太陽


 神殿が崩壊していく音が聞こえる。

 砕けて崩れて墜ちていく。数メートル横に巨大な瓦礫が落下してきたので此処も全く安全ではない。だが、ウルはその場から動かなかった。目の前の、白銀の魔力によって包まれ、球体のようになったシズクを見上げ、腕を組み、眉間に皺を寄せていた。


「……どーすっかなあ、マジで」


 現状のウルの心中はその一言に尽きる。

 目の前で起こった現象に、流石にウルも混乱していた。


「ウ、ウウウウル!??シ、シズクが!?」


 エシェルがブンブンと肩を揺する。彼女の反応は実にごもっともだ。ウルも出来るなら彼女の肩を掴んでぶんぶん揺すりたかったが、そんなことをしたところで目の前の光景は変わらない。

 さりとて今の状態の彼女と、その彼女の傍で彼女を守っていたロックに声をかけたところでなにか聞こえるとも思えない。


「おい、ウル。天井崩れそうだぞ」

「柱も次々倒壊しているわよ。ウル」

「……どーっすっかなあほんと……」


 そして、ダラダラと悩んでいる場合でもない。リーネとグレンの指摘は正しい。どう考えてもこの場にはもういられない。


「一先ずこの場を離れ――」

「ウル」


 不意に声をかけられた。振り返ると、目の前に紅色の球体がぶん投げられ、ウルは条件反射でそれを受け止めた。


《んにゃ?!》


 球状のアカネが投げつけられ。回避しなくて良かったと心底思った。


「何の真似だディズ」


 妹をぶん投げた張本人、ディズをウルは見る。

 彼女は笑っていた。ウルは嫌な予感がした。


「ウル、ゴメンだけど、私【歩ム者】を辞めるよ。入ってそうそう申し訳ないけど」

「将来有望だったのに残念だ。それで?」

「王から許可はもらった。今回の君たちの報酬は支払われた」


 淡々と、彼女は語る。


「金貨3000枚。ウーガ自治権。アカネの人権確保。白王陣の天賢王の御用達認定その他諸々、ついで理想郷時代に到達した際の君たちに対する特権階級永続保証。プラウディアの従者に最初からその旨は伝えているってさ。確認しておいてよ」


 アルノルド王からの依頼が達成扱いとなった。それはつまり、ディズとの契約、長きにわたるアカネの扱いを巡った取引も完了したと言うことに他ならない。


「見事、私という邪悪から妹を守り切ったね」


 彼女は笑っていた。心底嬉しそうに。


「ディズ」

《ディズ!》


 ウルが呼びかけ、アカネが叫んでも、彼女は此方にはやってこない。天井から降り注ぐ瓦礫が彼女とウル達の間を別けた。激しい振動で近付くこともままならない。


「約束を守ってくれてありがとう」


 彼女は振り返る。彼女の向かう先には彼女の同僚の七天達が揃っていた。彼女がこれからなにをするのか、なにをさせられるのか。ウルには理解できた。だが、止めるヒマもなかった。


