1-7 デッキブラシの使い方

 デッキブラシとは、本来は掃除に使うものであって、決して鈍器ではない。


「鈍器じゃないんだけどなぁ」


 ――ビシャッ!


 京は、今日も今日とて生温い液体を頭からひっ被っている。


 この世界に京が速達郵便もびっくりな速さで送られてきて、およそ一週間が経った。


 最初はどうなることかと思っていたのに、案外生きていけて京は自分で驚いていた。はるかむかしに生きた先祖が、家電もなにも無い時代でも生きられたのだ。現代人もその気になれば野生で生きていけるのだろう。


「はい、今日も豚の丸焼き〜」


 オークを薪にしてからというもの、毎日オークが目の前にあらわれる現象が続いている。そのオークを殴って、お肉を子ドラゴンにあげるのが日課になりつつあった。


 子ドラゴンはあの日から、京に火と果物を寄こしてくれるようになった。だから京は彼らに肉と安全を提供する。そう、京は子ドラゴンとの共生関係を結ぶことに成功したのだ。素晴らしいギブアンドテイク。


 親ドラゴンの方はというと、どこかに飛び去って行ったのだが、たまに様子を見にくる。産んで育てる場所と、親ドラゴンの住む巣は別々の場所にあるのかもしれない。子ドラゴンが成長したら親ドラゴンの住む場所に自力で飛び立つのだろう。なんだか魚みたいだという感想を抱いた。


「子ドラゴンの土産もできたし、血でも流しにいこうかな」


 オークを殴って血まみれのデッキブラシは、木が欠けるでも折れるでもなく、つるぴかのまま。神さまの加護、侮るべからず。人間をおもちゃにするような神さまだが、力はしっかり本物だ。デッキブラシが無きゃ死んでた場面がいくつもある。デッキブラシをくるくる回しながら、京は遠くを見た。


「……生き物をデッキブラシで殴って殺すのに慣れて来ちゃったなぁ」


 嫌な慣れだと溜息をつく。自分がいまいるのは殺らなければ殺られる場所。殺傷は仕方がないことだとしても、気は晴れない。この憂いは、京がまだ地球産の価値観を有している証拠だった。


「この世界、オーク以外の魔物だって当然いるよね……素振りでもしようかな」


 ここはぬくぬく平和な日本とは違う。身の振り方をすこし考えなければならない。


 京はいま、絶賛暇だった。食べ物問題はほぼ解決。火も安定的に供給されている。大きな危険も近場には無いし、やることが無い。デッキブラシを振り回したりしていじるか、探索するかの二択。


(人里に降りるのが目標なのは未だに変わらないけど……森を闇雲に探すのが無謀なのはわかる。探索は大事)


 森で迷わないよう、ちょっとずつ探索して、木に印をつける作業をしているのだが、初日に空から見たとおり、ここら一帯は広大な森。印をつけたところで、森から出られるわけじゃない。せいぜい最初の拠点に戻りやすくなるだけだ。このままでは人里に降りるどころか森から出ることすらかなわない。いつかどこかのタイミングでこの森から出ていかねば、本当に野生にかえってしまいそうだった。


「ま、焦っても仕方がないし、いまはまだその時じゃないってだけ。チャンスは来るはず。それまではデッキブラシを極めるぞ」


 水で体をすすぎ、オークの肉を持って洞窟に戻ってきた。


「ほーら、今日はモモ肉だよ」


 肉を置くと子ドラゴンがわらわら出てくるので、京は拾ってきた枝を積む。積み終わると、肉に群がる子ドラゴンのうち一匹が火を吹いてくれた。ドラゴンとは賢い種族である。


「よし、ジャージを乾かしてる間にやるか」


 デッキブラシを片手に持ち、ぐるぐると回転させる。次に両手を使い、回転させながら後ろ、前と一周させる。それをこんどは上に投げて、後ろ手にキャッチし、先端をかかとで蹴り上げて前のほうに持ってくる。


「まさか生きる上でいらないような特技が、こんなとこに活きるとは……人生なにがあるかわからないよね」


 運がすこぶる悪い以外に特徴もなにも無い京だったが、そんな彼女にもひとつだけ得意なことがある。それが棒回しだった。小さな頃から傘、箒、物干し竿。身近にある長物をぐるぐると回しては親に危ないと怒られた記憶を掘り起こして、苦笑する。


「最初の頃は棒が飛んでって、野良犬の尻尾に刺さって追いかけられたりしたっけ」


 蜂の巣にぶち当てたり、家の窓ガラスを割ったこともあった。飛んでく先々に危険物があるもんだから、一時期は狙ってるのかと思われていた。全て運の悪さゆえである。飛んでった棒を回収するのが面倒で仕方なかった。


(そういえば。神さまがデッキブラシが投擲に使えるとか言ってたな)


 手放しても戻ってくるとも言っていた。どんなふうに戻ってくるのかが気になり、目の前にデッキブラシを投げてみる。


「お?」


 前方に投げたデッキブラシは回転しながら飛んでいき、放物線を描いてこちらに戻ってきた。 


「あ、戻ってくるってそういう?」


 きれいに手元に収まったデッキブラシを見て感心する。勝手に、テレポートのようにいきなり近くに落ちてくるのを想像していたのだ。


(ブーメラン形式ね。理解)


 途中で楽しくなって、その場でぐるぐると回して遊ぶ。上に放って一回転してキャッチして回す。斜めに投げても横に投げても、気持ちいいくらいに手の内へ戻ってくる。


「……」


 京は戻ってきたデッキブラシをじっとみつめて思った。これって、どこに投げても戻ってくるのだろうかと。例えば、なにかの障害物に当たっても、その場に落ちずに戻ってきたりするのだろうか。


「えい!」


 バットを振るように勢いをつけて、デッキブラシを目の前の森に放り投げる。デッキブラシは一直線に飛んでいき、木々をへし折ってこちらに返ってきた。


「やっべ」


 めきめきに折れた木を見て、顔が青ざめた。もちろん、太さのある木を簡単に折ってしまったデッキブラシもやばいのだが、折った木からなにか落ちた。蜂の巣みたいなのが。


「嘘でしょ! そんなことある!?」


 巣から虫型の魔物が出てくる。案の定興奮している状態。まさか異世界でもおなじことがおきるとは思っておらず、自分の間抜けさに嫌気がさした。


「ひえ、来た!!」


 京は子ドラゴンを一匹手に持って、前に突き出した。子ドラゴンは群れで近づいてきた虫型の魔物に火を吹く。火は次々に虫型の魔物に引火して燃え移り、最後には燃えかすしか残らなかった。


「はぁ〜、助かった……」


 ありがとうと礼を言うと、子ドラゴンは嬉しそうに尻尾を揺らす。やっぱりちょっとかわいい。


「魔物がみんな、きみらみたいなのだといいのにね」


 もちろん、そんなこと無いのは理解していた。せめて、今後エンカウントする魔物がオークくらいスパッとやっつけられるレベルの魔物ばっかりだったらいいなと願望を述べて、地面に寝っ転がった。

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