計画と奔走する者たち②


 ディズの【星華の外套】に身体を溶け込ます感覚は風呂に入る時に似ている、とアカネは思った。

 そもそも元の身体がヒトのそれであった時期が物心がつく前に終わったものだから、果たしてどこまで自分の感覚とヒトの感覚が似ているかもわからないが、ただ兎に角心地が良い。頭のてっぺんから足の先まで全てが気持ちの良い暖かなものに浸るような気持ちになる。

 ウーガのお風呂に浸かったときもこんな感じだ。それよりは熱くなくて、なのに身体の芯まで暖かいのが広がっていく。


 ――にーたんらも精霊になったらええのにかわいそうになー


 なんてことを思いながらも、彼女は意識を浮上させる。ディズが呼んでいるのだろう。星華の外套からゆっくりと身体を起こすと、既にディズは外に出ていた。

 周りにはユーリもいない。プラウディア領の中で魔物もいない。夜空には星々の瞬きがあり、小さな虫や小鳥の鳴き声が聞こえるばかりで喧噪の音は無い。つまり平和だ。


《おはなしおわったー?》

「うん、終わったね」

《んじゃーつぎはどこにかちこむん?》

「私、そんなしょっちゅう彼方此方殴りにいってる?」

《うん》


 そんなしょっちゅうかち込んでいる。


 前は邪教徒と繋がっているプラウディアの地下街に潜んでいた非合法薬物集団を人知れず壊滅させていたし、その前はエンヴィー、プラウディア間に広がりつつあった複合迷宮の主を倒し真核魔石を奪取することで迷宮の拡大を防いでいた。今日も今日とてユーリと大迷宮を攻略しているし、本当にしょっちゅう殴っている。


《まえよりはましだけどなー》

「陽喰らいの直後はきつかったねえ」

《まーつきあったげるけどさー》

「……」

《……》

「アカネ」

《んー?》

「ウルのこと心配かな?」


 ディズは問うた。アカネはその問いに対してはて、と首を捻り、そして呟いた。


《しんぱいすぎてもうわからんくなった》

「わからなくなっちゃったかあ……」

《にーたんはらんばんじょうすぎる》

「他人事みたいに言っちゃうけどそうだねえ……」


 ディズが小さな妖精の姿をしたアカネの頭を撫でる。

 むにむにとくすぐったくて笑ってしまった。だけど心の内にはウルへの不安や懸念がずっと残っている。ディズに預けられてからウルと離れることは多くなったが、しかしここまで長時間別れることになるのは初めてだ。しかも、何時彼が戻ってこれるかも分からない。


《ディズはなんとかできんの?”こくえんさばく”》

「神殿が全ての神官の立ち入りを禁じている。七天含めてね。私でも動けない。大罪迷宮ラースの氾濫と、大罪都市ラースの喪失は、神殿にとっては本当にトラウマなんだよ」


 当時の神殿はとんでもない大混乱に陥ったらしい。と、ディズは言う。七天を失う程の損失を出しながら、それでなんとか大罪竜ラースを討つことが叶った。

 しかし精霊信仰の聖地とされていたラースを失った事でイスラリアの民は激しく動揺し、全体の信仰が大きく損なわれ、精霊達の力も落ち、しかもラースからの難民達の対処も問題となった。その挙げ句その期に乗ぜよと邪教徒達が暴れ出すまさに暗黒時代だ。


 当時、大罪竜ラースとの戦闘の余波で黒炎の呪いに満たされたラース領を復興させるのでは無く、封印することになったのも、全くその余力が無かったからに他ならない。ソレは戦力的にも、精神的にもそうだった。


「だから、私達は下手すると、一般人よりもあそこに近付くのは難しいんだ」

《んまーわたしもディズしんでほしないから、それはそれでいーけど》

「ありがとう。嬉しいよ――――」

《どした?》

「ウル救出以外で、何かして欲しいことあるかな?」


 ディズはアカネを撫でて微笑んだ。

 それが、自分を気遣ってのものなのか、あるいはウルを助けにはいけない事や自分に対しての罪悪感の発露からなのか、分からなかった。


《ないよ!》


 分からなかったから、キッパリと思ったことを言った。ディズは苦笑した。


「ないかあ」

《わたしなー、にーたんとかディズとか、みんながげんきならそれでいーいのよ。》

「そっかあ……私も入れてくれてありがとうね」


 また撫でられたのでアカネはふにふにと笑った。


「でも、それなら、もうひと頑張りしないとね」

《またおしごとー?》

「ん。これから“陽喰らいよりもずっと大変かも知れない”。その前に出来ることをしなきゃね」

《にーたんもどってくるまでにすませような》

「ん。そだね」


 所有者と所有物、いずれ殺すかもしれない者と殺されるかもしれない者、命を預け合う相棒同士、奇妙なる関係の二人は手を合わせた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 大罪都市、プラウディア、螺旋図書館、地下128階

 一般の都市民は当然のこと、神官すらも立ち入ること許されない最奥。管理者であるグレーレからの直接の許可無ければ、王であっても足を踏み入れることは出来ないその場所には、触れるだけで死に至る呪いの書物や、邪教徒達によって生み出されたおぞましき実験の記録、あるいは“一般には触れさせられぬ闇の歴史書”なんてものまで保管されていた。


