい。どう選択すれば、男を攻撃せずにこの試合を終わらせることができる。


「──は、そうだ」


 活路を見出したとき、京は頬にビリリと雷が掠ったのを感じた。男が長い詠唱を終えたのだ。先ほどまで燃えていたように見えていた剣は、いつの間にか大きくて長く、ビリビリを纏うものに変化していた。


「これでカタをつけてやる!!」


 男は剣を振りかざす。

 彼のいまの精一杯。渾身の一撃だ。


「いっけぇえええええええ!!」


 パキンッ!

 シュルルル、カンッ。


「はぇ?」


 いま、頬をなにかがかすった気がする。

 男が頬をさわると、指に何やら濡れた感触がした。見ると、指には血が付着している。次いで背後を見ると、コロシアムの壁に、剣の先端が突き刺さっていた。


「剣がでかいと当たり判定も広くなるから助かった〜」


 自身の剣が折られたと理解した男は、いつの間にか地面に座り込んでいた。その状態のまま、近づいてきた京を唖然と見上げる。

 京は、男の前まで来ると足を止め、デッキブラシを振り上げ、一番高い位置で停止させた。


「大丈夫大丈夫手元が狂ったりなんかしない大丈夫だ落ち着けこんなに近づいたんだし体ごと向きを変えれば大丈夫だ焦るな焦るな大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫──」

「ヒッ」


 その時の京を一言で表すならば異様。これに限る。呼吸は再び乱れ、口からハーッ、ハーッと引きつったような吐息が漏れていた。

 しばらくして、彼女はとうとうデッキブラシを振り下ろす。男には、その姿がギロチンの刃をおろす執行人に見えた。


 ドォンッ!


 雷とはちがう類の轟がコロシアムじゅうを打ち震わす。男は自身のすぐ隣を見て、腰を抜かした。男だけじゃない。観衆までもがそうだった。


「地面が、割れた……」


 男の真横。そこには、デッキブラシの頭と、亀裂のはいった地面があった。亀裂はコロシアムの壁にまで到達しており、どれだけの力で振り下ろされたのかを物語っている。もしこれが自分に当たっていたなら……これだけで、男は気絶してしまえそうだった。


「リタイア、してくれませんか」


 場内中が呆然とするなかで、京の声はとてもよく響いた。


「リタイアしてください」


 両膝をつき、額を地面に軽くつける。手はしっかりと三つ指を立てた。きれいな土下座である。


「私は諸事情あり、この試合に勝たなければなりません。でも、あなたを攻撃してしまえばこの地面みたいに真っ二つか、ミンチ──もっと酷いことになるかもしれない……私、人殺しにだけはなりたくないんですッ!」


 だから、どうかリタイアしてくださいと繰り返す。土下座された男は、震える体を無理やり動かし、京と同じ姿勢をとった。つまり、土下座である。


「リタイア、させてください」


 男は、それしか言うことができなかった。

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