1-6 ゲームで見たことあるやつ

 京が違和感をおぼえたのは、無事に見つけた川で全身を洗っているときだった。


「……おかしい」


 そう、おかしいのだ。

 川とは、生物にとっては命の源である。それは魔物とて同じはず。自分の運の悪さをよく知っている京は、ここらで魔物に出くわすと思ってビクビクしていた。しかし、魔物は一向に出てくる気配はない。


(視線は感じるんだよな……)


 ためしに、視線を感じる方へ顔を向ける。すると、草むらがガサガサと激しく揺れて、それが遠ざかっていった。


「……」


 京はなんとも言えない気持ちになりながら、洗浄を続ける。


「なにもしてないのに逃げられるのって、なんか、すごいへこむ」


 相手がたとえ魔物であろうと、振り向いただけで逃げられるのは虚しい。

 魔物が寄ってこないのはいい事なのだ。しかし、腫れ物扱いは草も生わらえない。


「このまま人間社会にも馴染めなかったらどうしよう……一生森で野宿だけはやだ」


 神さまが落としたタライで水を掬って頭からかぶる。この場所は蒸し暑く、水もぬるい。例えるならジャングル。少なくとも、寒さで凍死する心配はない。しばらくは滞在できそうだが、野生に帰るのはごめんである。


 服に染みた血は流石に取れなかったが、色は薄くなった。匂いもマシになった。身綺麗になったなら、次にやるべきは食料の調達だ。かといって、京にはなにが食べれるものかなんてわからない。元の世界だったら植物に詳しかった彼女だが、異世界の植物には明るくない。草やきのこ類が素人に地雷なのはどの世界でも共通だとは思う。人里に降りたら勉強しなくてはと意気込んだ。


「とりあえず歩いて、それっぽい果物でも探そうかな。どうか、この世界の果物が元の世界の果物と同類、あるいは似たものでありますように!」


 さくさくと道なき道を歩いていく。視線はいまだ感じるが、近寄っては来なかった。京はてっきり、魔物は血の匂いにつられて襲ってくるものだと思っていたけど、そんな事なかった。


「このぶんなら安全に探索ができ……オッ」


 中途半端に歩みを止めた。漂う臭気に気がついたからだ。これは血の匂いである。


「近い……匂いが濃い」


 匂いは、目の前の茂みの向こうからしてくるようだった。あまり見たいものではないが、危険な魔物がいたら見ておきたかった。情報は生きてく上で重要だから。


 息を殺して、茂みの奥をのぞく。


「うわぁ」


 少し開けた場所。そこには、上半身が食い千切られ魔物の死体があった。それも沢山。


「群れを襲われた感じかな……」


 おそらく近くに魔物の巣があって、そこから食い散らかしたのだろう。白い毛に血が飛び散ってやけに鮮烈に映る。

 死体を観察していると、ふと地面に足跡があることに気づいた。


「足跡でっか」


 あまりのでかさに腕を擦る。足跡は直径、京の足四つ分はあった。足のデカさがそれなのだから、体も当然デカいのだろう。


「しかもこれ二足歩行してるよ……人のかたちの魔物だよこれ。怖っ」


 人のかたちの魔物だと、昨日の犬のような魔物より頭が良さそうである。石や岩を投げてきそうで恐ろしい。しかも、ここに散らばっている死体は食い千切られている。自分が頭からぶちぶちに引き千切られる想像をして、かぶりを振った。


「できるだけ出くわさないようにしよう」


 エンカウントしなければどうということはない。そう口にしていたのが悪かったのだろうか。


 果物を拠点の近くで探すことにしていた京だが、拠点たる洞窟の方向に足跡が続いていことに気がついた。気のせいか幻覚だと思いたいのだが、視覚は容赦なく現実リアルを突きつけてくる。


「……」


 とても嫌な予感がした。

 あの洞窟には、京のライフハック的存在である魔物がいる。魔物は魔物を食らうのがさっきの死体で立証済み。これらの結果がもたらす未来はひとつ。


「私の焚き火が!!」


 京は全速力で駆け出した。


(もし、『チャッカマン』がすべて食い荒らされたら、今後どうやって火を付ければいいんだ。せっかく奇跡的に見つけた着火元をみすみす奪われてたまるものか)


 ちなみに、チャッカマンとは京が魔物に勝手につけた名前である。京にはネーミングセンスが無かった。


 足跡は、やはり洞窟に一直線だった。

 中からはピギャピギャと魔物の鳴き声がしている。


「あ、あばば」


 洞窟内は悲惨だった。大きな影が中央に居座っていて、周りには下半身だけになった哀れな魔物。ほかの仲間は一か所に固まって威嚇しているが、影にはまったく効いてない。


 その影が、ゆっくりこちらを振り向いた。


「オ、オーク……?」


 ゲームで見たことあるやつだった。人のかたちに豚のあたま。そいつが、まだ生きている魔物を掴んでいる。


「ピッ」

「あ」


 オークは、京なんか何でもないふうに無視をして、手に持った魔物を食いちぎろうとした。


(ああ、私のライフハックが……!!)


