1-4 遭難中の災難

 近くに洞窟があるとのことなので、京は野営するための準備をすることにした。拠点は大事だ。神さまの言うことに従ったみたいで癪に感じていたのだが、さすがに屋根も何もないところで野宿は嫌だった。


「というか、この状況って遭難では? 右も左もわからん異世界で遭難とか笑えないっすわ」


 京がいままでに遭難した回数は二桁。サバイバルには慣れていた。しかし、それが異世界だと遭難に慣れてても流石にキツかった。むしろ、こんな状況で冷静になれるやつは歴戦の猛者か、すでに病んでるに違いない。現に、京の体は恐怖で震度六強くらい震えていた。


「……とりあえず火が欲しい」


 火があればだいたい何でもできる。完全な素人の発想だが、暖をとったり辺りを照らしたり、動物避けになったり。もしかしたら人が寄ってくるかもしれない。そう、火は京の希望だった。


 幸い、火種になりそうな枝はそこら中に転がっている。しかし、着火できるもの無しで火をおこすとなると不安だった。


「……枝と板で頑張ればいけるかな」


 ものは試し。とりあえず枝を拾いにいくことにした。デッキブラシは邪魔だし置いていこうかとも思った京だが、悩んだ末に一応武器として持っていく事にした。


「たしか、乾いた枝がいいんだよね」


 この知識は流行りのキャンプの雑誌から得た知識だった。京はかばんに入れていた雑誌を思い出しながらため息をつく。ライターなどあればよかったのだが、荷物は全て大学のロッカーの中に置き去りだ。


「せめてもの救いは長ジャージを着てきたことか」


 日焼けをしたくなくて、暑いなか長袖の芋臭いジャージを着てきたのは、いまの京にとって最善の選択だったと言えよう。動きやすいし、危険な虫に刺される危険性も少しは下がる。


「よし、枝はこれぐらいでいっか。木の板はどうしよ。後でそれっぽいもの見つける……?」


 見つかるだろうかそんなもの。いや、悩んでいても仕方がない。いまは余計なことを考えないほうが、きっと精神衛生上よろしい。京は頭より手を動かそうと競歩で移動した。


「それにしても、異世界転移ね……いきなり過ぎて、異世界って意識が薄いんだよなぁ」


 意識が薄いのは、京がここに来た経緯がいきなり過ぎたのがいちばんの理由。あとは、いまのところ地球で見たような木ばかりが目につくため、異世界と言われてもいまいちピンときていなかった。


「ゲームとかだと今頃、チュートリアルで戦闘になってたりしてるのかなぁ……なーんて」


 来た道を戻りながらひとりごつ。現実逃避だ。こんな時、だいたいフラグを回収して魔物が出てくるのが京の人生であるが、頭の中で『まあでも、出てきてもスライムてきな感じのやつっしょ』と勝手に決めつけていた。


(自称神さまも、流石に転移したての小娘にドラゴンと戦わせたりとかしないよね)


 いくらなんでも、難易度ルナティック級の即死イベントは起きないようにしているだろう。そのくらいの人権は保証されてるはず。

 神さまなんて信じてないくせ、その一方で京は、わかりやすく神さまに期待していた。


 しかし、彼女はこの時忘れていたのだ。

 自身の運の悪さと、神さまが序盤も序盤に言っていたことを。



『オレの考えたさいきょーでさいこーに面白い、"急転直下、異世界転移コース"に予定変更しまーす!』



 ――ガサッ。


「あ」


 京が足もとの枝を拾おうと屈んだ時だった。地面に影がさしたのは。


 目の前には、黒い体毛に覆われた獣の足のようなものがある。頭上からは生温かい空気。目視した情報が、一泊遅れで脳に到達する。


 私より遥かに大きい体躯の獣が、その大きな口で、私を食いちぎろうとしている。


「……ヒュッ」


 状況を理解して瞬時にしゃがむ。咄嗟にとった行動だった。京の頭があった場所には獣の口。しゃがまなければ、首と胴体がおさらばしていた。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!!」


