ガザに向かう三人②


 一方のマルティナは被災した民の家をホリスと共に見て回っていた。

 家屋がしんすいした家々では、水が引いた後の泥のき出しでへいしていた。

 被災した家屋の数と程度を調べて、必要な材木や大工を新たに送り込むためだ。

 だがここでマルティナは民達から意外な対応を受けることになった。


「黒ドレスということは、あんたが新しい職業王妃か!」

きつな黒いドレスだ。あんたが王妃になった日に我らは被災したんだ」

「天がお認めにならない者が王妃となったために我らががいを受けたんだ」


 誰もがかたきを見るような目でマルティナを見て、悪態をついた。

 マルティナは思いがけないにくしみを向けられわずかにどうようした。

 だが次のしゅんかんにはいつもの無表情にもどる。

 理不尽な悪意を向けられた時こそ冷静であれというのがシルヴィアの教えだった。

 王妃という権力を持つからこそ、悪意はどこからでもやってくる。そんな悪意の一つ一つに振り回されていては、王を補佐し国を安定に導くことなどできない。

 自分にやましいことがないなら、王妃として堂々としていればいい。


「こ、これ! 王妃様に失礼だぞ。なんという言い草だ! 大雨が王妃様のせいだとでも言うのか! そんなわけないだろう」


 ホリスが間に入って注意する。だが民達はますますいかりをつのらせた。


「はは。やはり国司様は王妃様をかばうんだな」

「監督官達から聞いている。救援物資が遅れたのは、ホリス様が新しい王妃様とけったくして横流ししたからだとか」

「なっ!?」


 ホリスは思いもかけない発言に啞然とした。


「な、なにをバカなことを! 私は昨日初めて王妃様とお会いして……」

「昨日会っていたことは認めるんだな。監督官達が、ホリス様は被災地を放り出して、昨日は王妃様とゆうにお茶を飲んでいたと言ってたぜ」


 泥まみれの民達が作業の手を止めて、マルティナとホリスの前に集まってきた。


「バ、バカな……。昨日はガザのさんじょうを訴えに行ったのだ。しかも王様にじきするつもりがお留守だったので、たまたま王妃様にお会いしただけなのに……」

「ふん! 王様がお留守の時をねらって行ったんだろう?」

「どうも救援物資が届かないと思ったんだ。監督官達が口をそろえてホリス様のせいだとっていた。俺達はだまされねえぞ」


 その口を揃えた監督官達こそ、すべてスタンリー公の息がかかった者達だった。

 マルティナ達が視察に行くことを知ったスタンリー公が、王の到着より一足早く自分達に都合のいいデマを流していたらしい。


「どんなに頭がいいのか知らねえが、俺達はあんたを王妃とは認めない」

しょくに手を染める職業王妃なんぞ、シルヴィア様の名をけがすだけだ」


 民達はこの数日のつかれと、こんな目にった不運へのいら立ちをマルティナに向けた。


「お前達は王妃様になんということを……」


 ホリスはデマだらけのこじつけ話にこぶしにぎりしめた。

 感謝こそすれ、こんな暴言を投げかけていい相手では決してない。

 すべてを知っているホリスは青ざめて、さぞかし理不尽な怒りにふるえているだろうと隣に立つマルティナを見た。しかし……。

 マルティナははらった様子で髪を撫でつけると、静かに口を開いた。


「シルヴィア様の足元にも及ばないことは、私が一番よく知っています。今の私は、国と民を愛したシルヴィア様の名を穢さぬように、できる限りのことをするだけです」


 そう言ってうでまくりをすると、そばに立てかけてあった長いのスコップを手に持ち、一番泥で埋まった家の中に入っていった。

 女所帯でどろきの進まない家では、とつぜん乱入して泥をすくい始めた王妃にあわてた。


「お、王妃様……。あ、あの……ドレスがよごれます」

「王妃様ともあろうお方が、こんな泥仕事を……。ああ、綺麗なおくつに泥が……」


