螺旋の中で


 【真なるバベル地下、螺旋図書館中層】


「ふむ、流石だなあ?剣の冴えはまるで落ちてはいない」

「お前はもう少し真面目に仕事をしろ」

「やってるとも。これでも病み上がりだというのに無茶をいう」


 名も無き孤児院の主である【元・勇者】ザインと【天魔】のグレーレは“緋色の爆発”が起こるよりも早く、バベルの内部に侵入していた。

 螺旋図書館は非常に複雑でややこしく、しかもシズクがバベルをまるごと乗っ取ったことで迷宮化しているが、グレーレはこの螺旋図書館の主だ。正規のルートではない抜け道の一つや二つ知っていた(ルートのいくつかは迷宮化によって通行不可能にはなっていたが)。


 そんなわけで二人は内部を進んでいる訳だが、しかしその内部の攻略は侵入した時と比べると容易いとは言い難かった。

 外見以上に内部の構造は複雑化している。空間は拡張し、プラウディア全体にまで広がりつつある。その上、


『AAA……!!』


 肉壁となった壁の一部が、おぞましい竜の形となって侵入者を襲おうとしてくるのだ。


「【魔断】」


 それをザインは生まれ出るよりも早く、即座に両断して切り捨てた。グレーレの自動術式よりも尚早い。働けと彼は言うが、その早業に追いつけというのは結構な無茶だとグレーレは口に出さずに肩をすくめた。


「歪だな」


 そんな彼の心境を知らず、ザインは周囲の迷宮化した螺旋図書館を睨みながら、眉をひそめている。彼の言いたいことはグレーレにもよく分かった。


「やはり、無理が出てきているなあ?当然と言えば当然だが」


 月神シズルナリカの力がこの螺旋図書館を変えた。

 自分だけではなく、自分の外部にまで干渉範囲を伸ばす竜化現象。イスラリアを統治するため調整された太陽神ゼウラディアは必要としなかった力。自身の延長を創り出す能力。

 つまり今の螺旋図書館はシズルナリカの体の一部だ。つまり、この場所の状態を見れば、その主の状態を逆算で推察が可能となる。


 現在、この迷宮の有様は真っ当ではない。


「悪感情の影響か」


 ミラルフィーネを飲み込んだ竜呑の女王ですらも、危うい暴走を引き起こす。

 ましてシズルナリカは現在、イスラリア中の畏怖を一身に集めその力を自分に集めている。ミラルフィーネの比ではない上に、畏怖は戦争が苛烈さを増すほどに強くなる。それこそが彼女の狙いではあるのだろうが、彼女のやり方はあまりにも効率が良すぎる。


「制御できなくなると?」

「それならばまだマシだがなあ?破綻するだけだ」


 そう、単に失敗するだけなら、シズルナリカの勇者が破綻し、ディズが勝者となるだけだ。ゼウラディアは元々、シズルナリカの反省を踏まえて完成された代物であり、シズルナリカのような破綻は起こりえない。

 だが、問題は、


「あのシズルナリカの勇者であれば、。そうなるともう致命的だ」


 万が一にでも、危険極まる“悪感情の信仰”を制御しきってしまったならば、最早それは誰の手にも負えぬほどの災害となる。かつて定義された【終焉災害】などというものですらない、【終焉】そのものと成り果てるだろう。

 そして、その可能性は決して否定しきれない。

 何せ、シズルナリカの勇者シズクは、たった一人で方舟イスラリアに乗り込み、自分の周りに敵しかいない状況下であってその綱渡りを成し遂げた紛れもない怪物なのだ。既にあり得ない奇跡を成し遂げてしまった彼女に、二度目が無いなどと何故言える。


「未知は望むところではないのか?」

混沌カオスは好ましいが、引き起こされるのが終焉エンドではなあ?面白みもなにもない」


 だから上手く阻止しなければならないのは間違いなかった。しかし、それだけでも手に負えない話だというのに、


「“別の懸念がある。こちらは何一つ面白みはないがな”」

「やはり、仕掛けているか」

「むしろないと思うか?」

「そうだな」


 会話の最中、ザインは再び剣を引き抜く。彼の視線の先には再び、歪み、形をなした竜が姿を現した。先ほど歪な形となったソレらを前に、ザインは一切の油断なく剣を構えた。


「だからこそ、万が一が起こった時のために備えねばならない」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 【真なるバベル地下、螺旋図書館上層】


「早々に死ぬかと思った……!」


 緋色の大爆発に飲み込まれたウルは、崩壊した建物のがれきの上で体を起こした。感覚的に結構な落下だったような気はするが、体に痛みは無かった。上手く衝撃がいなせたのか、あるいは自分の体が頑丈になってるのか分からなかったが、とにかく無事だった。


「螺旋図書館の中…………か?」


 周囲を見渡しながら、ウルは確認する

 螺旋図書館自体はウルも知っている。エシェルから(とてつもなく酷い目に遭ったと泣きながら)話は聞いていた。が、周囲を見渡しても確信が持てなかった。

 シズクがバベルを乗っ取ったのはウルも遠目に確認した。七首の竜が渦巻き暴れている姿を見たが、内部はそれ以上だ。精緻な石造りで出来た建物が、肉壁に覆われうごめいている。人類の英知、その集積所が竜にまるごと呑まれている。


 だが、解せなかった。

 ウルが落下したのはバベルの近くではあったがすぐそばではなかった。だが此処は明らかにバベルの中、その地下空間に違いなかった。螺旋図書館の全貌をウルは知らなかったが、実は外見のバベル以上に広範囲に広がっていたのか?

 あるいは空間がゆがんだ?

 迷宮化による変化?

 アカネの力によって境界が崩れたという可能性もある。が、


「……まあ、いい」


 いろいろと推測が頭に浮かんだが、その全てをウルは切り捨てた。

 考えるのは後でもできる。兎に角今は先に進まなければならない。なにせ、


「七首竜も来てる……か」


 奈落へとつづくとてつもなく巨大な螺旋の穴の空間で、音が反響している。その中には竜の雄叫びのような声も混じっていた。外で大暴れしていた七首竜が、先の崩落によって地下へと戦場を移動させている可能性が高かった。


 ウルの目的を考えれば、下手な接触はしたくない。

 

いちいち目の前の障害全てと戦っていたらキリがない。回復薬は補充できたが、グリード攻略の時と比べれば潤沢とはほど遠い。なのに、それ以上の巨大な大ボスが控えている。

 できる限り、体力は温存しなければならない。だから、


「戦闘は最低限、最短距離で行く……!」


 自分自身にそう誓いながら、ウルは騒音が響く方角に背を向ける。幸いにして、緋色の大樹が深く地下から伸びているのが見えている。勇者達がいる場所を間違うことはない。


 そう確信しながらウルは階段を下り――――


「ぬ!」

「ん!?」


 その次の瞬間、通路の向かいから傷を負った【天拳】のグロンゾンが姿を現し、


『GAAAAAAAAA!!!』


 その背後から、奇妙な形をした瞳の怪物が現れ、グロンゾンを追い回していた。一体ソレがどういう状況なのか、反射的にウルは状況判断のために動きを固めた。対して、その謎の怪物に襲われているグロンゾンはウルを見た瞬間、力強く頷いて、


「すまん!巻き込む!!」

「巻き込むっつった?!」


 ウルに向かってまっすぐ突っ込んで、戦闘を開始した。

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