竜呑ウーガの死闘Ⅱ⑫ 何故



「ジャイン兄ぃ!」


 ラビィンの声に、ジャインは空を見上げる。

 上空で無数の銀糸を食らいつくす黒衣の女王の姿がそこにあった。膨大な数の鏡が周囲を旋回し、銀糸を次々と簒奪して食らいつくすその光景は凄まじい。

 ウーガに巣くっていた邪悪な結界の破壊。それ自体は喜ばしい結果であるはずだが、ジャインの表情は晴れなかった。彼は知っている。必ずしも彼女のこの状態が好ましい結果に繋がらないと。


 【鏡の精霊ミラルフィーネ】の暴走。


 一歩間違えれば味方全てを食らいつくす災禍となりうる事実を、ジャインはエシェル自身から聞かされている。万が一自分が自分を見失っていた場合は、躊躇いなく自分を討てと彼女自身から託されていた。

 だからジャインは慎重に状況の推移を見守っていた。だが、


《【ジャイン!】》


 不意に通信が飛んできた。声の主は誰であろう、女王そのものだ。ジャインは即座に通信魔具に応じた。


「っ!どうした!」

《【六十秒後、銀竜を墜とす!!!】》


 それだけの指示を告げて、女王の通信は途絶えた。ジャインは一瞬判断に迷った。だが、そのジャインの判断を助けるように


《ジャイン!あれはエシェル様です!!》


 カルカラの通信が飛んできて、確信へと至った。ならば最早迷うことは無い。ジャインは引き連れた部下達に手を上げ、指示を出す。


「上空を注視しろ!!銀竜が落下したタイミングを見極めて仕掛ける!!!」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 ウーガの外、巨大なる大亀の防壁を乗り越えた先では、機械の巨人と光の巨人の激闘が今なお続いていた。


「っがああああああ!!!」


 グルフィンは痛みと恐怖の中にいた。

 わかりきっていたことではあった。陽喰らいの時のように周囲に味方がいて、ただデコイとしてデタラメに暴れ回るだけの時と、今とでは全く異なる。あの恐ろしい怪物は何が何でも自分を殺そうとしている。明確な殺意をもってぶつけてきているのだ。


『【GRRRRRRRRAAAAAAAA!!!】』


 機神の腕が膨張し、その拳に銀竜が纏わり付く。今度は無数の槍のような刃が拳から突き出ており、それがグルフィンの身体を穿ち、貫いた。

 無論、膨張し強化された肉体は本体を傷つけるには至らない。だが、感覚はある。銀の刃が身体の内側に潜り込み、次々と引き裂いていく感覚にグルフィンは吐き気を催した。


「っが?!」

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』


 それを連続で繰り返される。グルフィンの膨張した肉体には無数の穴が空けられ、えぐり取られる。あまりにも強烈な殺意だった。その攻撃の一つ一つから、なんとしてでもこちらを殺そうという並々ならぬ殺意が込められていた。


「ひ、ううううううあああああああ!!!」


 たまらず、グルフィンは悲鳴を上げる。

 彼はわかっていた。自分は戦士ではないと

 たまたま、この場において自分の力を飛躍させることができる環境が整っていただけだ。別に突然自分が並々ならぬ戦士として覚醒したわけではないのだ。

 本物の、死に物狂いの殺意をぶつけられると簡単に縮こまってしまう。握った拳は震える。足腰に力が入らない。今すぐに背中を向けて逃げ出したい。本当にそうしたいのだ。もう十分に戦ったじゃ無いかと心の底から叫びたい。


「ぐ、うう…………うう…………!!」


 だけど、引き下がることはできなかった。

 それだけはできない。自分が下がればその瞬間、どうなってしまうのか彼は理解している。このあまりにも恐ろしい怪物が自由になったならば、ウーガに再び乗り込んで、住民達を情け容赦なく踏み潰してしまうのだと理解出来てしまった。

