新たなるウーガの日常 彼の価値観


 竜吞ウーガがラース領に腰を据えてから一ヶ月が経過した。この間、ずっとウルがのんびりゆったりと暇を持て余していたかと言えばそうではない。

 むしろ最初の数日は疲弊した身体に鞭を打たねばならないほどに忙しかった。

 ラース解放から殆ど間を置かずして行われた凱旋式もそうだが、その後もウルはしばらく慌ただしかった。


 というのも、焦牢の住民達とウーガとの橋渡しが必要だったのだ。


 生き残った焦牢の囚人達からすれば竜吞ウーガはまったくの未知の存在であり、ウーガからしても焦牢の囚人達は国際的犯罪者の集団であると言うことしか分かっていない。未知の災害という人命救助の題目があったときは、否応なく双方が協力し合えたが、それが落ち着いた後は、どうしたって簡単にはいかない。


 本来であれば窓口となる黒剣騎士団が壊滅した。双方の橋渡しが出来るのは、どちらにも理解があるウルしかいなかったのだ。


 エシェルとリーネの力でラース領にとんぼ返りしたウルは、そのまま休むことも無く双方の連絡係に没頭した。


 ダヴィネに状況を説明し、生き残った囚人達の統率を依頼しつつ、プラウディアからやってくるであろう人道支援部隊が到着するまでの間、現場の維持に奔走した。

 黒炎の呪いは消え去ったが怪我人も多い。彼らの収監と治療を何処で行うか。何処が安全か。黒炎の呪いが消え去った今、外は安全か。魔物の襲撃の心配はどうなのか。

 ウーガが保有する能力、地下牢の人員、出来ること、出来ないこと、リスクその他諸々。どこかで破綻が起こる前にやらなければならない事は本当に多かった。


 勿論、シズクやディズが多くの補助をしてくれて、おかげでなんとか乗り切ることが出来たが、全くもって、忙しかった。ゆっくり出来るようになったのはここ数日ようやくだ。


 半年ぶりに仲間達と再会できたというのに、なかなか腰を据えて会話も出来なかった。


「……なんで、落ち着いたから仲間との交流を計ろうとした訳なんだが」

「……で、それでなんで私なワケ?」


 リーネは自身の研究室兼、自室に尋ねてきたウルに対して非常に面倒くさそうな顔を向けた。いつも縛っている橙色の髪がボサボサに下ろされていて、顔も寝ぼけている。今は昼時だが、どうやら眠りこけていたらしい。


「シズクとエシェルとはもう何度も話はしたし……お休み中だったか?」

「人命救助用の重力魔術の微調整、今のラース領という環境に合わせたウーガの体調管理、今後のスケジュールに、あとダヴィネとの打ち合わせ、私も忙しくてあまり眠れてなかったのよ」

「一部自業自得があるけどすんませんでした」

「じゃあお茶入れてきて」


 家主であるリーネに指示を出されて、ウルはリーネの家の中を物色する羽目になった。かなり荒れ放題で、触れない方が良いシロモノも幾つか転がっていたがなるべく視線を向けないようにしながら捜索を続ける。未使用の茶葉を発見した。埃を被っていたポットを洗い茶を煎れて机に運んだ。

 その時不意に、リーネが此方に視線を向けていたことに気付いた。


「どした?」

「元気そうで何よりって思っただけよ」

「2,3回死にかけたけどな」


 現在ウルの胴体には天剣に与えられた傷が深く刻まれている。治癒術でも完治しきれない裂傷痕であり、それを見たときエシェルは一度卒倒した。これでも、黒炎の呪いが解けたぶんだけ大分マシだったのだが。


「いつものことじゃない」

「返す言葉もねえなあ……」

「まあ、死ななくて良かったわ。それは本当」


 リーネは小さく笑った。ウルも頷く。


「心配かけて済まなかった」

「貴方の所為じゃないでしょ。【歩ム者】っていうギルド全体に向けられた敵意を一人で受け止めてくれたんだから、感謝こそすれ怒ってなんていないわ」


 すっぱりとリーネは言い切る。


「私達を守ってくれてありがとう、ウル。貴方が動くまで助け出せなくて御免なさいね」

「どういたしまして。ただ、謝る必要は無い。シズクやエシェルには散々謝られた」

「そ。ならやめておくわ」


 そう言うと、彼女はすぐにいつもの調子に戻った。

 淡泊な態度だが、彼女のその反応はウルは嫌いでは無かった。半年間顔を見合わせていなかったが、そこら辺は変わりない。技術や能力はウルも随分変わったし、向こうもそうだろうが、その点は安心できた。


