心の奥底


「っごおは!?」

「《にいいいいいいたああん!!!!》」


 腹部にたたき付けられた強烈な衝撃にウルはすっころび、顔を上げる。常に凜々しく余裕のある笑みを浮かべたディズがめちゃくちゃふくれ面でウルに密着した状態でガクンガクンとこちらの身体を揺らして叫んでいる光景が眼に入った。


「《きいて!!きいてきいてきいてきいてきいて!!!!》」

「うっおお!?ディズ頭おかしく!?じゃねえやアカネか!!」


 脳みそがバグりそうになった。おかげでそれがディズの肉体に溶け込んでいるアカネであることに気づくのに少し時間がかかった。


「どうした落ち着け」

「《シズクひどいのよ!!!!》」


 なんとか彼女を押さえつけて、そして問うと、アカネはもう一方の神、シズクを指さして、怒り心頭と言った表情で叫ぶ。


「あー……大体分かった」


 大体全部分かった。想像が付いた。


「《ちゃー!ん!と!きーいーて!!!》」

「分かってる分かってる。本当に酷いよなあの女は、最低最悪だ」


 喚き続けるアカネの頭をわしわしと何度も撫でてやると、怒り心頭と言った表情から一転して足をパタパタとさせて喜んだ。ディズについていくと自分で決めたアカネであったがこういう所は何も変わっておらず、天真爛漫である。

 そんな彼女をウルとは全く関係ないところでブチ切れさせる奴は中々いない。


「まあ」


 その問題の女、シズクは、アカネを見て微笑みを浮かべた。

 彼女と別れたのはほんの一ヶ月弱ほどであるにも関わらず、数年ぶりに思えた。それくらい久しぶりにシズクの顔を見たように感じられた。表面上は、その綺麗な笑みは変わっていない。


「私、酷い女ですか?」

「ひどいだろ、自分を省みろ。……っつーかなんて面だ、シズク」


 だが、ウルから見ると、彼女は明らかに変調を来していた。


「愛らしい笑顔に見えませんか?」

「俺の記憶史上もっともブッサイクだわ。悲惨すぎて言葉もねえ。メイク勉強してこい」


 顔面にへばりついたような美しい笑顔が心底気持ちが悪かった。顔の形だけを取り繕ったと言うような笑みは、不快感しか感じられない。ウーガにいた頃の彼女も似たような表情になることはあったが、いくらなんでもここまで酷いことにはなっていなかった。


「ロックに聞いたとおり、不味そうだな。全く」

「ロック様は――」

「逝ったよ。気づいてるだろう」

「…………ええ」


 シズクは、その言葉を聞いた瞬間だけ、僅かに笑みを崩した。隙にも思えたが、それ以上ウルはロックのことを口にすることはしなかった。


「ウル、ウル、離して離して、流石に恥ずかしい」


 すると、抱えていたもう一方の神が不意にぽんぽんと腕を叩いてきた。


「俺は面白かったけどな。めちゃくちゃ無邪気にはしゃぐディズって」

「ぶつよ」

「すんませんでした」


 再びディズに意識の主導権が移ったらしい。ウルは彼女の頭から手を離す。ディズは恥ずかしそうに頭を振ると、ウルと適切な距離を開けた。そして空気を切り替えるように小さく咳払いしてから、改めて尋ねた。


「それで、何しに来たの」

「言ったとおりだよ。邪魔しに来た」

「具体的には?」

「お前らから神をひっぺがしてこっちで使う。世界は良い感じに滅ぼして再生させる」


 極めて端的かつ、かなり雑に説明した。リーネなどが近くにいたら「適当が過ぎる」と頭をひっぱたかれていたかも知れない。とはいえこの状況でグレーレのように講義するわけにはいかなかった。


「……なるほどね」


 しかし幸いなことに、ディズはこちらの適当な説明で理解を示してくれた。少し苦々しい表情とため息付きではあるが。


「驚かないのか」

「グレーレが何かしてることは、知ってたからね。予感はしたよ」


 考えるまでもなく、このバベルはディズにとってのホームだ。そしてそこでグレーレが世界をどうこうするような大がかりな作業をしていたというのなら、気づかないわけがないだろう。

 グレーレ自身はディズに何も言わなかったにしても、彼女ならばある程度の所まで察している可能性はあった。


 そしてそれならば、話としては大変に速い。ウルはディズを見た。


「じゃあ協力してくれ」

「無理だよ」


 対して、ディズは即答した。これもまた、ある程度想像出来ていたことだった。


「分かっているよね、ウル。君の選択は厳しい。かなり険しい道だ」

「ああ」

「理想郷とは対極の嵐がやってくる。多くのヒトが苦しむだろう」

「そうだな。否定しねえよ」


 ザインとグレーレの説明で意味として頭で理解し、そして魔王の荒々しい教育によって魂に刻まれた。自分がこれからやろうとしていることの意味を。


「俺は自分の勝手に多くを巻き込み、。」


 ウルはもうその事実から目を背けるような事はしなかった。ディズはウルを見て、少し悲しそうに微笑み、美しい星剣の剣をウルへと向けた。


「――なら私は、止めないといけないな」

「だろうな」


 その回答もまた、わかりきっていた。

 少なくともディズはそう答えるに決まっている。


「私を大事に思ってくれているのに、ごめんね」

「そういう奴だから、こうすると決めたんだから、気にするなよ、でだ」


 ウルは一度話を切ると、もう一方の神へと向き直る。


「お前はどうだよ、シズク」


 嘘と大悪の竜、月の女神は、


「――――――……」


 硬直していた。

 まるで一瞬、何も考えられなくなったように。常に明晰で余裕を見せる彼女の姿としては本当に珍しいくらいの硬直だった。その事に彼女自身も気づいたのだろう。首を振ると、すぐに元の彼女に戻った。