 きょうしゅくする女性達に、マルティナは生真面目な顔で答えた。


だいじょうです。私は職業王妃養成院で数々の慈善活動に参加してきました。時には力仕事も必要でした。これでも体力には自信があります」


 そう言って泥を搔き出す手も足もドレスも、どんどん泥にまみれていく。

 さっきまでマルティナを非難していた民達は、驚いた顔でその様子を見ていた。


「あ、あの……王妃様。被災家屋のかくにんはよろしいのでしょうか……」


 ホリスはまどいながら尋ねた。


「ざっと見ただけですが、だいたいあくしています。ちょうど今、王宮の兵舎の改修工事をしています。その大工と材木をまずはこちらに回すよう王様に頼んでみましょう」


 これほどの暴言をかれながら、いっしゅんにして状況を把握し、解決案まで考えていた。

 頭脳めいせきと言われる職業王妃のしゅわんたりにした気分だった。

 昨日はむすめだとあなどっていた自分を心からる。

 しかも民達の理不尽な物言いにおこることもなく、冷静にけんきょに受け止める誠実さ。

 それこそが、まさに民がすうはいする初代シルヴィアの生き写しではないのか。


「わ、私もお手伝い致します、王妃様」


 ホリスはいたく感動して、自分も腕まくりをして泥搔きを手伝い始めた。


「王妃様、お顔に泥がついてるよ。とってあげる」


 家の子どもらしき女の子が、自分のうすよごれた手ぬぐいをマルティナの顔に近付けた。


「こ、これっ! 王妃様にそんなきたないぼろ布を失礼でしょう!」


 母親が恐縮しながら手ぬぐいをうばろうとした。だがマルティナは気にする様子もなく子どもに自分の顔を差し出した。


「とってくれるのですか? 助かります」


 子どもは嬉しそうにぼろ布でマルティナの顔の泥をごしごしとき取った。


「王妃様……」


 母親が青ざめる中、マルティナは子どもの頭を撫でて「ありがとう」とほほんだ。

 子どもは顔を紅潮させ、ホリスをはじめとした周囲の大人たちもほっと笑顔になった。

 王妃などという立場の貴族女性は、もっと高飛車でつんけんしていると思っていた。

 あいがいいとはいえない無表情が誤解をあたえがちだが、どうやら思っていたような女性とは全然違う。それを一番びんかんに感じ取るのは子ども達だ。


「王妃様! 私も手伝います!」

「僕もこんなに泥を出したよ、王妃様。見て見て」


 得意げにまんする子どもにマルティナはぴしりとばした右手で髪を撫でつけて言った。


「私もこんなに出しましたよ。すごいでしょう!」


 たいこうしんを燃やして胸を張るマルティナを見て、子ども達も負けじと泥を搔き出している。


「私の方がすごいよ、王妃様!」

「こっちも見て、王妃様!」


 気付けば子どもを中心に、笑顔の輪が出来ていた。

 さっきまでマルティナをののしっていた民達はそれを見て戸惑った。どうせ見せかけだけの人気取りだろうとささやく者もいたが、それ以上マルティナを責める者はいなかった。


 クラウスとエリザベートは、怪我人や家を失った者達に声をかけて回り、やがてマルティナのいる家屋の被害の大きい被災地に辿たどり着いた。


「陛下、もうこのぐらいで充分ではないでしょうか? 持ってきた衣類もすべて民に配ったことですし馬車に戻りましょうよ」


 エリザベートは重い帽子とドレスで歩き回ったので疲れ切っていた。


「それにこの先はずいぶん泥だらけだこと。ドレスが汚れてしまいますわ」


 さっきから高価なドレスに少しどろねしただけでおおさわぎしている。


「君は馬車に戻っているがいい。私は家屋が浸水した者たちの声も聞いてくる」


 自分勝手なことばかり言うエリザベートにクラウスはへきえきしていた。


「お、お待ちください。私も行きますわ。きゃっ! 泥がドレスに! 陛下、手を貸して下さいませ。転んでしまいそうですわ」