 自分の教え子達はウーガに残ることを選んだ。ようやく手に入れた自分の場所を失う事を拒んだのだ。自分が引き下がれば、子供達は本当に死んでしまう。それに、


「グルフィン様!!!」


 この危機的な状況下にあっても尚、自分を護ろうとするフウがいる。

 彼女だけは護らねばならない。戦わねばならない。


「お、おお、おおおおおおおおお!!!」


 グルフィンは震える拳を強く握りしめて、再び振り上げた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 ハルズもまた、痛みと絶望の中にいた。


 何故こんな事をしている。

 何故戦っている。

 何故自分はこんな地獄の中にいる。


 ぼたぼたと涙の代わりに、おぞましい粘魔と真っ黒な油がこぼれ落ちる。本当に泣いているわけではない。そんな機能は存在していない。もう自分には残っていない。


『GAAAAAAAAAAAAAA!!!』


 人形として暴走する機神の破壊衝動

 粘魔と変貌してしまった自分の意思

 それら全てを操ろうとする銀竜の干渉


 三つ全てが合わさった状況で、あっという間に破綻しかねない有様であって尚、ハルズの肉体は動く。身体には殺意が満ち満ちていた。ただ、目の前のものを破壊するという一点において、三つの破滅的な存在は統制が取れていたのだ。


「ぐ、うううおおおおおおおおおお!!!」


 機神の暴力が、粘魔の膨張が、銀竜の刃が、光の巨人をたたきのめす。光の巨人はもろく、軽かった。力こそあるが決して【天賢】のごとくではない。悪辣なる魔王の英知と一千年の憎悪、そして月神の力が宿った機神に分があるのはどこまでも自明だった。

 一方的に相手をたたき付ける。憎むべきイスラリアを破壊する。長い間の宿願が今叶うというのに、それでもハルズの心中は苦痛に満ちていた。疑問が溢れていた。


 こんなことをしたかったのか?

 こんな苦しい思いをするために戦っていたのか。

 こんな、息も出来なくなるような憎悪のために戦ってきたのか?


 違うはずだ。違ったはずだ。そうではなかったはずなのだ。


 だけどもう思い出せない。あまりにも記憶は古くなってしまった。

 もう何年も、何十年も、何百年も時間が経ってしまった。彼はその間ずっともがいて、もがいてもがきつづけた。時間は彼の心を摩耗しつづけた。最早かつていた世界の記憶も思い出せなくなって、空も大地も匂いも、家族の記憶も曖昧だ。


 それがあまりにも苦しくて嘆きたくとも、零れるのは涙ではない。


 だけど、それもこれも全てこいつらのせいだ。

 すべてこの方舟のせいで、そしてそこに住まう住民達の呪いのせいなのだ。それだけは覚えている。それしかもう覚えていない。大事なものを全て取りこぼし続けてきた彼は唯一残された憎悪だけを握りしめた。両手の拳を合わせ、あらん限りの力を込めて、光の巨人も、うろちょろとする小さな少女も、その背後の大亀も、なにもかも粉みじんにするために力を振るった。


 だが、その瞬間ハルズは見た。

 光の巨人が、小さな小さな少女を護るように抱えかばおうとする姿。


『――――――』


 同時に彼を覆い尽くしていた記憶の霞が一瞬だけ消えた。


 ――おとうさん


 もうずっと長いこと思い出せなかった事。

 残された家族、もうとっくの昔に失われて、二度と会えなくなった我が子の笑み。思い出したかつての自分。終わりゆく世界を子供に残すことを拒んだ自分の姿。その為藻掻き苦しんで、どれだけ時間をかけても結果を残せず、先に死なれてしまった絶望の記憶。


 だけど彼が強く想ったのは、我が子への愛であり、そしてそれが目の前の光景と重なった。自然と強く握りしめていた拳は解け――――


「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 次の瞬間、光の巨人が放った拳が粘魔王を打ち抜いた。

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