6章

王宮の森にて①


 ガザのきゅうえん活動のあと、養成院の院生の間でクラウスの評判はうなぎ上りになっていた。


「これまでおんなぎらいの冷たい王様だとうわさしていた一部の院生達も、神をあがめるようにめちぎっていますわ。ガザではそんなにご立派でしたの? 私も行きたかったですわ」


 メリーがマルティナのかみかしながら残念そうに言う。

 マルティナのじょ達は王宮の仕事があり連れていけなかった。


「ええ、とても……。私だけでなく院生達もねぎらってくださったの」


 王に仕えることも、たみを守ることも、マルティナにあたえられた仕事だと思ってくしてきたけれど、仕事以上の何かがあることをクラウスは教えてくれたような気がする。

 そして、その何かこそがたましいの底からがるのようなものなのだと。

 クラウスはマルティナに多くのことを教わったと言ってくれたけれど、それよりもずっと大切なことをクラウスは教えてくれたような気がする。


「ねえ、メリー。私は職業おうに選ばれたことがうれしいの」

「はあ。もちろん私も嬉しいですけど……」


 今更改めて告げるマルティナにメリーは首をかしげた。


「クラウス様の……職業王妃になれて……良かった……」


 心から実感した本心だった。

 しみじみと言うマルティナは、今まで見た中で一番幸せそうな顔をしている。


「なんだか分かりませんが、私はマルティナ様が幸せなら嬉しいです」


 メリーはほほむ。

 今までも職業王妃として、王のためなら何でもできるかくではいたが、今はクラウスのためならこの命ですらしくはないとマルティナは思っていた。

 そんな風に思える相手がいることの幸福を、マルティナは初めて知ったのだった。



*****



「こんなところにいらっしゃいましたか、陛下。お部屋に姿が見えないとしつ達がさがしていました。おもどりくださいませ」


 庭園のベンチで夜風にあたっていたクラウスのもとにマルティナが現れて告げた。


そくから四六時中人に会っているのだ。少し一人にさせてくれ」

「……」


 即位から十日余りが過ぎ、けっこんしきとう会、お祝いの会に臣下のえっけん。おまけにガザの視察と激務が続いていた。マルティナはしばし考えてうなずいた。


「では陛下の所在を告げ、護衛を少しはなれた位置にしのばせましょう」


 そう言って立ち去ろうとしたマルティナの手首を、クラウスがつかんだ。


「!?」

「そなたはここにいるがいい」

「で、でも……。お一人になりたいのでは……」

「君はいていい。いや、いて欲しい」

「え……」


 マルティナはそのこんがんするようなひとみに、不本意ながらどきりとしてしまった。


「少し散歩しないか? 結婚したというのに、二人きりでゆっくり話すひまもなかった」

「そ、それは……王妃の職務ではありませんので……」

「君は職務じゃなければ私のために何もしたくないのか?」

「そ、そんなことは……。陛下のためなら何でもするのが私の仕事でございます」

「では、私は君と二人で散歩がしたい。それをかなえるのが君の仕事だ」

「……」


 マルティナはごういんに言いくるめられ、散歩に付き合うことにした。

 庭園の中はちょうど晩夏の花々がみだれ、外灯に照らされてげんそう的なふんだ。

 昼間とはちがう夜のふんすいと石像が美しい。こんな風に夜に散歩をするのは初めてのことだ。

 しかも男性と並んで庭園を散歩など、男子禁制の養成院では考えられないことだった。


「夜の庭園も中々いいだろう?」


 クラウスはめずらしそうに景色をながめるマルティナにたずねた。


「は、はい」

「先ほどガザのホリスから手紙が届いた。医師と大工も大勢けんされてきて復興が進んでいるようだ。民に活気が戻って見違えるようだと、王妃によろしく伝えて欲しいと書いてあった」