 京は怒りに打ち震えた。やっと最底辺から北京原人レベルまで上げた生活の質を、いまさら下げられては堪らない。恐怖が怒りに打ち勝った瞬間である。


「私の……私のチャッカマンを返せぇぇぇ!!」


 魔物を食べようとしていたオークに、デッキブラシをフルスイングした。パンッという破裂音に、生温い液体がかかる。オークはたぶん死んだ。しかし、大事な希望を奪われそうになった恨みは簡単には消えない。


「ふざけんなよ、魔物は火がなくても生きていけるけど、よわよわな人間ちゃんは火がないと生きていけないんだぞ!!」


 倒れた巨体を洞窟の出口に向かって、ゴルフの玉みたいに打ち出す。それをツカツカ歩いて追いかけ、死体を見下ろした。


「汚物は消毒だ」


 オークに掴まれたままだった魔物をやさしく取り出し、顔をオークに近づけてやる。魔物の手には痛々しい傷が付いていた。痛かっただろう。怖かっただろう。今度はこちらの番である。


「ほら、おやり」


 魔物はオークを見て、こちらを見てから、オークに向かって火を吹いた。もちろん、一回じゃ火がつかないので繰り返させる。私が火を吹くのを促していると、巣にいたほかの魔物もオークに向かって火を吹き始めた。

 数回目かで目の前の死体が炎に包まれたとき、京はニッコリした。今日の焚き火はコイツで決定だ。


「それにしてもこのデッキブラシ、威力出すぎでしょ……。呪いって洒落にならないんだね。今後いろいろと気をつけないと」


 デッキブラシの扱いもそうだが、人の多い場所にいけば呪いについて触れる機会が増える。そうなれば自分が呪われる可能性だってあるはず。このあたりも含めて誰かにこの世界について聞きたいところである。


 ペラッ。


『神さまには聞かねーの?』

「……聞いたら教えてくれるんですか?」


 ペラッ。


『気分じゃないし、教えなーい』

「じゃ言うなや!」


 降ってきた紙をクチャクチャに丸めて火に焼べてやった。神さまのこの、人間をおちょくって楽しんでいる感じが好かなかった。


 ――クイッ。


「ん?」


 服の裾をなにかに引っ張られる。視線を落とすと、手元に魔物と、なにかの果物が転がっていた。


「ピギュ」

「え、なに?」

「ピギャ」

「ビャーッビャーッ!!」

「なになになに!?」


 一匹が鳴きはじめた途端、周りの魔物たちも一斉に鳴きはじめた。ブザーのようなけたたましい声に、京は思わず耳をふさぐ。


 鳴き声が止む頃、京の周りは魔物と果物でいっぱいになっていた。果物はどれも魔物が巣から運んできたものである。なぜ周りに集めてきたのかは謎だ。


「これいったいなんの儀式〜〜〜!?」


 魔物と果物に包囲されて身動きがとれない京は、さながら儀式の供物に選ばれし生贄である。魔法があって勇者のいる世界だ。生贄を捧げる儀式がふつうにありそうで笑えなかった。


「!!」


 ふと、地面が暗くなる。

 ――鳥だ。


 いや、鳥じゃない。飛行する何かが、地面に影を落としている。影が大きくなるにつれ、辺りに風が巻き起こる。なにごとかと空を見て、唖然とした。


「はわ……」


 上空から現れたそれは、綺麗な色を纏っていた。白から鮮やかな青、そして翠へと染まる羽。尻尾は澄んだ青空のような色を有している。でも、鳥ではないのだ。


「きみたち、ドラゴンだったの……?」


 顔が成長したチャッカマンで瞬時に理解した。この綺麗な生き物は、この小さい魔物の親なのだと。


(待てよ……この状況、不味いんでないの?)


 洞窟内は、食い荒らされた子ドラゴンの死体がたくさん転がっているし、京はいま絶賛血まみれである。ここだけ見れば、京が我が子を惨殺したと思うだろう。


「アッちが、違います違います! 私が殺ったんじゃ……ヒッ」


 ドラゴンは顔を京に近づけてきた。食われるっと思って目を閉じたが、一向に食われる気配がない。京がそろっと目を開けると、ドラゴンは頭を垂れたままじっとしていた。まるで、お辞儀しているみたいに。


「えっと?」


 親ドラゴンの動作に、どう解釈すればいいのかと困惑する。グリフォンに対する礼儀は何かで見たが、ドラゴンに対する礼儀なんて知らないのだ。京は、とりあえず目だけは逸らさないようにしようと努めていた。


 そんな彼女に、親ドラゴンは羽毛の一枚を咥えてひらりと落とす。


「……くれるの?」


 羽根を拾って伺いを立てると、ドラゴンは静かに頷いた。すると、京を包囲していた子ドラゴンが果物を額で転がし、京に押し付けてきた。


「これもくれるの?」


 親の真似なのか、子ドラゴンたちはうんとでも言うように頷いてみせる。そういえば、昨日からなにも食べてないと思い出す。空腹を自覚してしまい、いまさら腹が鳴った。


「……ご厚意に甘えようかな」


 果物のうちの一つを軽く手で払って、口に入れる。


「うまっ」


 この世界にきてはじめて食べた果物は、もものようなメロンのような、何だか不思議な味がした。

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