陽殺しの儀③



 大罪都市エンヴィーは苦境のただ中にあった


 冒険者や神官、騎士団の質が他の都市と比較して図抜けて低いなどと言うことは決して無い。むしろ彼等の装備は発展した魔道機械技術の恩恵を受けている事もあり、その標準がもっとも高い国だ。


 だが、今、大量の魔物達が殺到し、銀竜達が【太陽の結界】に干渉し、咆哮をたたき込む。この極限の戦闘状況を押し返すことが出来ていない。

 まだ太陽の結界は維持できている。出来ているが、結界越しにどれだけ魔物達を竜牙槍の砲塔で焼き砕こうとも、それが増える数の方が圧倒的に早い。


 このままでは、結界全てに魔物達が殺到して、その重みで押しつぶされるのでは!?


 なんていう者まで出てくる始末だ。その恐怖が更に太陽の結界の信仰を弱め、揺らがせる。そんな彼らの不安を和らげ、魔物達を押し返すことがエンヴィーには出来ていなかった。


 理由は、ハッキリしている。

 大罪都市国エンヴィーという国の力が、純粋に落ちていた。


 神殿と中央工房の激突と混乱は、最終的に天魔のグレーレの謝罪と賠償によって落ち着き絵を取り戻した。結果として、この二つの集まりの間に発生していた亀裂は解消された。

 良い方向へと向かった部分があるのは事実だが、この国そのものは大きく傷つき、今はゆっくりとした回復の最中にあった。欠落した人事の穴埋めをしても、新しい環境を慣らすには時間が必要だ。


 その時間による回復よりも早く、この混沌が起きてしまった。最悪の状況と言える。


「大罪迷宮エンヴィーの魔物の出現率が更に高まっています!火炎魔人の情報も!」

「幾つかの神官達と魔術師部隊を配備しなさい。直接は戦わず地形破壊に専念を。エンヴィーはギンガン山脈と一体化した迷宮、地形破壊は一定の効果が出るから」

「そのギンガン山脈から噴火の傾向が」

「んん……大地の神官と相談しようか。いないならプラウディアと連絡も取って。流石に噴火は不味いからね……」

「竜達の一部が衛星都市ベルダに殺到しています!!」

「ベルダの騎士団と連絡を取って、必要なら救助を。結界の強度に危険な兆候が見える前に、避難誘導を開始して。勿論、住民達は慌てさせないでね」


 だが、エンヴィー騎士団の騎士団長、ロンダー・カインはその最悪の状況下においてなんとか奮闘をしていた。

 グレーレの直属部隊である遊撃部隊に頭の上がらないうだつのあがらない男、と部下からも陰口を叩かれる事の多い彼であるが、この地獄のような有事に対して、逃げ出すようなことはしなかった。平時と変わらない、少し困ったような、ぼんやりとした顔のまま、淡々と目の前の事象に対する解決策をひねくり出すのだ。


「すみませんロンダー団長!!指示されていた東方面の撃退が追いつきません!結界越しでは限界があります!

「うーんそうかあー……冒険者の部隊は動けるかな?彼らと騎士団の混成部隊を造ろうか。防衛では無く遊撃なら、彼らの方が得手だ。勿論報酬は確約してね」


 無論、それらは天魔のグレーレのような素晴らしい頭脳から繰り出される天才的なアイデアからはほど遠い、時として失敗することもある。だが、それに対しても彼は特にめげたり、混乱する様子もなかった。

 ひたすらに淡々と、リカバリーを考えて、次の策を用意するのだ。

 それが、この混沌としたエンヴィーという国の中にあって、頼もしかった。思えば、先の中央工房と神殿の激突の時も、混乱すること無く、被害を最小限にとどめるように、ブレずに対応していたのは彼だった。

 この有事に、そんな彼の姿勢に対する支持と敬意が集まり、一つにまとまりつつあった。


「ああ、そうだ。上空の銀竜達の対処は進んでいるかな?」


 ロンダーが尋ねると、部下の男はすこし奇妙な顔を浮かべた。厳しい状況に対する苦悩、というよりもそれは、どう受け止めて良いか分からないものに対する困惑だった。


「遊撃部隊のグローリアが張り切ってますよ。グレーレの留守を任されたってね。ガルーダを乗り回してます」

「ほう」


 遊撃部隊隊長グローリア。

 無論、彼等はよく知っている。騎士団の実質的なトップだった女であり、エンヴィーの支配者だったグレーレの直属の部下だが、先の騒動でグレーレはこのエンヴィーの支配者としては失墜した。所属人員も減り、遊撃部隊は、実質的に解体され、通常の部隊へと戻されたのだ。

 典型的な権力の失墜である。にもかかわらず、彼女はまだ此処に平然とした顔でとどまっている。理由を尋ねると「グレーレに彼不在中の管理を任されたからだ!」と自信満々に言ってのけて、他の騎士達を唖然とさせた。

