クレメン侯爵邸のサロン②


 二年前のあの日。クラウスが世継ぎの王子と決まった日だ。

 以前から十中八九確定だと言われてはいたが、できれば世継ぎになどなりたくなかった。

 世継ぎと決まったしゅんかんから、気楽な一王子生活は終わりを告げ、大勢の臣下に守られてていおう学をたたきこまれ、自由な時間をうばわれる。


「俺は気楽な一公爵となって、このままアラン達と付き合っていきたかったんだ」


 明日からは少年っぽい言葉遣いも改め、友人たちとも一線を引かなければならない。


「しかも職業王妃だって? なんだよ、それ」


 この国の王は、職業王妃などという気難しい王妃を勝手に決められてしまう。

 優秀で公正な女性だかなんだか知らないが、結婚相手ぐらい自分で選びたい。側室となる妃を好きなだけ選べばいいという者もいるが、クラウスは複数の女性に愛情を分けられるほど器用な人間ではない。それは自分が一番よく知っている。


「ああ、最悪だ。なんだって世継ぎの王子になんてなったんだ。もっとできないふりをして絶対選ばれないようにすればよかった」


 だがけずぎらいなところのあるクラウスは、気付けば全力を出してしまう。

 王になりたい王子はいくらでもいたのに、一番なりたがっていないクラウスが選ばれてしまった。因果な結末だった。

 いらいらと夜半に部屋をし、やみくもに王宮の中を歩き回って頭を冷やしていた。

 そうして王宮の北にある小さな森を抜けて辿たどいたのは、この自分の王妃を目指して幼い頃から学んでいる女性達のいる場所『職業王妃養成院』だった。


(なぜこんな所に来てしまったんだ)


 見えない糸にからめとられるような気がしてぞっとしたのを覚えている。

 若いクラウスの耳に入ってくる職業王妃の噂は、あまりいいものではなかった。

 みんながそろってグレーのドレスを着込み、幼い頃から王を支えるための教育を叩きこまれ、れんあいじゃあくなものと教え込まれたてっぺきの集団。

 ぜん活動に向かう時は、みながお一つなく無表情に列を整えて歩く気味の悪い女性達で、男性が話しかけようものならあくに出会ったように悲鳴を上げてげていくと聞く。


「なんだってそんな不気味な少女達の中から王妃を選ぶんだよ」


 ついがこぼれてしまう。

 クラウスの義母となる職業王妃は、父王よりも年上で非常に聡明な人だということは認めるが、近寄りがたい圧を感じる。父王はそれがここよいのか、王妃をしんらいしていて何事も相談している姿をよく見かけた。完全にしりかれている。

 だがクラウスは、王妃の尻に敷かれている自分というのが想像できなかった。


じょうだんじゃない。俺はそういう情けない男になりたくないんだ」


 自分にはこの制度は合わないのではないかとずっと思っていたのだ。

 そんな気難しい女性ととぎなしとはいえ、添い遂げねばならないのかとうんざりしていた。

 さっさと、この気味の悪い場所から立ち去ろうときびすかえして森のおくふかくに進んだクラウスは、ふと話し声が聞こえたような気がして足を止めた。

 声が聞こえる方角は、養成院の裏手の誰も通らないような深い森の中だった。

 夜の木々にもれた森の中に、ちらちらと光る色とりどりの光の玉が見えた。

 なんだろうとそっと近付いたクラウスは、息を吞んだ。

 木々の枝に青や赤や緑の光る玉のようなものが二、三個ずつかたまって並んでいる。

 それらは宝石のようなかがやきを放ち、枝を移りながら動いていた。


「まさか……」


 古い歴史書で読んだことがある。


「ジュエルチンチラ?」


 それはギリスア国の伝説のしんじゅうで、遠い昔にぜつめつしたと言われていた。

 心の美しいおとの前にだけ現れると言われ、初代シルヴィア王妃の前には現れたという話だ。それも国民がシルヴィアを神格化した理由の一つだった。


「まさかこれが……?」


 驚くクラウスは木々の根本に視線を移して、さらにぜんとした。

 そこには数十の色あざやかな光の玉が広がり、その真ん中に一人の少女が座っていた。

 長くつややかな黒髪をおろして、夜着の質素な白いシュミーズドレスのようなものを着ていた。大きなしっこくひとみには、光の玉が映り込みキラキラと輝いている。


(ジュエルチンチラのようせいか?)


 この世のものと思えぬ美しさにれた。


「ふふ。あわてないで。順番に並んでね。みんなの分はちゃんとあるから」


 優しげな声で微笑み、少女はジュエルチンチラたちに何かを一つずつわたしている。

 チンチラ達は小さな両手で大事そうに受け取ると、すぐに前歯でかじかじと食べている。


(ゼリービーンズ?)


 どうやら少女がわたしているのが、色とりどりのゼリービーンズだと分かった。

 青いチンチラは赤いゼリービーンズを食べると、ゆっくりと赤色に変わっていく。

 食べた物の色に体の色が変化するらしい。

 一ぴきのチンチラが「キキッ」と鳴いて少女の手の平に乗って何かうったえている。


「だめよ。一人一個だけよ。ごめんね。また今度たくさん持ってくるからね」


 少女が指先で毛並みをぜると、チンチラはうれしそうに指にほおこすり枝に飛び去った。


(ジュエルチンチラの言葉が分かるのか?)


