別れと再会


 三〇〇年前、ラースを焼いた黒い太陽が焼け落ちる。


 灰都ラースの中心地に三〇〇年間、ずっと残り続けていた大罪竜ラースの遺骸が砕けて落ちていく。その躯を浮遊させていた不可視の力も消えて、落ちて、砕けていく。決死の思いで、死を覚悟してラースへと足を踏み入れた黒炎払い達はその光景を呆然とした面持ちで眺めていた。


「黒炎が……」


 同時に、ラースの遺骸を包んでいた黒炎も消えていく。

 黒炎が自然と消滅していく事は無い。竜殺しで黒炎それ自体を消し去らない限り、延々と消えない。それが、まるで焚き物を失ったただの炎のように、揺らいで、弱って、消滅していく。


 同時に、黒炎払い達は自分たちの身体から、長らく苦しめられてきた呪いの痛みが和らいでいくの感じた。黒炎七天達によって傷ついた者達の身体は特に顕著であり、真っ黒に焦げ落ちていた腕や足、身体が薄れて、消える。


 紛れもなく、大罪竜を克服し、その呪いが消えた証だった。


 しかし黒炎払い達は歓声をあげることはなかった。10年間の耐え忍ぶ戦いと、ウルが来てからの半年の激闘、そしてこの数日の嵐のような状況の変化と、そして最後の死闘に心がついていってはくれなかった。

 大罪の克服、長い歴史の中、一度も果たすことが出来なかった偉業の一端を担ったのだという実感も無いまま、囚人達は呆然と、大罪竜ラースが崩壊していく様子を眺めていた。


「終わった、か」


 状況の収束を正確に理解していたのは、むしろ外部から来た救援者達の方だった。


『AAA………―――― 』


 勇者ディズは、相対していた天衣が急速に力を失い、黒炎と共に肉体が崩壊していく姿を眺め、状況が収束した事を理解した。念のためと剣は構え続けるが、崩れていく天衣が二度と起き上がることは無いだろう。数百年の時を経て、ようやく地に還ろうとしている。


「お疲れ様でした。大先輩。どうかゆっくりお休みください」

《おやすみなー》


 最早魂も残ってはいないのだろうが、遙か前に、人々を護るために命を賭して戦った戦士にディズとアカネは敬意を示した。


《おう、勇者よ。ソッチも終わったカの?》


 すると通信魔具から連絡が入る。同時並行で戦っていたロックの声にディズは応じた。


「と、言うことはそっちも終わったのかな?」

《まあのう。もう少しやりあってみたかったが、ま、しゃーないわ。ワシらはこの戦いの部外者だしの!》

「なら、部外者としてやることやろうか。救援を急ごう」


 通信を切ると振り返る。ガザとレイは、やはり呆然とした表情で屋上から見える大罪竜ラースが崩落していく様子を眺めていた。ディズはできるだけ優しく、二人に声をかける。


「二人とも、無事かな?」

「あ、ああ……大丈夫だ。です。な、なんか、呪いも消えたっぽい、っす」

「何その口調」


 ディズが七天と知っての反応か、ガザはややおかしな言動になり、それをレイが笑った。二人とも激しく消耗しているが、先程と比べ顔色は良い。やはり黒炎の呪いが消えた影響らしかった。


「本格的な怪我の治療もしたいけど、此処は戦いで荒れちゃったし、他にヒトを集めて問題ない、安全な場所を知らないかな?」

「事前に決めていた避難所なら、あります。戦えない奴らも今集まってる、筈」

「ならそこで全員集めようか。君たちの傷もそこで癒やそう。足下に気をつけて」

《こっちよー》


 そう言ってアカネは猫の姿となって崩落しかけている廃墟の屋上から二人を誘導していく。ディズは最後に一度、大罪竜ラースの残骸を見つめ、目を細めた。


「ラース墜ちたか。いよいよだね」


 その表情は勝利による達成の喜びではなかった。

 次の試練を前に覚悟を決める戦士の顔がそこにはあった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 失敗した。


 影の魔女、クウは影から自らの身体を這い出して、引きずるようにして逃げていた。影から這い出すのは上半身のみだ。そこから下はウルに切り裂かれ、無残な有様に成り果てていた。影から体を出せば出血で死ぬ。這いずるようにしか動けなかった。


 数百年もかけて、ずっと頑張ってきたのに、それでも失敗した


 そんな有様でも、彼女は地面を這って進む。

 文字どおり半分死に体の有様でも彼女は必死にその場から離脱しようとしていた。表情は苦痛と絶望にまみれて、失敗に対する救いようのない後悔があるのに、それでもその場から逃げようとすることをやめなかった。

 我が身かわいさで、死にたくないからというわけではない。今も、死の安寧よりもよっぽどに苦しみに満ちている。命を手放せば楽だっただろう。それでもそれはできなかった。


 諦められない。だって――――


 彼方此方で呪いが解かれ、解放されていく黒炎払い達とは対称的に、苦悩と絶望と、それすらも塗りつぶす激情を糧に、彼女は必死にラースの廃墟の小道を這って進む。そして――


「あ――――」


 不意に、顔を上げた先に、女はいた。


 煌めくような銀の髪、星屑のような銀の瞳、美しい容姿、そして握られた冷たい刃。


 地下牢を支配していた時も、正体を現して黒炎払いと相対した時も決して見せることは無かった、驚きに満ちた表情を彼女は浮かべた。地獄のような苦しみからこの一時だけ解放されたように、彼女は脱力した。


