黒炎砂漠 憤怒超越編

黒剣騎士団団長の憂鬱


 黒剣騎士団本拠地 【罪焼きの焦牢】


 大罪都市ラースが滅んだ現在、都市は存在しないこの場所において、太陽神ゼウラディアがもたらす人類最大の守りである【太陽の結界】は本来であれば存在しない。

 しかし、国際犯罪者を収容する施設が魔物に襲われては本末転倒である。故に【天賢王】から特別に加護が与えられている。【焦牢】を覆うだけの小さな結界だ。

 それを維持するための祈りの力は【本塔】の囚人達の祈りの力である。彼等の刑務は多様だが、祈りの時間は相当に割かれている。本塔の多くは都市民もしくは元神官達であり、精霊達への祈りの力は強い。【焦牢】を維持するのは彼等の役割だった。


 が、残念ながら囚人達のみで小規模とはいえ太陽の結界を維持するには力があまりにも不足していた。神官達の数も少ない。結果、黒炎鬼の襲撃を退けるために【黒炎払い】達が出回らなければならないほどだ。

 此処は安全からはほど遠い場所だ。それは間違いなかった。


「全く、何故私がこんな所に戻ってこなければならないのだ!」


 だが、それを誰であろうこの場所のトップである黒剣騎士団騎士団長が言ってしまうのははたしてどうなのだろうか。というのはそれを聞いた騎士達の率直な感想だった。

 肥え太った腹を揺らし、ドスドスと鎧も身につけずに歩く只人の中年男性。騎士団長ビーカン。引き締まったところが一つも見受けられない彼を、騎士団の団長であると一目で理解できる者は居ないだろう。


「ですが団長、目を通していただかなければならない案件が溜まっていまして」

「そんなものそっちで処理しろ!そんなことも判断出来ないのか!?私は忙しいんだ!」


 何ヶ月もエンヴィーの衛星都市にバカンスに行っていた男のなにが忙しいんだか。とは誰も言わなかった。言ったところで彼がキレ散らかすだけで何一つ得はない。


「お前達の仕事はダヴィネの機嫌を損なわないことだ!それ以外何も期待しとらん!」


 囚人のご機嫌取りが仕事。そんなことを断言してしまうあたり、彼の部下達への配慮というものは欠片も残っては居なかった。恐らくは自分が此処の主という自覚すらもないのだろう。そしてそんな態度であったとしてもこの牢獄は回っていた。

 それはこの場所で彼が必要ではない証拠だった。


「あら、騎士団長。お帰りなさい」

「おお!クウ!出迎えてくれたのか!?」


 先程まで不機嫌だった男が急に顔をデレデレと歪める。

 地下牢の囚人達を管理する【焦烏】の管理者であるクウが、今ビーカンが向かっていた騎士団長の一室から姿を現していたのだ。彼の執務室に勝手に立ち入ったこと、本来であれば問題ともなりそうなものだが、ビーカンはまるで気にした様子もない。


「代わり、仕事に目を通しておきましたわ。手間にはならないでしょう」

「おお!流石クウだ!!全く馬鹿どもとは違う!」


 そう言って部下達を罵る。騎士達は忌々しげにクウを見るが、彼女は知らぬ顔だ。

 彼女こそが【焦牢】の女王である。

 彼女に逆らえる者は誰も居ない。咎める者は誰も居ない。

 今日も何時も通り、彼女の望むとおりに書類にサインを書くだけ書いて、彼はまた此処を離れるだろう、最早この光景も恒例行事と化していた。万事彼女の望むとおり、物事は運ぶのだ。

 と、騎士達も思っていた。が、しかし、その日は少し違った。


「ああ、でも騎士団長。ごめんなさい、一つだけ耳に入れないといけないことが」

「む、なんだというのだ。またダヴィネが癇癪を起こしたのか?」


 ビーカンは顔を顰める。

 放蕩にふける彼であっても、【地下牢】がダヴィネという天才に依存していることは理解している。彼が生み出した作品や発明は外に流れ、膨大な金となって戻ってくる。特に彼が生み出した【竜殺し】が産んだ金は莫大だ。大罪都市プラウディアから流れてくる金は大いに【焦牢】とビーカンの懐を潤した。


 だからこそ、他の囚人はどうなろうとも彼だけは気を遣わなければならない。

 が、とはいえだ。


「奴がどれだけの癇癪を起こそうと、地下牢からは出ることはできまい。そういう契約だ。奴がどれだけの囚人を殴り殺そうとも構う事でもないだろう?」


 ダヴィネが癇癪を起こしたところで、滅多なことでは問題にならない。そうならないように、誰であろうクウがダヴィネを契約魔術でがんじがらめにしたのだ。自分から外には出られないように、脱獄しようとも思わないようにと彼を魅惑に縛り付けた。

