黒剣騎士団団長の憂鬱②



 【地下牢・黒炎払い】本拠地


「あの8層の番兵の位置、どうする?」 

「ウルも言っていたが立地が最悪だ。隠れる場所もねえ一本道」

「魔術で障壁を作るしか……」

「黒炎だぞ。速攻で砕かれて俺たちゃ全滅だ」


 本拠地の黒炎払いの戦士達は騒がしかった。

 彼等の議論の焦点は勿論、現在彼等が攻略している途中である【黒炎砂漠】の8層目に出現した【番兵】の存在である。蜥蜴のような形をした獣型の【番兵】。硬質な鱗に大量の黒炎の吐息、一見して見受けられる情報だけでもその脅威が分かる。


 だが何よりも厄介なのその地形だろう。


 番兵の居る場所に向かう為には、隆起した細い砂山の道を進む必要がある。その先に【番兵】が黒い壁の前を陣どっているわけだが、その細道の真正面に陣どっているのだ。隠れる場所はおろか、回避するような道幅も存在しない。細道を少しでも外れれば、崖のような砂の斜面で遙か下まで滑落する。下は【黒炎】が燃えたぎる。落ちればただではすまない。

 困難極まる戦闘を余儀なくされ、黒炎払いの面々の議論は混迷していた。


 だが、こうした会話が行われること自体、半年前は考えられなかったとガザは思った。


「どうしたガザ、議論に参加もせず」

「隊長」


 黒炎払い隊長のボルドーがガザの隣に座る。髭面の只人であり今日まで自分たちを守り続けてくれた男。彼もまた随分とはつらつとしている。表だってはしゃぐようなヒトではないが、10年以上も顔を突き合わせていれば気力が充実しているかどうかくらいはわかるものだ。


「……前までは、黒炎砂漠の攻略にこんな活気づくなんて考えられなかったなって」


 するとボルドーは肩を小さくふるわせた。どうしたのだろうと思ってみると、彼は笑いを堪えていた。


「お前がそれを言うか」

「いや、まあ自分でも分かってますって!やめてくださいよ!」

「すまん」


 ウルが来たときに最も愚痴をたらして彼を罵ったのはガザだった。

 そして、現在もっとも攻略に積極的で、ウルと共に最前線で戦っているのも彼だった。そもそも、4層目の【番兵】の時、一番最初にウルに協力したのも彼である。それを考えると何を他人事のように言ってるのかと言いたくもなる。

 ウルと共に自分たちの空気を変えたきっかけそのものなのだから。

 だが、ガザ自身は全くそんなこと思ってもいないらしい。つまらなそうな顔でぐびりと水筒の水を一口飲みながら小さく漏らした。


「俺はアイツに乗せられただけですよ。アイツの思惑通り。ムカつく」


 憎たらしげに語るが、それは照れ隠しだろうと言うことはボルドーにもわかる。

 4層突破以降、様々な意味で黒炎払いの状況は変わった。4層目の黒炎の壁は消え去り、活動範囲は広がった。黒炎の壁が消えたことで、地上の迷宮化は弱まり、活動範囲は大幅に広がった。

 結果、埋没していたかつての【ラース】の遺産が砂漠の中から発掘されはじめたのだ。かつて、精霊達の加護によって繁栄したラースの遺産、その大半は既に使い物にならなくなっていたが、中には宝石類の数々や貴重な魔道具の類いも見つかり、それらを持ち帰ることで地下牢はお祭り騒ぎになった。


 無論、筋としてはそれらは黒剣騎士団に接収されてしかるべきものなのだろうが、めぼしいものは当然の権利のようにダヴィネが抱え、零れ落ちたものが地下牢の住民達の恩恵としてもたらされたのだ。


 囚人達の【黒炎払い】そのものの見方がかわったのもその頃からだろう。前までは黒炎の呪いを恐れ、近付かれる事も無かったほどに嫌われていたものだったが、声をかけられたり、時に攻略がどう進んでいるのかといった雑談が投げられることもあった。


 黒炎払いの面子の意識も高まった。攻略に積極的になり、鍛錬にも精を出し始めた。


 迷宮の攻略に積極的になったと言うことは、その分リスクも跳ね上がったと言うことに他ならない。実際、新たに呪われてしまった者も増えた。だがそれでも、今こうして全員が一丸となって攻略に挑む状況を「悪い」という者は一人も居ないだろう。


 それを、あんな新人の少年にもたらされたという事実を素直に受け入れるのは難しいだろう。


「奴に言わせれば、元々我々にはこれだけの力はあったのだという事だがな」

「そういう謙虚さがムカつきません?!「大したことないっすよ」みてえのが!」


 ボルドーはガザのあまりにも似ていないモノマネに軽く笑う。だが、ウルの指摘は事実だろう。

 自分たちにはそれだけの力はあった。ダヴィネとの協力関係、【竜殺し】の開発と増産体制。黒炎の対処法のノウハウの蓄積と経験の積み重ね。機は熟していたのだ。ウルは起爆剤だったが、決して、ウルだけの実力で全てが上手くいったわけではない。