 なぜ謝ってるのか。自分でもわからない行動だったけれど、とにかく謝った。しかし、獣はまた口を大きく開けた。どうやら謝罪では慈悲を受け取れないらしい。


「いやごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさーーーいッ!」


 しゃがんだ状態から、獣の下をロケットのように飛んだ。次いで地面を転がり、立ち上がったら後ろを振り返らずに走り出す。


(危なかった。死ぬかと思った。正直足の一本は持ってかれるかと思った。あれが魔物? 全っ然スライムじゃないが!?)


 神さまは私のことを殺しに来てるのだろうかと、京は本気で泣きそうだった。


 所持品はデッキブラシ一本。ゲームでいうとこの枝装備。そんな素人をあんな魔王の手下みたいなのがいる場所に放置するとか、人間の貧弱さを分かっちゃいないと叫ばずにいられない。


 もしかしたら、二回も食べ損ねて諦めたかもしれない。そんな望みをかけて、チラッと後ろを振り返る。


 ――グルルァア"!!


「ア"ッごめんなさい!!」


 諦めるなんてそんな事なかった。むしろ、腹をすかせた獣が二回も食べ損ねて怒っている。


(どうしようどうしよう、このまま走った所で撒ける確率なんてミリも無いよ!)


 人間と獣。どんなに頑張ったところで、距離を離すことはできない。木を使って上手く逃げれてはいるが、このままだと追いつかれてしまうだろう。相手は諦めない。京も食われて死にたくない。なら、取れる選択肢はひとつ。


 倒すしかない。

 それしか生き残るすべはない。


(でも倒すっつったって武器デッキブラシしかないんだが!? どうしろと!!)


 バサッ。


「おい! 空気読めし!」


 走って生きる術を考えてるときに紙を顔にかけるとか私を殺す気か。そうなのか。京は神さまに殺意をおぼえた。


『デッキブラシで撃退しなよ』

「この期に及んでまだデッキブラシ推すの!?」


 この神さま、どんだけデッキブラシが好きなんだ。これで撃退とか無理にもほどがある。だってデッキブラシだ。これで殴っても、京の力じゃ打撲程度のダメージしか通らない。


 バサッ。


『いいからやれよ』

「急に辛辣になるじゃん!」


 もうこうなりゃヤケだった。期待は粉々。状況は絶望的。できることなんてないのだから、従ってやろうじゃないかと奮い立つ。


 走るのをやめて、魔物に向かい合う。魔物は速度を上げて、なんとしてでもえものを仕留める気である。京はデッキブラシを構えた。


「……神さまめ。そんなに楽しいことをご所望なら、なってやろうじゃん。エンターテイナーおもしれー女ってやつによぉ」


 きっと生き残ったら、神さまは手を叩いて喜ぶのだろう。


(見てろよ。倒すのは無理でも、せめて片目ぐらいは持ってってやる!)


 自分と魔物の距離をしっかり見極める。デッキブラシを振ったら、ちょうど顔に当たるだろう範囲に。


「ッせーの!」


 ――パンッ!


 卵の殻を潰してしまったような感触のあとに破裂音。次いで、生温い液体がふりかかる。たいへん気持ちが悪かった。

 音と液体で目の前にどんな惨状が広がっているのかは想像に容易い。容易いから見たくなかった。絶対にスプラッタ。世紀末。このまま目を瞑っていたい。そう願いながらも、薄めを開けて現実を見た。


「……ほらね! もーーッ!」


 そこには鼓動する肉。首がどこかに行ってしまった魔物が、バタリと倒れるところだった。死にたてほやほやの魔物の死体は、肉がまだ動いては血を垂れ流している。


 京は目の前の惨状に震えた。先ほどの破裂音。あれは首がなくなっているのを見るに、首が破裂した音だったのではないか。首が飛び散ってしまったから見当たらないのではないか。