「そうですか……。良かった……」


 自分のことのようにあんの表情をかべるマルティナに、クラウスは尋ねた。


「ところで君はなぜ職業王妃になろうと思ったんだ?」


 以前から聞いてみたいと思っていた。


「そ、それは……。昔から勉強が好きで……。でも女の子は勉強よりもさいほうやダンスを練習なさいと言われました。少しでも器量を良くして立派な家にとつぐのだと。私も兄のように勉強したいと言っても、聞き入れてもらえませんでした。でもある日、職業王妃養成院に入ったら好きなだけ勉強ができると知りました。私にはこの道しかないと思ったのです」


 養成院に入ると宣言すると、両親は失望し、兄はあきれ、姉達は変わり者の妹だとバカにして笑っていた。けれどマルティナの気持ちは変わらなかった。

 ほとんどかんどう同然に養成院に入ったマルティナだったが、王妃になると聞いてからは実家の態度が逆転した。

 今まで一度も面会に来なかった両親が、結婚前に初めて訪ねてきた。王妃の父ということで実家に祝いの品がたくさん届き、父も兄も今までより大きな役職につくことになったらしい。嫁いだ姉達は多少たいぐうが良くなったぐらいだが、まだ嫁いでいない妹は、今までにないりょうえんが期待できそうだと大喜びで報告してくれた。


「陛下の職業王妃となったことで少しだけ家族孝行ができました。ありがとうございます」


 それはマルティナの正直な気持ちだった。

 家族から呆れられて見捨てられたような自分が感謝される日がくるなんて思っていなかった。だからがんろうと思った。最初はそれだけだった。だけど今は……。


「それで君は?」

「え?」


 尋ねられて、マルティナはどきりとした。


「君自身は王妃になれて嬉しいと思っているのか?」


 それはまさに今朝メリーにしみじみと伝えた内容だった。

 すべてかされているようなどうようを、あわてて無表情にかくす。


「そ、それはもちろんです。どの仕事もやりがいがあり、満足しています」

「私が聞きたいのはそういうことではない」

「え?」


 急にげんな顔になったクラウスが立ち止まる。


「ここは……」


 気付くとなつかしい場所に立っていた。庭園をけて、木々がうっそうとしげる深い森の中。

 そびつ木々のすきから、職業王妃養成院の灰色の屋根がわずかに見えている。

 ジュエルチンチラの巣穴がある場所だ。


「私はもっとありのままの君を知りたいのだ」

「ありのままの私? 今もありのままの私だと思いますが……」


 マルティナは首を傾げた。


「私は昔この場所で君を見たことがあるのだ、マルティナ」

「!」


 はっとマルティナはクラウスが何を言おうとしているのか気付いた。


「では……まさか……」


 クラウスは肯いた。


「見た。伝説のしんじゅうと言われているジュエルチンチラと君を……」

「……」


 この遊歩道もないだれも来ないような森の中で誰かに見られるとは思わなかった。


「誰かにお話しに?」

「誰にも話していない。言っても信じてもらえないか、ふざけてつかまえようとするやつらがらしに来るかもしれないから」


 マルティナはほっと息をついた。


「彼らはとてもけいかいしんが強く、多くの人が足をれるようになると巣穴を変えてしまうそうです。シルヴィア様もうっかり人に見られてしまってそうさくに来る人であふれるようになり、それっきり二度と見ることはなかったと聞いています」

「では二人だけの秘密ということだな」


 二人だけの秘密という言葉がひどくなまめかしく聞こえて胸がときめいた。

 どうが高鳴り頭がくらくらする。平静を保とうと思うのに、クラウスといると時々この訳の分からない感情に支配されそうになる。自分が違うものに変わっていくようなきょうと甘いうずきが混じり合って、ふらりとそばの木にもたれかかった。

 すると不思議なことが起こった。

 ふわりふわりと赤や青の綿毛のかたまりのようなものが空から降ってくる。


「これは……!?」


 クラウスはおどろいて木の上を見上げた。

 手の平におさまりそうなモコモコした塊が、次々に降ってきている。

 緑、黄色、ピンク、白、むらさき。色とりどりのモコモコが月の光に反射するようにキラキラときらめいて降り注ぐ。なんともファンタジックな光景だった。

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