1-13 秘密の抜け道

 故郷の方角がわかるというホロを先頭に、二人は草木をかきわけながら進んでいく。


「……」

「……っ、……」


 目の前で、ホロがなにか言いたげにしているのを知りながら、京はあえて無視をした。わかっている。わかっているのだ。彼が自身に対して、一体何が言いたいのか。長い沈黙に耐えきれなくなったのか、ホロはとうとう京に声をかける。


「なぁ──」

「言わないで!!」


 ホロの言葉を遮り、京は地面に倒れた。実際には倒れたのではなく、木の根に足を引っ掛けてすっ転んだだけだが。


「んぎ」


 京は泥のついた顔を上げ、歯をぎりぎりと噛み締めた。二十だ。彼女が転び、枝に頭をぶつけ、ささくれに指を刺し、細々と傷をつけた回数。それがいま、二十回目となった。


「なぁ、大丈夫か? 手、貸そうか?」

「ああ、大丈夫。慣れてますから」


 立ち上がろうとした京だったが、上から腐り落ちてきた木の塊が降ってきて、見事頭に命中したため、こんどは自分から地面に倒れた。


「無理みがすぎる!!!」


 洞窟前より、京は歩くたびに転んだりなどしていた。もちろん、まえに進んではいるのだ。ただ、その歩みは亀の歩みのごとし。いまの彼女の頭のなかはホロへの申し訳無さでいっぱいだった。


「ごめん……はやく家に帰りたいだろうに。こんな事になってごめん。土に埋まりたい」

「だ、大丈夫だぜ! オレは怪我もなんも無いし」

「怪我ばっかの間抜けでごめん……」

「ワ、ワァ……」


 ホロは思わず某ちいさい生き物みたいな声を上げた。彼の周りにこんなネガティブな奴がいなかったため、どう接していいのかわからないのだ。


「ウッ、ホロくんがくる前はこんなにポカしてなかったのに……やっぱり私はゴミカス幸運値女……最底辺のクソザコナメクジなんだ」


 ホロは焦る。このまま行くと、京が「この森に残る」と言い出しそうな雰囲気がしたからだ。それはあまりいいことではない。なにか、いい方法が無いかと頭をひねらせ、家臣の機嫌のとり方を京に試してみる事にした。


「なぁ、キョウはこの森に詳しいんだろ? オレ腹減っちゃってさ。なにか食べるものないか?」


 人とは、褒められたり頼られたりすると高揚感を覚える生き物。おだてて気分上昇を図れなくとも、他人の世話を焼かせるという、せめて他のことで気が紛らわせられるなら御の字。彼は「これで機嫌を直してくれ〜」と念を送った。


「……任せて!」


 ホロの策略は見事に京にハマった。元の世界では頼るばかりだった彼女は、頼られる側になって嬉しくなったのだ。京は案外ちょろい女だった。


「なにが食べたいですか? 果物と肉は割と簡単に手に入りますよ」

「そうなのか?」

「そうなのですよ」


 京がそこら辺の草をガサガサやりはじめる。ホロはその行動にぎょっとした。草むらは隠れるのが得意な魔物がよく隠れている場所だ。彼女のように大雑把に掻き回したら、魔物が出てきて襲われる確率が高いのだ。実際、それで怪我をした冒険者はたくさんいる。しかし、ホロがハラハラしながら見守っている間、魔物の気配がすることは無かった。その事に、不思議なこともあるものだと思った。


「なぁ、キョウは魔物の出てこない草むらとかを見分けられるのか?」

「いや、魔法使えないんだから、ふつうに無理ですよ。そういうホロくんはどうなんですか? ホロくん、先頭を歩くとき、時々止まって"サーチ"って言ってますよね」


 自分の住む国の方向がわかるとホロが言っていたのは、この"サーチ"というのが関係しているのではないかと、実はずっと気にしていたのだ。


「サーチは魔法使いが使える魔法の一種だな。自分から半径5メートル内の障害物や魔物の気配を感じ取れるんだ!」

「な、なにそれすご!」

「いや、オレなんてまだまだだ。この魔法は初級も初級だからな!」


 もっと上級の魔法を使えるようにいまは修行中だと豪語する彼に、京は小さく拍手した。


(そうか、この魔法は初級なんだ。もしも、私がギルドに入って、パーティーを組むことになったら、絶対に魔法使いを捕まえよう)


 初級ならどんな魔法使いでもサーチを使えるはず。サーチがあれば危険な魔物や危なそうな場所──ものが落ちてきたり躓きそうな場所を回避しながら、好きなところに行けると京は考えていた。半径5メートル先がわかるのはでかい。そんな魔法が初級だなんて、なぜ自分は魔法が使えないのか。地団駄を踏みたいくらいだった。