 そして今、彼女は獅子奮迅の活躍で、太陽の結界に群がる竜達を撃退している。ソレが騎士達には奇妙に映るようだった。


「……正直、愚かな女だと思いますが、助かりますよ、本当に」

「愚か?」

「天魔はもうエンヴィーから追放された。なのに此処を守れだなんて、彼女、捨てられたのではないですか?」


 天魔に対する不敬な言葉であるが、既に彼はいない。ためらわず本音を漏らす。とロンダーはその言葉に対して、くっくっく、と、こらえるように笑いをこぼした。


「団長?」

「ああ、ゴメンね。うん、まあ、それはないよ。多分ね」


 そういって手を振った。ありえない冗談を聞いたような反応だった。


「グレーレはエゴイストだけど、此処や彼女を見捨てたりはしないよ。そういうヒトさ」

「天魔が慈悲深いと?」

「慈悲ってほど大げさでは無いと思うなあ。?」

「……」


 あまりに飾らない言葉に絶句する。

 これまでグレーレに良いように利用されてきた騎士団団長の立場を考えれば、彼の失墜はロンダーにとって喜ばしいことであるはずなのだが、むしろロンダーはさわやかな顔で断言したのだ。「自分達は未だ、グレーレの所有物である」と。


「エンヴィーでの失墜も、多分予定通りだろうしねえ。影響力が強すぎていざこざが増えてきたから、一度手放して、状況を整理した後、戻るつもりなんじゃない?数十年後くらいに」

「数十……」

「それまで、自分の手駒を置いておくのは道理だよね。グローリアさんは、他の同僚達からの冷たい視線、なんてどうでも良いだろうしねえ」


 「森人の時間の使い方は豪快だねえ」、とロンダーは小さく笑う。すると部下の男はなんとも言えない顔になった。


「我々は未だに、偉大なる魔術師の掌の上、と」


 思うところはある。エンヴィーのなかには、天魔の支配からの脱却と自立を喜び、張り切る者もいる。そんな彼らがこの話を聞いたらどんな顔をするだろうか。

 そしてそれは彼も同じだ。騎士団にも、グレーレの影響力による歪な力関係が存在したのだ。ソレが解消されたと思って喜んでいたのだから、がっかりとした気分にもなる。


「まあ、ソレは構わないじゃないか。ありがたいことだよ。特にこのような窮地ではね」


 が、ロンダーはまるで気にした様子はない。

 まあ確かに、数十年後にグレーレが帰ってきたときには彼も引退しているどころか死んでいる可能性もある。考える意味など無いのかも知れないが―――


「……団長は、辛くはないのですか?」

「うん?」

「神殿も中央工房も弱って、その時にこの大騒動で、貴方に負担が集中している。貧乏くじです。良いのですか?」


 この窮地の騎士団の団長という職務は貧乏くじとしか言いようが無い。あの恐ろしく巨大な銀竜が空を砕いてから、一日たりとも休めてはいないはずだ。なのに彼は飄々とした態度でその状態を受け止めている。それが部下の男には奇妙に映った。


「私にも責任と、郷愁というものはあるよ。」


 だが、ロンダーは笑ってそう言った。


「郷愁……」

「勿論、この国には陰湿な部分が多かった。酷いところも目に付いた。でも何もかも、悪いところばかりでは無かったはずだろ?」

「まあ、それは」

「中央通りでやってる出店とか、仕事帰りに立ち寄る懇意の酒場とか、無くなってしまうのは、惜しいからね」


 そして、それを損なわせないために出来ることが目の前にあるのだから、やる。ロンダーは凡夫であったが、自分の出来ること、やるべき事は決して見失うことの無い男だった。

 部下は、ロンダーの見えないところで手を握りしめ、なにか声をかけようとした。だが、その直前に、凄まじい轟音とともに、彼の机に備え付けてある通信魔具からキンキンに高い声が響き渡った。


《ロンダア-!!!ガルーダの魔石燃料が尽きました!!すぐに補充なさい!!》


 その声のすさまじさに二人は跳び上がる。それが誰なのかはすぐに分かった。現在ガルーダを乗り回し、エンヴィー周辺の銀の竜達を始末して回っているグローリアに他ならない。


「流石に通信魔術では団長と呼んでね、グローリア。それと、移動要塞の着陸港に用意してある。【ガルーダ】の着陸許可を出そう」

《よろしい、団長!北部の人員不足が深刻です!すぐに配備なさい!グレーレの戻る場所を失わせたら容赦しませんからね!!!》


 オホホホ!という、凄まじい笑い声が騎士団長の部屋に木霊し、通信は切れた。

 嵐のような女だった。その場を包んでいたしんみりとした空気は消し飛んでいった。ロンダーも部下も、顔を見合わせて笑ってしまった。


「凄い女ですね」

「いや全く、頼もしいよ」


 ロンダーは立ちあがった。剣をとる。


「出るのです?」

「彼女の言うとおり、人員不足は深刻だ。団長の部屋に引きこもり続けていては見えないことが多い。直接指揮しよう……まあ、私の剣の腕は微妙だがね」


 彼は苦笑いしながらも、その歩みに迷いは無かった。


「彼女を見習おうか。周りにどう思われようと、どれほど無様に嗤われようとも、生き残れば勝ちだ。頑張ろうじゃあないか」

「最後までお供します。団長」


 先程言えなかった言葉を部下は告げ、二人もまた生き残りを賭けた激闘のただ中に足を踏み入れた。

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