ガザに向かう三人③


 クラウスが子どもを救護用のテントに連れていくと、めずらしいものを見るように周りに民達のひとがきができた。そしてマルティナがぎわよく子どもの汚れを洗い流し、グレーのドレスの院生達が手伝って手当てするのを見ていた。


「少しみるけれどまんしてね」


 手慣れた様子で傷口を消毒し包帯を巻くマルティナにクラウスは感心している。


「職業王妃養成院とはこのようなことも習うのか」

「はい。王様の大切な民を守るのが私達の使命です」


 マルティナが答えると、周りで手伝う院生達もその通りだと肯く。


「私は何も知らなかった。いや、貴族達は君達の功績を何も知らない。それなのに……」


 気味の悪い集団だとか、職業王妃など廃止すべきだとか、勝手なことばかり言っている。

 サロンだパーティーだと遊び暮らす貴族より、どれほど尊い存在なのかを考えもせずに。


「職業王妃とそれを支える多くの院生達のおかげで王は民のしんらいを得ていたのだな」


 クラウスの言葉にマルティナをはじめとした院生達がはっと顔を上げる。

 今までそんな風に言ってくれる貴族はほとんどいなかった。民達から感謝されることはあっても、王や貴族が院生をねぎらうことなどなかった。いや、院生が何をしているのかなどに興味を示す貴族はいなかった。


「ありがとう。心より感謝する」


 頭を下げるクラウスに院生達が顔を見合わせ、上気したほおをほころばせた。


「陛下……」


 マルティナは院生をねぎらってくれるクラウスのこころづかいが嬉しかった。自分がめられるよりももっと嬉しい。王妃は王の声をいつでも聞くことができるが、院生達にその声が直接届くことはめっにない。今のクラウスの言葉がどれほどのはげみになることか。


「さあ、出来たわ。これで大丈夫よ」


 マルティナが手当てを終えると、子どもは嬉しそうに側で様子を見守っていた母親のもとに戻った。そして二人で深々と頭を下げている。

 それでもまだ王妃の人気取りだと疑う者もいる中、一人の男がおそる恐る進み出てきた。


「あ、あの……王妃様。実は俺は川に流されちまって。なんとか命は取り留めたものの、みぎかたが動かなくなっちまって。こんなのも治せますか?」


 泥水で汚れたままの服を着た男が右肩をだらりとさせたまま立っていた。

 き腕が使えなくなって激痛に苦しみ、家も流され、すべてに絶望していた。

 マルティナは立ち上がり、少し肩の様子を見て肯いた。


「肩をだっきゅうしているようですね。骨には異状がないようだから治りますよ」

「ほ、本当ですかっ!?」

「ええ。少し痛みますが我慢して下さいね」


 言うとマルティナは男を台の上にかせ、院生に命じて補助の力を加えてもらいながら、ゆっくりと腕を回してしんちょうに肩を動かした。

「いててて」と痛みに顔をゆがめる男を見ながら、周りに集まった民達はかたをのむ。


「だ、大丈夫なのか?」

「医師でもないのに、できるのか?」


 ぼそぼそと不安の声が広がる。

 やがてカクンと肩が動いて、関節が正しい位置におさまった。その途端苦痛に顔を歪めていた男が、今までの痛みがうそであったかのように目を見開いた。


「な、治った! 痛みがすっかりなくなった。う、動くぞ。俺のみぎうでが動く!」


 大喜びで肩を回す男を見て、民達が「おーっ!」と歓声を上げた。


「ああ、ダメですよ。しばらくは安静にして下さい。すぐに動かすとまた脱臼しますよ」


 マルティナに注意されて男は慌てて腕を下ろし頭を搔いた。


「は、はい。王妃様。あなたは命の恩人です! ありがとうございます!」


 男は涙ぐみながら、何度も礼を言った。


「シルヴィア様の教えが役に立っただけです。感謝すべきはシルヴィア様です」


 髪を撫でつけ答えるマルティナのもとに民達が列を作り始めた。


「王妃様。実は井戸が埋まっちまって……」

「うちの赤子が熱を出して下がらないんだが……」


 マルティナは一人一人ていねいに話を聞き、知り得る限りの知識で対処した。

 クラウスはそんなマルティナを少し離れたところでだまって見守っていた。


 そうして気付けば日が暮れかかっていた。


「残念ながら、そろそろ王宮に戻らねばなりません。明日には医師も大工も大勢派遣されてきます。もう少しのしんぼうです。安心してください」


 マルティナが立ち上がると、民達が残念そうに見送ろうとついてきた。

 マルティナは院生に引きげる準備を命じ、辺りを見回してクラウスをさがした。

 しかしどこにも見当たらない。


(民達の手当てに夢中になって陛下をお待たせしてしまったわ。陛下は馬車でエリザベート様と待ちくたびれていらっしゃるのかしら)


 停留所の方へ行くと、エリザベートの豪華な馬車はいなくなっていた。


(お二人で……先に帰られたのだわ)


 ショックだった。


(私に何も言わず帰られたのね)


 それが悲しかった。だが自分の都合で王を待たせるなど、職業王妃としては失格だ。仕方のないことだと思った。


(仲良く手を繫いでいらっしゃったから、噂の通りお妃になられるのかしら?)