「半年間の間、ウーガはどんな調子だった?」

「白王陣の研究についてなら幾らでも話せるけど?」

「それ以外でお願いしたい」


 リーネは露骨に不機嫌そうな顔をしたがウルは目を逸らした。


「ま、色々あったといえばあったけど、こっちの戦いって「変えさせない」戦いだったわけじゃない?大きな変化は無いなら、それが戦果といえるわね」

「なるほど」

「むしろ貴方が戻ってきてからの方が変化は多かったわ」


 ウルが戻ってから、焦牢の人材が此方に流れ込み、それに合わせてウーガも変化を強いられた。ヒトが一気に増えた分、いくつかの施設を新しくカルカラが増設しているのも見ている。確かにそうだろう。


「あと、ウーガ内で連係は取れるようになったかしら。白の蟒蛇ともすっかり共同体みたいに馴染んじゃったし……ただ」

「ただ?」


 と、リーネがやや額に皺を寄せる。どうした?と思っていると、不意に家の扉が開け放たれた。何事だろうかと視線を向けると、


「へーい、リーネ!ジャインさんが作ったリリの実パイ盗んできたから一緒に食べよっす!あれ!?なんでウルがいるんすか!浮気っすか!?愛人宅訪問!?」

「え!?浮気!?浮気なの!!?」

「喧しいのが勝手に上がり込むようになったのよ」


 エシェルと、白の蟒蛇のラビィンが部屋に入ってきて早々に喧しくなった。リーネの不機嫌そうな顔にウルは苦笑いした。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「へえー、【焦牢】そんな頭おかしくなってたんすねえ。いやー私捕まらなくてよかったっすわー」

「それを本当に捕まったヒトの前でいうもんじゃないわよ……?」

「まあいいじゃないっすか。助かったんだから!ワハハ!!」


 ウルの半年間、焦牢の生活についてラビィンに説明したところ、彼女は実に直球な感想を述べた。エシェルの言うとおりウルに対する配慮の欠片も無い感想だったが、ウルは気にすることは無かった。笑い話として流せないほど、地下牢の日々を苦々しく思ってはいないからだ。 


「つーかリーネ、まーたメシ適当にしてないっすか?またつくるっすか?」

「貴方の作るご飯、繊細さの欠片も無いから嫌」

「だからって携帯食ばっかくってたら顎砕けるっすよ?」


 意外だったのは、ラビィンがリーネとも仲良くなっていることである。性格的には正直、噛み合いそうに無い印象しかなかったのだが。


「だって、リーネ色々知ってて便利なんすもん」

「ヒトのこと辞書扱いするのはやめてちょうだい」


 この調子である。とはいえリーネも本気で疎ましがっているわけではないらしい。ウルがいない間にある程度の友好関係が進んでいるようで何よりだった。


「リーネがいないと本当にやっていけなかったからな。ウーガ……」


 しみじみと言うのはエシェルだ。


「プラウディアとエンヴィーからの無茶ぶりが酷かったって言ってたな。大変だった?」


 そう言うと、エシェルは無言で立ち上がると、ウルの背後に回り込み、がばりと首に腕を回してうなった。


「どっちかっていうとシズクの方がえらいことだった……!」

「首締まる締まる」

「まあ、シズクのおかげでかなり干渉を防いだのは事実なんだけどね」

「もういっそある程度干渉させた方が楽な気がしたう゛-!!」

「鼻出てる鼻」


 思い出すだけで泣き顔になるエシェルの顔をぬぐって、ついで頭を撫でるとすぐにニコニコの笑顔になった。安い報酬で喜ぶようになってしまった彼女に不安を覚えたが、暫くすると今度は何故か徐々に顔を顰め始めた。