「――――私も、受け入れる理由はありませんね」

「へえ、そうかい」


 シズクもまた星剣をウルへと向け、温度を感じない冷たい言葉で言い放った。


「世界を滅ぼされる謂れはなし。滅ぶなら、方舟だけが滅べば良い」

「――――っは」


 そしてその言葉を聞いた瞬間、ウルは思わず吹き出して、笑ってしまった。方舟の底の底、最深層にてウルの笑い声だけがこだまする。その笑いを向けられたシズクは流石に眉をひそめた。


「ウル様?」

「嘘くせえ。なるほど、確かに調みたいだな、シズク」

「嘘など」


 嘘の竜になって、余計に嘘が下手くそになるなど滑稽だ。

 ウルは彼女へと一歩踏み出す。シズクは一歩下がりながら更に続けた。


「私は、世界を救わなければならないのです」

「それ、具体的には誰を救う気なんだ?」

「誰……」


 更にウルは彼女へと一歩近付いた。シズクは一歩退く。まるで畏れるように。


「別に、お前が何を望もうと、こっちはこっちでやることやるだけだ、そこに道理があるなら意見そのものを否定する気なんてないんだが」


 行動がどれだけ身勝手で、独善的なものであろうとも、そこに至ってしまうだけの理由があるなら、その根源を安易に否定したりするつもりは無い。

 彼等と敵対することがあっても、彼等の思考を否定する必要はないと思っている。


 だが、目の前の少女の行動に対しては、流石に口だしせずにはいられなかった。


「ディズはまだ分かるよ。一緒にイスラリア中駆け回ったんだ。色々あったが、助けたい相手の顔は見えていた」


 ディズは彼方此方に顔が利いていた。それは彼女が、イスラリア中を自分の足で巡り、彼等と関わり続けてきた証拠だろう。ディズを疎ましく思う者もいたが、それは彼女がそれほどまでにイスラリアに関わってきた証拠だ。だからディズは分かる。

 しかしシズクはどうか?


「世界、魔界をって事なんだろうが……具体的には何処の誰を助けたいんだ?」

「……」

「お前の話からは、“顔”が全く見えてこない」


 無論、ウルが魔界に対して詳しくないのは確かだ。彼女がイスラリアにくるまでの詳細を実際に見聞きして触れたわけでもない。だが、シズクの言動のどこからも、魔界への“温度”を感じ取ることが出来なかった。

 イスラリアに居る間、彼女がほんの少し零していた言葉からも感じられたのは、義務感や、罪悪感ばかりだ。誰彼を助けたい、という身勝手なまでの欲が、彼女から感じられない。


「ドームの住民達か?あの中枢ドームでお前に邪神を与えた研究者達か?それとも――」


 ウルは更に一歩踏み込み、そして問うた。


って友達か?」

「――――どうして?」


 シズクの微笑が崩れた。表情から感情が失せ、虚ろな、彼女の本性が零れでた。


「ドームの研究者から吐かせた。何を闘う理由にしようとお前の自由だが、余計な口を挟ませてもらうなら」


 更に一歩、ゆっくりと、ウルはシズクへと近付いていく。距離を詰める。


「――――やめて」


 銀色の力が奔った。

 頬を掠め、血が噴き出す。単なる牽制のそれではなかった。明らかな敵意と殺意がその力には込められていた。シズクの表情は虚ろなままだが、しかし、ウルを見る目つきが変わっていた。

 美しい銀の瞳に、射殺すかのような強い力が込められていた。

 

「ウル様」

「なんだ」

「貴方のことが嫌いです」


 それは、明確な、怒りと敵意だった。彼女が自分に向けて晒す初めての悪感情だった。


「――嬉しいね、ようやくちゃんとお前に嫌われたわ」


 美しく、賢く、従順。冷静で、常に自らを覆い隠す彼女の本心。これまでは掠めることしかできなかった無感情の更に奧の激情にウルはようやく触れられた。

 もっと早く、こんな世界がひっくり返るような状況になる前にそうするべきだったのは確かだが、彼女が何処かへと行ってしまう前に踏みこむことが出来たのは幸運だった。

 自分の全てをたたき付け合う交わりが無傷などありえない。


 彼女達を救うなら、殺される覚悟と、殺す覚悟くらい決めないと話にならない。


「さて、それじゃあやるだけのことはやるかね」


 改めて、ウルは槍を構える。すると双方の神もまた、臨戦態勢に入った。


「悪いけど、容赦する気はないよ」

「世界が果てになるその時まで、じっとしていて下さい」


 感情は入り乱れているが、それでも湧き上がってくる双方の力は尋常ではない。ここまでの道中の戦いはとてつもない相手ばかりであったが、その比ではない。

 人格や能力の話ではない。もっと純粋な質量が違い過ぎる。竜と対峙した時以上の圧力に、ウルは肌が粟立つのを感じた。


「わかっちゃいたがやべえなこりゃ…」


 わかりきったことではある。

 極めて純粋に、有する戦力は二つの神の方が圧倒的に上なのだ。ウルの力は二柱の神が有する力の断片をかき集めたような代物でしかない。

 まともにやっては勝てない。

 こんな怪物達相手に、凡人の自分が一人でできることなんて限られてる。

 そんなことは分かっている。今日にいたるまでつくづく、思い知った。


「そんじゃまあ、


 一直線に迫りくる二つの神の間で、ウルは呼びかける。


!!!」


 そうして、二神の攻撃が直撃する寸前、

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