王宮の森にて③



*****



「ひ、ひいいいいっ!!」


 夜着の準備をしてマルティナのしんしつに入ったメリーは思わず悲鳴を上げていた。

 見てはいけないものを見てしまった。

 ろうそくに照らされ、ほの暗く浮かぶマルティナの顔。その手にはなべのような物を持っていて、蠟燭の火であぶっている。そして一心不乱に何かをかき混ぜていた。


「マ、マルティナ様、なにを……。ま、まさか!」


 メリーはごくりとつばを飲み込んだ。


「これが何か分かったの? メリー」


 マルティナはうすかりの中でにやりと微笑んだ。


「まさかマルティナ様がそこまでおもめられていたとは知りませんでした。先日のガザでの視察のご様子のことは院生達からくわしく聞きました。エリザベート様は、マルティナ様が必死にご準備なさったものを、まるで自分の功績であるかのように振るって、民達に崇められていたというではありませんか。事情を知っている者はみんな、マルティナ様が気の毒だと腹を立てておりました」

「? それは何の話かしら?」


 マルティナは小鍋を混ぜながら首を傾げた。


「何の話って。ですから毒を作っておられるのでしょう?」

「毒?」

「エリザベート様に飲ませる毒をせんじておられるのでしょう?」

「……」

「ですが相手はスタンリーこうしゃく様のごれいじょうです。お気持ちは分かりますが、毒殺はさすがにいけませんわ」

「何を言っているの?」

「え?」


 メリーはきょとんと聞き返した。


「毒など煎じるはずがないでしょう?」

「え? でもその小鍋で作っているのは……」

「これはろうかしているのよ。これで髪を固めたらどうかしらと思って」

「蠟で髪を? そ、そんなことをしたらごわごわになって、てかてか白光りしますよ!」

「やっぱりそう思う? 一度ためしにやってみようと思ったのだけど……」

「や、やめて下さい!! せっかくの綺麗な黒髪が台無しになります!!」

「でもやってみれば案外きっちりまとまって、簡単にほどけなくなるかもしれないわ」

「別に今でもきっちりまとまってほどけてないではないですか」

「それがね、束の中心を引き抜かれたら簡単にほどけてしまうのよ。どこを引っ張ってもほどけないように、かちかちに固めるべきだと思うのよ」

「マルティナ様の髪を引き抜く人なんていますでしょうか?」

「それは分からないわ。でも用心はすべきだと思うの。味方だと思っていた人がとつぜん思わぬこうげきをしかけてくることはあるでしょう?」

「誰のことを言っているのか分かりませんが、そんな攻撃をしかけてどうするのですか?」

「分からないわ。何の得があるのかしら? どうしてそんなことをするの?」

「私が聞いているのですが……」

「でも相手に得があろうがなかろうが、私はだいげきを受けるのよ。長年ひっつめたかみがたでしか人前に出ていないから、髪をほどかれると……なんだかとても恥ずかしくて素の自分に戻ってしまうような気がするの」


 なぜか頰を赤らめるマルティナが可愛かわいくて、メリーは可笑おかしくなった。

 このでピュアなマルティナが毒など盛るわけがなかった。


「ともかく、蠟で髪を固めるのはやめてください。お願いします」


 メリーに言われて仕方なく、マルティナは小鍋を置いた。


「さあ、お疲れでしょうから、もう夜着にえてお休みください」

 マルティナはメリーに手伝ってもらいながら、たくをする。


「それにしても王様はいったいどういうつもりでいらっしゃるのでしょうか? マルティナ様のことを気に入らないと言ったり、急に散歩にお連れになったり……」


 みんなには、庭を散歩しながらガザの災害えんじょうきょうなどを話し合っていておそくなったと伝えている。ジュエルチンチラのことや、膝枕で眠ってしまったクラウスのことは話していない。


「気に入らない……。そうね。そんなことをおっしゃったのだったわ」

「もうマルティナ様を解任しようとお考えではないのでしょうか?」


 蠟で固められずに済んだ長い黒髪を梳きながらメリーは聞き返した。


「どうかしら。時々……何をお考えなのか分からなくなるの」


 勤勉で真面目で、養成院にいたころから何事にも動じないマルティナだったが、クラウスに会ってから少しおかしい。


「王様と何かあったのですか? マルティナ様」


 マルティナはまどうようにうつむいた。


「あのね、メリー。誰にも言わないでくれる? ここだけの話よ」

「? はい。もちろん誰にも言いませんよ。何ですか?」


 珍しく口ごもるマルティナに、メリーは息をひそめて尋ねた。


「自分でもこんな気持ちになるなんて、信じられないのだけど……」

「!!」


 メリーはまさか、と期待を高めた。いや、職業王妃としてあってはならないことなのだが、こいばなが好きなのは女性のさがのようなものだ。男子禁制の養成院であっても、いや、だからこそ、おとぎ話のようにれんあいあこがれる気持ちはある。

 長年そばにいても色気の欠片かけらもなかったマルティナだが、もしかして……。


「ああ、でもやっぱり陛下に対してのこんな気持ちを人に言うべきではないわね」

「な、なんですかっ!? とも言ってくださいませ、マルティナ様」


 メリーは前のめりになって尋ねた。


「いいえ。この気持ちは私の心だけにめるべきだわ」

「私とマルティナ様の仲ではないですか! なにがなんでも言ってくださいませ!!」


 メリーは摑みかからんばかりにマルティナに詰め寄った。

 そしてマルティナは観念したように答えた。


「陛下が……」

「王様が!?」

「……時々……少し怖いの……」

「……」


 メリーは、しばし固まったあとせいだいにため息をついたのだった。

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