「どした」


 コロコロ表情の変わるの面白いな、と思いつつも、ウルは尋ねた。


「……私達の話よりもウルの話もっと聞きたい」

「牢獄内の様子は話したろ」

「……それ以外は?」

「以外とは」


 酷く要領をえない会話にウルが首を傾げるが、その横からラビィンが野次馬根性丸出しのニタニタ顔で口を挟んできた。


「イイヒトってことっすよー!!シズクや女王がいない間、別の女作ったすか!!?」

「いたが死んだ」


 次の瞬間、少女三人衆は沈黙し、ウルをそっちのけで顔を寄せて会話を始めた。


「……え、コレは浮気って事で良いの?」

「まさかマジで牢獄でも女タラしてるとは思わなかったんすけど、どうすんすかコレ」

「知らないわよ。アンタの所為でしょうがこの空気……」


「別に、ヒソヒソ喋らなくても良いぞ。アイツとはもう別れは済ませた。ラースの果てに墓も建てたしな」


 ボルドーやアナスタシア、死んだ黒炎払いや他の囚人達、あの戦いで死んでいった者達の墓は、あの美しい世界の果てが見える場所にちゃんと建てて、別れも済ませた。

 思い返すと今も悲しい。ずっと忘れることはないだろう。しかし、しかしそういう別れは常に起こりうるとウルは既に理解している。だからいちいちくよくよすることも無かった。

 そんなウルの反応を見て、何故かラビィンが眉をひそめてこっちを見てきた。


「……ウルって、もしかしてなんすけど」

「なんだ?」

「……浮気って概念理解してます?」

「知ってるに決まってるだろ」

「そりゃそっすよねえ!ハハハ」

?」


 ウルが答えると、ラビィンはスッと真顔になり、2人の元に戻って話し始めた。


「間違いねえっす。アレ、っす」

「…………何、まさか都市内よりも都市外の常識が基準になってんのあの男」

「よくわかるっすねー」

「冗談で言ったんだけど……」

「時々いるんすよ。都市の外の方が滞在時間長くてそうなっちゃう奴」

「だらしない神官が妾を囲うとか言うのとはまた違うの…?!」

「もっと実利的なヤツっす…!」

「幼少期どういう生活してたのアイツ……」


「なんだ?ウーガでも守った方が良いのか?それならそうするが」


 ウルは首を傾げた。問題になるというのならそれに従う方が良いのだろうかと。

 するとリーネもエシェルもラビィンも、やや複雑そうな表情でうなり声を上げて、何かを悩み始めている。そして暫くヒソヒソと話あい、そしてラビィンが勢いよく振り返って指を立てた。


「保留!!!」


 保留になった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「ほんじゃ、またくるっすねー」


 その後、ひとしきりラビィンはおしゃべりを続け、片付けているんだか散らかしているんだかわからないが、リーネの部屋を掃除した後に、去っていた。


「嵐のような女だった……」


 さて、この後どうするか。ゆっくりと互いにいなかった時期のすりあわせをするような空気でも無くなってしまったし、自分も一度引き上げるか。と、ウルが立ち上がろうとしたとき、不意に裾が引っ張られた。


「なあウル……」


 見ればエシェルがウルの服を掴んでいる。


「どうした」

「どんな女性だったんだ?」


 どんな女性か。

 勿論、この場でその言葉が当てはまるのは一人しかいない。


「それは…………」


 どう説明したものか、と、エシェルの方を見ると――――彼女は悲しそうな顔をした。

 しかしそれは嫉妬や、いつもの癇癪の表情とは違った。静かに痛みを堪えるような、そして此方を労るような、優しい表情をしていた。どうしたのだろう、と思ったが、すぐに察した。


 彼女は、自分を労って、悲しんでいる。


 エシェルは感情豊かで、癇癪を起こす。しかしそれはつまるところ、情緒が深く、相手に共感する能力に優れているということでもある。かつては、あまりに悲惨な環境が、その彼女の長所を見えなくしていた。

 しかし今、誰かを喪い傷を負った相手を、自身の損得など一切度外視して、助けたいと思えるくらいに、彼女は成長していた。


「話くらい聞くわよ」


 そして、それに同意するようにリーネも頷いた。

 ウルは肩の力を抜いて、笑った。耐えられない訳じゃ無い。別れは幼い頃から多く経験している。堪えて、受け止めるやり方は学んで、身につけている。


「いい女だったよ」


 それでも、悲しくならないわけじゃない。

 だから、二人の仲間の優しさに感謝しながら、ポツポツと思い出を話し始めた。

 自身の傷を癒やすために。


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