 クラウスはやれやれと思いながらも、仕方なく手を差し出した。

 そんな二人の前に信じられない光景が映った。


「マルティナ……?」


 それは子ども達と楽しげに泥を搔き集めている泥まみれのマルティナだった。

 黒ドレスのすそは泥色に変色してたくし上げられ、手足どころか顔も泥だらけだった。


「ぷ……。なに、あの姿? いやだわ、みすぼらしい。王妃ともあろう方が……」


 エリザベートはべつの表情を浮かべ、あきれたようにわらった。


「馬車に戻りましょう、陛下。私達まで同類だと思われてしまいますわ」


 クラウスの手を引いて戻ろうとしたエリザベートだったが、そこに子どもが一人け寄ってきて「綺麗なお姫様も一緒にやろうよ」と空いている手を握ろうとした。

 貴族の女性はみんなマルティナのように優しいと思い込んだらしい。しかし。


「きゃっ! なにをするの、この子は!」


 エリザベートが泥だらけのその手を振り払ったせいで、子どもは水たまりにひっくり返った。泥水がエリザベートのドレスに跳ね返り、子どもは全身泥まみれになって「わああああ!」と泣き出してしまった。


「泣きたいのはこっちの方よ! どうしてくれるの、このドレス! どれほど高価なものか分かっているの? どう責任を取るつもりなのよ!!」


 エリザベートに厳しく非難されて、さらに泣き声が大きくなる。

 さわぎを聞いて民達が通りに出てきた。


「お、おい。あれは王様だぞ? あの怒鳴り散らしているれいじょうは誰だ?」

「スタンリー領主様のご令嬢らしい」


 やがて子どもの泣き声に気付いたマルティナが二人の前に進み出て、しっかりとつながれた手を見つめ、無表情のままクラウスに顔を向けた。


「マルティナ……」


 クラウスが気まずそうにはなそうとした手を、エリザベートがぎゅっと握りしめる。


「王妃様ったら、私と陛下が被災した民達を元気づけて回っている間に、こんなところで泥だらけになって子どもと遊んでいらっしゃったの? 養成院のころのように慈善活動の延長で民の心をつかもうとでも思っていらっしゃるのかもしれないけど、それは王妃の仕事ではないでしょう? 国を代表する王妃ともあろうお方が、そのようにみすぼらしい姿で民の前に姿をさらすなんて、民の不安をさそうだけですわ。ねえ、陛下?」


 ほこった顔でクラウスに同意を求めるエリザベートだったが、クラウスが口を開く前に、マルティナはその場にしゃがみ込み、泥まみれの子どもをこし、ゆっくり立たせた。マルティナのドレスはますます泥まみれになっている。


「大丈夫? 泥を飲んではいない? 怪我は? 災害の後の泥水には病気の原因になるものが含まれているかもしれないわ。すぐに洗い流して消毒しましょう」

 マルティナは自分が汚れるのを少しもいとわず、子どもを抱き上げようとした。

 クラウスはそんなマルティナを制し、自ら子どもを抱き上げた。


「陛下……? 衣装が……」


 クラウスのごうな衣装は、あっという間に泥だらけになっていた。


「構わぬ。私が運ぼう」


 先頭に立って歩き出すクラウスを、マルティナばかりか民達も驚いたように見つめている。そして一番驚いているのはエリザベートだった。


「へ、陛下……」


 みんながクラウスの後をついていく中、エリザベートだけが置き去りになっていた。


「陛下! 私は帰りますわよ! こんな汚れたドレスで人前に出るわけにいきませんもの! いいのですか? 私は帰りますわよ!」


 必死に言い募るエリザベートだったが、クラウスは気付いていないのか行ってしまった。


「な、なによ……。陛下まで……。お父様に言いつけてやるんだから」


 相手にされないまま、エリザベートはいらいらと一人馬車に戻っていった。

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