 マルティナがあこがれるファンシーな色をちりばめたドレスを着こなし、いつ見ても美しい令嬢だった。


(あの方ならクラウス様の隣に並んでもお似合いだものね)


 さっきエリザベートに王妃失格のように言われたことを気にしていない訳ではなかった。

 むしろ本当は深く傷ついていた。


(あの方の言う通り。私ではあの美しいクラウス様の隣に似つかわしくない)


 エリザベートに言われるまでもなく自分でよく分かっていた。

 しょんぼりと自分の質素な馬車に向かおうとしていたマルティナは、その時信じられないものを見た。


「これは重労働だな。身をもって知ったぞ。もっと人手が必要だな」


 泥を搔き出しながら民家から出てきたのは……。


「陛下っ!?」


 豪華な上着を脱ぎ捨てて、泥まみれになっているクラウスだった。


「お、王様! 王様に泥搔きをして頂いたなんて、我が家は名所になっちまいます」

「新しい王様は、なんとぶかいお方だ」

「我らは果報者だ。こんなことでへこたれていられないな」


 民達が口々に感謝を告げ、希望を持ち始めている。


「へ、陛下! まだ帰っておられなかったのですか?」


 マルティナに気付いたクラウスは晴れやかに微笑んだ。


「大事な王妃を置いて帰るわけがないだろう? 君をならって私も慈善活動とやらをやってみた。やってみて初めて民の気持ちが分かった気がする」

「陛下……」


 マルティナは熱いものが心の奥からみ上げてくるのを感じた。


「君は大事なことを私に教えてくれた」


 クラウスはそう言って、今度はマルティナが引き連れてきた民達に尋ねた。


みなの者。私の王妃はらしい女性だろう?」


 クラウスが言うと、民達がいっせいに「おーっ!」と祝福の声を上げた。

 その熱気と人の温かさに、マルティナはじんわりと涙が溢れそうになった。

 ずっとずっと、職業王妃とはどくな職業なのだと教わってきた。

 どんな課題も難問も、すべて一人で解決し、決して他人に頼ってはいけないと。

 まして、王には頼られることがあっても、決して頼ってはいけないと。

 それがギリスア国の王妃という職業なのだと。

 けれど今、そんな張りつめたきんちょうがクラウスの一言でやわらいだ気がする。

 この人は味方になってくれる人なのだと、なにか大切なものが繫がった気がした。


「王様、王妃様、本日は本当にありがとうございました。おかげで民達は希望を持ち、心を合わせて苦難に立ち向かう気力が戻って参りました」


 ホリスは馬車の前で深々と頭を下げた。後ろで見送る大勢の民達も一緒に頭を下げる。

 クラウスは最後にホリスに指示を与えた。


「王妃と先ほど話し合って決めた。明日には王宮より医師と治水工事監督官を派遣するとしよう。彼らは王ちょっかつの非常にゆうしゅうな者達だ。彼らの命令は私の命令と思って従うように。困ったことがあれば彼らを通じて私に直訴するといい」


 それを聞いた監督官達が慌てた。


「し、しかし、我々はスタンリーこうしゃく様にすべての権限を与えられて……」


 スタンリー公爵家の息がかかった役人達だった。

 クラウスはぎろりと男達を見た。


「聞こえなかったか? 私の命令だと言った。なにか反論があるのか?」


 工事監督の男達は青ざめて答えた。


「い、いえ、おおせの通りに……」

「ホリスには仕事をさぼる役人がいたらかいする権限を与える。それから家や農地を失った者で働きたい者をやとう権限も与えることとした。賃金は王家から出す。きちんと給金を払ってあげるのだぞ、ホリス」

「は、はい。かしこまりました、王様」


 ホリスは頭を下げながらこの二日間のせきを思い返していた。

 昨日の朝までは、途方に暮れていた。

 スタンリー公は、前から民に冷たい領主だと思っていたが、災害に遭って一層それがはっきりとけんした。スタンリー公が派遣してくる男達は、ろくに仕事もできないくせにり散らしてホリスの言うことなど聞こうともしない。しかもみんなごうよくなまもので自分のことしか考えていない。

 どうせ王に直訴したところで適当に受け流されて終わるだけだろうと思ってはいたが、それでも最後の望みをかけて昨日王宮に出向いた。

 そこに現れたのは王ではなく、まだ少女のような新しい職業王妃だった。

 この若い職業王妃に窮状を訴えたところでどうにもならないだろうと、半分あきらめ気分で現状を話したのだが……。

 まさかこれほど有能な女性だったとは思いもしなかった。

 昨日この王妃に会えたことがどれほどの幸運だったか分からない。

 ただただ、目の前の女性に感謝だけがこる。


「王妃様。あなた様に会えた幸運に感謝致します。ありがとうございます」


 ホリスは最後に深く深く頭を下げて、マルティナに感謝を述べた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る