「あれ、でも木や草みたいな障害物がたくさんあったら意味ないんじゃ」

「オレは実家に置いてきた私物にマーキングして、それだけにサーチをかけてるんだ。マーキングしたものは距離関係なく、サーチでどこにあるかわかる。ちなみに、マーキングは魔力をくっつける事を言うぜ!」

「へぇ。便利そうなのはわかった」


 京はキリッとした顔をしたが、実際はなにもわかっていない。


「うーん、説明って難しいな」


 あとはニュアンスで理解してくれと言われたので、京は深く考えないことにした。どうせ魔法を使えないのだ。知らなくてもそんなに困りはしないだろう。


「あ、ここだ」


 草むらの中に、小さな穴。京はデッキブラシの柄の部分を逆さまにし、穴の中に突っ込む。穴からは魔物の断末魔が聞こえた。


「なんだか最近魔物がよく穴や巣に隠れてるんですよ。なので、適当な場所に棒を刺すと肉が狩れます」


 引き上げた柄にはうさぎっぽい魔物が突き刺さってぷらぷらしている。


「おお、これはサーチにも引っかからないくらい隠れるのがうまい魔物だ。すごいな!」

「でしょうでしょう! これを水で流しながら血抜きしていきます」

「でも水、無いぞ」

「大丈夫大丈夫」


 京はホロの後ろにある木に近づき、木の枝を折った。すると、その切断部分から水が溢れてきた。


「うわすげ」

「ね、凄いですよね。これ、デッキブラシ振り回してる最中に偶然見つけたんですよ」


 彼女はにこにこと会話しながら木から蛇口のように溢れる水を、じつは持ってきていたタライで受け止める。だがホロがすごいと言ったのは木の事じゃなく、京の腕力だった。


「私、柔らかい木はじめて触りました」

「柔らかいのか。そっか……」


 ホロは数歩後ろにのけぞった。実際はめちゃくちゃ硬い木だが、それを京は知らない。最初に触っときにあまりにも簡単にもげたので、以降ずっと『この木、水分が多くてふやふやなんだなぁ』と思っている。


「他にも、塩水が湧き出る皿上の葉っぱとか、舌がピリピリする実とかもあるんですよ!」


 「あれとあれがそうです!」と興奮気味に指差す彼女に、ホロは「そっかそっかぁ、キョウはワイルドなんだなぁ」と生温かい笑みを浮かべた。舌がピリピリする実は毒をもつ植物。しかし、それも彼はスルーする。森に住んでいたら普通なんだろうと、森住まいに偏見を抱いた瞬間である。


「ここいら辺はなぜか魔物があまり来ないようで、きのみとかがたくさん残ってるんですよ」

「魔物が来ないのはダンジョンが近いからだと思うぞ! もともと外で暮らしてる魔物はダンジョンの魔物より弱いから、食われないように避けてるんだ」


 なるほど弱肉強食か。きっと魔物にも縄張りがあり、その範囲内に留まっているんだろう。餌と自身の食料を狩るとき、巣の周辺にほかの魔物がいなかったのは、子ドラゴンの巣である洞窟周辺が小ドラゴンの縄張りだったからだ。──と、京は解釈した。ほんとうは魔物たちが京から逃げていたと知るものは、神しか知らない。そこで京はふと、あることが頭をよぎった。


「私、小ドラゴンの巣の近くで度々オークと遭遇してたんですけど」

「え、オーク?」

「はい。オークです。それで、魔物にそれぞれ縄張りがあるとして、オークはその魔物の縄張りをよく荒らすんですか?」


 京がはじめてオークを倒した日。その日から、オークは頻繁に彼女の前に姿をあらわした。正しくは、彼女がねぐらにしていた洞窟の小ドラゴンを狙って。


「何回倒してもオークが湧いて出るので、キリがなくって困ってたんです。いまでも小ドラゴンがちょっと心配なんですよね」

「何回倒しても、か」


 ホロは京の言葉に考え込んだ様子を見せる。少し険しい表情に、京は訝しげにどうしたのか問うた。


「なにか気になることでも?」

「ここにオークはいないはずなんだ。だから京がオークと遭遇したって聞いて驚いてな。それって、本当にオークだったか?」

「そうですね。私は魔物のことは正直、あまり知らないんですけど……頭が豚のかたちをしている魔物が一種類しかいないなら、私が遭遇したのは間違いなくオークです」

「そっかそっか。そりゃ──まずいなぁ」


 彼は頭を掻きながら、どうしたものかと困った様子でつぶやく。いったい、何がまずいというのか。京はオークを脅威に感じなかったために、ホロがなにに対して危機感を抱いているのか、いまいちよくわからなかった。


「いないはずのオークがいたとして、それの何がまずいんですか?」

「魔物はだいたい生息地が決まっててな。それがべつの場所にいると、元いた場所でなにか起きたか、或いは異常発生したかに別れるんだ。で、前者だと大移動が起こるから、ギルドから注意喚起される。でも、オレがこの森に飛ばされるまで、注意喚起なんて無かった」

