王宮の森にて②


「あなたたち……」


 マルティナは驚いたようにオレンジ色の一つを手の平に受け止めた。


「私以外の人の前に姿を現すなんて……」


 オレンジのモコモコは「キキッ!」と鳴いて、小さな手でクラウスを指差した。

「キキッ、キキッ」とマルティナに何かをうったえる様子から、どうやらクラウスにおこっているらしいのが分かった。


「え? いじめられている? 私がこの人に?」


 オレンジのモコモコはこくこくと肯いた。


「ち、違うのよ。いじめられている訳ではないの」


 だがオレンジのモコモコは、クラウスの方を向いて「キキッ!」とこうしている。


「はは。怒っているのか。わいいな」


 クラウスはぷんぷん怒っているチンチラを指先でつついてみる。


「君はチンチラの言葉が分かるのか?」


 指先にかじこうとするチンチラをかわして、クラウスはつまみ上げた。

「キーキ!!」とさけんでチンチラが小さな手足をまわしている。


「は、はい。初めて会った時から、なぜか分かるのです」


 マルティナはクラウスがつまみ上げたチンチラを両手で受け取った。「キキ、キキッ!」と文句を言うチンチラをなだめるようにでると、安心したように毛がふくらむ。

 クラウスはその様子を見つめながらつぶやいた。


「私は初めて君を見た時、ジュエルチンチラのようせいかと思ったのだ」

「え?」


 顔を上げると、驚くほど間近にクラウスの顔があった。

 その切なげに見つめる青い瞳にとらわれてしまったようにマルティナは動けなくなる。


「神獣の住む国ははんえいし、外敵から守られると言われている。その神獣を守るために誰にも話さなかったというのも事実だ。しかし、私が一番守りたかったのはジュエルチンチラではない。君なのだ。マルティナ」


 鼓動がはやがねを打つマルティナにクラウスの左手がびてきた。

 そしてマルティナのほおれ、耳を撫でつけ、ひっつめた髪にからみつく。


「陛下……」


 いつもと違うクラウスの熱いまなしに囚われてしまいそうで少しこわくなる。

 のがれようと思うのにほうにかかったように動けない。

 やがてクラウスの長い指がマルティナのきっちりとまとめた髪をすくい上げる。

 中心の束を引き抜けば、ぱらぱらとほどけて長いくろかみが頰とかたにおちてきた。

 その髪をクラウスの指がやさしくく。


「マルティナ……。ずっとずっと髪をおろした君を間近に見てみたかった……」

「陛下……」

「思った通り……れいだ……」

「!!」


 綺麗だと言われたたん、体中の血が逆流しそうになった。

 そして急にたまらなくずかしくなって、クラウスの手を振りほどいた。


「お、おたわむれはやめてください!!」


 月明かりの下でマルティナの黒髪がつややかにれている。


「マルティナ……」


 近付くクラウスを警戒するように一歩ずつ後ろに下がり、大きな木に行き止まった。


「そ、それ以上近付かないでくださいませ。これは職業王妃の職務に反することです」

「マルティナ! その職務を私は変えたいと思っている」

「変えるとは……」


 だがクラウスが説明するよりも早く、地面に落ちたモコモコ達がクラウスの足にまとわりつき、「キーキッ!」と声を合わせて持ち上げた。


「わっ! わわっ!」


 急に足を持ち上げられたクラウスは体勢をくずしひっくり返る。


「陛下っ!!」


 慌てたマルティナがいっぱつクラウスの頭をかばうようにすべり込んだ。


「へ、陛下! ご無事ですか?」


 ほっとしたのもつか、ぎょっとする。思わぬ事態におちいっていた。

 なぜだかひざまくらをしているような形になってしまっている。


「ふう……。驚いた。ありがとう、マルティナ」


 クラウスはマルティナの膝の上で顔を上げ、マルティナに礼を言う。

 マルティナは赤くなった頰を隠すように顔をらした。


「い、いえ。チンチラ達が誤解して……申し訳ありません、陛下」

「どうやら神獣にきらわれてしまったようだ」


 チンチラ達は、まだクラウスが気に入らないらしく、マルティナの膝の上からどかそうと「キーキッ」とごえを合わせて持ち上げようとしている。


「あ、こら、みんな。この方は王様なのよ。私のお仕えしている方なの。だいじょうだから」


 マルティナは「キキッ、キキッ」と文句を言うチンチラ達に言い聞かせている。


「ジュエルチンチラは美しい心を持つおとの前に現れると聞く。シルヴィア様に関しては神格化させたい者達が勝手に付け加えた作り話だとも言われていたが、彼女も君のように言葉が分かって話ができたのかもしれないな」

「はい。一人だけ、シルヴィア様に会ったという子がいます。ほら、この子」


 マルティナは灰色のチンチラを手に乗せて見せた。他のチンチラより毛並みが長く、ひげがあるように見える。


「長老と呼んでいます。この中で一番長生きのチンチラらしいのです」


 長老と呼ばれた灰色のチンチラは、少し胸を張って髭らしきものを小さな手で撫でた。


「ではシルヴィア様は歴史書で語られる通り、心の美しい方だったのだな」

「はい。そうめいで愛の溢れる方だったそうです。ね、長老?」


 長老はこくこくと肯いている。

 その様子が可愛くてマルティナは思わず「ふふ」と笑いをらした。

 そんなマルティナをクラウスが優しく見つめていることに気付いて真っ赤になる。


「し、失礼しました。陛下の前で勝手に笑ったりして……」

「なぜ謝る? 勝手に笑ってはいけないなどと命じたことはない。君はもっと自然に、笑いたい時は笑っていいし、怒りたい時は怒っていいんだ」

「そ、それは職業王妃の職務に反することになります。職業王妃はいつだって冷静で、人前で感情を出してはならないと教えられてきました」

「だが私は君のがおがもっと見たいのだ。そういう場合はどうすればいいのだ?」

「そ、そんなことは……」


 マルティナはきゅんとして再び頰がほてるのを感じた。


「そ、それよりも、そろそろ膝から起き上がってくださいませ。お部屋にも戻らないと執事達が心配しています」

「もう少しだけこうしていたい。とても幸せな気分なんだ。あともう少しだけ……」


 そう言って、クラウスはいつの間にかおだやかないきを立てていた。

 それを見て、チンチラたちが再び「キキッ、キキッ」と文句を言っている。


「しーっ。少しの間だけ。おつかれでいらっしゃるのよ。少しだけかせてあげましょう」


 マルティナは膝の上で安心したようにねむるクラウスの髪をそっと撫でた。

 マルティナもまた、ひどく幸せなここがして気付けば微笑んでいた。

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