 少女は確かにチンチラ達と会話をしていた。


「あなたは初めて見る顔ね? 噂を聞いてやってきたの? はじめまして」

「私? 私はマルティナ・ベネット。ここの養成院で暮らしているのよ」

「ゼリービーンズは週に一回だけ養成院のおやつに出るの。だから次は来週まで待っていてね」


 彼女の独り言のような会話で、多くのことを知った。


「今日ね、世継ぎの王子様が決まったの。クラウス様というそうよ」


 自分の話が出た時には驚いた。


「実はね、王妃様から次の職業王妃を目指してみないかと言われたの。もしかしたら、私はクラウス様の王妃になるのかもしれないわ。クラウス様というのはどういう方かしら。とても不安だけれど、王妃になれば実家の家族も喜ぶと思うの。だから出来る限りの努力をしようと思っているのよ。ふふ。こんな話、あなた達には退たいくつね」


 クラウスはしょうげきを受けた。


(では彼女が俺の職業王妃なのか……)


 それは想像していた職業王妃とまるで違っていた。


(どこが無表情で気味の悪い女性だ。あんなに表情豊かで愛らしい女性なのに)


 周りから聞かされていた人間像と全然違う。

 そしてクラウスは、さっきまでのゆううつさがさんしていることに気付いた。


(彼女が不安にならないような立派な王に……なってみようか……)


 まったく単純な話だが、やる気の源などというのはそんなものかもしれない。

 クラウスはその瞬間から、歴代一の名君を目指してがんろうと思ったのだった。



*****



 そうして迎えた結婚式だったが、あの夜に見たマルティナとは違っていた。

 艶やかに美しい黒髪をひっつめて、無表情で堅苦しい。

 ジュエルチンチラ達に見せていたやわらかな笑顔はどこにもなかった。

 本当のマルティナを知っているだけに、不自然に職業のかせをはめられたマルティナになっとくできなかった。不満があるといえば、その部分に対してだ。

 クラウスは職業王妃というかたがきを背負ったマルティナではなく、一人の女性としてのマルティナといたかった。その重苦しいからこわせないものかと少しばかり過激な行動をしてみるのだが、彼女の殻はどうだにしない。それが残念だった。


「私は職業王妃をはいしたいわけではない。ただ……」

「ただ?」


 アランは首をかしげた。廃止したくないのであれば、何も問題はない。

 だが結婚式のクラウスは明らかにげんだった。だからアランも職業王妃が気に入らなかったのかと思っていた。余程の変人か高飛車なふんの女性なのかと思っていたのだ。

 だが舞踏会で見た職業王妃は嫌な感じではなかった。

 クラウスも、この男にしてはめずらしく親切にしていた。そしてはっと気づいた。


「もしかして、クラウス、君は……」

「な、なんだよ……」


 むっとしてらした顔が少し赤らんでいる。


「ああ……そうか……。そういうことか……」


 アランはやっと分かったという風に天をあおいだ。


「はは……そうか、そうか! 俺は正直、心配していたんだ。君はその……もしかして男の方が好きなのかと」

「は?」


 とんでもないぎぬにクラウスはあきれた。


「いやいや、今だから言うが学友の間では、君が俺を好きなんじゃないかという話になっていた。だから妃もめとらず女性に興味を持たないのだと」

「ばっ! そんな訳ないだろう! あいつら……」


 学友というより悪友たちだ。ろくでもないうわさばなししかしない。


「俺もまさかと思いながらも、これほどのいい男だからあり得るかもしれないと責任を感じていたんだ。万が一、君に言い寄られたら全力で受け止めろとみなに言われ、それも仕方なしと覚悟を決めていたぐらいだ」

「……」


 クラウスは想像して気分が悪くなったのか、額をおさえた。


「いやあ、そうか。良かったよ。俺は君の気持ちに応えることはできても、子を産むことはできないからな。どうしたものかとなやんでいたんだ」

「悩むな! 気持ちにも応えなくていい」


 クラウスはいよいよをもよおしたのか口をおさえた。


「はは。しかし……、そうか。良かったって訳でもないのか」


 アランは現実にもどって考え込んだ。


「職業王妃は確か恋愛禁止だったな。妃たちの骨肉の争いをけるために作られたのが、夜伽をせず子を産まない職業王妃だったはずだ。これは中々難しいぞ」

「ああ……分かっている」


 クラウスは深刻な表情に戻り肯いた。

 クラウスのおもい人は、このギリスア国でゆいいつ想ってはいけない相手なのだ。

 思い悩む様子のクラウスの背をアランがばんっと叩いた。


「そう悩むな! なにか方法はあるはずだ。俺も協力するから」

「アラン……」


 こういう時、楽天的なアランの存在は心強い。本当になんとかなりそうな気がしてくる。


「というか、なんとかしないとな。でないとやっぱり俺が応えるはめになるからな」

「だから応えなくていい! 想像するからやめてくれ!」

「ははは。つれないこと言うなよ。俺は半分その気になりかけていたのに」

「お前は! そんな目で私を見ていたのか!」

「ははは」


 ひとしきりクラウスをからかった後、アランは少し真面目な顔になった。


「とにかく職業王妃という制度について調べ直してみよう。きっとどこかに解決する糸口があるはずだ。貴族達の根回しは俺に任せてくれ」


 心強い言葉をもらい、二人は再びサロンに戻って夜半まで飲み明かした。

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