「いやキッツ」


 京は魔物が脳震盪を起こすか、視界だけでも奪うということしか考えてなかった。首を破裂音させて殺す気はなかったのである。デッキブラシ当たるだけで、こんなになるのが怖すぎて、京は人ごみの中では常に、デッキブラシを下に向けて移動しようと心に決めた。あまりにも恐ろしかった。


「……はぁ、なんかもう疲れた」


 脳の処理が追いつかない。もう難しいことは何も考えたくない。とにかく全身洗いたい。


 枝、水、火。これだけ頭に留めておき、京の体は勝手に洞窟に戻っていく。




「ギィッ」

「……」


 洞窟に戻ってきたら、変な魔物がいた。


 魔物といっても、先ほどの魔物とはまた違った魔物である。トカゲのようなカメのような見た目をした魔物。コウモリのような翼がついていて、体はワニのような鱗で覆われている。おそらくこの洞窟は魔物の巣なのだろう。しかし、この魔物、もっとも目にとめるべきところがある。なんと火を吹くのだ。


 血塗れの人間を警戒してか、火を吹いて威嚇してきている。その火を、京はぼんやりと眺めた。いまの彼女の頭の中には枝、水、火。それしか無い。


 ――ボトッ。


 京は魔物の目の前に肉片を落とす。さっき拾ってきた戦利品おにくだ。魔物は降ってきた肉に驚いたが、恐る恐る近づき、やがて食べ始めた。


「ほら、肉は美味しいかい? まだまだあるよ。もっとお食べ」


 一匹が食べ始めたら、ほかの魔物も食べ始める。それを京はニコニコしながら眺めた。


 餌付け、完了である。


 魔物が肉を食べてるあいだ、枝を素早く重ね、すぐに焚き火ができるようにする。それが完了したら、お肉を食べていた魔物のうち一匹を素早くわし掴んだ。


「ピギッ」

「きみ、お肉食べたよね?」


 魔物の目をじっと見る。こういうのは目を逸らしたら負ける。瞬きの回数は少なめが効果的だ。


「お肉、食べたんだから、わたしのお願い、聞いてくれるよね」


 京は掴んだ魔物の顔を枝に近づけて、フゥと息を吹きかける。魔物は枝をみて、京を見てから、枝に火を吹いた。そう、火を吹いたのだ。枝にしっかり標準をあわせて。


 結果、火は見事枝に着火した。一回じゃ駄目だったが、何回かおんなじことを繰り返して、ようやく京は火を手に入れたのだ。


「やった、火だ……文化だぁ!!」


 京は感動の声を上げながら、追加で肉を与えた。ボーナスを与えるのは大事だ。打算的だが、また同じことをしてもらいやすくなる。魔物は嬉しそうにお肉を食べはじめた。ちょっとかわいくて、京はほっこりした。


「あ〜、ぬく〜〜」


 嬉しそうに暖をとっているが、焚き火は禍々しい赤色をしている。もしここに他人がいたのなら、怪しい儀式でもヤッてるやばい人にしか見えないだろう。が、彼女は細かいことは気にしない質だった。


 火は偉大なのだ。水を飲水に変えることができるし、海水を汲んでくれば塩ができる。いちばんの偉大ポイントは、心の余裕ができること。この偉大さのまえに、炎の色など瑣末ごと。


「う〜ん、心の余裕ができたら眠くなってきた」


 心の余裕ができると安心する。安心すると眠くなってくる。これは道理である。魔物は京を遠巻きに見つめているが、寄っては来なかった。


 血は水で流したい。切実に。

 そうは思っても、京は眠気にはどうしても勝てなかった。


(もう寝よう。血はあした……川、探そう……それと、食べ物と……)


 まぶたは重く、意識は薄れていく。

 やがて、深い眠りに落ちていった。

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