「オイ待てってディズ――――!」

「勝手なことだけど、君たちの居る世界は私が守るよ」


 一際に大きな天井の瓦礫が落下する。ウルは飛び退き、そして次の瞬間前を見ても彼女の姿は見えなくなってしまった。


「……俺の周りの女って、俺の話ぜんっぜん聞かずに我が道を行くよな」

「貴方に似たんじゃない?」

「お前に似たんだろ」

「私は控え目だと、思う、んだけど、なあ……」


 ウルの嘆きに対するリーネ達の感想をウルは聞き流した。目一杯抗議してやりたい気分であるが、状況が変わった。契約は完了した。ウル達は自由の身だ。

 勿論、だからといってこの後起きることは全部見て見ぬフリ、なんて事は出来ないがしかし今は自分達の身の安全が最優先になった。

 まずは生きてここから出る。話はそれからだ。


「急いで此処を出よう。エシェル。悪いが俺と一緒に先陣を切ってくれ」

「わ、わかった!」

「グレン、リーネ抱えてくれ。頼む」

「私、このヒトに抱えられるの?」

「おい、露骨に嫌そうな顔辞めろ。」

「後はアカネ、一緒に――――アカネ?」


 次々に指示をだし、最後にアカネへと視線をやる。

 彼女は身体を浮かび上がらせて、じっと瓦礫の山で見えなくなったディズの方角を見つめていた。じっと、真剣な眼差しだった。


「アカネ」

《にーたん》


 再度の呼びかけに彼女は振り返る。ウルの顔を見て、俯いた。なにかを言い出したくても出来ないとき、彼女は大体こんな風な態度になる。ウルはそれをよく知っていた。


《――――あんな》

「なにが言いたいかは分かるよ。一応兄だしな」


 ウルは指先で、小さなアカネの頭を慰めるようにして撫でた。アカネは顔を上げる。


《うん》

「俺たちは自由だ。自由になった。ディズに勝利した」

《うん》

「だから、お前は望むまま、自由に生きろ。最初からそれが、俺の望みだ。」


 アカネはくるりとその身を変えて、幼い少女の姿になった。5歳児ほどの姿となった彼女はウルへと跳びついて、幼子とは思えないほどの力でウルを抱きしめた。ウルもまた、その力と同じくらいに強く、愛をもって彼女を抱きしめ返した。


《ありがとう、あいしてるぜ、おにいちゃん》

「愛してるぜ、妹――――またな」

《ん、またね》


 アカネは再び妖精の姿になって飛び去った。一直線に、瓦礫の向こう側へと越えていく彼女をウルは最後まで見送り、そして振り返った。


「此処を出るぞ」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 白銀の竜の咆吼が強くなっているのをディズは感じ取っていた。

 最早この場所に残された時間は少ない。成すべき事を進めなければならない。


「さて、やるか」


 ディズは前を見る。激しい振動と降り注ぐ瓦礫のただ中を、グレーレが楽しげに術式を刻み魔法陣を構築していた。それはどこか、先程この神殿の莫大な魔力が構築した術式に似ていた。


「天拳の”運び手”がこの場から離れる前に済まさねばな!カハハ!」


 彼は絶好調だった。未知に対する好奇心こそが彼の原動力であるのなら、今こそがまさに、誰一人先の見えない混沌の始まりであり、終わりでもある。興奮しないわけがなかった。

 酷く危うい気質であるが、この状況下ではこの上なく頼もしい。


 ディズはその魔法陣の中心に立った。

 その彼女にアルノルド王がスーアと共に近付いてくる。


「王」

「恐らくイスラリアを守る次元障壁は破られる。備えはしたが、激しい混乱が起こるだろう。大悪竜の侵攻をなんとか抑えてくれ」


 そしてそのまま膝を折り、スーアの肩を叩く。


「すまないがスーア。この後は託す。周りの協力者を頼んで――――」


 最後まで彼の言葉を聞き終えるよりも前に、スーアは王へと抱きついた。珍しいくらいに強く、ハッキリとした感情表現だった。アルノルド王自身も少し驚いたらしい。が、おずおずと、王もまたスーアの身体をゆっくりと、抱きしめ返した。


「お許しを。そして、お任せ下さい」

「……許可など不要だ」


 ディズは目を逸らした。邪魔をしたくなかった。


「ジースターも、いいの?」


 同じく、この場にはジースターもいた。彼の事情についても、ディズは少なからず察していた。他の前任と違って、出自があまりにもハッキリしていなかったにも関わらず、アルノルド王に重用されていた彼が、特殊な事情を抱えている事は分かっていた。

 もっとも、流石に此処までの大規模な秘密を抱えていたスパイだとは思ってもみなかったが、


「此処までが契約だ。力の返納後は好きにさせてもらう」

「了解。今日までありがとうジースター。キミの力は頼りになったよ」

「俺も、お前の善性には助けられたよ。ありがとう」


 ディズが差し出した手を、ジースターは握り返す。秘密を多く抱えていた彼と、初めて心から通じ合えたような気がして、こんな時であるがディズは嬉しかった。


「正直、なんとか意識を取り戻したら滅茶苦茶になっていて混乱しています」

「そうだね。でも、私も似たようなもんだよ」


 対して、先程意識を取り戻したばかりのユーリの顔色は相変わらず悪かった。グリードの戦いからまだ、身体が全く回復していないのだろう。支えなければ、今にも倒れてしまいそうなほど、今の彼女は弱っていた。

 しかし、その瞳の強さはなにも変わりはしなかった。その目で彼女はディズを見る。


「剣才の欠片も無い貴方に天剣を渡すのは死ぬほど不安ですが」

「ダメだったらキミに頼るよユーリ」

「そうなさい。必ず」


 ユーリはディズの腕を掴み、強く握る。疲労や怒りが入り交じる表情のその奥底に、ディズに対する心配があった。


「一人で、無理はする必要はありません」

「うん。ありがとうユーリ」


 そう言って、彼女もまたグレーレが描いた魔法陣の定位置に立った。

 魔法陣の輝きが更に強くなる中、先程からじっとこちらを見つめてきていた視線へと目を向けると、真っ黒な大男、魔王ブラックが此方を見てニヤニヤと笑っていた。


「おうおう、若い女の子同士のいちゃつきは目の保養になるのう」

「ほんっと、楽しそうだね。魔王様。いや、【天愚】?」


 太陽神の加護が与えられない勇者という七天に何の意味があるのか?

