クレメン侯爵邸のサロン②
二年前のあの日。クラウスが世継ぎの王子と決まった日だ。
以前から十中八九確定だと言われてはいたが、できれば世継ぎになどなりたくなかった。
世継ぎと決まった
「俺は気楽な一公爵となって、このままアラン達と付き合っていきたかったんだ」
明日からは少年っぽい言葉遣いも改め、友人たちとも一線を引かなければならない。
「しかも職業王妃だって? なんだよ、それ」
この国の王は、職業王妃などという気難しい王妃を勝手に決められてしまう。
優秀で公正な女性だかなんだか知らないが、結婚相手ぐらい自分で選びたい。側室となる妃を好きなだけ選べばいいという者もいるが、クラウスは複数の女性に愛情を分けられるほど器用な人間ではない。それは自分が一番よく知っている。
「ああ、最悪だ。なんだって世継ぎの王子になんてなったんだ。もっとできないふりをして絶対選ばれないようにすればよかった」
だが
王になりたい王子はいくらでもいたのに、一番なりたがっていないクラウスが選ばれてしまった。因果な結末だった。
いらいらと夜半に部屋を
そうして王宮の北にある小さな森を抜けて
(なぜこんな所に来てしまったんだ)
見えない糸に
若いクラウスの耳に入ってくる職業王妃の噂は、あまりいいものではなかった。
みんなが
「なんだってそんな不気味な少女達の中から王妃を選ぶんだよ」
つい
クラウスの義母となる職業王妃は、父王よりも年上で非常に聡明な人だということは認めるが、近寄りがたい圧を感じる。父王はそれが
だがクラウスは、王妃の尻に敷かれている自分というのが想像できなかった。
「
自分にはこの制度は合わないのではないかとずっと思っていたのだ。
そんな気難しい女性と
さっさと、この気味の悪い場所から立ち去ろうと
声が聞こえる方角は、養成院の裏手の誰も通らないような深い森の中だった。
夜の木々に
なんだろうとそっと近付いたクラウスは、息を吞んだ。
木々の枝に青や赤や緑の光る玉のようなものが二、三個ずつかたまって並んでいる。
それらは宝石のような
「まさか……」
古い歴史書で読んだことがある。
「ジュエルチンチラ?」
それはギリスア国の伝説の
心の美しい
「まさかこれが……?」
驚くクラウスは木々の根本に視線を移して、さらに
そこには数十の色
長く
(ジュエルチンチラの
この世のものと思えぬ美しさに
「ふふ。
優しげな声で微笑み、少女はジュエルチンチラたちに何かを一つずつ
チンチラ達は小さな両手で大事そうに受け取ると、すぐに前歯でかじかじと食べている。
(ゼリービーンズ?)
どうやら少女が
青いチンチラは赤いゼリービーンズを食べると、ゆっくりと赤色に変わっていく。
食べた物の色に体の色が変化するらしい。
一
「だめよ。一人一個だけよ。ごめんね。また今度たくさん持ってくるからね」
少女が指先で毛並みを
(ジュエルチンチラの言葉が分かるのか?)
少女は確かにチンチラ達と会話をしていた。
「あなたは初めて見る顔ね? 噂を聞いてやってきたの? はじめまして」
「私? 私はマルティナ・ベネット。ここの養成院で暮らしているのよ」
「ゼリービーンズは週に一回だけ養成院のおやつに出るの。だから次は来週まで待っていてね」
彼女の独り言のような会話で、多くのことを知った。
「今日ね、世継ぎの王子様が決まったの。クラウス様というそうよ」
自分の話が出た時には驚いた。
「実はね、王妃様から次の職業王妃を目指してみないかと言われたの。もしかしたら、私はクラウス様の王妃になるのかもしれないわ。クラウス様というのはどういう方かしら。とても不安だけれど、王妃になれば実家の家族も喜ぶと思うの。だから出来る限りの努力をしようと思っているのよ。ふふ。こんな話、あなた達には
クラウスは
(では彼女が俺の職業王妃なのか……)
それは想像していた職業王妃とまるで違っていた。
(どこが無表情で気味の悪い女性だ。あんなに表情豊かで愛らしい女性なのに)
周りから聞かされていた人間像と全然違う。
そしてクラウスは、さっきまでの
(彼女が不安にならないような立派な王に……なってみようか……)
まったく単純な話だが、やる気の源などというのはそんなものかもしれない。
クラウスはその瞬間から、歴代一の名君を目指して
*****
そうして迎えた結婚式だったが、あの夜に見たマルティナとは違っていた。
艶やかに美しい黒髪をひっつめて、無表情で堅苦しい。
ジュエルチンチラ達に見せていた
本当のマルティナを知っているだけに、不自然に職業の
クラウスは職業王妃という
「私は職業王妃を
「ただ?」
アランは首を
だが結婚式のクラウスは明らかに
だが舞踏会で見た職業王妃は嫌な感じではなかった。
クラウスも、この男にしては
「もしかして、クラウス、君は……」
「な、なんだよ……」
むっとして
「ああ……そうか……。そういうことか……」
アランはやっと分かったという風に天を
「はは……そうか、そうか! 俺は正直、心配していたんだ。君はその……もしかして男の方が好きなのかと」
「は?」
とんでもない
「いやいや、今だから言うが学友の間では、君が俺を好きなんじゃないかという話になっていた。だから妃も
「ばっ! そんな訳ないだろう! あいつら……」
学友というより悪友たちだ。ろくでもない
「俺もまさかと思いながらも、これほどのいい男だからあり得るかもしれないと責任を感じていたんだ。万が一、君に言い寄られたら全力で受け止めろと
「……」
クラウスは想像して気分が悪くなったのか、額をおさえた。
「いやあ、そうか。良かったよ。俺は君の気持ちに応えることはできても、子を産むことはできないからな。どうしたものかと
「悩むな! 気持ちにも応えなくていい」
クラウスはいよいよ
「はは。しかし……、そうか。良かったって訳でもないのか」
アランは現実に
「職業王妃は確か恋愛禁止だったな。妃たちの骨肉の争いを
「ああ……分かっている」
クラウスは深刻な表情に戻り肯いた。
クラウスの
思い悩む様子のクラウスの背をアランがばんっと叩いた。
「そう悩むな! なにか方法はあるはずだ。俺も協力するから」
「アラン……」
こういう時、楽天的なアランの存在は心強い。本当になんとかなりそうな気がしてくる。
「というか、なんとかしないとな。でないとやっぱり俺が応えるはめになるからな」
「だから応えなくていい! 想像するからやめてくれ!」
「ははは。つれないこと言うなよ。俺は半分その気になりかけていたのに」
「お前は! そんな目で私を見ていたのか!」
「ははは」
ひとしきりクラウスをからかった後、アランは少し真面目な顔になった。
「とにかく職業王妃という制度について調べ直してみよう。きっとどこかに解決する糸口があるはずだ。貴族達の根回しは俺に任せてくれ」
心強い言葉をもらい、二人は再びサロンに戻って夜半まで飲み明かした。
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