 だからこそ、ビーカンも平気で何度も旅行、もとい出張を繰り返せるのだ。彼がいなくても問題が起こらないだけのシステムが牢獄で既に完成している。


 だからもしもあるとすれば


「……もしや病気になったとかではないだろうな?あるいは黒炎の呪いに――」

「いいえ、そうではないわ」


 クウは首を横に振る。ビーカンは安堵の溜息をついた。

 この地で最も警戒すべき案件は、勿論【黒炎】の呪いだ。1度呪われれば完治する事は無く徐々に肉体に広がり、最後には死に至る悍ましい呪い。ダヴィネにはそれにかからぬよう、クウにも見張らせているが、完全な保証はない。だからビーカンも此処に長居はしたがらないのだ。

 だが、そう言う事ではないとすると――――


「……だったらなんだ?ラースが解放されない限り、奴は地下牢から出る事はできないんだ。何も心配することはないだろう」


 地下牢に押し込まれた者達に刑期など存在しない。ラース解放という不可能ごとが達成されるその日まで彼等は幽閉される。それは無期限の幽閉と同義だ。

 一度入ってしまえば、二度と出られない監獄なのだ。何の心配も無い、その筈だ。


 その筈だった。


。ビーカン騎士団長」

「…………………は?」


 ビーカンは、楽しそうに言う彼女の言葉が理解できずにおかしな声をもらした。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 【地下牢】 魔法薬製造所


「次の方、どうぞ」


 此処の主であるアナスタシアはそう言って、来客に小さく微笑みかける。

 【廃聖女】と呼ばれていた女が現在取り仕切っている魔法薬製造所は今日も賑わっていた。既に魔法薬製造所はダヴィネに薬を卸すための小規模な製造所ではなかった。地下牢の中の幾つもの組織と連係し、様々な魔法薬や嗜好品を生み出す地下牢の重要組織だ。


 怪我をしたときの回復薬、体力が落ちたときの滋養強壮、酒類、様々な薬品類を取り扱うこの場所の噂は地下牢で徐々に広まり、利用者は増えていった。

 しかし賑わう理由は此処の利便性だけではない。


「さあ、どうぞ。身体に、気をつけて、ください」


 アナスタシアはゆっくりと、一人一人に求める薬を手渡して、コインを受け取る。

 その所作は、地下牢の囚人とは思えないほどに丁寧で、品があった。元より彼女は神殿で生まれ育った神官であり、多くの者から崇め奉られた聖女だった。此処に居る者達の大半は名無しの犯罪者達で、立ち振る舞いに気品を感じる者はまず珍しい。

 彼女が此処に来たときは煙たがられ、そして呪いが広まった後は放置された。結果、彼女は地下牢では有名であったものの、彼女自身の気質を知るものは殆どいなかった。


 だが、こうして落ち着いていると、彼女の所作の美しさは際立った。


 黒い帯を全身に巻いて呪いと共に身体を隠しているが、呪われていない部分は逆に無防備だ。地下暮らしのため真っ白な肌が見える。女性らしい体つきは帯の上からもハッキリとしていた。ほっそりとした指先からコインを拾う所作には思わず目を奪われる。

 彼女を目当てとして此処に通う囚人達の姿もちらほらでるほどに。

 

 随分と勝手な話だと、彼女を手伝う菜園管理者のペリィは鼻で笑う。


 彼女が呪いで死にかけていた時、誰も助けなかったくせに、少し元気になった途端また群がるなどなんという都合の良いケダモノ達だろうか。

 と、そうは言うが自分だって勿論、彼等を嗤える立場にはいない。死にかけていた彼女を誰も助けはしなかった。今更彼女に都合良く、すり寄る資格を持っている奴はこの牢獄にはいない。


 あいつ以外は。


「さあ、どうぞ。次の方」


 デレデレと彼女の微笑みに照れる囚人達も、最低限その事は弁えている。法を破り誰からも嫌われ追い出された犯罪者の集まりだが、最低限の恥くらいは知っているのだ。滅多に、彼女に“よからぬこと”をしでかそうとする輩はいない。


 そう、滅多なことでは。


「へえ、アンタか。捨てられた聖女ってぇーのは」


 のっそりと、巨躯の男が列を無視して前に進みでた。 

 じっとりとした目で彼女の身体を見下ろすその囚人をペリィはあまり見た覚えが無かった。つまり恐らくは新しい囚人で、此処のルールをあまり知らない男だ。見るからに暴力に慣れ親しんだ様子の彼は、無防備でいる彼女の腕をがしりと掴んだ。


「あの、痛い、です」

「つまんねえことしてねえで、こっちで俺と話しようぜ。なあ。呪いまみれの身体ってえーのにも興味あんだよ俺わあ」


 にたりと笑う。怖い物など何も無い、というようだった。

 此処に来るとき、最低限の知識は教え込まれていた筈で、黒炎の呪いのことも聞いているはずだ。にも関わらずこの態度、外では本当によほど好き放題してきたのだろう。表情からは自信と傲慢さがにじみ出ていた。

 他の囚人達は彼から速やかに距離を取っていく。だが、それは彼を恐れてのことでは無い。この後何が起こるのか、彼等は理解していた。理解できていないのはアナスタシアに乱暴しようとしている大男だけだ。


