大牙猪①
「怪我をしないよう抱えてくれてありがとうございます。大丈夫です?」
「どういたしまして服を着ろ全裸」
ウルは自分に馬乗りになっている凄まじい美少女に着衣を命じた。
目の毒、なんていうレベルではない。
ウルの目の前にいる美少女は恐ろしかった。
まるで優れた職人が生み出した人形のように僅かな歪もない精密な顔の作り。しかしその表情は慈母のような優しさを湛えており、彼女がヒトと教えてくれたゆるく波うつ銀の長い髪が細い肩にかかり、豊かな乳房にかかる。臍を辿り、艶めかしい足がウルの身体を跨いでいた。
ウルはこの緊急事態、命の危機の前にあって自分が彼女から目を離せなかった。今すぐにでも彼女の身体に飛びついて貪りたい衝動が腹底から湧き上がるのを感じていた。
此処でこの女を貪りながら死ねたらソレは最高の人生の幕なのでは?
そんな、脳みそがゆだっているとしか思えないような考えが本気で頭をよぎる、それ自体が彼女への警戒を高めた。
この女、危ない。
『BUMOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』
大牙猪の怒りの咆吼は、混乱していたウルの正気を取り戻してくれた。その猪がウルの命を挽きつぶそうとしているわけだが。
猪は怒り狂っていた。真核魔石が砕けたからだ。木っ端微塵である。ウルとしてもその怒りは共感できる。借金返済の目処を失ったからだ。互いに怒りの理由は同じなのに、殺されそうになるのは理不尽だった。
「いかん死ぬ」
「ご安心ください」
すると、銀の美少女はすっくと立ち上がり、猪の方へと向き直った。立ち姿まで颯爽としており、巨大な牙をかざし怒り狂う猪に対して一歩もたじろぐ事はしなかった。
「罪より産み落とされた魔性の者、貴方の命に罪は無く、けれども私の使命を遮るというのならば」
そして彼女は両手のを胸の前に合わせ、まるで祈るような姿を見せる。
「貴方を討ち、その命を背負いましょう」
次の瞬間、彼女の周囲に魔力が渦巻き始めた。
その場にいるすべての者の頭に直接響き渡るような不可思議な音色と共に、周囲の空気がパチパチと音を立て始める。
【魔術】
世界に満ちる現象の万物の源、魔力と呼ばれるソレを手繰り、自らの望む現象を生み出すヒトが編み出した奇跡の再現法。その力を、彼女は行使しているのだ。ウルは息を飲んだ。
「受けよ、炎を」
同時、彼女の目の前に巨大な火球が出現した。常識から大きく外れた光景はまさに魔術。そして炎の玉は彼女の意思に合わせ一直線に大牙猪へと直進し―――
『…………MO?』
直撃した火玉は、ふんわりと、“ぬるうい”風を猪に届けた。
「……は?」
「あら?」
ウルは火の玉が大牙猪をそのまま素通りしていく光景のシュールさに笑うべきかわからずおかしな顔になった。対面する美少女は、自分が起こした魔術の結末を最後まで見届け、その後しばらく悩むような顔をして、すっと手を上げた。
「ちょっとタイムもらってよいでしょうか?」
『BUMOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』
大牙猪は怒った。
「タンマはねえよ!!!!!」
ウルは美少女を抱きかかえ全力で逃げ出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「お前マジでなんなの?!なにしに此処来たの!?っつーか真核魔石は!?」
「魔力を消費して恐らく砕け散りました」
「クソッタレ!!!」
ウルと少女が逃げ込んだのは広間の奥にあった小さな小部屋だった。
おそらくは元々は倉庫の類いだったのだろう。大量の埃がつもり、朽ち果てガラクタと化した【遺物】が大量に転がっている。外ではまだあの大牙猪は暴れているのだろう。この倉庫に入って即閉めた木製の扉に激突を繰り返してる。奇跡的にまだ壊れていないが、時間の問題だろう。
一通り彼女に向かって言いたいことを叫んだ後、大きく息を吐き出した。この謎の全裸に構っているヒマは全くない。聞きたいことは山ほど在るが聞いていると死ぬ。
今は現状を打開せねば。と、ウルはこの小汚い倉庫をあさり始めた。