「んー?」


 そして、その場所で書物を手に取り、首を傾げているのは、誰だろう天祈のスーアだった。小柄なスーアの頭よりもずっと大きな本を机に広げ、それをじっと見つめている。

 見つめる書物は、呪物の類いでは無かったが、至る所が焼き爛れ、その大半が読み解くことが出来なかった。彼方此方に真っ黒に焼け焦げた痕跡から、なんの力も残されていないのに、その跡を見るだけで悍ましい気分になるのは、それが憤怒の竜の【黒炎】の跡だからだろうか。完全に呪いが除去されても尚、見る者の心をかき乱す力は残されていた。


 その本を見ながら、スーアは困った声をあげる。


「やはり、大半が焼き切れていますね?」


 大罪都市ラース崩壊、大罪迷宮ラースの氾濫とその鎮圧にまつわる騒動についての情報は、今殆ど残っていない。当時の混乱は凄まじく、詳細を知る者の殆どが黒炎に焼かれてしまったのだ。

 奇跡的に難を逃れたとしても、混乱のため、正確な情報を残せる者は少なかった。当時の神殿に、忌まわしき記憶の全てを消し去ろうとする神官もいたために、残っているのはこれくらいだ。このボロボロの、しかも忌まわしき記録をわざわざ取りだして読み解こうとする者は今の時代存在しない。


「んー」


 それを、スーアはなんとか読み解こうとした。が、やはり難しかった。

 【修繕の精霊リピア】の力もこの本には通らない。この本の筆者が黒炎の呪いを発症し、最後、鬼として燃えながらこの本を抱きしめて死んだらしく、数百年経って尚残り続けるその呪いの気配を精霊が嫌うのだ。


 そんな忌まわしき本をスーアが読み解こうとしている理由。それは――――


「スーア」


 不意に、スーアの背後から、金色の王が現れた。スーアは特に驚く様子もなく、振り返る。


「父上」


 何時も通りの人形のように、スーアの表情は動かない。だが、その声音は少しだけ柔らかくなっていることに、親しい者なら気がつくだろう。当然、スーアの父である天賢王であるアルノルドはその事に気がついた。


「何をしている」

「ラースを調べています」

「気になるか」

「はい。当時のことで分からないことが、とても多いので――――」

「何故気になる」


 問われると、スーアは首を傾げ、少しの間停止した。スーアは精霊との完全な交信を可能とするが故に、通常のヒトと比べて感覚が異なる。ただの会話にも、時間がかかる時がある。アルノルド王はその間じっと、次の言葉を待った。


「彼を、地獄に追いやったからでしょうか」


 暫くして、スーアはそう言った。彼、とは誰なのか。アルノルドは問うまでも無く分かっていた。


「ラースの一件はお前の責ではない。私が決めたことだ」

「手伝いました」

「いいや、お前が知ったのは、全てが決まった後のことだ」


 アルノルドの指摘に対しても、スーアの表情は変わらない。その雰囲気も、少し固くなったままだ。一見すると非常に分かりづらいが、スーアは意地っ張りなところはあった。アルノルドもそれは理解していた。故に、まるで我が儘を言う子に言い聞かせるように、ゆっくりと、言葉を続ける。


「お前は既に、で彼を助けている」

「異常の兆候のある大罪竜の監視と、七天の派遣は、【天祈】として当然の責務です」

「役割であるから、感謝されてはならないわけではない。批難されなければならないわけでもないのだ」


 つい最近の、大罪竜ラストの突如の深層への移動も感知したのはスーアだ。そう考えれば、借りがある、と言えなくも無い。無論、その事をスーアがひけらかすことはない。彼に伝えることもしないだろう。

 それでもそれをスーアに伝えたのは、王の不器用な気遣いだった。

 スーアは心身を休ませなければならない。ただでさえ、普段から【天祈】の担う仕事の量は多いのだから。


「疲れているだろう。もう休みなさい」


 頭を撫でる。少しだけ熱っぽい。瞼が僅かに重くなっていた。


「いいえ」

「寝なさい」

「……おやすみなさい。父上」


 強く言い聞かせると、スーアは引き下がる。休むことも重要な使命だ。体調管理を怠って、その結果この世界を危機に陥らせる訳にもいかないことを理解している。身体が輝くと、次の瞬間スーアはその場から姿を消した。

 転移によるバベルの移動は、従者達がビックリするからやめなさいと言っているのだが、今日は許そう。と、やや我が子に対して甘い事をアルノルド王は思った。そして、


「――――ラース」


 スーアが広げていたラースの歴史書に触れ、それを封じるように本を閉じた。その表情には、先程までの分かりづらくとも明確な愛情はなく、険しさがあった。


「……あの子に罪は無い。恨むならば私を恨め。【歩ム者】」


 誰もいない螺旋図書館の深層で、一人呟く彼の言葉は、普段、彼の臣下や民達に向ける声と比べると、遙かに重々しい。イスラリアの全てを背負う事をになっている男の決断が、空間を震えさせた。


「だが、それでも――――」

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