「クソ監獄に放り込まれたときはどうしてやろうかと思ったが、女はいるし、看守もいない。いいとこじゃねえかあ!なあ聖女様、俺と楽しいこと「さーどっこいしょ」っごぱ!?」


 そしてその傲慢の報いを受けるのはペリィの想像の数倍早かった。

 大男の頭に蹴りが着弾する。灰色髪の少年の跳び蹴りが見事に大男の頭を打った。彼は吹っ飛び、アナスタシアを手放して地面にすっとんで、激しく身体を転がし壁に直撃した。


「ペリィ。あいつなんだ」


 倒れたアナスタシアを抱え起こす灰色の少年、ウルは尋ねる。ペリィは溜息をつきながらもそれに答えた。


「多分新人だよぉ」

「新人ならお前がなんとかしてくれ。しんどいんだよこっち」

「無茶言うなよぉ、俺は頭脳担当なんだよぉ」

「じゃあ頭脳担当らしくなんとか丸め込めよ」

「あんまり頭悪そうでぇ、言葉通じるか不安だったんだよぉ」

「確かに」


 ウルは同意した。すると大男がふらふらと身体を起こして起き上がる。彼は激昂していた。顔が真っ赤になっていて実に分かりやすい。


「ガキィ!!なにし「そい」ぐぇ!?てめ「ほい」むぎぃ!こ「そい」ぎや!!ま「よいしょ」ひぎあぁあああああああああ!!!」


 一方的な暴力が始まった。

 囚人達は遠巻きにそれを見ては顔を顰め、あるいは顔を覆い隠して見ないようにしている。此処に居る連中の何人かはウルによる暴力を経験した者も居る。だから、あの大男のように、アナスタシアに乱暴を働こうという者は一人だっていない。

 彼等は実に痛ましい表情でその暴力ラッシュを眺めていた。


「ウルくん。お帰り、なさい」

「はい、ただいま」


 魔法薬製造所のボス、ウルはアナスタシアに何時も通りのんびり返事を返した。彼の手に血塗れの大男の頭が引っ掴まれている件について触れる者は誰一人いなかった。

 代わりに、彼に向けられる視線の多くは、歓喜や羨望だ。


「おお、戻ったのかよ【黒炎払い】のエース様!」

「まーた”砂漠”から色んな遺物拾ってきたんだろ!!景気良いね!!」

「おこぼれ俺たちにも寄越してくれよ!!」


「訳の分からんものは一杯拾ったよ。ダヴィネに預けたんだからそっちで聞いてこいよ」


 囚人達の汚い歓声をウルは雑に聞き流した。

 だが、【黒炎払い】という、かつて存在自体が敬遠されていたその戦士を前にした囚人達の反応が現在のウルと、そして【黒炎払い】達の境遇を如実に顕していた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 魔法薬製造所、元は単なるウルの使っていた少しだけ広い一室だったその場所も改築は進んでいた。【探鉱隊】に依頼して、大幅な拡張をしたのだ。他の勢力達のそれと比べれば控えめであるが、少なくとも魔法薬製造のための小規模な工房が収まっても尚、複数人が過ごすに余裕のある部屋に変わっていた。


「ああ、疲れた……やっぱきっついな8層目は」


 ウルは椅子に座り込み、深々と溜息をついた。彼の前にアナスタシアは水を差し出す。


「お疲れ様、です、ウルくん。やはり、大変ですか」

「そーだな……【番兵】までは見えた」

「へぇ【番兵】がやべーのかぁ?」


 彼女の隣でペリィが問うた。ウルは首を捻る。


「立地が最悪だ。回避する場所がないからへたすりゃ一瞬で全滅する」

「…………無茶は」

「する気は無い。喰らったら終わりだからな。だがどうするかなあ……」


 ウルは頭を掻いた。

 だが、ペリィが見る限り、彼に困り果て絶望している様子はなかった。困っているのは確かだが、その困難に対して慣れている様子だ。そして実際にそうなのだ。

 今日まで、彼が困難に直面し、頭を抱えるところは何度も見てきたが、そのまま足を止めてうなだれる事は一度たりともなかった。無謀に飛び出すような事はせず、慎重に、しかし確実に一歩一歩進む。そう言う男だ。


 だからまあ、今回の困難もなんとかするのだろう。と、ペリィはなんとなくそう思った。この半年で、ウルへの奇妙な信頼はペリィの中にも根付いていた。

 が、ウルにトラブルが絶えない、という信頼もまた強かった。すんなり事は進むまいという確信がペリィにはあった。


「ウルという男は此処に居るか!?」


 すると、外から地下牢では珍しい鎧の金属音と共に複数の足音が響き出す。何事かと顔を出すと、そこには【黒剣騎士】達がずかずかとまっすぐこちらに近付いてきていた。


「騎士団長ビーカン様がお呼びだ!すぐに出頭しろ」


 ペリィは振り返りウルを見ると、ウルは心底げんなりした表情をしていた。この表情も、この半年の間に割とよく見てきた顔だった。


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