「何か探していらっしゃるのですか?」
「武器、防具、道具、使える物なら何でも。このままだと死ぬ」
折角直したボロボロの槍も、あの真核魔石の爆発でどこぞに吹っ飛んでいってしまった。まあ、あの役にも立たない補修ではよしんばあの猪に使ったとしてもすぐにへし折れてしまっていただろうが。
「お手伝い致します」
「是非そうしてくれ。扉がぶっ壊れる前に」
こうして少年と全裸の美少女は倉庫をあさることとなった。倉庫自体は随分と狭く、小さい。すぐに探索は終わった。どうやらこの倉庫、というよりもこの三層の広間はなにかしらの儀式を行うための場所だったらしい。その儀式とやらは迷宮に飲まれ、その意味をうしなっているが、しかし儀式のための用具一式は(殆どが劣化していたが)残っていた。
・儀式剣×3(内1本は破損)
・儀式盾×1(破損)
・儀式用と思しきローブ×2
・儀式に使用していたと思しき薬瓶複数
以上。一応これは迷宮からの出土品という事になり、つまりこの迷宮の管理者であるあの小人の男に提出しなければならないのだろうが、ウルは無視した。そんなもの生きて帰ってから考えるべきだ。
ウルは一先ず儀式服を一枚、謎の全裸美少女に着せた。この緊急時に容赦なく気を散らす存在の排除は一先ず叶った。靴もはいていないので、やむなくウルのを与えた。小柄なウルと彼女とで足のサイズが変わらなかったのは幸いだった。
「靴、良いのですか?」
「素足じゃ逃げられないだろ。俺は足袋(何度も縫ったボロ)があるからまだマシだ」
「逃げられますか?」
この狭い倉庫の扉に向かって、猪が猛烈に突進を繰り返している。既に穴が開き、そこから猪の血走った目と、巨大な牙が見えている。多分あと一回の突撃で壊れる。
「まず俺が飛び出す。猪がこっちに向いてる間に一気に駆け抜けろ」
「貴方は?」
「隙を見て逃げる」
隙があれば、だが。障害物の少ない広間。直線をあの猪の突撃から逃げ回るのは容易ではないということはウルにも分かっていた。しかし、二人でバラバラに逃げたところで恐らくどちらかが轢かれて死ぬ。
ならば、確実に一人は逃げた方が、数的には得だ。
「大牙猪の気を向けさせないようにひっそりいけよ。そうすりゃなんとか「いけません」
逃げる手順を説明する前に言葉を遮られた。は?と、問うよりもはやく、彼女の白く長い指先がウルの手を絡めとった。
「貴方を犠牲にする事などできません」
「恋人みたいな台詞ありがとう。現状逃げられるのは一人なんだから仕方ないだろ」
「では私が囮になります」
「女が背後で挽肉になってる音聞きながら逃げるとか気分悪いわ」
ウルはげんなりとした顔で彼女の提案を却下した。
勿論、逃げられる物ならウルは今すぐにでもここから逃げ出したい。さっさ帰って狭くてくさい宿舎のベッドに潜って眠ってしまいたい。妹に会いたい。だが、そのために見ず知らずの女を生け贄に捧げる選択肢はウルの中に存在していない。
“名無し”であるからといって、倫理観まで捨てているわけではない。そういう奴らもいるがウルはその考え方は嫌悪している。ウルの回りにそういうバカが多かったからだ。
故に、見捨てる選択肢はない。元々、自分一人で大牙猪と対峙している状況だったのだ。何か変わるわけでもあるまい。と、自分を慰める。
「靴を貸してるんだ。ちゃんと逃げろよ。後で返せ」
「貴方は死にたいのです?」
「んなわきゃねーだろはったおすぞ」
不思議そうな顔で暴言を吐く美少女にウルは口をひん曲げた。何なんだこの女は。
しかしこのウルの回答に、美少女は何やら納得がいったのかそれとも理解しがたいのか不明だが、ウルの顔をじっと見つめる。そして
「わかりました」
なにが?とウルは聞き直したい気もしたが、やめた。猪が距離を離す気配がする。突撃の助走を取っている。最後の突撃が来る。扉が粉砕される。扉が無くなれば後はもう後が無い。
「よし、扉が砕けると同時に此処を出るぞ。後はさっき言ったとおり」
「お断り致します」
「なんて?」
「私も戦います」
扉が砕けた。二人の戦闘が始まった。
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