 だが、だからこそ、黒炎払いの面々は、ウルに感謝している。

 機を逃して、熟れすぎて腐り落ちる前に、その真価を発揮させてくれたことを。


 口にせずとも全員が、そう思っていた。とはいえ、それを直接口にするには、やや年を重ねすぎたな、とボルドーは苦笑した。そしてそのまま、本拠地を見渡した。


「その傲慢な少年は何処へ行った?」 

「魔法薬製造の家に帰るって行ってましたよ……またあの”お茶”もってくんのかな」

「露骨に嫌そうだな」

「だってくせえんすよ!?あれ飲んだ後丸一日鼻が効かなかったんすから……」


 そんな風に二人が会話をする最中だった。

 ドアが叩かれ、そして少し慌ただしくレイが中に入ってきた。常に冷静沈着な彼女にしては珍しく、表情には明らかな焦りが浮かんでいる。

 ガザの隣り、ボルドーは殆ど反射的に立ち上がった。それにレイも気付く。


「ボルドー隊長」

「どうしたというのだ。レイ」 


 問うと、レイはガザにちらりと視線を向けた後、少し離れた場所で新たなる【番兵】の対策の議論を続ける他の【黒炎払い】の面々から少し距離を離すようにガザ達へと近寄り、そして小さく呟いた。


「【黒剣】の団長が今帰ってきたらしい」

「あの放蕩馬鹿がか。珍しい事もあるな」

「……それで、ウルが尋問を受けてるらしいの」

「………………は?」


 その場の三人は全員顔を見合わせた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 【焦牢、本塔】 尋問室にて


「あーつまりだ。自分の本分を弁えないといかんということだ。分かるか?」


 現在のウルにとって時間というものは酷く貴重だ。

 元々、勇者ディズと妹の約束が3年である。その三分の一が既に過ぎ去った。そして、1年もの年月をかけて、今、ウルが居るのは牢獄の中である。取引開始時よりも後退していると言えなくもない。一刻も早く状況を改善しなければ、という焦りがウルの中にはあった。

 だからできるだけ時間を無駄にしたくない。


「お前の役割はあくまで、外で行った罪の償いである!英雄の真似事で浮かれて持ち上げられることではないのだ!ん?そうだろう?」


 そんなわけで、この怠惰で肥え太った騎士団長という、威厳の欠片も無い風体の男の長々とした説教を聞いている時間は、ハッキリ言えば苦痛だった。


「おい!聞いているのか!」

「聞いている」


 ウルは億劫になりながら返事をした。顔には幾つもの殴打の跡が出来ている。勿論看守達にしこたまに打たれた跡である。一応、尋問の体を保ちたいのか拷問用の武器類が持ち込まれてないのは幸いだった。


「それで、つまりは、囚人は囚人らしく余計なことをするな。ラースの探索は辞めろと」

「そ、んなことは言っていない!馬鹿なことを言うな!!」


 ビーカンが吼える。顔には汗が浮かんでいる。

 先程からウルに対して説教、というにはいささか要領を得ないダラダラとした会話を続けているだけで、騎士団長殿は疲れてきているらしい。仮にも騎士団の団長という立場でそれはどうなのだろうか。


「【黒剣騎士団】の理念を考えれば確かにお前の行動は正しい。だが先走るなというのだ。無理をして、なんになるのだ!数百年、ラースは取り戻すことが出来なかった魔境なのだぞ!」

 

 本当に、会話が要領を得ない。何が言いたいのか全くピンとこない。

 しかしその理由を、ウルは何となく察せた。


 焦牢建設時に掲げられたお題目は、ラースの復興だ。それを考えるとウル達の現在の行動は決して間違っていない。まさしくラースを開放するためにウル達は行動しているのだから。

 しかしこの肥えた男は、見た目でもわかる通り、現在の黒剣の腐敗と超法的特権から生まれる利益を啜っているタイプだ。現状を維持したいのだろう。


 建前と本音。この二つの間でこの騎士団長はフラフラとしている。

 今回の黒炎砂漠解放の快進撃の一端を担っているウルを止めるべきか、放置すべきか、決断できていない。

 自分の中でも全く何も決められていないまま、自分の立場が揺らぐのが恐ろしくて、不安を紛らわすためにウルを嬲っているのだ。


 ――――ああ、マジで時間の無駄だなコレ。


 ウルは様子見からとっととここから出る方向に思考をシフトした。


「分かっているか!?」

「分かった。聞いている。了解した。従おう」


 あまり話を聞いていなかったウルは適当に了承の言葉を並べたが、殴られた。どうやら向こうは向こうでウルの言葉を全く聞いていないらしい。兎に角痛めつけて、脅しをかけて、そしてコチラの意思を挫こうという魂胆だ。


 しかし、さて、どうするか。


 ウルは頭を殴られながら考える。きっと彼等はこれを暫く続けるのだろう。完全にウルが消耗しきって、何一つ物も言えなくなるまで水も与えず、死ぬギリギリまで弱らせて、罵声を浴びせ暴力を振るい精神を参らせるつもりだ。

 その迂遠な拷問を耐え抜く自信はあるかと言えば、ある。ウルは暴力に慣れていた。体力の消耗を温存する術もあった。短期間で睡眠を確保する手段もある。自分が弱った振りをして、相手を満足させればいい。


 だが、それでは恐らく数日は此処で拘束される。今は一日でも無駄にはしたくない。そうなると上手く此処を出なければならない。


 【焦烏】のクウはこの状況を知っているだろうか?