「ってことは、異常発生したオークってことになるんですかね」


 そも、異常発生とはなんぞやと首をひねる。京には魔物のうまれかたを知らない。もとの世界の一般的な動物と同じ誕生のしかたかとも思ったが、それなら異常発生とは言わないだろう。


「魔物って、どうやって生まれるんでしょう」

「魔物によって違うぞ。ドラゴンは番の雌から卵で生まれるし、スライムは分裂して増えたり、いつの間にかくっついて別の魔物になったりする」

「なんすかその生態……スライム怖っ」


 ホロはカラカラ笑った。京は、スライムを見たら即座にその場から離れることを決意した。


「まあ、スライムは置いといて──異常発生はな、大気中に漂う魔力の濃度が高くなりすぎて、魔物に成ることなんだ」

「魔力が魔物に?」

「そう。魔物は倒すと魔石が取れるだろ?」

「えッあうん(魔石なんか取れたんだ……)」

「魔石は魔物の核なんだ。それで、濃くなった魔力がだんだん魔石になって、やがて魔物になる。ここにいるオークは、高濃度の魔力からできた魔石からうまれた可能性が高いんだ。で、ここらはダンジョンが近い。つまり──」


 この先は、さすがの京にも予測できるはなしだった。


「オークは、ダンジョン由来ってこと……?」

「ああ、そういうことだと思う!」

「アヒョッ」


 京はデッキブラシを抱きしめて奇声を発した。高濃度の魔力のなかで、じっくりコトコト煮詰められた魔石からうまれた魔物オーク。そんなの、絶対強いに決まってる。今までのオークとは絶対ちがう。それがすぐ近くに潜んでいる? あまりの恐怖に、京は全身が震えた。


「ダンジョンで生まれるオークは外で生まれたオークとは違って、ちょっと特殊なんだよなぁ」

「ど、どどど、どう特殊なんでしょうか」

「んー、ダンジョンのオークはオークキングっていって、そいつを倒さない限り、無限にオークが湧き続けるんだ」

「無限に」

「あと知能が高いから、たまにダンジョンの外に出てくることがある」

「外に」

「それで小さい国が滅びた事があったなぁ」

「ひえぇ」


 京の頭の中には、オークの軍団が国に攻めいり、あたり一面が火の海になっている映像が流れた。現在、自分はオーク軍団が出現したら真っ先に狙われそうな、ダンジョンに最も近い国に行こうとしている。そうしたら、間違いなく戦争に巻き込まれるだろう。自身の身に降りかかる、ありとあらゆる最悪を考え、顔が真っ青になった。ひとり震える京に、ホロはハッとして弁明する。


「で、でも確実にダンジョンから出てきたとは限らないから! それに、オレのいる国には強い冒険者がたくさんいるから、簡単に滅んだりしないぞ!」


 怖くない、怖くないぞとホロはひたすら京に言い聞かせた。必死のフォローのかいがあったのか、震えすぎてもはやヘッドバンキングみたいになっていた彼女の振動が、微振動にまで落ち着いてきた。


「そ、そうですよね。ダンジョンにオークキングがいるって決まったわけじゃないですよね! もしかしたら、ギルドが見落とすほど少数で移動してきた、ただのオークかもしれないし」


 ただのオークならば自分でもどうにかできる。いままでだって、ひとりで簡単に倒せたのだ。なんにも怖いことなんてない。そう考えると、先程まで落ち込んでいた精神が段々と持ち直してくるような、晴れた日の空のような心持ちになってきた。


「なんか、元気出てきた気がします」

「お、ほんとか!」

「はい! いまならどんな不運に見舞われても、多分きっと落ち込まない気がする!」


 さあ行きましょうと京は歩き出す。その足取りは堂々としていた。


「仮にダンジョンにオークキングがいたとして、ダンジョンに入らなければいいはなしですから!」

「おう、そのいきだ!」

「これでなにか落とし穴てきなものがあって、それがダンジョンの隠し通路になってても、私、絶対回避してやります!」


 さて、そうとうに運の悪い人間は、自身の不運のために、常に危険と隣り合わせである。それゆえ、行く先々でどんな不運が起こるかを、しばしば考えながら生きている。悪いことを考えては、それを口にだす。これは京の悪い癖だが、それと同時に、死なないために欠かせないライフハックになっていた。しかし、そのライフハックが、かなりの確率でフラグに転じるのが、彼女の人生だった。


「あ」


 ポチッ。

 足元で、スイッチのようなものを踏んだ気がする。自覚したときには、臓物がふわっと浮き上がる感覚が、京を支配していた。


「うそでしょおおおおおおお!?」

「キョ、キョーーーーーーー!!」


 「ア°ーーーーーッ」と甲高い声をあげながら、京は開いた穴の奥に転がり消えていった。

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