「――――――」



 そして、廃墟の路地で刃が閃いて、真っ赤な鮮血が飛び散った。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 大罪竜ラース、その残骸

 黒炎が消え去って、不可視の力で浮き上がることも無くなって、全てが崩れ墜ちてしまうと、その残骸の山は灰都ラースの中央に鎮座していたときと比べて随分と小さくなってしまった。

 まるで生きているかのように黒くなめらかな艶すらあった竜の遺骸は、干物のようにしなびて、触れれば灰の様に砕けてしまう。その形を維持していた何かが完全に失われたのだと、誰の目にも明らかだった。

 そんな残骸の山の頂上が、不意に動く、残骸そのものが動き出した様にも見えた。が、不意にその山から突き出たのは、周りで崩壊した竜の残骸とは全く別の、白い腕だった。


「――――……死ぬかと、思った……」


 ウルだった。

 残骸の山から這い出たウルは、ぐったりと膝をついて、なんどか深呼吸を繰り返す。ラースの遺骸の中は驚くほどの巨大な空間だった筈なのに、ラースを破壊した途端、空間が圧縮されたかのように周囲の竜の身体が一気に押し寄せてきた。

 あのまま圧し潰されて死ぬかと思ったが、出られたのは運が良かったのともう一つ


『…………AA』


 不死鳥が、ウルの身体を守ってくれたからだ。

 残骸から一緒に這い出てきた不死鳥は、力なく鳴いた。見れば明らかに、不死鳥の身体を被っている炎がその威力を弱めていた。根源を絶ったからだろう。すでに黒炎はその身にない。それに伴って不死鳥の身体も随分と小さくなって見えた。


「助かったよ、不死鳥。ありがとうな」


 ウルは、不死鳥の頭に触れた。

 黒炎を身に纏い、呪いを纏ってからは決して、誰にも触れられることのなかった不死鳥を、労るように優しく撫でた。


『――――――』


 不死鳥は目を細めて、心地よさそうにしたあと、鳴く仕草をした。しかし声にはならなかった。代わり、嘴が優しくウルの手に触れると、そのまま更に小さくなって、ウルの手の中に収まるような小さな炎になって、温もりをウルに残して姿を消した。

 これまでのように、再生することは無かった。


「おやすみ、フィーネ」


 疲れて、眠りたくなったのだろう。


 ほんの短い間だったが、命を預けた相手の心中をなんとなく、ウルは察した。


「……さて」


 そして、ウルはそのままもう一度、残骸を掘り返し始めた。

 疲労感と傷の痛みが体中を包む。気を抜けば意識を失いそうになるが、それでも掘り返すのは止めなかった。やがてウルの武装である竜牙槍や竜殺し。更にはクウが溜め込んでいたであろう様々な魔道具や武具の残骸までも姿を見せるが、ウルはそれらを無視して更に残骸を掻き分ける。

 そしてやがて、目当ての者を発見した。


「……見つけたぞ、ボルドー」


 黒炎払いの隊長、ウルの上司であるボルドーが顔を見せた。

 不死鳥の反応を見て想像はしていたが、やはりもう、生きては居なかった。上半身から下が見つからないのは、天剣との死闘の結果だろう。

 死んだボルドーの顔は眠るように穏やかだった。寡黙で、しかしその内には憤怒を滾らせ、最後には憎むべき黒炎の鬼そのものとなってでも戦い続けた彼の最後の表情にしてはあまりにも満足げで、ウルは少し脱力した。そして拳を作ると、灰のようになって崩れかけていたボルドーの額をそっと叩く。


「疲れてるから、これで勘弁してやる……」


 それだけ告げて、ウルはボルドーの隣で寝転がった。

 天剣に派手に切られて、その後クウにも何カ所も穴を空けられた。呪いこそ消えたが重傷だ。不死鳥の与えてくれたぬくもりが無ければそのまま死んでしまっていたかもしれない。今も身体が死ぬほど痛い。

 だけど、その痛みがまるで他人事のようだった。

 胸を満たす寂しさが、身体の痛みをずっと上回っていた。


「じゃあな、ボルドー。アンタの執念に助けられたよ」


 別れと感謝を告げ、ウルは目を閉じた。

 眠れそうに無かった。しかし、怒濤のような戦いと別れを受け止めるために、休む必要があった。心身が闇を求めていた。だからしばらくの間そうして、永劫別れた友らを想った。


「――――ウル様」


 そして、目を開く。

 視界の先には半年ぶりの顔があった。銀色の少女。半年前と変わらない、腹立たしいくらいに美しい仲間の姿。変化があるとすれば少し髪が伸びたくらいだろうか。本当に久しぶりな筈なのに、不思議と全く、懐かしくは感じなかった。

 ただ、寂しさと悲しさが少しだけ薄らいだ。そして、その途端、体中の痛みがハッキリとしてきて、その事にウルは笑った。


「シズク。悪いんだけど死ぬほど痛いんで、傷、治してくれ」

「ええ、勿論。ウル様」


 昨日までもずっと一緒だったかのように、特別でも何でも無い言葉を二人は交わした。

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