 それについては彼女も常々悩んでいたものだったが、答えが明かされればなんてことはない。そもそも勇者は七天の一員ではない。という、割とどうしようもない真実がそこにはあった。なんともはや、自身の力不足にコンプレックスを抱えていたのが馬鹿らしくなる。


「しかも、こんなのが七天の一員だったなんて知ったらね」

「おいおい、先輩をもう少し敬えよ。」

「絶対嫌だな」


 ブラックは最高に楽しそうである。

 現在の混沌とした状況を生み出した全ての元凶。ジースターよりも遙かに信頼ならないこの男が現状味方である事実が今の一番の懸念材料である。が、それでも今は彼を受け入れなければならないのだから酷い話だった。今は大人しいが、全く信頼ならないのは心に留めておかなければならない


「では始めるぞ」


 王が宣告する。一人を欠いた六つの天に囲まれて、ディズは星剣を掲げて目を瞑った、その隣に立ったアルノルドは、天賢の力を放ち、そして、宣言した。


「太陽神と同規模の脅威出現を確認。対抗のため、天賢及び、太陽神権能の勇者への管理権限委譲を申請」


 その宣言を唱えた瞬間、光が形を変える。それは、“瞳”だった。強欲の迷宮で、グリードを捕縛せんと出現した“瞳”と同じものであると、その場にウルがいれば察しただろう。


〈申請確認完了、【勇者】を確認、【魂】の容量不足を検知、緊急事態につき、三原則の内、対人不干渉の命令を除外、魂容量改善を開始」


 言葉と共にその場にいる全員の【七天】の加護が解けていく。渦巻いて、揺らめき、そしてディズの元へ結集していく。


〈【七天統合】及び【勇者・神化】開始〉


 同時に、ディズ自身の身体に、光が干渉を開始する。それが、彼女自身の身体を、魂を、神を宿すにふさわしい形へと変えるための儀式であることを、ディズ自身は察した。


〈【七つの天、その身に託し、至善へと至らん】〉


 その宣告と共に、ディズは金色の光に瞬く間に吞まれていった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「―――大層だなあ」


 光の渦の中で、ディズは身の丈に合わないような膨大な力が自分の中に流れ込んでいくのを感じ取りながら、苦笑を浮かべた。単なる魔術の詠唱とはいえ、至善などと、あまりにも大層な呼び方だった。

 明かされたイスラリアの事情、この世界との関係を考えれば、とてもではないが善などとは呼べない。邪悪なる簒奪者と罵られて石をぶつけられたって、文句の一つだって言えないのだ。

 それでも、彼女は自分に流れ込む力を拒絶するつもりはなかった。


「ま、出来ること、しようか」


 邪悪な恥知らずと指さされようと、守りたい場所は彼女にはある。故に迷わない。せめて、あの二人が帰る場所くらいは―――


《ディーズ!!!》


 そう思ってた矢先だった。聞き覚えのある声と共に、黄金の渦の中に飛び込んできたものがあった。紅金の妖精の姿をした少女。先程、彼女の兄へと投げて返した彼女が、再びディズの前へと飛び込んできたのだ。


「アカネ?」

《いっしょにいくよ!!》


 シンプル極まる言葉だった。故に真っ直ぐにディズの胸に落ちてきて、彼女は少し、泣きたくなった。


「いいの?」

《わたし、じゆうだもの!すきにする!!》


 アカネは笑って、その小さな手を伸ばした。


《わたしのぜんぶ、つかって》


 少しだけ、その小さな手の平にふれるのに、ディズは躊躇した。しかしアカネは本当に真っ直ぐにディズだけを見つめていた。その瞳には痛いくらいに真っ直ぐな友情があった。

 彼女を取り巻く黄金よりも尚眩いその光を前に、ディズは目を細め、そして笑った。


「うん、一緒にいこうか」


 紅と黄金が合わさって、彼女を包む輝きが一層に激しさを増した。


「【勇者ディズ・グラン・フェネクス】、あるいは【太陽神ゼウラディア】、参る」


 白銀の光と黄金の光が神殿を包み込んだ。



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