 ウルはちらっと自分の影を見る。

 知っているだろうとウルは推察する。彼女はラースの解放を目指していると口にしていたが、しかし立場上はビーカンの部下だ。彼を咎めたりはできなかったのかもしれない。あるいは、この程度の障害は自分で乗り越えろという事なのか。

 助けを期待して殴られ続けるのもバカらしいか。と、ウルはクウの援助には見切りをつけた。


「いいかね。我々には多くの協力者もいる。あまり勝手はしないことだ。場合によっては、外の君の仲間達にも被害が及ぶ事になるぞ?」


 殴打痕を増やしたウルを見て、ビーカンはいくらか余裕を取り戻したらしい。自慢げにウルを脅しにかかっていた。


「協力者ね」


 ウルはそれに応じ、応える。


「グラドルのエイスーラとかか?」


 その瞬間、ビーカンの表情が露骨に固まった。


「ああ失礼、アイツはもう消えたんだったな」


 あからさまにビーカンは表情を曇らせたのに対して、ウルは冷めきった目で彼を睨んだ。


「他にどんな後ろ盾が居るんだったか?カーラーレイの残党ども?エンヴィーの連中?それともプラウディアの悪党達か?」

「な……!」


 次々と並べて、ビーカンは更に表情を動揺させる。今並べた情報は、幼馴染みがベラベラと喋っていった内容をそのまま使っただけなのだが、随分とビーカンの表情は顔色が面白いことになった。

 ウルはよくよく、シズクが他人の顔色をオモチャのようにする事を忠告していたが、他人のことをとやかくは言えないなと反省した。

 が、今は仕方ない。ウルは少しだけ前に近付いて、動揺するビーカンに囁く。


「ど、どういう意味だ……!?ここにいるお前に何ができる!」

「俺の仲間が、俺の指示なしに何もできないと思ってるなら、随分とおめでたい考えだ」

「お、脅す気か!?」


 ビーカンは激昂した。が、ウルは彼の表情を洞察する。余裕の全くない表情だ。自分の焦りや不安を、怒ることで何とか誤魔化そうとしている。ウーガの騒動でエシェルが振舞っていた態度と似ている。

 仮にも騎士団団長としての態度と考えると苦笑するが、しかし、理解できる反応でもあった。【黒剣騎士団】は周辺の都市の協力に大きく依存している。生産能力は皆無で、近くに都市も無い滅んだ大罪国の領の隅っこという立地なのだ。周りが助けてくれなければどうにもならない。


 不正腐敗という関係以上に、後ろ盾は重要なのだ。大連盟からは、本来の役割を果たすための支援は受けているだろう。しかしそれ以上の享楽と特権を得るためには、後ろ盾は必須だ。

 つまり、急所だ。


「ビーカン騎士団長殿。俺は別にアンタと敵対したいわけじゃないんだ」

「な、なにを」

「黒剣騎士団の大義と、俺たちの目的は一緒だ。俺たちは仲良くなれる。そうだろう?」


 淡々とそう言いながらも、ビーカンの顔色はみるみる悪くなっていった。

 ウルが放つ気配が、彼を威圧していた。彼だけでなく、この場にいる看守全員が、少しずつ気圧されていく。

 彼らはようやく、自分たちが良いように殴っていた相手が、自分たちの手に負える相手ではないことに気が付きつつあった。

 悪名高き黒剣騎士団といっても、囚人をいたぶることしかしてこなくて、肝心の黒炎鬼との戦いを囚人たちに押し付けている。騎士たちの質はそれほどのものではない。クウのような卓越した実力者もいるにはいるが、少なくともビーカンが引き連れているような者たちの中にはいなかった。


 まして、数々の死線を潜り抜けて、尋常ではない経験を重ねたウルの放つ圧に、抗えるものはこの場にはいない。【呪腕】という拘束具があることも、彼らはすっかり忘れつつあった。もし覚えていて、使ったとしても、彼らの震えは止まることはなかっただろう。


「こちらの要求は一つだ。守るというのならアンタらは味方だ。そうでないならだ」


 敵、という言葉に込められた、強烈なまでの殺意に、ビーカンは硬直する。

 そして、その隙を突くように、ウルの手がビーカンの肩を掴む。怪我を負うほどの力は込めてはいないが、強く、しっかりと、彼を抑え込んだ。

 決して、逃がさぬように。

 この場において、看守と囚人の立場が逆転した。


「俺たちの、邪魔を、するな」


 耳元でささやいたその言葉に、ビーカンは垂れた頬を震えさせた。

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